投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

お参りの時は正座をしなければなりませんか?

法事を執り行う時、気にかかることの一つに正座があげられると思います。

私が法事に参らせていただく時にも、よく話題にのぼるのが正座の話です。

「正座ができないから後ろに座る」

「正座がつらい」

など、ご門徒の心配はつきません。

では、そもそもお参りの時の正座とは絶対なのでしょうか?

浄土真宗での正座とは、元来修行のためにするものではありません。

正座とは、読んで字のごとく

「礼を尽くす作法(座り方)」

ですから、仏さまを敬うことがその目的です。

したがって、出来れば、やはり本来は正座をしてお参りされることが望ましいでしょう。

しかしながら、どうしても正座がきつくて、そのためにお聴聞がおろそかになってしまったのでは意味がありません。

足がしびれたり、痛かったりするような場合には、足を崩されることもやむを得ないと思われます。

ただしその場合、足を仏さまの方へ投げ出したり、立て膝をつくなど、仏さまに対して失礼な態度は謹みましょう。

ご法事では、何よりも仏さまを敬う気持ちが肝要です。

今では、足の痛いお年寄りの方や、星座の苦手な若い方々に配慮して、本堂にイスを用意されているお寺も多くあります。

伝統的な正座のスタイルだけにとらわれることなく、仏さまを敬い、何よりもお聴聞に勤(いそ)しまれることをお願いいたします。

寒い→→少し暖かく→→蒸し暑く(現在)

寒い→→少し暖かく→→蒸し暑く(現在)

なってきました。

職場の熱帯魚グッピー達も、いきいき活発に泳ぎ回っています。

現在、私の職場ではグッピーの雄3匹、雌2匹飼っています。

平成21年9月に大人のグッピーをたくさん頂き、職員で数匹ずつ持って帰りましたが、職場に来てすぐに生まれた赤ちゃんグッピーは『ここ』で飼うこととなりました。

グッピーは卵で生まれるのではなく、稚魚で生まれてきます。

生まれてすぐは動き回れず、しばらくはジッとしているようで、放っておくと、生まれてすぐに大人のグッピーに食べられちゃうのです(T_T)

そんな中で、5匹のグッピーの赤ちゃんが水槽の中で確認できたので、すぐに水槽を分け、この5匹も職場の仲間入りをしました。

小さくて小さくて、やたら目だけが大きく感じられた赤ちゃんグッピー達は、少しずつ少しずつ大きくなっていきました。

今じゃ、雄は綺麗な色をつけ、尾びれもうんと大きくなりました☆★☆

雌は雄よも倍近くは大きくなり、お腹には赤ちゃんがいるようです(*^_^*)

【無事に生まれてきてくれたらな〜★】

と思いながら、日々水槽を眺めています。

…慌ただしく、ただ過ぎて行きがちな日常のなかで、ほんの少しの時間だけでも、ぼーっと、のんびりリラックスできる時間は必要ですよね☆ミ

私の中では、今そんな時間を過ごせるのが、

○愛犬コロとのお散歩中

○職場のグッピーの観察中

○朝目覚めて、空気の入れかえ中

かなぁ〜(*^_^*)♪

あなたも、忙しい毎日をお過ごしのことでしょうが、たまにはほんの一息ついて、ゆっくり、のんびり過ごせる時間を、是非自分なりに見つけてみてください(^o^)ノ

そんな一息つける時間こそが、今、そして明日の自分に新しい何かを気づかせてくれるんじゃないかな〜と思います。

『自然 ありのままそのままに』

親鸞聖人が86歳の時に書かれたお手紙の中に

「自然法爾(じねんほうに)の事」

という表題を付けられた一文が残っています。

「自然法爾」とは、

「自」とは「おのずから」、

「然」とは「しからしめる」

ということ。

「法爾」

も同じ意味で、如来の誓いによって

「そのようにせしめられる」

のだと説かれています。

これは、私が浄土に生まれるのは、私自身があれこれ考えはからい努力して…、ということによってではなく、この私が必然的に浄土に生まれるために、そのすべてを阿弥陀仏がはからわれていることを教えようとしておられるのです。

ところで、私たちは日頃お互いにどのような人生を願っているでしょうか。

おそらく

「自分の思い通りに物事が運び、楽しく自由自在な生活が出来る」

といったようなことではないでしょうか。

けれども、ここで注意しなければならないことは、それは決して自分勝手で、気ままな人生であってはならないということです。

例えば、見知らぬ二人が一つの部屋で、何をしても良いという自由が与えられたとします。

その時、もしこの二人が自由に遊ぶため、それぞれ勝手気ままな行動をとったとすれば、いったいどういうことになるでしょうか。

たちまちこの二人は、精神的にも肉体的にも、あらゆる場面でぶつかり合って、窮屈で不自由な状態に陥ることになります。

では、どうすればこの二人は自由自在に動くことが可能になるでしょうか。

可能性はただ一つであって、二人の心身が同一の方向性を持つことによってです。

それは勝手気ままな心とはまったく逆方向なので、お互いが先ず自分だけは自由でありたいという欲望を捨てなければなりません。

すなわち、相手の心を思いはかり、相手を先として共に行動する、といった心を持つことが必要になります。

いわば、自分を極めて不自由な場に置くことによって、真の意味での自由が生まれることになるのです。

実は、この二人の関係が、無数の関係にまで広がっているのが、私たちの人間社会です。

だとすると、この社会には、楽しく思いのまま勝手気ままに生活できる場など、どこにも存在しないということが知られます。

まれに、権力のある者が他の人々を抑圧して、勝手気ままに振る舞うという生き方はあるにしても、お互いが完全に平等な立場で楽しく思いのままに生きるという生活の場は、この世には存在しないのです。

親鸞聖人が晩年に語られた

「自然法爾」

という言葉は、一般的には親鸞聖人が最後に到達された仏智不思議の世界であり、円熟した境地を表現する言葉と理解され、親鸞聖人は晩年、法に即してただ自然に、たんたんと人生を送られたのだと見なされています。

けれども、それはむしろ逆で、この世の全ては無常であって、自分の思い通りの生活など何一つ成し得ない。

だからこそ、阿弥陀仏の大いなる慈悲は、この迷える私をただ一方的に仏果(さとり)に至らしめてくださるのだと、その仏恩を深く感じておられたのだと窺われます。

まさに、阿弥陀仏の本願を信じ念仏する者を、全てのはからいを超えて、自然に浄土へ往生せしめるはたらきを

「自然」

と語られたのだと言えます。

「親鸞聖人が生きた時代」6月(中期)

親鸞聖人は、平氏政権が最盛期を迎えつつある永安三年(一一七三)、京都郊外の日野にお生まれになりました。

父は皇太后大進(だいしん)の職にあった中流貴族、日野有範(ありのり)と伝えられています。

源頼政が打倒平氏の兵を挙げ、それに力を得て源頼朝や木曽義仲が決起したのは、親鸞聖人が八歳になられた治承四年(一一八0)のことです。

そして、翌養和元年の春、親鸞聖人は九歳にして青蓮院で出家剃髪し、慈円に師事されることになります。

この養和元年という年は、全国規模での大凶作、大飢饉が起こり、源平争乱の軍事行動も一時的に停止されたほどでした。

大飢饉は地方のみならず、京都をも直撃し、洛中に死体が充満して生き地獄のような状況を呈したことが

「方丈記」

などに活写されています。

この大飢饉はまた、当然のように末法到来の認識を世間に広め、絶望感をあおる役割を果たすことにもなりました。

それはさておき、中流貴族の子の親鸞聖人が、なぜ九歳にして出家しなければならなかったのでしょうか。

この問題を考えるとき、いささかならず興味深いのは、親鸞聖人の叔父の一人、日野宗業(むねなり)が以仁王の学問の師だったという所伝であることです。

また、親鸞聖人の祖母は、源氏の出身であったともいわれます。

それから推すと、以仁王・源頼朝が反平氏の企てに失敗した結果、日野氏も一時的に逼塞を余儀なくされ、幼い親鸞聖人を仏門に託すことになったのではないか、という可能性が考えられます。

もしそうだとすると、平安末の乱世は、親鸞聖人の出家とも密接に関わっていたことになります。

ともあれ、親鸞聖人はこうして俗世間を出離し、鎌倉新仏教の一巨峰を形成していかれることになります。

さらに親鸞聖人に続いてそれぞれ特徴のある教義を樹立された道元禅師、日蓮上人も後世に与えた影響は大なるものがあり、この三人はさしずめ鎌倉新仏教の三大巨峰と称することができると思われます。

「わが心を育てる」(中旬)お粗末な心を…

ここで、日本人は心をどこに考えたかというのが面白いんです。

日本人は、古くから文字は持っていなくても言葉は持っていた。

片仮名と平仮名は、日本人が作ったんですが、あれは漢字をちょっとひねった訳でしょ。

もしもし日本人は

「こころ」

という言葉は持っていたんですが、文字を持っていなかった。

では

「こころ」

にどういう漢字を当てていたのか。

それは

「凝」

という字を当てていたんです。

これは

「凝(こ)る」

という字です。

一番凝っているところです。

これを

「こころ」

と言った。

つまり私たちの先祖が考えた

「こころ」

は、体の一番中心の芯のところだと。

これはやはり東洋のものの考え方だと思います。

そして仏教では、二千五百年前のお釈迦さまの時代から

「こころ」

を問題にしている。

仏教では

「こころ」

を心・意・識の三層でとらえます。

これらはインド語では、

チッタ・

マナス・

ヴィジュニャーナ

と言います。

これをわかりやすく申しますと、

一番外にヴィジュニャーナがあり、

その内にマナス、

そして一番中にチッタがあります。

一番外のヴィジュニャーナ、識というのは五つあります。

目で見て心が動きます。

音を聞いて心が動きます。

匂いを嗅いで心が動きます。

口の中に入れたら甘い、すっぱいと心が動きます。

口の中に入れたら甘い、酸っぱいと心が動きます。

手に触ったらかたい、やわらかい、冷たいと心が動きます。

この五感というのが表層の心です。

仏教で言えば、これらがその時その時動いている。

そして、これを束ねる心があります。

ちょうど手首みたいなものです。

つまり、基本的に人間の表層、表面の心は六つあるわけです。

煩悩の数が百八つあるということを聞いたことがありますか。

なぜ百八つなのか。

今お話した六つの心を基礎にして、それをもう六つに割るんです。

それで三十六。

仏教では、必ず過去・現在・未来で考えます。

過去・現在・未来の三世あるから三十六掛ける三で百八つ。

これが基本の煩悩の数です。

こういう心が外にあるんです。

その中に持つ

「マナス」。

これは普通表に出ない。

とっさに出てくるんです。

これを我愛という。

一番はっきりするのは、地震で揺れたときです。

とっさにどうします。

「どうぞ、お先に」

という人はおらんでしょう。

みんなほっといて、我先じゃないですか。

これをマナスと言います。

私たちは、いつもこれをカバーしているんです。

これが教育です。

子どもの教育、家庭教育というのは、ここをどうコントロールするかということです。

たとえば、カッとなった時に押さえる心、これが出来ていないから、今の世の中は危ないんですよ。

みんなお粗末な心を持っているんです。

しかし、教育によってこれがコントロールできるんです。

犬や猫でもコントロールできます。

しつけをしたら。

しつけというのは、心が一番やわらかい小さい時に親がしとけばできるんです。

昔の人が偉かったというのは、こういうことです。

お仏壇の中の仏さまの両脇に座っているのは誰ですか?

一般に、ご門徒の方々のご家庭のお仏壇の中には、中央に阿弥陀さま(仏さま)が安置されていますが、その両脇にはお坊さんが向かい合って座っておられます。

この両脇のお坊さんは、いったいどなたなのか、ご存じでしょうか?

向かって右側に座っておられる方は、浄土真宗の宗祖親鸞聖人です。

また、向かって左側に座っておられる方は、本願寺八代目のご門主蓮如上人です。

親鸞聖人は、浄土真宗の開祖で平安末期(1173年)から鎌倉初期(1263年)を生きられた方ですが、では八代目ご門主蓮如上人はとはどのような方だったのでしょうか。

蓮如上人は、親鸞聖人が往生されて二百年程過ぎた後、室町時代に活躍された方です。

同時期には、とんち話で有名な一休さんがおられますが、蓮如上人と親交のあったことが伝えられています。

蓮如上人は、

『御文章』

と呼ばれる多くのお手紙を各地のご門徒に書かれ、その中で親鸞聖人のみ教えを平易に伝えることに意を注がれました。

また、真宗教団内で説かれていた異義を正され、親鸞聖人のみ教えが日本各地に広まる礎を築かれました。

このため、浄土真宗の

「中興の祖」

と呼ばれています。

お二人は、阿弥陀さまの両脇で共に向かい合っておられますが、これはそれぞれに九十年(親鸞聖人)、八十五年(蓮如上人)のご生涯を通して、お念仏のみ教え説き弘め、お勧めくださったことを表すものです。

したがって、私たちはそのお姿を通して、お二人のご苦労を忍びつつ、感謝の思いで阿弥陀さまに手を合わせ、声高らかにお念仏申したいものです。

なお、阿弥陀さまのかわりに

「六字名号(南無阿弥陀仏)」、

親鸞聖人のかわりに

「十字名号(帰命盡十方無碍光如来)」、

蓮如上人のかわりに

「九字名号(南無不可思議光如来)」

の名号を安置する場合もあります。