投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

「鉛筆を杖として」(中旬) 文学から癒しと許しという贈りものを受け取った

 なぜかというと、商売で無理をし過ぎた父が身体を壊し、寝たり起きたりの状態になっていたからです。

それで、父の代わりに母が商売をして、母の代わりに食事や洗濯、買い物などの役割が私に課せられていました。

 でも私はというと、仕事なんか好きじゃないんです。

それよりも小説を読んで、うっとり空想にふけっているのが大好きでした。

母は父の看病とお店の仕事で、ものすごく多忙ですから、家事をおろそかにしている私を見ると、もう腹が立って仕方がないんですね。

それで

「さっさとしなさい」

「なにやってるの」

と、いつも叱られてばかりいました。

 しかし、その頃の私は父が死ぬなんてことは、夢にも思っていませんでした。

だから、父が死ぬ前日に、父のお見舞いに来た知り合いのお姉さんに誘われて、喜んで一緒に映画を見に行ったりしてしまったんです。

そして映画を観た翌朝、父は脳溢血の発作を起こして、そのまま帰らぬ人になってしまいました。

 そのとき、自分はなんて因果な子どもなんだろうと思いました。

本当に悲しかったです。

普通はそういうことがあれば、それまでの自分の生き方、心の持ち方を改めて、少しでもいい人間になろうと、生まれ変わろうと改心するものですよね。

でも、私は改心することが出来ないままだったんです。

 その後、私はだんだん貸本屋で借りる少年少女の小説を読みたくなくなっていきました。

小説に登場する主人公に自分を重ねようとすると、清らかな主人公からかけ離れた、あまりにも汚い自分の心に気付かされてしまうようになったからです。

もうそういう小説を読んでも、楽しくなくなっていました。

 そのとき、兄の本棚の本を読むようになったんです。

最初の衝撃は、ハンセン病にかかった青年の療養生活を描いた、北条民雄の『いのちの初夜』でした。

他にも、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』とか、パール・バックの『大地』、山本有三の『路傍の石』など、たくさんの本を一生懸命読みました。

読むと心が何日も痛む作品も多かったです。

 ですが、その痛みが去った後の精神状態はとてもよかったんです。

それらの書物を読むことによって、私は本当に癒されました。

みんなこんなに失敗して、こんなに迷って、こういう風に愚かなことも犯すんだ、みんな同じなんだよというメッセージをそれらの書物から受け取ったんです。

それは私が幼い頃から灰色の心を持っていたお蔭なんだと思います。

 そうして、文学から癒しと許しという優しい贈り物を受け取ったのですが、その私がなぜ書く側に回ったかというと、新聞に投稿した私の文章を観た友だちからの勧めで、同人誌に入らせてもらったことがきっかけです。

「お寺では『初参り』ができると聞いたのですが」

浄土真宗では生・老・病・死の人生を生かさせて頂く中に、その節目節目に阿弥陀如来さまの尊前にお参りをいたします。

その人生の出発点が、この世に生を受けるということです。

極めて稀なご縁を得て、誰にも変わることのできない尊いいのちを頂いてこの世に生まれてくるのです。

親であれば、その子どもがすくすくと育っていくこと、そして人間としてのいのちを頂いたことを慶べるような人間になってほしいと願うものです。

その人生の出発にあたり、どんなことがあっても支え続け、見護り続け究極のよりどころとなって下さる阿弥陀如来さまへの初めてのお参りを『初参り』といい、その式を『初参式』と言います。

世間では、子どもが生まれて1カ月ほどすると、

「お宮参り」

といって神社へお参りする場合が多いようです。

現状においてはお寺にお参りされる方は、限られた方々です。

残念ながら

「死に関わる悲しみ事はお寺さん。

お祝い事はお宮さん」

という意識が知らず知らずのうちに人々の心の中に浸透している現れともいえるでしょう。

 いずれにせよ、死だけが仏縁となっていくのでなく、生もまた尊い大切な仏縁となることを

『初参式』を通して感じて頂きたいのです。

 なお、『初参式』は、生後何日目にお参りしなければならないという決まりはありませんが、出来れば満1歳ぐらいまでに子どもさんの体調に合わせて適宜お手次のお寺、あるいは、本山・別院にお参り下さい。

 その際、お寺によっては『初参式』を行う日取りを決めて行う場合もありますので、前もってお参りされる予定のお寺に日取りの相談をされることをお勧めいたします。

「同朋(どうぼう)」

ひとしく真実の教法に結ばれて生きる友を、同朋といいます。

釈尊と仏弟子たちが、教法に統理されたサンガと呼ばれる和合衆を形成されたように、真実の教えは、人間の最も本来的ないのちの共同性に目覚めさせ、共同体を生むものです。

本願念仏の教えに開かれる目覚めを信心と言いますが、信心は個人の内的な自覚体験にとどまるものではなく、念仏の教えに帰依して生きる人々を新しく連帯せしめ、

「ともの同朋」

といわれる和合体の世界を開いていきます。

この

「同朋」

という言葉を仏教の歴史の中で最も根本的に実践されたのは親鸞聖人です。

上下関係の厳しいあの鎌倉封建期に、親鸞聖人を囲んで自由で平等な交わりの場が常陸(茨城県)を中心とする東国に生まれました。

その教化の態度は、内には

「名利に人師をこのむ」

ことへの厳しい懺悔と、外には

「弟子一人ももたず」

という徹底した姿勢を貫かれ、また門侶に対しては

「御同朋・御同行」

とかしずき、深い敬愛の念をもって交わられたといわれます。

それらの人々の多くは

「下類」

とさげすまれ、

「いし・かわら・つぶて」

のように生きる群萌の生活者でした。

親鸞聖人は、仏の本願によび覚まされて念仏に生きる人々を、つねに同朋として、ねんごろに交わっていかれたのでした。

秋らしい気候になり、朝晩の冷え込みを除くと日中は大分すごしやすい気候になってきま

秋らしい気候になり、朝晩の冷え込みを除くと日中は大分すごしやすい気候になってきました。

仕事柄、小学生の子どもたちと話す機会が多いのですが、最近子どもたちからこんな声が聞こえてきます。

「最近の体育の授業、すごく嫌だ、もう走りたくない!」

何の話か?といいますと、小学校では11月下旬から12月初旬にかけてマラソン大会が開催されることが多く、そのための練習をしているというのです。

 私も最近、運動不足を解消する目的で、仕事がおわってからジョギングをすることを心がけているのですが、長距離を長時間走ることはやはり大変です。

その大変さがわかるだけに、子どもたちが

「嫌だ!」

という気持ちが、同じことを自分で体験しているだけによくわかります。

でも体力がついてきて、まわりを見渡す余裕が出てくると

「今日はこっちの道にいってみよう」

とか、

「ここにはこういう物があったんだ!」

と新しい発見をすることもしばしばあり、気持ちの面でとても楽しい気持ちになることもあります。

 そこで、子どもたちにこう聞いてみました。

「いろいろなものを探しながら走ってみると、案外楽しいよ。どこを走るの?」

すると、一人の子どもがポカーンとした顔をしているのです。

「あれ? 何か変なこと言ったかな?」

と思い、もう一度聞きなおしてみました。

 

「聞こえにくかったかな? どこを走るの?」

すると、予想外の答えが返ってきました。

 

「なに言ってるの? 道路だよ、道路。

マラソン大会だから道路に決まってるじゃない! ず〜っと道路だから、地面が硬くて、足が痛いし…、だから嫌だ!」

と言うのです。

 

「あ! なるほどな」

と思いました。

私は、マラソンのルートのことを聞いたのですが、その子は、自分が走る場所、つまり何の上を走るかを答えてくれたのでした。

 道路の上を走るというのは、当り前と思って聞いたのですが、聞き方によって、素直な子どもの耳には自分が思っていることは決して当り前のことではなく、聞き方やとらえ方によって、答えがずいぶん変わる。

また、感じ方もずいぶんかわるんだなぁ、としみじみ感じた瞬間でもありました。

そこで私は、こう返しました。

 

「ごめんごめん、聞き方が悪かったね。

どの道をどういう行き方で走っていくの? 毎日同じ道でも、違う場所を見ながら走ってみると、新しい発見があって楽しいかもよ?」

と言うと、

「うん、探してみる。あったら教えるね、ありがとう」

と、笑顔で答えてくれました。

自分が当たり前と思っていることが、他人にとっては決して当り前のことではない。

いろんな聞き方や感じ方があるからこそ、そういったことを踏まえて、相手の心情などを考えながら話し、聞いていく。

それが

「思いやる」

ということなのかなぁ、と感じた子どもとの会話でした。

あなたも、周囲の人々に自分の気持ちや考えが正しく伝わっているか。

あるいは、自分だけの思いで誤解してはいないか…、秋の夜長にぜひ一度ゆっくり考えてみるのもよいのではないでしょうか?

『周りの人に 許されて生きる私』

2年ほど前のことだったでしょうか。

ミャンマー(ビルマ)における軍事政権に対する暴動が、メディアに大きく取り上げられました。

軍事政権は武力でもって暴動を弾圧し、その弾圧に対して抗議した市民までもがまた、治安部隊に襲撃されるという、悲しい悪循環が続きました。

また、昨年の北京オリンピック聖火リレーの際にも、理不尽な理由で故郷を奪われ、厳しい弾圧に耐えてきたチベットの人々の怒りが、暴動となって起こったことも記憶に新しいところではないでしょうか。

 これらの暴動の背景には、政治的な圧力や、これまでの歴史が複雑に絡み合っていることでしょう。

しかしながら私が一番驚いたことは、民衆と共に仏教の僧侶も暴動に加わっていたということです。

私は、これまでお坊さんが暴動に加わるのを目にしたことはなく、初めの光景でしたので、大きな衝撃を覚えました。

ミャンマー、チベットと言えばアジアの中でも有数の仏教国であり、本来ならば非暴力を貫くお坊さんが暴動を起こしたということがどれほどのことであるのか、その国の悲惨な実情をその姿から垣間見たような気がしました。

 チベットにおける暴動に関して、ダライ・ラマ14世は声明を出され、最後の締めくくりに次のように言われました。

 

「私たちは、たとえ間接的にでも暴力と受け取られかねない、いかなる行為をもすべきではないのです。

たとえ耐え切れない怒りに駆られているとしても、私たちが育んできた深く尊い価値を傷つけるようなことをしてはならないのです。

(中略)事態がいかに厳しくとも、非暴力を実行し、非暴力の道から外れないでください。」

(2008年4月6日、インド・ダラムサラ)

 『宝蔵経』という経典の一節に

「怨むことなき教えを仏教となし、諍うことなき教えを仏教となし、誹ることなき教えを仏教とする」

という言葉が出てきます。

怨むこと、争うこと、相手の悪口を言うこと。

正に私たちの実態をそのまま言い表しているように思えてなりません。

また別の言い方をするならば、私が生きていく上での苦しみの元凶は、この三つに尽きるとも言えるのではないでしょうか。

 相手を思い、相手を認め、他を決して否定することなく違いもしっかりと受けとめて、お互いを許し合える。

これを実践するのは大変難しいことですが、努めて心がけていきたいと思います。

ダライラマ14世の言葉、そしてお釈迦様の教えに、私たちも同じ仏教徒として、今こそ真摯に耳を傾けたいものです。

「念仏の教えと現代」11月(前期)

 国際化・情報化・技術化(社会化)ということが現代社会で求められるとして、この点に非常に優れた、いわばこれの能力を全て身につけた人間が育てられたとします。

では、はたして現実社会においては、その人々によってどのようなことが引き起こされているのでしょうか。

 これは、今日の政局がまさにそれを象徴しているといえます。

あらゆる情報を集め、あらゆるデータを分析して、多くの人達がこれが最高の選択だと判断して実践した結果、どのようなことがもたらされているかというと、いわゆる想定外のことが大半です。

また、判断を下して人が、本当に思い描いた通りの正しい道を歩むことができたかということになると、結局その人の前にはすべて不確かな道しか現れて来なかったということになるのではないでしょうか。

 これが、人間社会の実際の状態なのです。

もし私たちが、過去において起きた問題を取り扱うのであれば、人間がどのような道順を歩んできたか、それをデータ化し分析して、その善し悪しを正しく判断することは十分に可能だといえます。

そしてその資料をもとに、未来に対して一番良い方向を作り出していくことも、ある程度可能だと思われます。

 ただし、いざすべての準備が完全に出来たとして、そこで未来に向かっていま一歩を踏み出そうとするその瞬間、今まで備えてきた準備の全てが、はたして完全に正しいのかどうかということになりますと、それが完全に正しいとわかる人は誰もいないのです。

これが、つまるところ人間の能力の限界であり、心であり姿だということになるのではないかと思われます。