投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

親鸞・去来篇(9)

朝麿は、見ちがえるほど恢復(かいふく)して、病床(とこ)を離れていた。

兄と、性善房とが、旅装(たびよそお)いをして、ふいに訪ねてきたので、彼は梢とともに、驚きの眼をみはって、

「どこへお旅立ちですか」と、もう淋しげな顔をした。

性善房が、

「いや、お師様には、もはや華厳をご卒業あそばしたので、南都にとどまることはないと、法隆寺の僧都様からゆるしが出たために、お別れを告げてきたのです」と話すと、

朝麿は、

「では、叡山へ、お帰りですか」と、なお心細げにいうのであった。

「されば……帰ろうと思う」範宴はそういって、

「ついては、おもとも京都へ共に帰らぬか」

「…………」

「わしが一緒に行ってあげよう。そして、ともどもに、養父(ちち)上(うえ)へお詫びをするが子の道ではないか」

「兄上。ご心配をかけて、なんともおそれ入りまする。けれど、今さら養父の家へは帰れません」

「なぜ」

「……お察しくださいまし……どの顔をさげて」

「そのために、兄がついて行くではないか。何事も、まかせておきなさい」

そばで聞いていた梢は、不安な顔をして、朝麿がそこを立つと、寝小屋の裏へ連れて行って、

「あなたは帰る気ですか」と男を責めていた。

「――わたしは嫌です。死んだって嫌ですよ。あなたの兄様は、きっと、お父さんのいいつけをうけて、私たちを、うまく京都へ連れ帰ってこいといわれているに違いありません」

女には、いわれるし、兄には叛(そむ)けない気がして、朝麿は、板ばさみになって当惑そう俯(う)つ向いていた。

すると、性善房が様子を見にきて、

「梢どの、それは、あなたの邪推です。お師様には、決して、お二人の心を無視して、ただ生木を裂くようなことをなさろうというのではなく、あなたの父上にも、朝麿様の養父君にも、子としての道へもどって、罪は詫び、希望(のぞみ)は、おすがり申そうというお考えなのです」

諄々(じゅんじゅん)と、説いて聞かせると、梢もやっと得心したので、にわかに、京へ立つことになった。

ところで、このあいだ宿の借財をたて替えてくれた親切な相客の浪人にも一言、礼をのべて行きたいがと、隣の寝小屋をさしのぞくと、誰も人気(ひとけ)はない。

亭主にきくと、

「はい、今朝ほどはやく、お立ちになりました。皆さまへ、よろしくといい残して――」

「や。もうお立ちになったのか。……今日は、改めてお礼を申し上げようと思うていたのに……。済まぬことであった」

範宴は、胸に借物でも残されたように、自分の怠りが悔いられた。

親鸞・去来篇(8)

いつものように、学生たちへ、華厳法相の講義をすまして、法隆寺の覚運が、橋廊下をもどってくると、

「僧都さま」と、いう声が足もとで聞えた。

覚運は、橋廊下から地上へ、そこに、手をついている範宴のすがたへ、じろりと眼をおとして、

「――何じゃ」

「おねがいがございまして」と、範宴は顔を上げた。

そして、覚運が眸でうなずいたのを見て、十日ほどの暇(いとま)をいただいて京都へ行ってきたいとい願いを申し出ると、覚運は、

「観真どのでもご病気か」と、たずねた。

「いえ、弟のことについて」

範宴は、そういう俗事に囚われていることを、僧都から叱咤されはしないかと、おそれながらいうと、

「行ってくるがよい」と案外な許しであった。

そればかりでなく、覚運はまたこういった。

「おん身が、ここへ参られてからはや一年の余にもなる。わしの持っている華厳の真髄は、すでに、あらましおん身に講じもし、また、おん身はそれを味得せられたと思う。このうえの学問は一に自己の発明にある。

ちょうど、よい機(おり)でもある。都へ上(のぼ)られたならば、慈円僧正にもそう申されて、次の修行の道を計られたがよかろう」

そういわれると、範宴はなお去り難い気もちがして、なおもう一年もとどまって研学したいといったが、僧都は、

「いやこれ以上、法隆寺に留学する必要はない」といった。

計らぬ時に、覚運との別れも来たのである。

範宴は、あつく礼をのべて引き退がった。

性善房にも告げ、学寮の人々にもそのよしを告げて、翌る日、山門を出た。

同寮の学生たちは、

「おさらば」

「元気でやり給え」

「ご精進を祈るぞ」などと、口では祝福して、見送ったが、心のうちでは、

(ここの烈しい苦学に参ってしまって、とうとう、僧都にお暇をねがい出たのだろう)と、わらっていた。

範宴は、一年余の学窓にわかれて、山門を数歩出ると、

(まだなにか残してきたような気がしてならぬ)と、振りかえった。

そして、

(これでいいのか)と自分の研鑽を疑った。

なんとなく、自信がなかった。

そして、朝夕に艱(かん)苦(く)を汲んだ法輪寺川ともわかれて、小泉の宿場町にはいると、すぐ、頭のうちは弟のことでいっぱいになっていた。

「ロケット打ち上げの秘密」(下旬)やるべき事を全てやり遂げた自分自身の確認

 現在、私が所属している鹿児島人口衛星開発協議会では、2つの発射場を持つこの鹿児島で何かを作って打ち上げたいという思いのもと、県外の企業いくつかと共同で法人を立ち上げて活動をしています。

 鹿児島大学や企業と共同で衛星を作って、JAXAの方に引き渡して打ち上げてもらうようにしています。

 まだまだ先のことになるでしょうけれど、将来的には目的や用途を受注して、私たちが中心になって人工衛星を作り、それを打ち上げてもらうというビジネスに発展させたいと思っています。

 本当にいろんな制約された条件下で私たちはやっています。

 これは極限の状態ですが、でも夢のある状態でもあります。

 子ども達にも夢を与えられるのではないか、そう思いますとやりがいがある仕事だなと私は思っています。

 私自身はほとんど引退したような身ですが、それでもまだ夢を抱いて仕事に取り組んでいます。

 ロケットの打ち上げというのは非常に派手です。

 ロケットに火がついてから衛星切り離しまで30分もありません。

 短いときには15分ほどで終わります。

 でも、その瞬間のために数年間の準備が必要で、部品の開発や製作も含めれば10年単位で時間がかかっています。

 人工衛星の場合は、打ち上げが成功してから、初めて本来の仕事ができるようになります。

 だから見た目は派手ですが、本当に1つの積み重ねがあって初めて実現していることなんですね。

 また、これだけの大きい仕事は個人の力ではとてもできません。

 若い時は私自身、何でもやってやろうと思っていたものですが、やっぱりできないことの方がずっと多かったですね。

 大きくなるほどチームがうまくまとまらなければ、何もできません。

 それはどんな事業でもそうだと思います。

 夢を持って取り組むこの大きなプロジェクトに積み重ねと人の和は大事です。

 そして、このロケット打ち上げでは、やれることを全てやり尽くしたとき、お寺や神社などにお参りすることがよくあります。

 決して神頼みではないと思います。

 「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますが、するべき仕事を全てやり遂げた自分自身の確認とか、そういう気持ちで仏さまや神さまという存在にお参りするんじゃないかなと私は思います。

 

真宗講座親鸞聖人に見る「往相と還相」

如来二種回向の本質とその功徳(11月後期)

 まず往相廻向の「行」とは何かが問題になるのですが、これについては、「行巻」冒頭の文、

 「謹んで浄土真宗を案ずるに、大行有り、大信有り。大行とは、則ち無碍光如来の名を称するなり」

 が、そのすべて明白に語っています。

 「南無阿弥陀仏」と称えられている、その称名念仏が往相廻向の行だといわれるのです。

 そして、この行が阿弥陀仏から廻向されている行であるが故に、この行には

 「即是諸の善法を摂し諸の徳本を具せり。極促円満す。真如一実の功徳宝海なり」

 という功徳が有せられることになります。

 このことは『文類聚鈔』でも同じで

 「行と言ふは則ち利他円満の大行なり。…然るに本願力の廻向に二種の相有り。この行は遍く一切の行を摂し、極促円満す」

 と述べられます。

 ここでこの行の功徳が「利他円満の大行」とされていますが、それは「南無阿弥陀仏」こそ迷える一切の衆生(他)を完全に利益する、阿弥陀仏の大行だとういう意味に理解されます。

 なお、行と信について

 「往相廻向の行信に就いて行に則ち一念有り。また信に一念有り」

 という言葉が見られます。

 行と信にそれぞれ「一念」があるとされるのですが、では行の一念とは何でしょうか。

 「行の一念と言ふは、謂く称名の遍数に就いて選択易行の至徳を顕開す」

 といわれるように、たとえどのような称名であっても、一切の称名の中の一声の称名が、まさしく如来によって選択され廻向された、易行の至極なのです。

 したがって、この一声の念仏者は、よく速やかに阿弥陀仏の浄土に往生することができるのです。

 往相廻向の「信」については、「信巻」冒頭で

 「謹んで往相廻向の廻向を案ずるに、大信有り。大信心は則ち是れ長生不死之神方、欣浄厭穢之妙術、選択廻向之直心、利他深広之信楽、金剛不壊之真心、易往無人之浄信、心光摂護之一心、希有最勝之大信、世間難信之捷径、証大涅槃之真因、極促円融之白道、真如一実之信海」

 と語られ、『文類聚鈔』では

 「浄信と言ふは則ち利他深広の信心なり」

 「誠に是除疑獲徳之神方、極促円融之真詮、長生不死之妙術、威徳広大之浄信」

 と示されます。

 ここに「利他深広の信心」という言葉が見られますが、この信心こそ、阿弥陀仏が迷える衆生を救うために成就された、無限に輝く清浄で広大な願心だと言えます。

 このような功徳をもった大信心であるが故に、この信心が凡夫を大涅槃に至らしめる真因として、念仏往生の願より廻向されているのです。

 こうして、この信楽の一念が

 「斯れ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰す」

 と述べられるのです。

 では往相還相の「証」とは何でしょうか。

 「証巻」の冒頭の文は、

 「謹んで真実証を顕さば、即利他円満之妙位、無上涅槃之証果」

 とあり、『文類聚鈔』では、

 「証と言ふは則ち利他円満之妙果なり」

 となっています。

 すでに示したように、この証果の願が、「往相証果之願」と名づけられていることから、この「証」も往相廻向の証であることはいうまでもありません。

 阿弥陀仏の廻向による証であるが故に、この証を得たものは、「清浄真実至極畢竟無生」の極果に至りうるのです。

 ところで「証巻」に

 「往相廻向の心行を獲れば、即の時に大乗正定聚の数に入るなり」

 という文が見られます。

 このことは、この証果は、衆生が阿弥陀仏から廻向される「行」と「信」を獲得することによって、はじめて成立するということを示しているといえます。

 では還相廻向とは、どのような証果なのでしょうか。

 還相廻向に関しては「二に還相廻向と言ふは、則ち利他教化地の益なり」と、『教行信証』『文類聚鈔』ともにほぼ同一の文となっていて、この廻向は、第二十二願より出ずると示されます。

 ただし、その廻向の内容に関しては、第二十二願がそのまま直ちに引用されるのではなく、『教行信証』では『浄土論』『浄土論註』の文を通して、また『文類聚鈔』では願成就の文が引用されることによって、還相廻向が語られることになります(『二種廻向文』は『教行信証』と同じ)。

 これはいったいどういうことなのでしょうか。

 ここで親鸞聖人の一つの重要な意図が明らかになります。

 すでに述べた

 「若しは往若しは還、一事として如来清浄の願心の廻向成就したまふところに非ざること有ること無し」

 の文によっても明らかに知られるように、往相と還相の功徳の一切が、阿弥陀仏の本願によって成就され、それが衆生に廻向されるという、親鸞聖人によって解明されたこの真理は、ほんの少しも動かすことができないことはいうまでもありません。

 行も信も証も、そのすべてが阿弥陀仏の本願に成就されているのです。

 けれとも、それを「廻向」という一点で押さえるならば、それはまさしく迷える衆生に廻向されているのですから、衆生の心を抜きにしては、この往還の二廻向は語られていません。

 衆生と切り離されたところで、阿弥陀仏の往還の二廻向が成就されているのではなくて、常に衆生の心に廻向されている、その事態においてのみ、この二廻向は意義を持つのだといえます。

 

子猫育て

2年前の10月2日。

朝、法事に向うため、車のとこに行くと、ボンネットにいつも家の周りをうろうろしているノラ猫が、大きなお腹をして座っていました。

「もうすぐ赤ちゃんが生まれるのかな」

「何匹くらいお腹の中に入っているのだろうか」

と思いながら、その猫を車から降ろして、出かけました。

その約20分後、自宅から携帯に着信が入っていて、全ての法事を終えてかけ直してみると

「玄関に体が羊膜に包まれたままの猫の赤ちゃんが1匹いて、しばらく外において様子を見ていたけれど、母猫が迎えに来る様子もなかったから、うちに連れてきている」

ということでした。

そして、その日から子猫育ての毎日が始まりました。

夜中も起きて、2〜3時間おきに、子猫用の粉ミルクを溶かしてミルクをやり、最初は動物用の哺乳瓶でも子猫の口のほうが小さかったため、スポイトで与えていました。

そして、温かく濡らした布でおしりをポンポン刺激して排泄をさせ、常にに保温を心がけました。

実は、その数年前にも、親猫が突然死んでしまった、まだ生まれて間もない子猫を何匹か育てたことがありました。

その時は、子猫が感染症に罹り、全て死んでしまいました。

色々な情報を集めてみると、生まれたばかりの子猫を人間の手で育てていくのは

「とても難しいことです」

「大変なことです」

と書かれたものばかりだったので、今回猫一匹育てるにしても、本当に毎日が緊張の連続でした。

お世話を繰り返しながら、毎日の中で最初に私が驚いたことは、ミルクが少しでも冷えてくると、全く飲まなくなり、温め直すとまた飲み始めたことです。

ふとした変化に新しい心配をしたり、新たな発見をしたりして、ささいなことであっても喜びに感じる日々が過ぎていきました。

はじめは閉じていた目や耳も順調に育ち、日がたつごとに開いてきました。

手さぐりの中で、いろんなことを調べては次へといった感じでしたが、どの資料にも「だいたい10日前後で目が開いてきます」と書いてありました。

しかし、その10日が過ぎてしばらく待ってみても、目が開く気配がなく、だんだん心配になって、動物病院に相談してみました。

すると

「目やには出ていませんか」

「くしゃみをしませんか」

と、何度も尋ねられました。

「どちらもありません」

と答えると、

「それにしても目が開くのが遅いですね。病院に一度連れて来てください」

と言われ、電話を切り、猫の様子を身に行くと、さっきまでしっかり閉じていたはずの目がパチッと開いていました。

嬉しい気持ちと、さっきまで心配して病院に相談していたのに、「このタイミングで!!」と思うと、笑ってしまいました。

子猫が、約生後1カ月過ぎるまでの間というのは、昼夜問わずお世話をし続けた感じでした。

今年で2年過ぎたその猫は、今元気にうちの中で過ごしています。

そして、私はよくこの猫をなでながら、この奮闘した時のことを思い出して「大きくなったなあ」と感じています。

出遇うことの不思議さ、生命力、いのちが育まれていく時間の中に今があり、大変な苦労や深い思い、願いが向けられているなと、改めていのちのことも見つめさせてもらった、貴重な体験でした。

『私が私でよかったと思える私になりたい』(後期)

「大きくなったら何になりたい?」

問いかけると、さきを争うようにして「恐竜ジャー!」「仮面ライダーガイム!」「プリキュア!」など、アニメのヒーロー・ヒロインの名前をあげる子ども達の姿は、何とも微笑ましいものです。

もちろん、成長するにしたがって「なりたいもの」は、より現実味をおびてくるのでしょうが、人は「なりたい自分」があるからこそ、一生懸命勉強したりさまざまな努力を重ねていけるのです。

しかし、すべての人がなりたい自分になれる訳ではありません。

なりたい自分になれなくて涙を流したり、ひどい挫折感を味わうこともあるでしょう。

でも、たとえなりたい自分になれなくても、なりたい自分になるために努力を重ねてきたそのことは得難い宝として体に刻み込まれています。

それが、次のステップにつながる大きな力となっていくのです。

今さかんにいわれる「自己肯定感」を持つとは、そういうことではないでしょうか。

それは、思うようにならなくて自分を否定しそうになった時でも、そこにそのまま沈みこんでしまうのではなく、そこから立ちあがって再び歩きだすことのできる、何らかの前向きの力が自身の中ではたらいていることを自覚できることをいうのだと思います。

それは先ほど述べたように、失敗を恐れずに挑戦したり努力したりする中で養われるのでしょう。

そしてもうひとつ、そんな自分を見守り認め励ましてくれる人がいてくれることが重要です。

それらがあれば、どんな辛いことや苦しいことがあっても、きっと乗り越えていけるに違いありません。

お経の中に「無有代者(むうたいしゃ=かわるものあることなし)」という言葉があります。

「あなたはあなただけ。世界中探してもあなたの代わりはどこにもいない。絶対に代わることのできないかけがえのない存在、それがあなただよ」

と、仏さまは全面的に私を肯定して下さっています。

失敗も挫折も欠点も、人生で起きることの全てが私を私にしていく大切なご縁です。

それらを受け入れることが、「私が私でよかった」と思えること、「かけがえのない存在としての私を生きていく」ということではないでしょうか。