投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

『ずいぶん回り道をしてきたそれもまたいい』(前期)

「人生を振り返ってみる。」

そういうことは、あまりしない私ですが、今月の法話を書くにあたり、振り返ってみることにしました。

小さい頃のことは、あまり記憶にないので省略しまして、学生時代もっと勉強しておけばよかったという思いはあります。

また、いろいろなことに積極的であればとも思うことでした。

皆さんの中にも、自分の人生を振り返ると、“あのときああしておけば”、“こんなはずではなかった”と思う方もいらっしゃるかと思います。

仏教では、過去や未来ではなく、今が大切だと考えます。

仏教を説かれたお釈迦さまは

「もう終わったことをいつまでも考えたり、まだ起きていないことに悩んだりしないように。過去は終わったことで、未来はまだ来ていないこと。だから、今すべきことをよく見つめて、それに集中しなさい」

とおっしゃっています。

“あのときああしておけば”、“こんなはずではなかった”と思っても過ぎたことですから、変えることはできません。

変えることはできないけど、過去の反省をもとに変わることはできるのではないでしょうか。

それは、今をどう生きるかを大切にすることだと思います。

人それぞれの人生の中で、回り道と思うような出来事も、そこがあっての今の私の生きる瞬間です。

過去の積み重ねで至っている

「今、ここ」

をしっかり見つめていきたいものです。

真宗講座 親鸞聖人に見る「往相と還相」(12月前期)

そこで今一度、往還二廻向の本質を窺ってみることにします。

往相廻向の行とは何でしょうか。

「無碍光如来の名を称するなり」

がそのすべてを語っているといえます。

衆生が一声

「南無阿弥陀仏」

を称える。

そこに往相廻向の行が出現しているのです。

往相廻向の信においては、信楽の一念にその出現を見ることができます。

「信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰す」

の文がそれを語っているのですが、阿弥陀仏の信楽が私の心に開発された瞬間、それはまさに私の全体が慶心で包まれる時ですが、そこに私における往相廻向の信の成就があるといえます。

そうすると、往相廻向の証とは

「往相廻向の心行を獲れば、即の時に、大乗正定聚の数に入る」

ということになります。

まさにこの世の衆生が、往相廻向の心行を得、正定聚に住することが、往相廻向の証果なのです。

では、還相廻向の証果とは何でしょうか。

還相の廻向の功徳もまた、阿弥陀仏の第二十二願に成就されているところです。

したがって、阿弥陀仏が廻向を首として大悲心を成就された、その大悲心が還相廻向のすべてであることはいうまでもありません。

しかし、ここでもまたその大悲心が衆生と関わらない限り、この廻向もまた意味をなさなくなるといわなくてはなりません。

阿弥陀仏の還相廻向の成就が、還相の菩薩の上で躍動するが故に、この廻向が無限の意義を有するのです。

そして、この還相の菩薩の行道を如実に語っているのが、『浄土論』『浄土論註』の思想であり、また第二十二願の成就文です。

ここに、親鸞聖人が還相廻向の証果を論じられる際、第二十二願を直接引用されなかった理由が見られます。

このように見れば、往相の廻向とは、その功徳の内実は阿弥陀仏の願心にありながら、その廻向の具体的な躍動の相は、往生する正定聚の機の相ということになるのであり、この念仏の行者のこの世における仏道に、往相の廻向の真実が輝いていることになります。

そうすると、還相の廻向もまた同様に考えられます。

決して、阿弥陀仏が往相したり還相したりするのではありません。

往相と還相は、必ず衆生の上で語られるべきであり、正定聚の機の往生の相が往相なのであり、この菩薩が浄土に往生して、直ちにこの世に還来する、その教化地の菩薩の相が還相だとみなければならないのです。

では、還相の菩薩のこの世における菩薩道とは、どのような仏道になるのでしょうか。

往相の仏道と共に、この点が以下の中心課題になります。

ここで最後に、往相廻向と還相廻向の関係を窺うことにします。

この二種の廻向の関係は

「和讃」

に最も明瞭にあらわれているように思われます。

『正像末和讃』に

「如来二種の廻向をふかく信ずる」

「往相還相の廻向にまうあはぬ」

「如来二種の廻向の恩徳まこと」

「如来二種の廻向を十方にひとしく」

「如来二種の廻向にすすめいれしめ」

と、

「如来二種の廻向」

という言葉が繰り返し出てきます。

私たちは、如来の二種の廻向に出遇うことによって、初めて無上涅槃に至ることができます。

それ故に

「諸仏・善知識はただひたすら私たちに、この如来の二種の廻向をすすめておられます。

したがって、如来の二種の廻向を信じる人はすべて等正覚に至ります。

だからこそ、この他力の信を得た人は、かならず如来の二種の廻向を十方の人々にひろめるべきです」

和讃の大意は、おおよそこのように理解することができます。

このように見れば、

「二種の廻向」

は、阿弥陀仏が一切の衆生を、必ず仏果に至らしめるために成就された一つの無限の大悲心の二種のはたらきということになり、この二種の廻向は、常に同時的に存在し、衆生を摂取するために、当時に衆生の心に来っていると見なければならなくなります。

逆に言えば、もしこの二種の廻向がなければ、衆生は無上涅槃には至り得ません。

したがって、往相還相という二種の廻向が切り離されては意味をなさないのであって、阿弥陀仏の大悲心に、往相還相という二種の廻向が共に具わっているからこそ、その信楽を獲得する時、その瞬間に等正覚の証果に至ることになるのです。

では、この二種の廻向はどのようにして衆生の心に来るのでしょうか。

親鸞・去来篇 12月(1)

その時から、原のあなたで、女の泣きさけぶ声がして、範宴と性善房の耳のそばを糸のように流れた。

「やあっ、あの声は梢ではないか」

ここには、朝麿が、なに者かにふいに棒かなんぞでうちたたかれたように気を失っているし、あなたには、けたたましく救いを呼ぶ梢の声がきこえるし、事態はただごととは思われない。

兄に抱き起こされて、気がつくと、朝麿は、

「梢が――梢が――」

と、必死になって、道もない萱原(かやはら)の中へまろび入った。

遠い野火の炎が、雨もよいの、ひくい雲を紅くなすっていた。

火光に透いて、萱原の中に駈けおどって行く、十名ほどの人影が黒く見える。

「梢――」

朝麿が、さけぶと、なにか罵る声が激しく聞えて、彼はまたそこで、中の一人の一撃にあってよろめいた。

性善房と範宴は、朝麿の身を案じながら、すぐその後に駈けつけていた。

まぢかに迫ったとき、二人の瞳があざやかに見た十名ほどの人影は、うたがうまでもなく、人里といわず、山野といわず、野獣のように跳梁(ちょうりょう)する野盜の群れにちがいない。

それはいいが、中に、たしかに、目立って屈強な男が、梢のからだを横向きに抱いていた。

範宴は、

「やっ、あなたは小泉の宿でお会い申した、天城四郎殿ではありませんか」

いうと四郎は、からからと四辺(あたり)へ響くような声で笑った。

「そうだ、この女は小泉の木賃に宿り合わせたときから、それと言い交わした約束があるので、もらってゆく、天城四郎とは偽り、天城四郎とも、木賊(とくさの)四郎ともいう盗賊だ。異存があるなら、なんなりとそこでほざいて見るがいい」

範宴は、この恐ろしい魔人の声を聞くと、世の中のすべてが、暗澹(あんたん)とわからないものになってしまった。

つい、今がいままで、世にも奇特な人として、胸のうちに、あの時の感謝を忘れなかった。

その人物が、仮面を剥いで、そういうのであるだけに、唖然(あぜん)として、しばらくはいいかえすべき言葉もない。

親鸞聖人750回大遠忌法要

11月5日〜9日までの5日間、鹿児島市にあります、西本願寺鹿児島別院において、鹿児島教区・鹿児島別院親鸞聖人750回大遠忌法要が勤まりました。

これをお読みになっておられる方の中にも、お参りされた方が多数いらっしゃる事かと思います。

50年に一度の法要を大遠忌法要と申しますので、前回の大遠忌法要となりますと50年前の親鸞聖人700回大遠忌法要ということになります。

今回のご法要は5日間計8座、のべ5000人程の方がお参りになられました。

京都の御本山・本願寺よりご門主様、並びに新門様、両門さまご出勤のもとお勤まりになりましたので、普段の法要とはまた違い、一段と緊張感のある厳粛な法要となりました。

お経を唱える方々、お経に華をそえたコーラス隊の方々、表には見えない裏方として法要を支えた方々、そしてお参りになられた数多くの方々、一人一人の思いと力が結集したすばらしいご法要であったと感銘を受けました。

これだけのご法要でしたので、準備段階からそれぞれに多くの苦労があり、私自身も少々やりきったというような感じがあります。

法要中にも何度か確認されたことでありましたが、50年に一度の大遠忌法要を勤めるということは、法要が終わってこれで終わりということではありません。

次の50年後の大遠忌法要に向けて我々浄土真宗本願寺派教団がどのようにあるべきか、という新たな歩みへの始まりでもあります。

私自身、50年後の800回大遠忌法要は年齢的に厳しいですが、先人がいのちがけで護り我々に伝えてくださったように、人は変わり形は変わっても、私たちの後輩がお念仏の教えを受け継ぎ、800回大遠忌法要をお勤めすることとなるでしょう。

その時、私たちの教団は民衆にとってどのような教団であるか、めまぐるしく変化していくこの現代社会の中で、さまざまな社会問題とどのように向き合っていくか、これからの歩みがこれからの本願寺教団の未来に関わってくることと思われます。

この視点は私たちの教団のことにとどまらず、この国のあり方としても大事にしなければならない事だと思います。

目先の利益に走り、合理的かつ経済的観念のみを重視したあり方では、おそらく次の世代以降へ多くのつけを残すこととなるでしょう。

それは深刻な環境問題やこの国が抱える巨額の借金にもその兆候ははっきりと表われています。

原発を含むエネルギーの問題、平和憲法・集団的自衛権の問題等、今、日本は多くの大変な問題に直面していますが、50年後100年後に責任を持てるようなあり方が必要であり、それが先人より受け継ぎ現代を預かるわたしたちの責任であると思います。

そのようなことを仏教の教えの中に、親鸞聖人がお勧めしてくださったお念仏の教えの中に、あらためて確認していく機縁として、今回の750回大遠忌法要を私は捉えていきたいと考えています。

またそれが、宗祖親鸞聖人や先人のご恩に少しでも報いていく道であると思います。

「腕輪念珠」とは、どのようなものですか?

「お念珠」はお寺へお参りする時に欠かせない大切な法具です。

阿弥陀如来さまをつつしんで敬い礼拝するために用います。

形や色、大きさなど様々なものがあり、同じ仏教でも、宗派によって多少の違いもあります。

「腕輪念珠」はお念珠を小さくしたもので、いつでも、どこでも、どんなときでも礼拝できるように作られたものです。

決して、魔除けやお守りではなく、礼拝するための法具です。

本願(南無阿弥陀仏)に出遇ったとき、欲望にまみれた自己中心的な私の姿が見えてきます。

自己中心的で、自分の都合や気持ち一つで、コロコロと心が変わっていってしまう私には、祈祷や占い、お守りが、何の役にも立たないことだと気付かされるはずです。

そんな私が仏となる教えがある。

南無阿弥陀仏のお念仏一つで、往生することができる。

良いことも、悪いことも、どれ一つ抜けても私の人生・命はなりたちません。

だからこそ、この命を精一杯見つめて、生き抜いてほしい。

命終わるとき必ずあなたをお浄土へと生まれさせると誓いをたて、仏となられたのが阿弥陀という仏さまです。

腕輪念珠を常に手にして生活することにより、仏さまはいつも私を呼び続けておられるのだと感じることができるのではないでしょうか。

最近では、お寺で腕輪念珠を作る行事等も増えてきています。

自分の好きな色で作った腕輪念珠もまた、大切な法具となります。

コロコロと転がっていってしまう丸い珠を、自分の手でつなぎ合わせていく作業も、私の心と阿弥陀さまがしっかりと繋がっているのだとあじわうことができるのではないでしょうか。

親鸞・去来篇(10)

若い男女(ふたり)は、先に歩み、範宴と性善房とは、ずっと離れてあるいた。

冬の日ではあるが、陽がぽかぽかと枯れ草に蒸れて、山蔭は、暖かだった。

「――幸福にさせたい」

範宴は、先にゆく、弟と弟の愛人のうしろ姿を見て、心から、いっぱいに思った。

「のう、性善房」

「はい」

「粟田口の養父上にお会したらそちも共に、おすがり申してくれ」

「はい」

「万一、どうしても、お聞き入れがなかったら青蓮院の師の君におすがりしてもと、わしは思う……。あの幸福そうなすがたを見い、あの二人は、世間も何もわすれている、ただ青春をたのしんでいる姿じゃ」

黄昏れになった。

女連れでもあるし、夜になるとめっきり寒いので、泊りを求めたが、狛田の部落を先刻(さっき)過ぎたので富野の荘までたどらなければ、家らしいものはない。

だが、そこも今のぼっている丘を一つ越えれば、もう西の麓には、木賃もあろうし、農家もあろうと思われる。

丘の上に立つと、

「おお……」と、範宴は笠をあげた。

河内平のあちこちの野で、野焼きをしている火がひろい闇の中に美しく見えたからである。

平野の闇を焼いてゆく野火のひかりはなんとなく彼の若い心にも燃え移ってくるような気がした。

範宴は自分の行く末を照らす法の火のようにそれを見ていた。

彼の頬の隈が、赤くなすられていた。

黙然と、火に対して、いのりと誓いをむすんでいた。

すると――

「いや、弟御様は」と、性善房があわてだした。

「先へ行ったのであろう」

「そうかも知れません」

足を早めかけると、どこかで、ひいっッ――という少女の悲鳴がきこえた。

耳のせいではなかった。

たしかに、梢の声なのである。

そこにはもう下りにかかった勾配で、真っ暗な道が、のぞきおろしに、雑木ばやしの崖へとなだれこんでいた。

「――誰か来てえッ……」

ふた声めが、帛(きぬ)を裂くように、二人の耳を打った。

それにしても、朝麿の声はしないし、いったい、どうしたというのだろうか?

「あっ、お師さま」

先へ駈けだした性善房は、何ものかにつまずいたらしく、坂道に、もんどり打っていた。

範宴も、駈けつづいて、

「どうしたのじゃ」

「朝麿様が、そこに」

 「えっ、弟が」

 びっくりして、地上をすかしてみると、たしかに人らしいものが、顔を横にして、仆(たお)れていた。