投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

親鸞・去来篇 12月(4)

暁になると、大地は霜の針を植えならべ、樹々の枝には、氷柱(つらら)の剣が下がり、八寒の地獄もかくやと思うばかり、冷たい風が、手脚の先を凍らせてくる。

肉体の知覚がなくなると、範宴は自分の肉体のうちに、冬の月のような冴えた魂が無想の光にかがやいているのを見いだして、

(ありがたや、自分のような穢身のうちにも、弥陀如来が棲(す)みてお在(わ)す)と思った。

わが身を、かくまで尊いものに感じたのは、今夜が、初めてであった。

天城四郎が、八寒地獄の氷柱の樹にこうして、自分たちを縛(いま)しめてくれたお蔭である。

範宴は、彼をうらむ気にはなれなかった。

彼を救うことのできない自分の無力さの方が遥かにうらみといえばうらみであった。

なおのこと、肉親の弟をすら救うてやることのできない自分が口惜しい。

叡山に苦行し、南都に学び、あらゆる研鑽にうきみをやつしていたところで、それが単なる自分の栄達だけにすぎないならば、なんの意義があるのであろう。

学問のための学問や栄達のための修行ならば、あえて僧籍に身をおいて、不自然な戒律だの法規だのにしばられずに、黄金を蓄えても同じである。

武士となって、野望のつるぎを風雲に賭しても目的はとげられるのだ。

けれど仏徒の大願というものは、そんな小我を目的とするものではないはずである。

衆生の救船ともなり、人生を遍照する月ともならなければならない。

飄々(ひょうひょう)と、雲水にあそび、悠々と春日をたのしむ隠遁僧のような境界を自分はのぞんでいるのではなかった。

この骨肉争闘の世をながめていても立ってもいられない心地がするのだ。

身をもって、この悪濁(あくだく)の世にうめいている人々を両の手に、しっかとかかえ入れてやりたいという気持ちにすらなって、そのたくましい広大な自分をつくり上げたいがために、かく学び、かく苦しみ、かく悶えているのではないか。

その大願にもえている身にとっては、ひとりの野盗に対して怒る気も出ないかわりに、ひとりの弟をすら救えない自分を、範宴は、慟哭(どうこく)して嘆かずにいられなかった。

けれど、さらに深く考えてみると、弟はおろか、わが身というものさえ、まだ自分で解決もできていなければ、救えてもいないのである。

(なんで、人の身をや)と範宴は、痛切に今思うのだった。

自分をすら解決し得ない自分に、自分以外の人間の解決ができうるはずはない。

その根本は、学問も思念も、すべてが、到らないためだというほかはない。

こういう悩みをすることすら、僣(せん)越(えつ)なのかも知れぬ。

何よりもまず自身の解決からしどけなければならぬ。

――栄達や功名の小我のためでなく、濁海の救船となって彼岸の大願へ棹(さお)をさすために。

「おや、坊さんが、縛られてるぜ……」

「やれやれ、追剥(おいはぎ)にでも会ったのか、かわいそうに」

夜はいつか明けて、範宴のまわりにも、性善房や朝麿のそばにも、旅人だの馬子だのが、取り巻いていた。

親鸞・去来篇 12月(3)

範宴が、止めるのもきかず、衆に向ってかかったので、性善房は、さんざんに打ちのめされてしまった。

そして、ほとんど半死半生のすがたになった彼を、萱原の枯れ木の幹に賊たちは縛(くく)りつけて、やがて、範宴の身も、朝麿の身も、同様に、うしろ手に縛(いま)しめて、

「ざまあみろ、いらざる腕立てをしやがって」

と、凱歌(がいか)をあげた。

そして、野盗の手下は、当然の労銀を求めるように、性善房のふところから、路銀を奪い取って、

「生命(いのち)だけは、お慈悲に、助けてやる」

といった。

性善房は、そんな目にあっても、まだ、賊に向って罵ることばをやめなかった。

「悪魔どもめ!汝らは、他人の財物をうばい、他人を苦しめて、それで自分が利を得たとか、勝ったかとか思うていると大間違いだぞ。そうやって、横手を打っていられるが、それらの罪業はみな、自分に回(かえ)ってくるものなのだ。おのれの天(てん)禄(ろく)をおのれでうばい、おのれの肉身をおのれで苦患(くげん)へ追いやっているのだ。今にみろ、汝らのまえには、針の山、血の池が待っているだろう」

「あははは」

野盗の手下たちは、放下師(ほうかし)の道化ばなしでも聞くように、おもしろがった。

「この坊主め、おれたちに向って、子どもだましの説法をしていくさる。地獄があるなら、見物に行ってみたいくらいなものだ」

一人がいうと、また一人が、

「地獄というのは、今のてめえの身の上だ。いい加減な戯言(たわごと)ばかりいって、愚民をだましてきた罪で、坊主はみんな、地獄に落ちるものと相場がきまっているらしい」

悪口雑言を吐いて、

「お頭(かしら)、行きましょうか」

と、天城四郎をうながした。

四郎は、梢の手をひいて、

「俺は、この女と一緒に、しばらく、都の方へ行き、半年ほど町家住いをするつもりだ。てめえたちは、勝手に、どこへでも散らかるがいい」

と、いま、性善房のふところから奪った金に、自分の持ち合わせの金を、手下たちに分配して、すたすたと、先に立ち去ってしまった。

もう反抗する力を失ってしまったのか、梢は、四郎の小脇に、片方の腕をかかえ込まれたまま、彼の赴く方へ、羊のように、従(つ)いてゆくのだった。

「あばよ」

賊の乾分(こぶん)たちは、そういって、性善房や朝麿の口惜しげな顔を、揶揄(やゆ)しながら、夜(よ)鴉(がらす)のように、おのおの、思い思いの方角へ、散り失せてしまった。

範宴は、木の幹に、縛られたまま、耳に声をきかず、口に怒りを出さず、胸にはただ仏陀の御名だけをとなえて、じっと、眼をつむっていた。

夜半(よなか)の霜がまっ白に野へ下りて月が一つ、さむ風の空に吹き研がれていた。

しゅくっ……と朝麿の泣く声だけが、ときどき、性善房の耳のそばでした。

※「天禄」:天から賜る福禄。噛みから授かるよいもの。天佑。

親鸞・去来篇 12月(2)

「ははあ……。それではあなたは、真面目な職業のお方ではなく、天城の住人で、木賊四郎と呼ぶ野盗の頭(かしら)であったのですか。――けれど、そういわれても、私にはまだ信じられません」

範宴がいうと、四郎は、

「なにが信じられねえと?」

聞き咎めて、凶悪な眼で睨みつけた。

「――さればです。いつぞや、小泉の宿で、私や弟の難儀な場合をああして救って下された時のありがたいあなたの姿が、今もって、私の瞼(まぶた)から消え去らないのでございます。どうあっても、あなたは善根の隣人に思われて、さような、魔界に棲(す)む人とは、考えても考えられないのでございます」

「馬鹿者!」

四郎は、歯ぐきを剥きだして、嘲笑(あざわら)いながら、

「あれは悪事をする者の資本(もと)と同じで、悪党の詐術というもの。俺という人間は、善根どころか、悪根ばかりこの社会に飢え歩いている。魔界の頭領なのだ。またこの先、こんな策(て)に乗らねえように、よく面(つら)をおぼえておけ」

範宴の身をかばいながら、杖を横に横たえていた性善房歯、たまりかねて、

「おのれが、人をあざむき世を毒す食わせ者であることはもう分った。多言をつがえる要はない。ただ、その女子(おなご)をおいて、どこなと立ち去るがよい」

「ふざけたことを申すな。この美貌の女子を手に入れるために、俺は二十日あまりの日を費やし、旅籠料やら何やらと、沢山の資本(もと)をかけたのだ。これからは、しばらく自分の持ち物として楽しんだうえで港の遊女へ売るなり、陸奥(みちのく)の人買いに値よく渡すなりして資本をとらなけれやあならない。なんで貴様などに、返していいものか」

「渡さぬとあれば――」

「どうする気だっ、坊主」

「こうしてやる」

性善房が、振り込む杖を、天城四郎は、かろく身をひらいて右につかみながら、

「汝(うぬ)ら、下手なまねをすると、地獄へ遍路に生かせるぞよ」

「だまれっ」

杖を、奪いあいながら、性善房は、全身を瘤のようにして、怒った。

「われらを、ただの僧侶と思うとちがうぞ。これにおわすおん方こそ、六条の三位範綱朝臣の御猶子少納言範宴様。また、自分とてもむかしは、打物とった武士の果てじゃ」

「はははは。それほど、腕立てがしたいならば、四郎の手下にも、ずいぶん、血を見ることの好きなのが大勢いるから、まず、そこいらの男どもと、噛み合ってみるがいい。――おいっ」

と、後は後ろにいる八、九名の手下をかえりみて、

「この二人の坊主を、どこかその辺の木へ、裸にして、縛り付けてしまえ」

と、いいつけた。

それまで唖のように眼を光らしていた男たちは、おおという声とともに、凶悪な餓(が)狼(ろう)となって、範宴と性善房を輪のなかにつつみ、八方から、躍りかかった。

「心の病からみた現代社会」(上旬)うつに「頑張れ」は厳禁

ご講師:増田彰則さん(増田クリニック院長)

今、5大疾病の1つとして数えられている

「鬱(うつ)」

の患者さんが増えています。

「うつ」

とは、気力、意欲が低下した状態で、活力が枯渇して、ほとんど元気がない状態をいいます。

現在、男性の10人に1人、女性は男性の倍くらい、うつ病の患者さんがいるといわれています。

しかし、うつは恥ずかしい病気ではありません。

一時期、非常にやる気や気力を失うというのはよくあることです。

うつは大人の病気というイメージがありますが、そのうつが今は子どもにも増えています。

小学生の子どもで1.6%、中学生でも5%くらい、うつ病の患者さんがいます。

子どもが朝起きれない、学校に行けない、気力がわかないというのは、単に怠けだけじゃなくて、心が疲れきってしまってうつになるというケースもあります。

そういう場合に、たたき起こして

「学校に行け」

とい追い出すように行かせると、逆効果になる訳ですね。

うつ病患者は、1994年に44万人だったのが、2008年に104万人と、この10年間で2.5倍くらいに増えています。

男性はちょうど働き盛りの30〜40代に多く、女性は60代以降に多いのが特徴です。

うつは、仕事人間で頑張り屋さん、なんでも一生懸命してしまう真面目な方に多いです。

自分に厳しく、休養を取らない人ですね。

こういう人は本当に消耗しきって、うつになってしまうことが多いので、上手に休養が取れるようにならなければいけません。

休養を取り、身体と脳を休ませてあげること。

そして、病院に行って、もらった薬を飲み、しっかり睡眠を取って、ストレスがある環境を変えれば、1〜2カ月でだいたい快復します。

ですから、決してうつは怖い病気でもないし、治らない病気でもありません。

的確な治療をすれば、ちゃんと快復してまた本来の元気を取り戻します。

うつは、まじめで頑張り屋さんがなると言いましたが、最近はそうでない

「新型うつ病」

というものがあります。

20〜40代の若者に多く、軽いうつ状態で無気力状態です。

しかし、特徴があります。

職場で厳しい上司から叱られると、それが原因で仕事が嫌になって、病院で

「私はうつで、ちょっと休みたいから診断書を書いてください」

と言うんですね。

そして、診断書を書いて

「ゆっくり休みなさい」

と言いますと、遊びに行ったり、彼女とドライブしたり、海外旅行に行く人までいます。

そして、そろそろ診断の期限が切れて、出社可能ですという診断書を書きましょうかと言うと、

「またお腹が痛くなりました」

と言うんです。

もう1つ、上司から叱られると、

「叱る上司が悪い」

と言って、他人のせいにする傾向があります。

自分自身の問題として受け止めないんですね。

しかし、ここで厳しいことを言うと、ますますその人は悪くなりますから、

「お前のやり方が悪い。もっと頑張れ」

というように批判せず、とりあえず話を聞いて受け入れ、無理に励まさないことが大切です。

反対に、しっかり話を聞き、職場環境を変えてあげたり、気を緩めて過ごせるような環境を整えてあげることが大切です。

優しく声かけをするなどして、まず家でゆっくり休ませてあげることが大切ですね。

『ずいぶん回り道をしてきたそれもまたいい』(前期)

「人生を振り返ってみる。」

そういうことは、あまりしない私ですが、今月の法話を書くにあたり、振り返ってみることにしました。

小さい頃のことは、あまり記憶にないので省略しまして、学生時代もっと勉強しておけばよかったという思いはあります。

また、いろいろなことに積極的であればとも思うことでした。

皆さんの中にも、自分の人生を振り返ると、“あのときああしておけば”、“こんなはずではなかった”と思う方もいらっしゃるかと思います。

仏教では、過去や未来ではなく、今が大切だと考えます。

仏教を説かれたお釈迦さまは

「もう終わったことをいつまでも考えたり、まだ起きていないことに悩んだりしないように。過去は終わったことで、未来はまだ来ていないこと。だから、今すべきことをよく見つめて、それに集中しなさい」

とおっしゃっています。

“あのときああしておけば”、“こんなはずではなかった”と思っても過ぎたことですから、変えることはできません。

変えることはできないけど、過去の反省をもとに変わることはできるのではないでしょうか。

それは、今をどう生きるかを大切にすることだと思います。

人それぞれの人生の中で、回り道と思うような出来事も、そこがあっての今の私の生きる瞬間です。

過去の積み重ねで至っている

「今、ここ」

をしっかり見つめていきたいものです。

真宗講座 親鸞聖人に見る「往相と還相」(12月前期)

そこで今一度、往還二廻向の本質を窺ってみることにします。

往相廻向の行とは何でしょうか。

「無碍光如来の名を称するなり」

がそのすべてを語っているといえます。

衆生が一声

「南無阿弥陀仏」

を称える。

そこに往相廻向の行が出現しているのです。

往相廻向の信においては、信楽の一念にその出現を見ることができます。

「信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰す」

の文がそれを語っているのですが、阿弥陀仏の信楽が私の心に開発された瞬間、それはまさに私の全体が慶心で包まれる時ですが、そこに私における往相廻向の信の成就があるといえます。

そうすると、往相廻向の証とは

「往相廻向の心行を獲れば、即の時に、大乗正定聚の数に入る」

ということになります。

まさにこの世の衆生が、往相廻向の心行を得、正定聚に住することが、往相廻向の証果なのです。

では、還相廻向の証果とは何でしょうか。

還相の廻向の功徳もまた、阿弥陀仏の第二十二願に成就されているところです。

したがって、阿弥陀仏が廻向を首として大悲心を成就された、その大悲心が還相廻向のすべてであることはいうまでもありません。

しかし、ここでもまたその大悲心が衆生と関わらない限り、この廻向もまた意味をなさなくなるといわなくてはなりません。

阿弥陀仏の還相廻向の成就が、還相の菩薩の上で躍動するが故に、この廻向が無限の意義を有するのです。

そして、この還相の菩薩の行道を如実に語っているのが、『浄土論』『浄土論註』の思想であり、また第二十二願の成就文です。

ここに、親鸞聖人が還相廻向の証果を論じられる際、第二十二願を直接引用されなかった理由が見られます。

このように見れば、往相の廻向とは、その功徳の内実は阿弥陀仏の願心にありながら、その廻向の具体的な躍動の相は、往生する正定聚の機の相ということになるのであり、この念仏の行者のこの世における仏道に、往相の廻向の真実が輝いていることになります。

そうすると、還相の廻向もまた同様に考えられます。

決して、阿弥陀仏が往相したり還相したりするのではありません。

往相と還相は、必ず衆生の上で語られるべきであり、正定聚の機の往生の相が往相なのであり、この菩薩が浄土に往生して、直ちにこの世に還来する、その教化地の菩薩の相が還相だとみなければならないのです。

では、還相の菩薩のこの世における菩薩道とは、どのような仏道になるのでしょうか。

往相の仏道と共に、この点が以下の中心課題になります。

ここで最後に、往相廻向と還相廻向の関係を窺うことにします。

この二種の廻向の関係は

「和讃」

に最も明瞭にあらわれているように思われます。

『正像末和讃』に

「如来二種の廻向をふかく信ずる」

「往相還相の廻向にまうあはぬ」

「如来二種の廻向の恩徳まこと」

「如来二種の廻向を十方にひとしく」

「如来二種の廻向にすすめいれしめ」

と、

「如来二種の廻向」

という言葉が繰り返し出てきます。

私たちは、如来の二種の廻向に出遇うことによって、初めて無上涅槃に至ることができます。

それ故に

「諸仏・善知識はただひたすら私たちに、この如来の二種の廻向をすすめておられます。

したがって、如来の二種の廻向を信じる人はすべて等正覚に至ります。

だからこそ、この他力の信を得た人は、かならず如来の二種の廻向を十方の人々にひろめるべきです」

和讃の大意は、おおよそこのように理解することができます。

このように見れば、

「二種の廻向」

は、阿弥陀仏が一切の衆生を、必ず仏果に至らしめるために成就された一つの無限の大悲心の二種のはたらきということになり、この二種の廻向は、常に同時的に存在し、衆生を摂取するために、当時に衆生の心に来っていると見なければならなくなります。

逆に言えば、もしこの二種の廻向がなければ、衆生は無上涅槃には至り得ません。

したがって、往相還相という二種の廻向が切り離されては意味をなさないのであって、阿弥陀仏の大悲心に、往相還相という二種の廻向が共に具わっているからこそ、その信楽を獲得する時、その瞬間に等正覚の証果に至ることになるのです。

では、この二種の廻向はどのようにして衆生の心に来るのでしょうか。