投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

「出生」

 文字通り、胎児が母胎を出て生まれることです。

仏典には、人が出生するということは、父母の和合などさまざまな因縁なよって成立することが述べられ

「もしくは母が飲食するとき、種々あれこれの飲食物や精気(エネルギー)によって活命することが胎を受けることの根源である。

形体が完成し、感官がそろい、母によって出生を得る」

と説かれています。

 このように、出生という言葉には

「私がこの世に生まれてきた背景は種々さまざまな縁(条件)によっているのだ」

という意味がこめられているように窺えます。

 仏伝により、お釈迦さまは生まれたばかりで北に向かって七歩歩まれ、

「天上天下唯我独尊」

と言われたことはよく知られていますが、この部分に相当するインドの原典には

「私は世界で最も老いた者である。

これは最後の生である。

もはや再生はない」

という文言が加えられています。

 それは、誰よりも多くの輪廻を繰り返して今ここに生まれてきたという過去を背負った言葉であり、もうこれ以上生まれ変わることはないという決意を秘めた言葉であると思われます。

 そうしますと

「唯我独尊」

という言葉は

「私はさまざまな因縁によって、誰よりもかけかけえのない尊い命をもらってこの世に生まれてきた」

という意味になります。

 出生とは、私たちが今ここに生を受けて生活しているこの現実が、いかに意味深いものであるかを考えさせてくれる言葉だと言えます。

今年もお盆が過ぎ、残暑厳しい中にも秋の気配を感じられるようになってきましたが、そ

今年もお盆が過ぎ、残暑厳しい中にも秋の気配を感じられるようになってきましたが、そのような中で、幼稚園や保育園の2学期の運動会や発表会等の行事の事を考え、寺の方でも彼岸法要や報恩講の事を考えています。

毎年の事とは言え、今年もついにこの時期がやってきたのかと思うと、そのあまり多忙さにふと溜息が出ることもあります。

しかし、毎年忙しいと感じながらも、時の流れはあっと言う間に過ぎて去り、気がついたら年末になっています。

20代の頃は、時の流れを感じることはあまりなかったのですが、30代になってそのことを感じる機会が増えてきました。

しかし、考えてみますと、それは一日一日が大切であり、だからこそ時間を無駄に出来ないののだということです。

つまり、その時その時を生かされている喜びであり、いつどうなるか分からない私のいのちだからこそ、忙しく出来ることをありがたいと感じることが大切であると気づかされるのです。

同時に、それに気づくことが出来たのは、私が仏教に出会い、教え聞くご縁に会えたからです。

私が仏教の勉強をしていた所である先生が

「仏教は一生勉強していくものだ。」

と言われたことがあります。

その言葉通り、仏教をもっと勉強し、更にその教えを人びとに伝えていくことがとても大事なことであると強く感じさせられました。

そして同時に、限りあるこのいのちと時間を無駄にしないように過ごしていきたいと思うことです。

『お浄土 すべてのいのちが輝く世界』

阿弥陀如来という仏さまは、修行中には法蔵菩薩と名乗っておられました。

そして師である世自在王仏(せじざいおうぶつ)のもとで、完璧な浄土を作るために五劫という長い間考えられ四十八の願いを誓われました。

そして、長い修行の結果、その四十八の願いをすべて成し遂げ完璧な極楽浄土(お浄土)を完成され自ら阿弥陀仏と名のられ、最高の仏になられました。

阿弥陀仏の願いとは、十方世界の誰もがお浄土に生まれたいと願い、そのことを喜んで南無阿弥陀仏とその仏名を称えれば仏になる身に定まり、この世の命がつきた時にお浄土に生まれて、阿弥陀仏と同体(等しい)悟りを開くことができると誓われました。

私たち、お念仏の教えに生きる真宗門徒はこの本願のはたらきにより、必ずお浄土に生まれる身に定まっています。

だから死ぬことを恐れたり悩んだりせず安心して日々を送ることができます。

ただし、仏教とは死後のことを説いた教えではありません。

誰でも必ず死んでいかねばならない私たちだからこそ、今を力一杯生き抜いていかねばなりません。

その力の源となるのが、仏教、仏様の教えです。

どんなに文明が発達しようとも、どんなに世の中が便利になろうとも、必ず生まれたものには死ぬときがやってきます。

そして誰にもいつ命がつきるか分かりません。

蓮如上人は我やさき人やさき、今日とも知らず明日とも知らずと私たちにいわれております。

いつ終わるか分からないこの命だからこそ、今日一日を精一杯生き抜き、いただいた命を輝かせるのが私たちのつとめではないでしょうか。

命きらきら輝く世界、お浄土に生まれる身を喜びながら、命ある限り今この瞬間の命をかがやかせて生き抜きたいものです。

「親鸞聖人における信の構造」9月(前期)

なぜ人間社会に「善」が求められるのでしょうか。

また、人間にはなぜ倫理が必要なのでしょうか。

それは、人間は社会的にしか生きられない動物だからで、社会生活を営む上では、個人の勝手な行動は許されません。

人と人とが生きるためには、お互いが生きるための規則がどうしても必要となります。

その規則を「善」あるいは「倫理」と呼ぶならば、人が人として生きるためには、必ず善行をなさなくてはなりません。

けれども、善行をなすことのより積極的な理由は、まさにそれこそがその人の生き甲斐になるからです。

日常生活を振り返ってみて、

「今日はとても楽しく、充実していた」

と言えるような一日のことを思い出してみるとよいのですが、そのような日には必ず自分自身

「これこそが善だ」

と思う事柄に積極的に関わっていたり、その行為が願い通りの成果を上げていたりします。

あるいは、他人に迷惑をかけたり、害を加えたときのうしろめたさと比べて、他人を救ったり、役にたったりしたときの清々しさはどうでしょうか。

また、テレビや映画・小説などの善人と悪人を前にしたとき、私たちはほとんどの場合、自分を善人の側に重ねて感情を移入しています。

このように見れば、人は普通、善にあこがれ、善を求め、善をなすことに喜びを感じているといえます。

ところが、もし本当にそうだとすると、ここに奇妙な矛盾が生じます。

それは、私たち一人ひとりの心を開くと、人は誰もが善をなそうとしているはずであるにもかかわらず、その人と人とが集まる現実の社会においては、多くの悪が溢れ返っているのです。

いったい、なぜそのような矛盾が生じているのでしょうか。

「お寺巡りとオイルマン人生」(上旬)全世界の資源量、残りあと半分か

======ご講師紹介======

淵脇哲朗さん(新日本石油基地株式会社代表取締役社長)

☆ 演題 「お寺巡りとオイルマン人生」

ご講師は、新日本石油基地株式会社代表取締役社長の淵脇哲朗さんです。

昭和22年、鹿児島県出水市生まれ。

昭和46年に京都大学法学部卒業。

同年6月より日本石油株式会社に入社。

その後、新日本石油基地株式会社常務などをへて、平成18年6月に同社の代表取締役社長に就任され、現在に至ります。

原油価格の高騰がいろいろな影響を及ぼしている今、石油を専門に取り扱われる淵脇さんの話される内容に興味を持たれます。

【新日本石油基地株式会社】

原油備蓄基地を運営する企業。

鹿児島市の喜入基地には、日本国内の石油使用量約2週間分に相当する735万キロリットルの原油が備蓄されています。

==================

さて、石油の話でございます。

石油の値段は、過去に何度も変動してきました。

昭和47〜49年のころ、いわゆるオイルショックと呼ばれることなどですね。

これは、要するに産油国が嫌な人には売らないと言って、蛇口を閉めてしまったということなんです。

その当時の日本には、我々のような油会社が適正在庫として持っていた民間備蓄の67日分しかありませんでした。

 それでは問題があるということで、国家備蓄基地を作って、民間と国家の両方で責任分担しようということになってため込んできました。

その結果、今は約180日分、つまり半年分ほどが備蓄されています。

これでやっと産油国と話ができるのです。

 それは

「あなた方が石油の供給をストップしても、私たちには半年分の蓄えがあるから大丈夫です。

値段上げてもいいですよ」

というようなことが言える立場になったということです。

ここまでなるにはかなりお金がかかっていますけど、国のエネルギー面の安全保障のためには、ここまでやる必要があったのです。

 それでも、石油がとれるところというのは、サウジアラビアを中心とする中近東などかなり地域が限定されますから、その国々への依存度はかなり高いです。

以前は78%、今では90%以上と大変なことになっています。

備蓄も増やしましたが、これだけ極端なまでに中東へ大きく依存している現状は非常な危うさをはらんでいるとも言えます。

 その次に値段です。

1バレルは159リットルなんですが、オイルショックの前は1バレル3ドルでした。

これが大騒ぎして値上がりして約12ドル。

それが今や7月現在で平均145ドルです。

それからガソリンの値段もオイルショック前は約114円でしたが、今年の7月現在では全国平均で約181円ですね。

本当に、すごいことになっています。

 ここで申し上げたいのは

「日本の石油は100%輸入に頼っている」

ということです。

ですから、今回は買えなかったではすまない訳です。

さらに産油国との取引は直接取引なんですが、全部長期契約だけなんです。

それで、もう値段は決まってしまっているんです。

つまり、安いのを買えばいいじゃないかと言われても、それは難しいということです。

ほとんどの場合は、値段交渉の余地がない中で買っているということをご理解下さい。

 値段というのは、普通であれば需要と供給のバランスで成り立つものですが、原油の場合、例えばイスラム過激派の活動などのリスクも原油の値段に反映されます。

本当の原油価格は需給のバランスだけであれば、60ドル強だと思います。

それにイスラム過激派の問題や、投機などの要因があって高くなってくということになります。

今では、石油というエネルギーは食料品などの生活部分まで大きく影響しています。

省エネを進めてコストを下げることが、そのまま環境対策にもなりますので、これに真剣に取り組まなければいけないのが石油業界の現状なんですね。

さて、全世界の資源量についてですが、今までに世界で発見された石油の半分を使っています。

それで残りはあと半分。

今発見されているペースですと、あと38年という数字が出ています。

ただ、これも他の国での消費量が日本並みに増えていけば、あっと言う間に減ります。

24〜25年になるという試算も出ています。

一方で、原油価格が上がってきますと、みんな石油離れが進んでいきますから、そうなると延びるということも考えられます。

ですから、今はあと38年くらいですが、いろんなことを勘案してあと30年くらいと覚えておくのがいいんじゃないでしょうか。

「心境」

一般に「心境」とは、その人の心の状態や気持ちを物語る言葉だと理解されています。

しかし元来

「心境」

とは、心の境のことで、心は認識主体としての精神及び作用のこと(内心)であり、境は心によって知覚思慮された対象・認識対象のこと(外境)のことです。

この両者は、別のことを意味しているのですが、その成り立ちからして切り離すことができないので、両者を含めて、その人が見ている世界のことを心境とか境地と言うようになりました。