投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

なぜいま念仏か(6)12月(後期)

 さて、親鸞聖人の信心には、なぜ迷信的要素が全くないのでしょうか。

それは、親鸞聖人はこのような法に自身が包まれている以上、どのようなご利益も全く必要でなくなったからです。

過去・現在・未来、どのような時、どのような場においても、何一つご利益を求める必要がない、だから一切のご利益信仰を全く問題にされなかったのです。

 このような意味から、親鸞聖人は、迷信・俗信的な宗教は根本的に否定されるのですが、それに加えて求道的宗教も、祈願的宗教も、方便としては認めながらも、本来的には否定されます。

いまこの場における「如実の信」があれば、そのような宗教もまた不必要になるからです。

なぜいま念仏か。

この世が無常であるかぎり、私たちの人生の一切は不条理であり、不確かだといわなくてはなりません。

その世の中で人々は、確かで幸福な人生を得ようと一心に努力しています。

そこで多くの人々は、科学の力によってその幸福の実現を期待しているのですが、そこには限度があらわれます。

そこでそれに加えて、人々は宗教の力によって幸福になろうと願います。

けれども、いずれにしても最終的にはそれらの幸福の求めは、無惨にも破れてしまいます。

 ここに現代人の悲劇が見られます。

破れる幸福の求めではなく、心そのものが無限に輝く法に生かされる。

その法に生かされているもののみが、やはりこの現実を一歩一歩、確かに歩むことができるのではないでしょうか。

「宗教と人生」(下旬) 人生の行き着く先は阿弥陀如来のお浄土

 

 蓮如上人のお書きになられた『御文章』にも

「まことに死せんときは、かねてたのみおきつる妻子も財宝も、わが身にはひとつもあひそふことあるべからず。

されば死出の山路のすゑ、三途の大河をばただひとりこそやきなんずれ。

これによりて、ただふかくねがふべきは後生なり。

またたのむべきは弥陀如来なり。

信心決定してまゐるべきは安養の浄土なり」

と、このような言葉が出てきます。

 『御文章』を拝読しておりますと、「後生の一大事」という言葉が何度も出て参ります。

これは分かりやすく言うと、死んだらどうなるのかということです。

どうなるのかというと、如来さまのお浄土に生まれさせていただくのです。

そのことに眼を開かせていただくところに、人間として生まれた究極の目的があるということを「後生の一大事」という特徴的な言葉で語っておいでになるのです。

 「後生(ごしょう)」は「今生(こんじょう)」に対する言葉です。

私たちは、この今生のことを一生懸命にしている訳でしょう。

しかし、今生きている世は無常です。

私たちが手に入れようと求めているものは、物もお金も、何もかもが永遠ではなく、限りがあるものです。

いつまでも大切な人、親兄弟、家族と一緒にいたいと思っていても、お互いに別れなければならない時が来ます。

みんな滅んでいくのです。

 『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。

おごれる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし』

「平家物語」の有名な冒頭の部分です。

当時栄華を誇っていた平清盛の率いた平家は、ついには源氏によって壇の浦で滅ぼされてしまいました。

 これを通して、この世のすべての現象は移り変わり、あらゆる存在には限りがある。

どんなに栄えていても、やがて滅んでいくものであるということを、祇園精舎、お寺の鐘の音や、沙羅双樹の花の色で表しています。

そして、世の中の現実はこれと同じだということを歌っているんですね。

 その現実に対して「後生の一大事」つまり、今生のいのち終わって後、私たちが生まれさせていただける世界があります。

そこは滅ぶことのない永遠の世界です。

それこそが、阿弥陀さまのお浄土です。

 心にお浄土が見える眼を開かせていただく。

人生の行き着く先をお浄土と見据えて、精一杯歩ませてもらうところに、私たち人間が人生を歩むすわりがあるのです。

『お骨を分けると良くないと聞きましたが?』

 「お骨を分けるとよくない」というのは、いったい何がどうよくないというのでしょうか。

それはおそらく「分骨を行うと、バラバラになってしまい、成仏できない」といった俗説に基づく考え方だと思われます。

お骨を分けることを「分骨」といいます。

遺骨の一部を他の墓地に移すこと、つまり、「分骨」とは、お骨を複数のお墓に分けて納めることをいいますが、単に「お骨を分ける」という行為面だけをとらえますと、火葬をした際に遺骨の一部でも火葬場に残してきたとすると、それも「分骨」ということになってしまいます。

もし「分骨」が良くないのであれば、火葬の際は必ずすべての遺骨を持ち帰らなければならないということになってしまいます。

 また、浄土真宗ではご本山(正確にはご開山親鸞聖人のご廟所である大谷本廟)へ分骨をするというならわしがあります。

それは、亡き人がお念仏のみ教えを喜び、親鸞聖人を慕われた思いを分骨することであらわし、後に残られた方々が自らの仏縁を深める場としてこられたからです。

 「お念仏のみ教え」に依れば、分骨することで亡くなった方が苦しんだり迷ったり成仏できないなどということは決してありません。

むしろ、浄土真宗本願寺派では積極的に遺骨の一部を宗祖親鸞聖人の御廟所である京都の大谷本廟(西大谷)に分骨(納骨)することをお勧めしているくらいです。

分骨の方法等については所属の寺院、もしくは大谷本廟に直接ご相談下さい。

なお、墓地については、世間の迷信にとらわれずに浄土真宗の門信徒としてふさわしい墓地を建立されることが望ましく、墓地建立にあたっても所属の寺院にご相談下さい。

早いもので今年も残すところあとわずかとなりました。

早いもので今年も残すところあとわずかとなりました。

年を重ねるごとに時間の流れが速くなったと感じるのは私だけではないと思います。

子どもの頃は「あと何日でお正月だ。」とか、「冬休みまであと何日だ。」とか、時の流れがなかなか進まないもどかしさを感じながら、指折り数えてカレンダーがめくられていくのを待っていたものでした。

しかし、それは同時に一日一日が新しいこととの出遇いであり、多くの体験と発見の中で新鮮な毎日を過ごせていた証なのかなと思います。

 いま、大人になり

「一日が過ぎるのが早いなぁ。もう一年が終わろうとしている。」

などと考えるのは、

「発見する感覚が鈍ってきたのかな。」

などと思ってしまいます。

毎日多くの人と出遇い、多くの体験をしているはずなのに・・・仕事やら家事やらに流されているのかな。

ゆっくり立ち止まって見回してみると意外な発見があったりして楽しくなるかもしれません。

走っていると気付けない道端の小さな花、最近建て変わった建物、小さい頃遊んだ空き地・・・etc。

友人の笑顔をいつもと違うように感じたり、何気ない仕草から優しさに気付かされたりできるかも。

スピードが求められる現代社会です。

その流れに乗り遅れないようにしようと知らず知らすに走っているような気がします。

いや、走らされているのかな(-_-)

そんな中、大切なものを見失ったり、気付けなかったりしているかもしれません。

昨今「癒し」がブームです。

「ほっとする(●´▽`●)安心できる時間や空間」を現代人は求めているのでしょう。

ゆっくりと流れる時間の大切さをあらためて感じます☆★☆★☆★☆★

来年こそは、もう少し色んなものに目を向けて、ささいなコトにも気付けるような、ゆとりをもった自分になれたらなぁ・・・(^u^)なりたいなぁ・・・(*^▽^*)

うん☆これを来年の抱負としよぉ・・・☆

『唯、念仏 弥陀の手の中』

 南無阿弥陀仏という仏さはま、本来は

「色もなく、形もなく、言葉で言い表すことも、思いはかることも出来ない真実なる存在(真如)」

であると言われます。

ところが、それでは私たちは全く受け止めようがありませんので、真如の方から「南無阿弥陀仏」という言葉となって、私たちにはたらきかけていて下さるのだとお釈迦さまは説いておられます。

 ところで、この南無阿弥陀仏という仏さまのはたらきを何とか言い当てようということで、様々な表現が用いられていますが、その一つが「尽十方無碍光如来」です。

この中の「尽十方」とは、東西南北(及び北東・北西・南東・南西)、上下、つまりすべての世界にこの仏さまの光が満ち満ちているという意味です。

 ただし、たとえ世界中のすみからすみまで走り回って、なるほどどこへ行ってみても、確かに光は満ちていましたということを明らかにしたとしても、この言葉が単にそれだけの事柄を述べているのだとしたら、あまり意味のないことだと言わざるをえません。

そうではなくて、「尽十方」という言葉には、光に会えるはずのないものが、そうであるにもかかわらず自分自身を光の中に見出したという感動がこめられているのです。

 したがって「尽十方」ということを証明するのであれば、世界中を走り回るのではなく、光から一番遠いところ、普通なら光が絶対に届くはずのないところ、照らされるはずのないところ、その一点において光の存在を証明すれば良いのです。

まさに、届くはずのないところまで、その光は及んでいるということによって、その光が「尽十方」の光であることが証明出来るのです。

 つまり「尽十方」というのは、遠さの自覚によってのみも具体的にうなずかれる言葉だといえます。

それ故、仏法からもっとも遠いものとして自分を見出したものが、同時にしかも既に光のうちに包まれている自分を知らされたという「歓喜」を物語る言葉なのです。

思うに「有り難い」という喜びの心は、このようにまでしてもらえるはずのない私だという恥じらいの心と、しかも今それをわたしは身に受けているという喜びの心、その二つの思いが同時にどこまでも深まっていく心だといえます。

なぜなら、自分にはしてもらう資格がある、してもらって当然と思う心には、有り難いなどという思いなどおこるはずはないからです。

この「尽十方」の世界は、まさにこの「有り難い」世界、恥じらいの心と喜びの心が共に限りなく深められていく世界だと言えます。

このことを親鸞聖人は

「南無阿弥陀仏の尊い願いをよくよく思いはかると、この願いはひとえに私のような救われがたいものを救おうとするための、言うなればこの親鸞一人がための願いであったのだ」

と嘆じておられます。

この心の根底にあるのは

「どのように学問に仏道修行に一心に励んでも、自身では迷いの心を断ち切れない、まさに悪業のみしか成し得ない自分」

であることへの痛みと自覚です。

このように、どう考えてみても仏法の光に包まれるはずのないこの身であることへの自覚が、そうであるにもかかわらず今、南無阿弥陀仏の光に照らされているということを歓喜させるのです。

思うに「弥陀の手の中」にある自分を自覚することも、具体的には聞法を重ね「唯、念仏」することによってのみうなずかれるのではないでしょうか。

なぜいま念仏か(6)12月(中期)

 天親菩薩はなぜ「尽十方無碍光如来」と讃嘆され、その仏に帰命されたのでしょうか。

それは、まさしくこのような道理が、天親菩薩に明らかになったからだといえます。

天親菩薩は「阿弥陀仏」がなぜ真実かということを求められたのではありません。

自らが真に帰依することの出来る仏を、究極まで求められた時、そこに「尽十方無碍光」という如来が顕かになったのです。

 それゆえにこそ、天親菩薩はこの尽十方無碍光如来、その如来の法門である浄土の教えと、この教法をこの世で直接天親に教えて下さった釈尊に帰命することになられたのです。

『浄土論』冒頭で天親菩薩は

「世尊よ、我一心に、尽十方無碍光如来に帰命したてまつり、安楽国に生ぜんと願ず。

と表白しておられますが、この心こそ天親菩薩の全てであり、ここに天親菩薩の「南無阿弥陀仏」と称えておられる一声の念仏の姿が見られるのです。

 一切の衆生にとって、自らのすべてをなげうって、無条件でつかむことの出来る「法」がもしあるとすれば、それはどのような「法」だといえるでしょうか。

この宇宙の全体を無限に包んで、どのような時、どのような場においても、この私を無条件で摂め取る、そのような法だと言えます。

そのような法の出現において、私は初めて私の全人格的な場で、その法を信じる、「南無」という一声の念仏が、私に称えられることになります。

 けれども、よくよく考えてみますと、私が「南無」出来たということは、私が南無するよりも以前に、すでに永遠の昔からこの私を南無し続けていた、その「法」のはたらきがあったからだといわなくてはなりません。

 法自体が大いなる願いを持って、私を摂取し続けていた、法の側からの「南無」のはたらきがあったからこそ、この私にその法を南無する、つまり信じる心が生じたのだと言えるのです。

親鸞聖人が称えられた一声の念仏「南無阿弥陀仏」とは、まさしく親鸞聖人における、このような「法」との出遇いであったのです。