投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

仏教講座11月(前期)

 仏道は三つの宝を信じることから始まります。

「三つの宝」とは、仏と法と僧を意味します。

この場合、僧とは現実において、今まさに真実の仏法を伝えている人びとのことで、具体的には仏法が生き生きと輝いている仏教教団の伝道僧を指しています。

 仏教は釈迦仏によって説かれた、迷える私が迷いを破って悟りに至る教えです。

そこで私が、迷いを転じて仏果に至るためには、何よりもまずその教えを説かれる釈尊を敬い、釈尊に帰依し、どこまでもその教えにしたがって行く心が、私に生じなければなりません。

仏教は釈尊を信じる、それが全てになります。

ところで、釈尊を信じれば、自ら釈尊の説かれた教えを信じることになります。

その教えこそ、私の仏果に至る道を明らかに示しているからです。

釈尊を信じることによって、必然的にその「法」を信じる信が導かれます。

 ここで仏教にいろいろな「法」があることに注意したいと思います。

一般的に八万四千の法門といわれているのですが、ではなぜそのようにたくさんの教えがあるのでしょうか。

これは釈尊が一人ひとりのために、その人に適う法を説かれたためだとされます。

対機説法ということで、その人の求めや能力に応じて教えが説かれているのです。

このような説法の在り方は、釈尊の在世の間は何ら問題はありません。

自分に何か疑問が生じた時には、すぐに釈尊に問いかければ良いからです。

ところが釈尊が亡くなられますと、大変なことが起ります。

自分に疑問が生じても、そこには聞くべき釈尊がもういらっしゃらないからです。

 そうしますと、今度は遺された多くの法門の中から、自分に適う教えを自らの判断で選ばなくてはならないからです。

けれども、自分が釈尊の教えを全部学んで、その中から自分に最も適する教えを一つ選ぶということはほとんど不可能です。

私たちはそのような能力を持っていないからです。

そこで私達は、この私を導く師に出会うことが求められます。

すでに仏法を信じて、悟りの道である菩薩道を歩んでいる方です。

 私達は、その僧侶の人格に触れ、その僧の説法をに耳を傾け、その方と共に具体的に行道に励むことによって、私もまた仏道を歩めるようになるからです。

この場合、もしその僧の教えや人格が自分に合わなければ、それは自分に縁がなかった教えということになります。

ところが、もしその教えが自分の心に強く響、その僧の人格の深さに感銘して、ここに自分の仏道があると信じられれば、その仏教こそ釈尊が自分のために説かれた教えということになります。

 このように見ますと、仏教はまず仏を信じることに始まるといわれますが、実際的には、私を導く師を信じることによって、私たちは仏教に導かれていくというべきかもしれません。

いずれにせよ、私たちはこの世で活躍している仏教教団に属し、自分にとっての善知識(教えを説いて、仏道に導く人)となるべき師と出遇うことが必要です。

そこで初めて、僧を信じ、その師が説く法を信じ、その源である仏を信じるという、私の仏道が成り立つことになるのです。

「いのちと平和」(前期)自閉症だった私

======ご講師紹介======

女優 たぬきさん

昭和二十九年東京生まれのたぬきさんは、八歳まで自閉症だったのですが、プロの演劇集団(東京)に預けられ、演劇を通して解放されます。

芝居と出会って三十八年、心の時代のニーズに応えた「ひとり芝居」を演じ続けられています。現在もひとり芝居をまじえた講演等でご活躍。

平和、人権、いのちになどをテーマにした芝居は、学校、市町村、企業等で幅広く用いられています。また、テレビやCMでもご活躍されています。
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私は先程ご紹介いただきましたように、東京の田舎で生まれました。

八歳まで今で言う自閉症ということで、母親は相当苦労したんじやないかなと思います。

私も四人の子どもの母なので。

それから、この年になって思うんですが、両親には本当に感謝しています。

 本日のテーマは「いのちと平和」ということで、平和といっても世界平和とかいろいろ大きな平和もありますけど、日々の中の、家庭の中で、また自分の心の中も常に平和だったらいいなという、そういう思いもあります。

 そんな自閉症だった私がどのようにして今みたいにお芝居ができるようになったのか、こうして生かされているのかということを申し上げますと。

母親がいろいろと心配しまして、「この子は将来きっと私より長く生きるだろう。

私が死んだ後どうなるのかな」と心配して、いろんなことを私にさせたようです。

私の方はといいますと、何に対してもあまり興味を示さなかったようですけれども、その中でお芝居を観に連れて行かれた時だけ、目がパチッとなったそうです。

それで、その劇団に…、ただし、そこは子どもなんか一人もいないプロの集団でした。

 その大人だけのお芝居の集団に預けられて、それがきっかけでお芝居が出来るようになり、自分のことが自分で出来るようになりました。

そして、お芝居が大好きになりました。

実は、こうやってしゃべっている時の方が、意外とドキドキしています。

舞台で演じている時は、意外と楽というか、楽しいというか、自分だけの世界に入ってしまう、そういう有り難い事になっているんです。

 それで、今日の『いのちと平和』というところに入るわけなんですけれども、その前になぜ私の名前が「たぬき」なのか。

キツネでもいいのではないかと思われる方がおられるかもしれません。

私はですね、先日こちらの方にお伺いした時に、先程のコーラスでも皆さんたいへん元気に歌ってらっしゃった『証城寺の狸』ですね。

あのお寺が、本当にあるということを聞かせて頂きました。

 非常に、懐かしささえ感じました。

というのはそのお寺は神奈川とおっしゃいましたかね。

確かそっちの方にあるとお聞きしたように覚えておりますが、私のふるさとの隣の方なんです。

私のふるさとというのは、たぬきがたくさん出るところでした。

多摩丘陵という所で、ご存じの方が多いようで安心しました。

そこはたぬきの巣なんですね。

それで私はたぬきと友達になりました。

 正直言って友達は人間よりたぬきの方が多かったので、それで大好きな「たぬき」という名前を芸名に頂きました。

それからずっとたぬきをやっております。

それと、あとひとり芝居等でいろんなものに化けますのでそういった意味合いもあります。

だからやっぱりたぬきの方がいいなって思うんです。

キツネだとなんかひどく化かすような気がしますので、ちょっとほっとできるのがたぬきということですね。

「今病みゆく子どもたち… 私たちにできること、しなければならないこと」 愛と優しさを…(下旬)

 その中での五十枚の千円札、尊い尊いお金でした。

苦しかったでしょう。

彼女はこう言いました。

「先生、私がとったの知ってたんだよね」

「うん知ってたよ」

「じゃあ、なんであのとき先生言わなかったの」

「だって俺が悪いもん 。

お前は訳なく人のお金を取るような子じゃない。

何か相当お金がいる理由があったんだろう。

そんなときに、俺はお前の学校での親なんだから、

『先生、お金貸して。

こういう理由でお金がいるから、用立ててくれ』

って言える人間関係を先生作ってなかった。

二年もお前の親やって。

だから俺が悪いんだよ。

だからああやって収めたんだ。

もういい、よそうぜそのことは 。

それよりお前、就職決まったんだから、この五万円はお前の就職祝いであげるよ。

好きな物買いな。

お前の物買うんだぞ。

母ちゃんのために使うな。

その代わりあの財布だけは買うなよ。」

 僕はこれが教育だと思う。

もしあのときあの子を追い詰めていたら、あの子は学校にはいられなかった。

やめたらあの子は今どこにいたんでしょう。

子育てや教育は今で負わせてはいけない。

子どもの五年後、十年後、明日の夢のためにやるのが子育てや教育なんです。

 ところがほとんどの親や先生たちは今にこだわる。

今の正義が明日の正義とは限らない。

私たち大人は許すことができる。

待つことができる。

でも今の時代はそれを全くしてないんじゃないか。

そして「今の正義」という絶対的なものを振りかざして子どもたちを追い詰めていませんか。

許すということ、待つということは、信じるということです。

だから今、大人たちは子どもを本当に信じてないと私は思います。

もっと子どもを信じてやってください。

 僕は子どもを怒るのは教育だと思いません。

例えば、ここが体育館で、

「おい○○、なんでしゃべってんだ。

お前外に出すぞ」

と言うと、外に出されるのが嫌だからしゃべらない。

でも、こんなのは教育じゃない。

そのそばへ行って、

「頼むよ、お前がしゃべってると周りの人が迷惑するんだ。

話してる人にも悪いだろう」

「あ、そうか。

こういうときにしゃべると、他の人に迷惑かけるからしちゃいけない」

と、いくら時間かかっても学ばせることが教育でしょ。

 僕は子どもは花の種だと思っています。

皆さんお好きな花の種を来年の春にお庭にまいてごらんなさい。

どんな花の種だろうと、まいた皆さんが一生懸命丁寧に育てあげれば、必ずきれいな花が咲く。

もしきれいな花が咲かなかったら、植えた皆さんが踏みにじったか、水や栄養をやらなかったか、あるいはやりすぎたか。

 子どもだって同じですよ。

お父さんお母さんが、我々先生が、おじいちゃんおばあちゃんが、地域の大人が、マスコミまで含めた全ての大人が、

「お前のそういうところが大好きだ。

お前はいい子だな。

お前にはきっとこういう明日がある」

と、たくさんの愛と優しさを栄養として育てれば、どんな子だって時が来ればきれいな花を咲かせるんです。

「頭をさげる」「頭がさがる」 同じようで大違い

 私達は、自分にとって何らかの利益をもたらしてくれるものには頭を下げますが、それ以外のものに対しては頭を下げることなどあまりしないものです。

しかも、心の中でそれが損か得かを素早く計算して「得」の答が出た時だけ頭を下げることが多いようです。

 また、自分は愚か者であるとか、罪深い者ですと言って、暗い顔をしてうなだれる人があります。

それは、実は頭を下げたくない心で頭を下げさせられているだけのことで、負けたくない心でしぶしぶ現実に負けていることを認めている劣等感の表れに過ぎません。

そのような心の葛藤がよけいにその人を暗くしてしまうようです。

 ところで、私達は自分自身の姿を一点の妥協もなく見つめると、そこに明らかになるのは自己中心的で欲深く愚かとしかいいようのない我が身の事実です。

それと同時に知られるのは、にもかかわらずそのような私が今ここに生きているという事実です。

 思うに、この私を生かしめて下さっている全ての力や恩徳に目覚めると、これまで自分の力だけで生きているつもりでいた自分が、周囲の人々のお蔭によって生かされて来たことが知られ、そのご恩に自然と掌を合わせ、頭が下がってしまうのではないでしょうか?

 同じ頭を下げるのでも、嫌々ながら下げるのと、自然と下がるのでは相手に対する印象もかなり違うように思われます。

仏教講座10月(後期)

 そもそもお釈迦さまの最初の説法は、四諦八正道という教えでした。

四諦とは、四つの真理ということで、まず人生は苦(矛盾・不安)であるという道理です。

その苦の原因を「集」といいます。

「集」とは「無明(ほんとうの明るさがないということで、智慧がないこと)煩悩(身を煩わし心を悩ます)ということで、苦・不安の原因をわが内である無智とまどいにあるというのです。

 私たちは、人生の苦・不安に出会った時だけ「なぜ私がこんな目にあうのか」とか、他人よりは少し善人だなどと思って外に向かって腹をたて、そのあげくの果ては愚痴と言い訳に終始しがちな生き方に陥りがちです。

愚痴と言い訳だけに終始する人生は、まるで暗い闇の中を手さぐりで生きるに等しい在り方だといえます。

 けれども、私たちの人生を闇に葬り去るようなことがあってはなりません。

不安と絶望の中で終わる人生ほど空しいものはないからです。

たとえその事実は変わらなくても、絶望するのではなく超克(超え克服)するのです。

「人生は乗り超える道」と発見していくのが仏教だといえます。

 道とは、自らの責任において歩むものです。

逃げたり、思い通りにいかなくなったときに時代や社会のせいにせずに、しっかりとこれを見つめ引き受けていく勇気を持つことが大切です。

自分にとって不都合なことを責任転嫁していく在り方を愚痴といい、引き受けていく勇気を智慧といいます。

私たちは、仏さまの大いなる智慧(光明)と深い慈悲(寿命)に遇うことによって、闇を光へと転じ変え成さしめられる道を歩いて行くことが出来ます。

 人は、ただ自分の思いや計算だけで生きようとすると、やがて必ず行き詰まりと挫折に終わることになるのです。

それこそが人生の闇です。

 実はその闇に苦しみ悩んでいるものを本当に心配して、何とか苦・不安の原因を自らの内に見る目を与えて、目覚めさせ、ひるがえし、目覚めのいのちとさせねばおかないというはたらきを本願力(他力)といいます。

いちはやく、その仏さまの心、仏さまの願いに頷いて、光の中をかけがえのないいのちと人生を尽くさせていただくところに拓けゆく道、空しく終わることのない生き方があるのです。

 このように人生の老・病・死のすべてをそのまま正しく見きわめて、絶望ではなく光のはたらき、すべてを包みきってくださる仏さまの大いなる智慧と深い慈悲に目覚めて生きるところに、末通ったいのちとかけがえのない人生の大道があることを味わいながら生きたいものです。

「今病みゆく子どもたち… 私たちにできること、しなければならないこと」 学級のお父さん(中旬)

 その日起こった事件のあらましを子どもたちに伝えて、

「おい、みんな。

誰が悪いと思う、この事件」

と聞きました。

みんな一斉に「とったやつ、泥棒」と答えました。

僕が言ったのは

「違うぞ。

お前ら誰が悪いのかもわかんないのか。

教えてやるよ、俺が悪い。

俺はお前たちの担任、学級のお父さんだ。

お前たちに、自分たちの物はちゃんと管理してロッカーに入れなさいって教える義務があった。

それをいい加減にしたからお前はつくえ上に置き忘れたんだろ。

ほら入り口見てみな。

『管理責任者。

水谷修』

って書いてあるだろう。

俺はな、この教室を見回って、忘れた物があったらそれを預かったり、教室に鍵をかけたり、教室を守る義務があった。

それをいい加減にしたからこういう事件が起きた。

だから俺が悪い。

ちょっと金足りなかったから、校長先生、副校長先生からも金借りてきて五万つくった。

これで勘弁してくれ」

と言って渡しました。

 そしたら、とったのを見た子が

「先生、納得できない。

○○さんがとったの見たよ」

と言っちゃいました。

やられたと思った。

名指しで言われた子は泣き始めました。

「うん、そうか。

お前が見たのなら何かはあったんだろうけど、もしかしたら触っただけで戻してるかもしれん。

何か誤解があるかもしれないし、ちょとここじゃあ話聞けないから、別の部屋で話聞いてくる。

ちょっとみんな待ってろよ。

ほら向こうの部屋に行こう」

と、その子を連れて長い廊下を別の棟まで歩いて行きました。

もう振り返って「お前だな」と言えば、「先生、ごめんなさい」と言うのはわかってた。

固く抱きしめたバッグの中に、財布もお金も入っているのはわかっていました。

 別の部屋に行って戸を閉めた瞬間に僕が言ったのは

「うん、お前じゃないよ。

儀式儀式。

触ってみただけで戻したよな。

ごめんな、こうやんないとちょっと収まりつかないから、ほら、我慢しろ。

ハンカチ貸してやるから涙ふけ。

ところで明日、お前のお母さんのところにお見舞いに行ってやる。

今日ので金使ったからメロンてわけにはいかないけど、ミカンぐらいなら買えるから、お母さんによろしく言っといてくれ。

ほら戻るぞ。

泣くな。」

教室に戻しました 。

 そしてみんなに、

「うん、彼女はね、いい財布だな、欲しいなって思って見たって。

でも戻したって言うから彼女じゃない。

俺たちみんな家族だろう。

うん、ここまでにする。

もう終わり、こんな嫌なことは」

と言ってそれで終わりにしました。

 昨年の三月三日はその子たちの卒業式でした。

夜間高校は四年間です。

卒業式が終わった後、彼女が

「先生、三階の図書室に来てください」

と僕を呼びました。

僕はもう事件のことは忘れていました。

三階の図書室に行ったら、彼女が「先生これ」って茶色い封筒を渡してきました。

中には五十枚の千円札が入っていました。

 それからも彼女のお母さんは入退院を繰り返して、ずっと生活保護を受けていました。

彼女は三つのアルバイトをして十万円近いお金を稼いでいたんです。

でもご存じの通り、生活保護は十万円のお金を稼いでも、八万七千円程度の生活保護費が切られます。

十万円稼いでも一万二、三千円ほどの上乗せにしかならない。

それでもその分お母さんに楽させたいと頑張ってた子でした。