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「人間とはね」(上旬)今どきの子ども

======ご講師紹介======

早川一光さん

今月のご講師は、総合人間研究所所長の早川一光さんです。

早川さんは、昭和二十三年京都府立医科大学卒業後、昭和二十五年に京都西陣に住民出資の白峰診療所を創設。

後に堀川病院へと発展し、院長、理事長を経て、昭和五十九年に同院顧問に就任、平成十一年まで勤められました。

「人間を医学だけでなく、哲学や宗教など多方面からアプローチしていかなければ」との思いから、昭和六十三年に総合人間研究所を設立、所長に就任されました。

平成十四年には、京都市内にわらじ医者よろず診療所を開設されています。

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総合人間研究所所長 早川一光さん

 人間だけが生きられるような世の中を作ったところで、人間は生きてはいけません。

やっぱり木が必要、森が必要、魚が必要、草も木もみんないっしょになって生きていかなきゃ。

人間だけが生きられるなんて考えたら、こんなおこがましいことないもんね。

動物も植物もみんな一緒になって生きていけるような地球でないと、人間は生きていけないってことを、今日改めてしみじみと知ってくださいね。

 皆さんがこれからお帰りになって、晩ご飯をお食べになるとき、ちゃんと手を合わせて「頂きます」と言っていますか。

この「頂きます」というのは仏教の言葉ですやんか。

それはお米を頂く、魚を頂く、野菜を頂くことと違う。

自分以外のいのちを頂かんと人間は生きていけないということ。

「ごめんなさい。

生きていくためにいのちを頂きます」とおかずに向かって手を合わすことが、実は食事を頂くときの礼儀です。

 孫やひ孫が「頂きます」とも言わずに、腹が減ってるからといって食べようとしたら、手をピシッとたたいてひと言、「手を合わせて『頂きます』と言うことを忘れてる」と教えるのが皆さんの仕事やろ。

それを戦後六十年たって忘れちゃって、物のない時代に一生懸命に子どもたちに食べさせて、「お前さえ十分食べたらええ、親は我慢するけれど、お前さえよければええ」と言ってきたはずや。

 「お前さえ勉強して、お前さえいい学校に入って、お前さえいい会社に就職して、おまえさえ生活がよくなればいい」、そう言いながら子どもを教育してきたやろ。

そしたら知らんうちに皆さんのお子さんなりお孫さんが、時あ分さえよければいいなんて思っちゃって、知らんうちに大きくなってしまっているからね。

 皆さんは「今どきの子どもは」なんておっしゃいますけど、子どもが悪いんと違う。

こんな子どもを育てた親が悪い。

そしてその親を育てた皆さんが悪い。

しっかりと「頂きます」「有り難う」「おやすみなさい」「おはようございます」と、きちっとあいさつの出来るような子どもに厳しく育てていくのが、実は皆さんのお仕事。

自分自身が仏さん近くなろうと思っても無理。

皆さんが仏さんに代わって子どもたちにしっかりと、いかにあるべきかということを教えていくんや。

 仏さんがここにおられるんと違う。

皆さん自身が仏さんな代わって、困っている人がいれば看病して挙げる、悩んでいる人がいれば言葉をかける。

「私にやることないか、なんかしてあげることないかと、その言葉自体が仏さんの言葉やないか。

確かな拠りどころを持つ人の 確かな歩み

 砂漠や雪野原など、見渡す限り何も目印のない所を自分の思いだけを頼りに歩いて行くと、自分では目指す方角に向かって真っ直ぐに歩いているつもりでも、不思議なことに二百メートル進むと必ず利き腕の方向に五メートルはズレてしまうのだそうです。

 このように目印のないままの歩みを繰り返している間は、自分の感覚ではズレていることが全くわかりません。

そのために自分では真っ直ぐに歩いているつもりでも、次第にズレてしまうために、一生懸命に歩いたのに結局は元いた地点に帰ってしまうのだそうです。

 これと同じように、私達は確かな拠りどころを持つということがなければ、一生懸命に生きているこの人生という旅路においても同じ状況に陥ってしまうのではないでしょうか。

ふと振り返ると、「自分の人生とは何だったのかわからない」というのは空しいことではありませんか?

 私達はいつも自分の思いを確かなものとして生きていますが、実はこの自分の思いほど不確かなものはありません。

それ故に旅をする時には星の位置を確かめることや磁石を携行することが必須とされました。

あなたは、人生の確かな拠りを見出しておられますか?

仏教講座11月(後期)

 さて、仏道はこのように、仏と法と僧の三宝を信じることから始まるのですが、ではその信じるということと、仏道とはどのように関係するのでしょうか。

いわゆる信と行の関係がここで問われることになります。

この場合、信と行はまったく同じであって、信じるままが行となり、行じるままが信になるのです。

それは今、僧によって仏の法が説かれます。

その法には、仏果に至る道、行道が示されています。

ここで私はその師の教えを聞き信じることが求められます。

信じなければ私の仏道は成り立たないからです。

では具体的に何を信じるか。

いうまでもなく教えの内容です。

そしてその教えの内容には仏果への道、具体的に進むべき行道が明かされています。

とすれば、教えを信じるということは、その教えのごとく行じる、ということでなければならなくなります。

もし教えのごとく行じなければ、教えを信じたことにはならないからです。

 

 そこで信には二つの特徴があるとされます。

第一は、信じれば信じるほど、仏道が深まり行道が増すという特徴です。

最初、ほんの少し仏法を聞いて、感銘してその教えのごとく実践した。

その時、私の心は今までにない喜びを味わった。

そこでさらにその教えを聞き信じて、教えのごとく行じた。

私の心は、さらに大きな喜びを得た。

そこでますます法を聞き続けることになります。

そうして私の心には、教えに対する理解が深まり、喜びの心も無限に広がってゆきます。

そこに第二の特徴が現れます。

聞法する私自身が、まことにすぐれた心に成るという特徴です。

信の力は、私が仏法を信じ続けることによって、私自身の仏法理解を深めさせ、私をすぐれた仏法者に育てるのです。

 

 だとすると、ここで私が信じることの出来る仏法とは何か、ということが問題になります。

ことに私自身が、日常の迷いの坩堝の中で、生活苦に苛まれている時、この愚悪なる私に信じることの出来る仏法が、ここで求められることになるのです。

このことについて『無量寿経』の結びで、釈尊が弥勒菩薩に次のように語られます。

 

 「阿弥陀仏は一切の衆生に、我が名号を聞いて信じ喜ぶ衆生を必ず我が国土に往生せしめると誓われている。

この法に勝る大きな利益は存在しない。

だから弥勒よ、汝の浄土においても、この名号の法を説き、国土の衆生に名号を聞き信じ喜ばしめよ」

 

 名号を聞くということは、阿弥陀仏の功徳のすべて、寿命が無量であり、光明が無限であるという功徳の一切に、私が包まれるということを意味します。

それは私自身が、無量の命を得、無限に光輝くということです。

この世は無常であり、私の命はいつ臨終を迎えるかわかりません。

しかも人間であるかぎり、常に不慮の不幸を背負っているといわねばなりません。

その私たちが、一日一日を人間として歩み続けねばなりません。

だからこそ、いつこの命が断ち切られたとしても、私自身に無限に輝く命がなければならないのです。

その仏の教えを聞いて信じる喜びが、最も大切になるのです。

「いのちと平和」(後期)気づくと涙が…

本題の方に戻ります。

『いのちと平和』ということは頭ではすごくわかってます。

いのちが大事。

平和でなければ、ということですね。

 ちょうど六年前にある方と、ある本に出会いました。

鹿児島在住の方でその方は唐湊に住んでおいでです。

その方とお会いしました。

その方は十八歳で女子挺身隊として長崎に行かれまして被爆されました。

その方のご本を読ませていただき、お話を聞かせていただいて、戦争の現実ってこうなんだということを初めて知りました。

 今まで耳で聞いていた、あるいは本や教科書で読んでいたものとは違うということがすごくわかりました。

そしてそのお芝居を作らせていただいて、六年前に初めて原爆のお芝居から始めました。

二年間、そのお芝居をあちこちでさせていただきました。

 そうしますと鹿児島は沖縄に近いこともあって、たくさんの特攻基地があったんだという、そのご本を頂きました。

「これをどうか芝居にしてみてくれ」。

一人のおじちゃんからもらいました。

その本を読んでるうちに、気づくと涙が止まりませんでした。

そして取材が始まりました。

 最初は知覧に行きました。

そして、当時知覧高等女学校に行ってらした当時十五歳だったおばちゃんと会いました。

その方のお話は、真に迫るものがありました。

当時のことをまるで昨日のことのように覚えてらっしゃって、お話くださいました。

 また、特攻隊員の生き残りの方や、遺族の方、特攻基地のあったその場所の方々とも会いました。

そういう場所が十数カ所も県内にありました。

まだ回っていない所、見せていただいていない所もあるんですが、だいたいの所に行きまして取材させていただきました。

そして、四年前に初めて芝居をさせていただき、戦争って本当にたいへんだと思いました。

その時にぱっと頭に浮かんだのが、四人の子どもたちのことでした。

 もし今、戦争が始まったらこの子たちが真っ先にその戦争に行ってしまうのかな。

いやだ、と思いました。

それを芝居にしてどれだけの方に見ていただけるかわからないけれど、一生懸命して何か感じていただければ、若い方から年配の方まで見ていただければ、そう思って作らせていただいたお芝居を四年間、今年の八月十五日にもまた演じさせていただきました。

 今こうしている間にも、戦争でたくさんの命が失われていきます。

でも慣れていっちゃうんですね。

 自分の国の中での戦争ではないので。

イラクでは今でも毎日亡くなる方がいて、最初はびっくりしました。

イラクで二十人「も」亡くなった。

三十人「も」亡くなった。

でも毎日、新聞などで見ていると、そのうちに今日も「また」五十人。

今日も「また」十人。

怖いですね、慣れるということは。

 私はお芝居の中で、自分がそのお芝居に慣れていくのではなく、いつも初心の気持ちで、本当に見ていただく方に何が伝わるか、心から一生懸命させていただこうと思ってやっております。

子どもの時代を、その次の子どもの時代も、ずっとずっと。

私も母親ですから子どもたち、孫たち、そのまたずっと先まで平和であってほしい。

いのちの尊さを若い人たちほど知ってほしい。

というふうに思ってお芝居をしております。

夏の猛暑に厳しい残暑。

夏の猛暑に厳しい残暑。

今年は例年になく気温の高い日が続きました。10月初旬にはソメイヨシノが咲いたという報道がなされ、晩秋の空には夏の入道雲が依然として睨みをきかせていました。

「地球温暖化」という言葉が、私たちの身近な出来事だと改めて実感されたことです。

「暑さ寒さも彼岸まで」。

日本には四季折々の風情を詠んだ言葉たくさんあります。

けれども、昔とは明らかに異なっていると思われる現代の気候の中で、風土によって生み出されてきた表現や季節の言葉も、いつしかそのように言えなくなるかもしれない…、そんな不安を覚える昨今の状況です。

また、ものの豊かさが謳歌され、飽食の時代と言われる中、いわゆる「今が旬」とよばれるものも次第に少なくなりました。

そのため、その時期ならではの味わい〜いつも当たり前にあるのではなく〜「あぁ、○○の時期になったなぁ!」と感じられるものがとても大切に思われます。

人間としての豊かな感情は、四季の移ろいと生活をともにし、そこに包まれているだけで育まれていくような気がします。

しかし、今の私たちのいわゆる「文明の利器」に頼った日暮らしは、自然と一体となる感覚を失わせ、いつしか人間中心の生活を至上とするようになりました。

冷暖房機器の中での生活は快適そのものですが、陽光の温もりや吹く風の心地よさといった、めぐりくる季節を自らの肌で感じることこそ、決して忘れてはならないことだといえます。

「霜月」を迎えたいま、暦の上だけではなく、自らの感性で冬の訪れを確かめられたら…と思います。

確かな拠りどころを持つ人の 確かな歩み

 ある時お釈迦さまは、自らの爪で地面からわずかな土をすくいあげて、お弟子に尋ねられました。

「私の爪の先の土と大地の土とはどちらが多いと思うか」。

するとお弟子は「爪の先の土はごくわずかで大地の土の方が比べものにならないくらい多いです」と答えました。

 

 お釈迦さまは「そうであろう。

実はこの世の中に人として生まれてくることは、これ程わずかばかりのことでしかない。

だから人は欲望のままに生きて行くのではなく、正しい道を求めて生きていかなければならないのだ」とお話になられたと伝えられています。

 

 もとすれば私達は、人に生まれたことを「当たり前」と考えてしまいがちです。

けれども、よくよく考えてみますと、数えきれないような多くの命がある中で、人としての命を頂いたことはとても貴重なご縁であり、決して当たり前のことではありません。

 

 しかもこの尊い命は、仏さまから正しい道を歩むように願われた命です。

それだけでも不思議なご縁なのに、私達はそのみ教えにも既に出会わせて頂いています。

このご縁を大切に、確かな拠りどころがある喜びのもとに日々過ごさせていただきたいものです。