投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

最近、お菓子作りにはまっています。

最近、お菓子作りにはまっています。

でも、お菓子作りって本当難しいんですね〜。

少しでも分量を間違えると、ふくらみが悪かったり、堅くなりすぎたり!!!

基本、料理は

「目分量!」っていう私にとって、お菓子作りは大苦戦です。

この間、ケーキを焼いたときなんて、オーブンから目が離せませんでした。

時間設定はこれでいいはずなのに〜、なかなかふくらまないし〜、でも少しでも目を離したすきに焦げちゃいそう〜(^_^;)ってな具合でした・・・・

さて、出来上がりは?というと、

生クリームのおかげで、案の定不出来な

「スポンジ」も(←そう、やっぱり上手には焼けなかったのです)まあまあうまい具合に隠すことが出来、フルーツた〜っぷりの可愛らしいデコレーションケーキが完成しました〜♪

上記のことからもわかるように、今のわたしは、これでいいのかな〜っと迷いながら、考えながら作り進めていくぐらい、お菓子作りの超初心者です。

でも作っている段階で食べてくれる人たちの笑顔を思い浮かべると、作りながらワクワクしたり、絶対おいしいのを作るぞ〜って頑張れちゃうのです。

誰かを笑顔にしたくて、何かを頑張って、そして、そのことが逆に自分の喜びとなる。

喜んでほしい、元気になってもらいたいと思っての行動が、結果、自分自身の大きな励みになったり、幸せで心がいっぱいに満たされたりするんですね。

誰かのためにしていたつもりが、わたしが、そうさせて貰っていたんだな〜・・・

幸せをたくさん貰い、沢山笑顔にさせてくれていたんだな〜・・・・

って、改めて気づくことの出来た、お菓子作りの一幕でした♪

最近では春風がと〜っても気持ちよくなってきました。

窓をいっぱいにあけて、春の風を身体に感じながらの、お菓子作りも楽しいですよ〜♪

是非、おためしあれ〜、です(*^_^*)

真宗講座親鸞聖人の十念思想(4月後期) 大乗菩薩道

では、浄土真宗の教えの一番の特徴はどのようなところにあるのでしょうか。

(18)ここを以て論主は、広大無碍の一心を宣布して、あまねく雑染堪忍の群萌を開化す。

宗師は大悲往還の廻向を顕示して、ねんごろに他利利他の深義を弘宣したまへり。

(「教行信証」)

これは、『教行信証』

「証巻」

の最後に出てくる言葉で、

「他利利他の深義」

について述べられているものです。

「他利利他の深義」

というのは、浄土真宗の仏道の全てということです。

ここで親鸞聖人は、浄土真宗の菩薩道を示しておられます。

大乗の仏道は、菩薩道であって、菩薩道以外に仏道はありません。

では、菩薩道とはどのような在り方なのでしょうか。

それは、自利利他の実践であって、自利利他の行道こそが菩薩道そのものなのです。

それに対して、浄土真宗の菩薩道とは何かということが、ここでの問題になります。

なぜなら、浄土真宗では自利の実践は成り立ちません。

そのため、愚かな凡夫には、自身が一心に行道に励んで仏果に至る道は存在しないのです。

私たちが仏果に至る全ては、阿弥陀仏の本願力によります。

この道理を私の立場から考えますと

「他利」

になります。

他の力によって、私が利せられるのです。

他の力、阿弥陀仏の働きによって、私たちは信を得るのです。

この道理を阿弥陀仏の側から言いますと

「利他」

になります。

他を救うのは、阿弥陀仏の働きです。

それを人間の側から見ますと、他が私を救うことになります。

したがって、浄土真宗における凡夫の仏道は

「他利」

しかないのです。

他から仏への法が来るのです。

それ故に、凡夫はその教えを聞法するのみになるのです。

浄土真宗の仏道は、なぜ聞法のみなのでしょうか。

それは、私の仏道である本願の力が他から来るからで、そのため聞法しかないのです。

ところが、その

「他利」

を領受した人は、その瞬間に

「利他」

に転じることになります。

他から念仏をいただき、その念仏を他に施す、ここに浄土真宗の仏道があります。

「自利利他」

ではなく

「他利利他」

になるのです。

浄土真宗の教えの最も深い点は何かというと、自らの証果において

「他利利他の深義」

がはっきりと分かるということです。

「真実証」

とは、自己の全体で阿弥陀仏の本願の真実が明らかになることです。

だからこそ、獲信の念仏者は、その証果の真実、念仏の心を他に語ることが出来るのです。

ところで、菩薩道としての

「利他」

の条件は、自分の心に利己心を持ってはならないということです。

それがまさに、凡夫の利他行を困難にしているのですが、念仏を語る心には、利己心は必要ありません。

自分自身に何の損もないので、ただ念仏の素晴らしさを語ることが出来るのです。

念仏の喜びを語る場合は、自分の心を全く問題にしないで、念仏の真実のみを語ることが出来ます。

愚かな人間は、迷いの心しかもっていません。

そこで、他人の難義を救うような場合は、無意識のうちに

「私は良いことをした」

と思ってしまいます。

けれども、お互い念仏を喜び合っても、そこには何の力みも生まれません。

何のわだかまりもなく、何の利己心も持たないで、愚かな凡夫がただ淡々と、念仏の真実を語ることが出来るのです。

しかも、この実践こそが浄土真宗の菩薩道だとすれば、凡夫がまさしく行じることのできる仏道とは、ただ念仏のみになります。

それは、浄土真宗の念仏者が唯一、大乗の菩薩道を歩くことができるということです。

そのような念仏の道を、私たちは親鸞聖人から教えられているのです。

つまるところ、一声

「南無阿弥陀仏」

と称える。

その念仏が、阿弥陀仏が私を摂取する大行です。

そして、その念仏こそ、弥陀の大悲・疑蓋無雑の信楽が、私の心に徹入しているすがたです。

この名号の真実を聞いて、疑いの余地がなくなる瞬間が私の獲信であり、このとき私は正定聚の機になります。

釈尊は、この真理を説法されるのですが、獲信の念仏者もまた、この念仏の喜びを人々に語り、共に往生の道を歩むのです。

『すべてのものは移りゆくおこたらずつとめよ』(後期)

お釈迦様(釈尊)は80歳で、涅槃に入られましたが、最期の最後まで仏法を説かれました。

よく世間では

「秘伝」

ということが言われますが、釈尊の教えには、これはあなただけに伝えますという秘伝はなく、釈尊は握りこぶしを開いて、私は全てを伝えきりましたと、語ったとも言われています。

そのご説法の最後の言葉が、

「すべてのものは移りゆくおこたらずつとめよ」

という意味の言葉であったと伝わっています。

まず「無常」ということについて味わってみましょう。

「無常」といえば、『平家物語』冒頭の

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす、おごれる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し」

という名文を思い起こします。

このフレーズは、

「諸行無常」

という教えを日本人のDNAに刻みこむ役割を果たしました。

しかし

「盛んなる者は、必ず衰える」

という、マイナスイメージのみを刷り込むことになってしまい、

「諸行無常」

の全体像(大切な一面)を見失うことにもなりました。

それは

「すべてのものは絶えず、移り変わる」

からこそ、今よりもっと

「成長」「上達」「習得」

していけるという、プラス面です。

子どもが大きくなるのも、技能が上達するのも、資格を取れるのも

「無常」だからです。

「成長」していくのも

「老化」していくのも、

「常住」ではなく

「無常」だからです。

一時もとどまることがないからこそ、怠けることなく、精進、努力をしなければならないともいえます。

まさしく

「おこたらずつとめよ」です。

先日、ご法事でご門徒のお宅にお参りした時に、お仏壇の隣に、瀬戸内寂静さんの言葉が張られていました。

「晴れた日も続かなければ、曇りの日も続かない。

良いこともあれば、悪いこともある。

これを『無常』と申します」

という意味の言葉でした。

確かにその通りだな、と思い、ご法話でそのことについてお話をしました。

その際に、付け加えたことは、日々の暮らしの中では確かに、

「良いこともあれば、悪いこともある」

が、望みをかなえるためには、

「おこたらずつとめる」

ことが何よりも大切であり、本人は適当に怠けておきながら、良い結果のみを期待するのは、本末転倒(因果応報に背くこと)であるということでした。

しかし、

「言うは易く、行なうは難し」

で、かくも有り難く法話をしました私の日常生活をふりかえれば、お恥ずかしいことに、どのようにしたら要領よく、楽をして生活ができるだろうかと、頭をひねっている毎日と言わざるを得ません。

「懈怠」(なまけること)と

「放逸」(手をぬくこと)が頭から離れません。

ですから、

「おこたらずつとめよ」

とのご説法は、私には実に耳の痛い言葉と言えます。

でも、そんな私でも

「おこたらずつとめる」

ことの大切さは、私なりにわかっているつもりですので、何とか辻褄をあわせて

「懈怠」

「放逸」

に押し流されることなく、

「おこたらずつとめる」

ことの≪まねごと≫を心がけているところです。

そのような中、昨今、気になることがありますので、触れてみたいと思います。

よく、この頃、テレビや新聞等において、スポーツ等で実績を残した著名人(金メダリスト等)の講演会の一部が紹介されていますが、私の知る限りにおいてではありますが、

「目標をもって努力して下さい。努力すれば必ず報われます。」

という趣旨の報道がよくあります。

確かに前向きで、力強い発言ですが、その反面、現実はそんなに甘くないと思っています。

人生は思うようにいかない

「苦」の世界です。

あえて言えば

「確かに人一倍、努力したのでしょうが、その努力が報われた結果において、必ず報われますよと語っているに過ぎないのではないか」と。

現実に即して言えば

「努力しても報われる場合と、報われない場合がある。結果がでないこともあり、全ては縁事でしかない。」

「努力しても、必ず報われるわけではない。でも努力しないと報われない。」

かくいう私が

「懈怠」

「放逸」

の身ですから、説得力もなく、限りなく

「言い訳」

に近くなってしまいます。

そこで、最後に、浄土真宗の僧侶でもある山崎龍明先生のお話を紹介しておきます。

「仏教には≪精進≫という語があります。

努力は結果を求めるもの。

≪精進≫とは努力そのものに意味を求めるもの。

つまり結果を前提としないということです。

ここでは結果がでなくても、その努力は無駄だったと落ち込むことはありません。

結果がでても、でなくても、そのことに満足する世界には安らぎがあります。

よろこびがあります。

一切に無駄はないという開かれた世界です。」

とても大切な視座を頂きました。

プロスポーツ等の世界では

「結果が全て」

とよく聞きますが、どうやら仏教の視座とは違うようです。

釈尊が

「すべてのものは移りゆくおこたらずつとめよ」

と語られた最後のご説法は、<精進>することの尊さを教えて下されたのだと味わいました。

小説 親鸞・花は夜風に乗って 4月(7)

2013年4月19日

雨あがりの大路の黒い土は、胡粉(ごふん)をこぼしたように白い斑(ふ)で描かれている。

キリ、キリ、さびしい轍(わだち)の音が、粟田口(あわたぐち)あたりの閑寂(かんじゃく)な土塀や竹垣、生垣の桜花(はな)の下蔭を通ってゆく――

「ああ」

牛と並んで歩きながら、侍従介は、鼻さきの涙を指さきで、そっと拭いた。

「――昼間だが、なんとなく、夜を歩いているような気がするなあ」

独り語につぶやいたのを、

「そのはずじゃ」

と、牛飼が、答えた。

「――なんとこの正月は正月も早々からじゃて。

さきには、高倉上皇さまがおかくれあそばされたと思うと、――つづいて去年から大熱をわずろうていた平相国清盛公が、忽然と、あの世へ去っておしまいなされた……。

それでのうても、お館さまや、和子さまには、吉光御前さまをお亡くしなされて、さびしい年を越えられたのじゃものなあ」

「空虚(うつろ)な……とは、今のご主人さまや、俺たちの心だ」

「ひっそりとして、蝶も舞わぬ。

堂上堂下、悲しみに沈んでいるこの春の御領闇(ごりょうあん)に、虫けらまでも、さびしさが、わかるとみえます」

「夜だ、どうしても、昼間とは思えない――」

介は、道を曲がる。

その道もまた、しいんと、冷やかで、人影がなかった。

明けて――十八公麿が九歳になった春の三月中旬のことだった。

牛車のうちには、墨のごとく、沈んだ人影が見える。

養父範綱の膝にだかれた十八公麿であった。

母をうしなってからの十八公麿はさらにちがってきた。

面ざしすらにわかに吉光の前に似かようてきたかに見えて端麗を加えたのも変り方の一つであったし、さらに、範綱さえ、介さえ、ときどき、驚かされることは、彼の眸であった。

黒く、飽くまで黒く、そして湖のごとく澄んでいる眼であった。

星を見――雲を見――風を仰ぎ――そして地上の人間が描く修羅遊戯の種々(さまざま)な事象に、じっと、いつも、不審をだいて考えこんでいるような彼の双眸であった。

久しく、書を教えていた叔父の宗業は、はやくも、筆を投げて、

「もう十八公麿には、あまり教えぬほうがいい」

と、いったほどである。

「怖い才だ」

といった人もあった。

また、

「こういう麒麟児(きりんじ)は悪うすると若死をしますでな」

と注意した老人もある。

どっちにせよ、不安であった。

周囲の大人たちは、ちょと、戯れかねた。

まだ稚(おさな)い九歳の子ではあるが、軽く不安を抱いて、置き換えられないような巨吉舎というか、気品というか、威という、そんな気持をうけた。

しかしさすがに、範綱だけにはよく、甘えるし、範綱も、人がいうほどにも思っていなかった。

ただ、なぜか、

「容貌(かお)は、母御前に似よ。血は父に似よ」

と、口ぐせにいった。

母系の源氏の血が、この子にうずくことを彼は極度に、怖ろしく思った。

それでなくとも、平家の眼は、近ごろ急に、十八公麿の母系と、十八公麿の身について、警戒を怠らないのみか、何か、あわやという機会さえあれば、虎狼(ころう)の爪が、跳びかかってきそうに思えてならないのである。

※「胡粉」=貝殻を焼いて粉にした白い顔料。絵の具、塗料用。

小説 親鸞・紅玉篇4月(6)

十八公麿の手をひいて、館の坪の内へ入ると、養父の範綱も、吉光の前も、

「おお、無事か」

「怪我はなかったか」

一家が、こぞって転ぶように縁先へ出てきた。

先に逃げ帰った車の牛飼から、途中の変を聞いて、おろおろと案じていたところだった。

その危うい野火の中から、十八公麿を救って、ここまで負(おぶ)ってきてくれた男が、以前、成田兵衛の郎党だった庄司七郎であったと話すと、範綱は、

「さてこそ……」

と、思いあわして、うなずいた。

「ここの厩舎(うまや)の獄(ひとや)から、縄を解いて、放ってやった七郎というあの侍は、その後、主家の兵衛から、役に立たぬ不届き者と、家をも扶持(ふち)をも奪われて牢人となり、菰僧に落ち魄れていると聞いたが……。

それでは、当時の和子の情けや、当家の恩義を忘れかねて、あやうい機(おり)に、働いてくれたとみえる。

人には情けをかけておくものじゃ、ありがたいお人ではある」

彼が、介や箭四郎たちに、そう語っているあいだ、吉光の前は、十八公麿をつれて、坪の石井戸のそばに立たせ、下婢(かひ)の手もからずに、自身で水を汲みあげて、よごれている足や手を洗ってやっていた。

そして奥の部屋へ、抱き上げてくると、衣服を出して、着かえさせたり、摺り傷をあらためて、薬を塗(つ)けたりして、

「和子よ」

と、涙ぐんだ。

「――今日の禍(わざわ)いは、幸いに怪我もなくすぎたが、この後とも、一身を大事にまもらねばなりませぬぞ。

心に、油断があってはならぬぞ。

そなたの身に、もしものことがあったら、この母は、どうしましょう」

それから、夜の更けるまで、いろいろと、十八公麿のゆく末のことを案じて、いいきかせた。

それが、母と子との、最もしみじみと心で抱き合った最後の夜であった。

石井戸に立って、水づかいをしていた時に、寒気がするとつぶやいていた彼女は、その夜から、寝間を出ずに、幾日も閉じこもった。

良人(おっと)にわかれてから、とかく、病みがちであった彼女には、病気以外に、二人の遺子を抱えて、また、範綱の苦しい家計や、世難(せなん)の悩みをながめて、共々に、やすらかな日を味わう暇もなく暮らしてきた。

風邪気味と、かろく自分でも考えていた数日のあいだ、彼女の若さも、肌も、病魔の鉋(かんな)に削られて、眼にも驚かれるばかり、痩せ細ってしまった。

「オオ……何やら美しい……蓮花(はちす)がにおう……妙なあの音は、笙(しょう)の音か、頻伽(びんが)の声か。

……蓮華が降る、皆さま、蓮華が降って、私の顔にかかります」

信仰の深い彼女は、熱がたかくなると、うわ言をいって、細いろうのような手を、うごかした。

【これはいけない――】範綱は、暗然として、枕もとに泣いている十八公麿と、朝麿、二人の幼い者のすがたを見た。

「六条さま、どうぞ、お慈愛をおかけくださいませ。……その二人のものを」

衰えた眼が、かなしげに、枕からじっと仰いだ。

そして、何ものかに命じられたように、白い掌を合わせて、にこと、微笑んだ。

お焼香の作法には決まりがありますか?

お通夜、お葬儀に参列した際に、お焼香の様子を見ることがありますが、それぞれのやり方でお焼香されておられる方も多いようです。

お焼香の作法は宗派によって、様々です。

違う点はおおむね2点で、(1)お香を額にいただくか、いただかないか、(2)お香を香炉に入れる回数です。

浄土真宗本願寺派のお焼香の作法のポイントは、お香は額にいただかない、お香を香炉に入れる回数は1回です。

詳しく述べますと、

※ 焼香卓(しょうこうじょく)の手前で、軽く頭を下げる。

※ 卓の前に進んで、お香を1回つまんで、香炉にいれる。

※ お香を入れる前に、合掌はしません

※ お香をつまんで、額にいただきません

合掌し、お念仏申して、礼拝。

卓から後退(1・2歩)し、軽く頭を下げる。

以上が基本の作法です。

自身の宗教を把握し、正しい作法でお参りいたしましょう。