投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

小説 親鸞・乱国篇 第一の声 10月(2)

「これは、勧進(かんじん)の状」文覚は、群衆へいって、それから、おもむろに書付をひろげだした。

隅の隅から、はじき飛ばされたように、六波羅童は、手もちぶさたに、人ごみの中ヘ、引っ込んでしまう。

(ざまを見ろ)というように、人々は、赤い直垂(ひたたれ)の尻を、目でわらった。

文覚は、勧進の文を広げ、胸をのばして、さてまた、大声をあげ直した。

「――今、いったは、昨日のこと。

さても明日はまた、冥々(めいめい)としてわからない。

今日が、平和というたとて、生死流転、三界(さんがい)苦(く)海(かい)、色に、酒に、金に跳(ちょう)猿(えん)の迷いから醒めぬものは、やがて、思い知る時があろうというもの。

白拍子の、祇(ぎ)王(おう)ですらも歌うではないか――」

萌え出ずるも

枯るるも同じ

野辺の草

いずれか

秋にあわで果つべき

心し給え、大衆。

いずか秋にあわで果つべきじゃ。

ここに不肖文覚、いささか思いをいたし、かくは路傍に立って、われらの同血に告ぐるゆえん。

ねがわくは、貴賤道俗の助成によって、高雄山(たかおさん)の霊地に、一院を建立し二世安楽の勤行を成就させ給え。

」と眸(ひとみ)をあげた。

燃えるような眸である。

人間同志の今の不安を見過ごし得ない憂世の血が、その底を流れている。

咳一咳(がいいちがい)して、

「よって、勧進の状」と、手にひろげていた文を高々と読み始めた。

それ惟(おもん)みれば

真如広大なり

法性随妄(ほっしょうずいもう)の雲

あつく覆って

十二因縁の峯にたなびきしより

このかた

本有心蓮の月のひかり

幽(かす)かにして

まだ、三毒四曼の太虚に

あらわれず

悲しいかな

仏日はやく没して

生死(しょうじ)流転(るてん)の巷(ちまた)冥々(めいめい)たり

ただ色に耽り、さけふける

いたずらに人を謗し

また世を毒す

豈(あに)、閻羅獄卒(えんらごくそつ)の責めを免れんや

ここにたまたま、文覚

俗を払い法衣を飾るといえども

悪行なお心にはびこり

善苗、耳に逆らう

いたましいかな

再び三途の火坑に回り

四生の苦輪を廻らんことを

故に、われ

無常の観門に涙し

上下の真俗をすすめて

菩提の悲願に結縁のため

一つの霊場を建てんとなり

それ高雄山は高うして

鷲(しゅ)峯山(ほうさん)の梢に表し…

 声かぎり読んでゆくうち、汗はだくだくと彼の赤黒い顔に筋を描いているのだった。

 

群衆は一人去り、二人去って、誰も懸命な彼の声に衝たれている者はなかった。

(なんじゃ、また勧進か)大衆は、銭乞いに、懲りている。

惜しげもなく、彼を残して、散ってしまう。

ただ一人、立ち残って、

「おい、盛遠殿」と呼びかけた旅商人がある。

※「勧進」=寺院の建築・修理費の寄附を集めること。

仏道をひろめて、善に向かわせること。

※「三界苦海」=三界は仏教で、生死流転する迷いの世界。

欲界・色界・無色界。

苦海は、苦しみの多いことを海にたとえた語

『悪人正機(あくにんしょうき)』

「悪人正機」

とは、

「悪人こそが、阿弥陀仏の大悲によってまさしく救われる人間である」

という意味です。

「機」

という文字は、端的には人間を意味し、

「機械(細かいはたらきをする道具)」

「機敏(心のすばやいはたらき)」

「機運(ものごとの起こるきっかけ)」

といった熟語になります。

あるきっかけによって、そのものが動きはたらく、といった意味が読み取れますので、仏教では、仏の教えを聞き学んで、その教えに心が動かされて、仏道へと導かれる可能性のある者を

「機」

と呼んでいます。

そうすると

「悪人正機」

とは、阿弥陀仏の教えに出遇い、歓喜して救われたいと願う者が、まさしく悪人だといっていることになります。

これは、いったい何を意味しているのでしょうか。

『歎異抄』に、親鸞聖人の

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」

という言葉が示されています。

これは、善人でさえ阿弥陀仏の本願に救われるのだから、悪人はなおいっそう阿弥陀仏に救われる人ある、と言われているように窺えます。

ところで、ここで少し首をかしげる方がいらっしゃるかもしれません。

道徳は、善をたたえ悪をきびしく否定します。

宗教もまた、悪をきびしく誡めるのですが、悪そのものを徹底的に排除するものではなく、その悪を善に改めて救うという方向性を持ちます。

そこで、宗教は道徳より、深くて広いとされるのですが、とはいえ、真実の宗教で道徳を無視したり、悪をたたえたりする宗教は有り得ません。

ところが、親鸞聖人の言葉を文面通り受け取る限り、どうしても悪が重視・肯定されているように思われるのです。

ここで私たちは、自分自身の未来の姿をどのように見つめているかに注意したいと思います。

例外なく、自分は

「よき者」

であるとして、自分をとらえているのではないでしょうか。

謙遜して、

「私は悪人です」

「愚か者です」

と言っている人はいますが、その本人が他人から馬鹿にされたら、やはり我を忘れて怒ることになるからです。

そして、この

「よき者」

と思っている私たちの一人ひとりが、実は他人を無意識の内に傷つけたり、貶めたり、社会や世界を破滅に追いやろうとしたりしているのです。

それは、自身の本質が、実際はどうしようもない

「悪」

の中にあることを意味しています。

だとすれば、人間として最も重要なことは、自らが真の意味で自己の根元的な悪の世界に気付くことだと言えるのではないでしょうか。

そこで初めて人は、自分が全宇宙の中で、いかに小さく惨めな存在であるかということを覚知すると同時に、この私を救うべき無限の教えを求めることになるのです。

阿弥陀仏の教えとは、この求めにまさしく応え、このように求める者をこそ救う教えなのです。

10月になりました。

10月になりました。

「暑さ寒さも彼岸まで」

といわれるように、朝晩随分涼しくなって参りました。

鹿児島もこれから本格的な秋を迎えます。

あなたの街でも秋の気配が感じられることでしょう。

つい先日まで蝉の鳴き声が聞こえていたと思っていたのに、すでに秋の虫の声です。

季節の移り変わりの早さに驚かされます。

日本には四季があり、春、夏、秋、冬とそれぞれに違った風景を私たちに見せてくれます。

それに合わせるように、私たちも過ごしてきました。

田には春に稲を植え、夏を過ぎ秋に収穫。

畑には春に種をまき、夏、秋に収穫。

そして冬を迎え、多くの動植物が活動を抑えます。

それは人間とて変わりないものでした。

それが、近代化の後、人間のみが四季の移ろいに逆らうように生活を送るようになりました。

真冬でさえ、どこへいっても快適な気温で過ごせるようになりました。

コートや厚手のジャンバーなど必要ないくらいです。

そのため、人間は自然さえも自分の思い通りなるものだと我欲を募らせてしまったのかもしれません。

それが、私たちの生活にも過剰な欲望を生み、原発問題をはじめ多くの環境問題へとつながったように思います。

日本において近代化が始まったのは明治以降。

つまり150年も前はみな、自然と共に生きていたのです。

それが、たった150年でどうでしょう。

世界の裏側だって、飛行機にのって簡単にいける時代になりました。

決して今更、江戸時代の生活に戻ろうというのではありません。

ただ、私たちの生活の中で四季の移ろいを感じる余裕があれば、未来は変わっていくのではないかと思います。

どうですか?

あなたも四季の声に耳を傾けてみられては。

『どんなところにも生かされていく道はある』

私たちの住むこの日本では、昨年2011年までで、自死(自殺)者数が14年連続で3万人を超えています。

未遂、願望をもつ人を含めるとその数は20倍にもなる、というデータもあるそうです。

原因は様々で、その苦しみは当事者でなければわからない事でありますが、この現代社会に生きづらさを感じている人が、私たちの身近にたくさんおられるということは確かな事でしょう。

ある戦場カメラマンが、

「いくら紛争地帯でも、年間3万人もの人が死ぬことはそんなにありません。

日本ではそれくらいの人々が自殺しています。

この国は形を変えた戦場なんです」

とおっしゃった言葉がとても印象深く残っておりますが、私たちの生きるこの社会は、目に見える物から目には見えない様々な武器を持って、お互いがお互いのいのちを傷付けあっている、そんな社会の側面をもっているのかもしれません。

そのような大変な中で私たちは今、生活をしています。

お釈迦さまご在世の時代に、憎悪や権力欲に狂い、実父を殺害し、実母を牢に幽閉した阿闍世という王がいました。

やがて阿闍世は父親殺害という罪の自覚から、こころも身体も病んでいき、最後にお釈迦さまに救いを求めていきます。

お釈迦さまは、

「父を殺害した阿闍世の罪は、この同じ社会に生きるわたしの罪でもある」

と受けとめられ、お釈迦さま自身も老いた身体で最後の力をふりしぼり阿闍世のこころに寄り添い、法を説かれていきます。

私たちの社会は様々な問題を抱えています。

自死、差別、いじめ、環境、原発・・・・。

それら様々な問題に対して私たちは、関係ある事、無いことと区別してしまいがちですが、同じ社会に生きる私たちにとって、社会の問題、出来事はすべて私も含めた関係性の中にあるという視点を私たちは大切にしなければならないと思います。

人間としての尊厳を奪われ、長きにわたり部落差別という理不尽かつ厳しい差別を受けてこられた方が、

「これだけの厳しい差別を受けてきても、われわれの先祖は生き抜いてきた。

そのような中でも生きていける強さを人間はもっていると思う。

それはその差別と共に闘い、耐え抜いてきた仲間がいたからだ。

しかしそんな強さをもつ人間も、孤独の中で生きていく事は非常に困難なことなんだよ」

と語られた事がありました。

今、さかんに

「絆」

という言葉が使われる現代ではありますが、その背景には孤独を感じておられる方がいかに多いかという事でもあるのでしょう。

自分ひとりで生きている、そのもの一つで成り立っているいのちなど何一つありません。

すべては関係性の中で、お互いに相支え、相支えられつつ生かされている、という縁起によるいのちの見方を仏教では大切にしています。

またそのようないのちの真実を私に気づかせ、私がどのような境遇にあろうとも、私が背を向けようとも、いつも寄り添い、

「決して見捨てはしない」

とはたらいてくださるのが阿弥陀如来というほとけさまであり、そのおこころが

「南無阿弥陀仏」

というお念仏であります。

わたしたちがいのちある限り抱えていかなければならない多くの悩み苦しみの中で、確かなよりどころとなるのがお念仏であります。

とすれば、そのお念仏の教えをいただく私たちのこの集団(僧伽・サンガ)も、よりどころとならなければなりません。

今、私たちの教団は、この私はその僧伽の一員となっているでしょうか?今一度、問う必要があると思いますし、それがお念仏をいただくということだと思います。

その視点に立った時、どんなところにも生かされて生きている、お念仏の道がひらけてくると思います。

小説 親鸞・乱国篇 第一の声 10月(1)

朱雀(すじゃく)の辻に、鈴(れい)を鳴らして、今朝からわめいている男があった。

蜂にでもさされたのか、陽に焼けた顔が、腐った柘榴(ざくろ)みたいに凸凹(でこぼこ)にゆがんでいる。

大きな鼻と、強情らしい唇を持ち、栗のイガみたいに、ぼうぼうと伸びた坊主頭には白い埃(ほこり)がたかっていた。

年ごろは、そんな風なので、見当がつかない。

三十とも見えるし、四十かとも思われる。

身は、やぶれ衣に、縄の帯一つ。

そして、沓(くつ)よりは丈夫らしい素裸足で、ぬっと、大地から生えているというかたちである。

りいん!りいん!振り鳴らす鈴の音も、なみな力ではないのだった。

群衆は、取りまいて、

「何じゃ」

「どこの山法師かよ」と、ささやき合った。

残暑の往来を、牛車が、埃(ほこり)をたてて軋(きし)る。

 貴人の輿(こし)が通って行く。

 

また、清盛入道の飛(ひ)耳(じ)張目(ちょうもく)――六波(ろくは)羅(ら)童(わっぱ)と呼んで市人(まちびと)に恐れられている赤い直垂(ひたたれ)を着た、十四、五歳の少年たちが、なにか、平(へい)相国(しょうこく)の悪口でも演じているのではないかと、こまかくしゃくれた眼を、きょろきょろさせ、手に鞭(むち)を持って、群れの蔭からのぞいている。

だが、男は、憚(はばか)らない大声で、自分のシャガレ声に熱し切ると、われを忘れたように、右手の鈴を、宙にあげて、

「静聴、静聴っ――」と呶鳴(どな)った。

「――沙(しゃ)弥(み)文(もん)覚(がく)、敬って、路傍の大衆に申す。

それ、今世のすがたを見るに、雲上の月は、絶えまなく政権(まつり)の争奪と、逸楽の妖雲に戯れ、下天の草々は、野望の武士の弓矢をつつむ。

法(ほう)城(じょう)は呪詛(じゅそ)の炎に焼かれざるはなく、百姓、商人、工匠(たくみ)たちの凡下(ぼんげ)は、住むべき家にも惑い、飢(き)寒(かん)に泣く。

――まず、そうした世に生きる人間どもは、必然、功利に溺れ、猜疑(さいぎ)深く、骨肉相食(あいは)み、自己を省みず、利を獲れば身をほろぼし、貧に落つれば、人のみを呪う。

富者も餓鬼(がき)!貧者も餓鬼!そして滔々(とうとう)と、この人の世を濁流にする――」額に汗して、そこまで、一息にいった。

そして、りいん!とさらに、鈴を振りかけると、

「乞食(こじき)法師、待て」誰か、呶鳴った。

赤い直垂が、人垣をかきわけて、前へ出てきた。

(六波羅小僧)人々は、眼と眼で、ささやき合った。

不安な顔をして、法師の鈴と、少年の鞭とを、見くらべた。

法師は、傲(ごう)然(ぜん)と、

「何かっ」と、いった。

平家の庁の威光をかさに着て、いかにも、小生意気らしい町隠密の少年は、鞭で、大地をたたきながら、

「おのれは今、――富者も餓鬼、――貧者も餓鬼、――そして、雲上は政権の争奪と、逸楽の妖雲におおわれていると」

 「ははは………人の話は、仕舞いまで聞け、それは、昨日の源氏の世をいうたのだ。

 

 ……これから、今日のことをいう。

 だまって、そこにいて、聞いておれ!」

 鈴を、ふところに入れて、その懐中(ふところ)から、文覚は、何やら、紙屋紙(かみやがみ)に書いた一通の反故(ほご)を取り出した。

 

※「法城」=仏法をくずれない城にたとえた語で、よりどころとする仏法・教団

※「凡下」=鎌倉時代の身分の一つで、騎乗する侍の下、所従や下人の上。

室町時代では地下人、雑人、平民。

 ※「紙屋紙」=平安時代、京都の紙屋院で漉いた上質の紙

 

 

「教行信証」の行と信(10月前期)

さて

「教巻」

冒頭の文ですが、

「つつしんで往相の廻向を案ずるに」

に見られる廻向は、阿弥陀仏のはたらきを意味します。

この阿弥陀仏の往相廻向には、行と信と証があるのです。

ところで、この阿弥陀仏の

「行信証」

を得た者は、阿弥陀仏の浄土に往生します。

それは、阿弥陀仏の廻向の証の功徳を得ているからなのですが、その証果の功徳として往相の念仏者には、説法をする廻向行がそなわることになります。

これが、浄土教にみられる大乗菩薩道です。

『歎異抄』の第四条には、慈悲について聖道の慈悲と浄土の慈悲があるといわれます。

そして、聖道の慈悲は素晴らしいが、凡夫にはその実践は不可能であり、私たち凡夫には浄土の慈悲しかないと説かれます。

この道理は、一応理解することができます。

ところが、では浄土の慈悲とは何かというと、それは念仏を称えてはやく浄土に生まれることだと言われます。

そうすると、それは死後の問題になりますので、私たちには素直には納得しかねます。

文面を表面的に受け取ると、このように困惑することになりかねないのですが、この言葉は決してそのようなことを言っているのではありません。

ここでいわれる浄土の慈悲とは、

「ただ念仏することだけだ」

ということを意味しているのです。

では、念仏申すみとはどのようなことなのでしょうか。

ここで、例えば弘法大師(空海)や伝教大師(最澄)、それに道元禅師や栄西禅師といった聖道諸師の仏道を思い浮かべ、そこに法然聖人や親鸞聖人の念仏道を重ねるのです。

そのとき、果たして真の仏道を誰が成し得たかということです。

この場合、四人の諸師の立ち位置はいずれも聖者です。

それに対して、法然聖人や親鸞聖人は、どうしようもない愚かな凡夫なのです。

ところで、では誰が真の仏道をより広く伝えることができたかということになると、すべての者が念仏するだけで仏になるという、阿弥陀仏の本願を説かれた、法然聖人であり、親鸞聖人であったということになるのではないでしょうか。

この点より見て、念仏を説くことのみが、末法の世における唯一の大乗菩薩道になるのだと言えます。

これは、証を得た者が南無阿弥陀仏を称え、南無阿弥陀仏の法の真実を伝えることによって、一切のものを仏果に導くという行為が、この世において凡夫にもできるということです。

したがって、この世で本当に菩薩道を行ずることができるのは、念仏者のみだということになります。

そして、この念仏者の姿がまさに往相の姿ということになるのです。

私たちは、信を得れば往相の念仏者です。

ただしそれは、あくまでも往相の念仏者であって、未だ浄土の菩薩でも還相の菩薩でもありません。

しかし、この往相の念仏者のみが、大乗の菩薩道を行じることができるのです。

そうしますと、還相の廻向は、必然的に亡くなってから後の問題になります。

では、還相の廻向と私はどのように関係することになるのでしょうか。

親鸞聖人は『教行信証』の中で

「往相の廻向について真実の教・行・信・証あり」

といわれます。

その意味でこの証は往相の廻向の

「証」

ということになるのですが、その往相廻向の証に、還相廻向を含む構造がここに導かれるのです。

還相は、死後の問題です。

そうであれば、今は関係ないことになるのですが、にもかかわらずそのことが

「証巻」

において延々と説かれているのはなぜかということが次の問題になります。