投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

小説 親鸞・乱国篇 第一の声 10月(4)

 文覚は、まだ十九の頃に、若い髻(もとどり)を切って、大峰、葛城(かつらぎ)、粉河(こかわ)、戸隠(とがくし)、羽黒、そしてまた那智(なち)の千日籠もりと、諸山の荒行を踏んできた。

 その昔の遠藤武者盛遠が成れの果てであった。

 どこかに、面影がある。

 

いや、ありすぎる――と旅商人の堀井弥太は、そう重いながら、彼の磊落(らいらく)な話しぶりに、誘いこまれて、腹をかかえた。

「はははは。

――道理で、疱瘡(ほうそう)神(かみ)のように、顔も頭も、腫れておる」

「まだ、いたい」

「懲りたがよい」

「何の、懲りる男じゃない」

「法衣はきても相変わらずの武者魂、それでこそ、生きている人間らしい」

「生まれ変わってこぬうちは、その魂というやつ、氷の上に座らせても、滝に打たせても、たやすくは、変わらぬものじゃて」

「わけて弓矢なきたえられた根性は。

――したが一別以来、お互いに、変わらぬ身こそ、まずめでたい」

「いや、おぬしの身なりは、ひどう変わっておるぞよ。

初めは、誰かと見間違えた」

「これは砂金売りの旅商人、よも、侍と見るものはあるまい」

「陸奥(むつの)守(かみ)藤原(ふじわらの)秀衡(ひでひら)が身うち、堀井弥太ともある者が、いつの間にか、落ちぶれて、砂金商人にはなりつるか、やはりおぬしも、無常の木々の葉――。

梢から、何かの風に誘われたな」

「何の」と、弥太は手を振った。

「これは、世をしのぶ、仮の姿じゃ」

「さとて、都へ、密使にでも来たという筋合いか」

「ま、そんなもの」

「俺の身の上ばかり糺(ただ)さいで、その後のおぬしの消息、さ、聞こう。

――それとも、旧友文覚にも、洩らせぬほどの大事か」

「ちと、言い難い」

「では聞くまい」

「怒ったか」

「ム、怒った」文覚は、わざと、むっとして見せたが、すぐ白い歯をむき出して、

「そう言わずと、話せ。

法衣は着ても、性根は遠藤盛遠、決して、他言はせぬ」

「……………」弥太は、立って、堤のあなたこなたを、見まわしていた。

頭に物を乗せた大原女(おおはらめ)が通る。

河原の瀬を、市女笠の女が、女の使(わ)童(らべ)に、何やら持たせて、濡れた草履で、舎人町(とねりまち)の方へ、上がってゆく。

ほかには、蝉の音と、水のせせらぎと、そして白い水鳥の影が、けだるく、淀に居眠っているだけである。

「盛遠」座り直すと、

「わしの名は、文覚。

盛遠は、十年も前に捨てた名前、文覚と呼んでくれい」

「つい、口癖が出てならぬ。

ならばついでに、俺の変名(かえな)も、覚えておいてもらおうか」

「ほ、名前を変えたか」

「旅商人が、堀井弥太では、おかしかろう。

――一年に一度ずつ、都へ顧客(とくい)廻りに来る、奥州者の砂金売り吉次とは、実は、この弥太の、ふたつ名前だ」

「え、吉次」

「そう聞いたら、何か、思いだしはせぬか」

「思いだした。

……おぬし、鞍馬寺の遮那(しゃな)王(おう)様へ、密かに、近づいているな」

小説 親鸞・乱国篇 第一の声 10月(3)

「盛遠殿」旅商人はまた、辻の柳の樹の蔭から声をかけて、

「もう誰も、お身のまわりに聞いている者はいないぞ。

――盛遠殿」文覚は、はっと、勧進の文から顔を話して、いつのまにか、犬もいない当たりの空地に、舌うちをした。

そして、腹だたしげに、

「やんぬるかな!」とつぶやいて、勧進の文をぐるぐると巻き、ふところに突っ込んで、歩みかけた。

すると、日除(ひよけ)傘(がさ)で顔を縛った旅人は、ついと、彼のそばへ寄ってきて、文覚の肩をたたいた。

文覚は、じろりと眼を向けて、

「おう。

堀井(ほりい)弥(や)太(た)か」始めて、驚いたらしい顔をして手をのばした。

弥太と呼ばれた旅の男は、なつかしげに、路傍へわかれた。

さっきの赤直垂の小僧が、ちんと、手(て)洟(ばな)をかみながら、二人のあいだを、威張って通って行った。

そして、小馬鹿にしたような眼を振り向けて、ヘヘラ笑いを投げた。

旅商人は、その眼へ、わざと見せるように、ふところ紙を出して、銭をつつんでいた。

そして、文覚の手へ、

「御寄進――」といって、渡した。

「や」文覚は、真面目に受けとって、押しいただいた。

「一枚半銭のご奉加も、今の文覚にはかたじけない、路傍にさけんでも、人は、耳をかさず、院の御所へ、合力とて願いに参れば、犬でも来たかのように、つまみ出される…」

旅商人の堀井弥太は、先へ、足を早めながら、

「碩(かわら)へ」と、顎をしゃくって、見せた。

頷きながら、文覚は、てくてくと後からついてゆく。

牛の糞(ふん)と、白い土が、ぽくぽくと乾いて、足の裏を焼くような、京の大路であった。

だが、加茂の堤に出ると、咸(かん)陽宮(ようきゅう)の唐画にでもありそうな柳樹の並木に、清冽な水がながめられて、冷やりと、顔へ、濡れ紙のような風があたる。

「ここらでよかろう」二人は土手に座った。

汗くさい文覚の破れ衣に、女郎花(おみなえし)の黄色い穂がしなだれる。

「しばらくだなあ」弥太がいうと、

「無事か」と、文覚もいう。

「いや、俗身はそこもとのように、なかなか無事ではない」

「俺とても、同じことだ」からからと、文覚は、笑って、

「聞かぬか、近頃の噂を」

「今日、都みやこへついたばかり。

何のうわさも聞いておらぬ」

「そうか。

…実は、神護建立の勧進のため、院の御所へ踏み行って、おりから、琵琶や朗詠に酒宴をしていた大臣(おとど)どもに、下々の困苦の呪い、迷路の呻きなど、世の実相(さま)を、一席講じて、この呆痴(たわけ)輩(ばら)と一喝したところ、武者所の侍どもに、襟がみ取って抛(ほう)り出され、それ、その時の傷や瘤(こぶ)が、まだこの顔から消えておるまいが…」イガ栗の頭を撫でて、笑いながら示すのだった。

顔の凸凹に腫れあがっているのも、その時の棒傷であったらしい。

※「咸陽宮」=中国・秦の始皇帝が、首都咸陽に建設した宮殿

小説 親鸞・乱国篇 第一の声 10月(2)

「これは、勧進(かんじん)の状」文覚は、群衆へいって、それから、おもむろに書付をひろげだした。

隅の隅から、はじき飛ばされたように、六波羅童は、手もちぶさたに、人ごみの中ヘ、引っ込んでしまう。

(ざまを見ろ)というように、人々は、赤い直垂(ひたたれ)の尻を、目でわらった。

文覚は、勧進の文を広げ、胸をのばして、さてまた、大声をあげ直した。

「――今、いったは、昨日のこと。

さても明日はまた、冥々(めいめい)としてわからない。

今日が、平和というたとて、生死流転、三界(さんがい)苦(く)海(かい)、色に、酒に、金に跳(ちょう)猿(えん)の迷いから醒めぬものは、やがて、思い知る時があろうというもの。

白拍子の、祇(ぎ)王(おう)ですらも歌うではないか――」

萌え出ずるも

枯るるも同じ

野辺の草

いずれか

秋にあわで果つべき

心し給え、大衆。

いずか秋にあわで果つべきじゃ。

ここに不肖文覚、いささか思いをいたし、かくは路傍に立って、われらの同血に告ぐるゆえん。

ねがわくは、貴賤道俗の助成によって、高雄山(たかおさん)の霊地に、一院を建立し二世安楽の勤行を成就させ給え。

」と眸(ひとみ)をあげた。

燃えるような眸である。

人間同志の今の不安を見過ごし得ない憂世の血が、その底を流れている。

咳一咳(がいいちがい)して、

「よって、勧進の状」と、手にひろげていた文を高々と読み始めた。

それ惟(おもん)みれば

真如広大なり

法性随妄(ほっしょうずいもう)の雲

あつく覆って

十二因縁の峯にたなびきしより

このかた

本有心蓮の月のひかり

幽(かす)かにして

まだ、三毒四曼の太虚に

あらわれず

悲しいかな

仏日はやく没して

生死(しょうじ)流転(るてん)の巷(ちまた)冥々(めいめい)たり

ただ色に耽り、さけふける

いたずらに人を謗し

また世を毒す

豈(あに)、閻羅獄卒(えんらごくそつ)の責めを免れんや

ここにたまたま、文覚

俗を払い法衣を飾るといえども

悪行なお心にはびこり

善苗、耳に逆らう

いたましいかな

再び三途の火坑に回り

四生の苦輪を廻らんことを

故に、われ

無常の観門に涙し

上下の真俗をすすめて

菩提の悲願に結縁のため

一つの霊場を建てんとなり

それ高雄山は高うして

鷲(しゅ)峯山(ほうさん)の梢に表し…

 声かぎり読んでゆくうち、汗はだくだくと彼の赤黒い顔に筋を描いているのだった。

 

群衆は一人去り、二人去って、誰も懸命な彼の声に衝たれている者はなかった。

(なんじゃ、また勧進か)大衆は、銭乞いに、懲りている。

惜しげもなく、彼を残して、散ってしまう。

ただ一人、立ち残って、

「おい、盛遠殿」と呼びかけた旅商人がある。

※「勧進」=寺院の建築・修理費の寄附を集めること。

仏道をひろめて、善に向かわせること。

※「三界苦海」=三界は仏教で、生死流転する迷いの世界。

欲界・色界・無色界。

苦海は、苦しみの多いことを海にたとえた語

『悪人正機(あくにんしょうき)』

「悪人正機」

とは、

「悪人こそが、阿弥陀仏の大悲によってまさしく救われる人間である」

という意味です。

「機」

という文字は、端的には人間を意味し、

「機械(細かいはたらきをする道具)」

「機敏(心のすばやいはたらき)」

「機運(ものごとの起こるきっかけ)」

といった熟語になります。

あるきっかけによって、そのものが動きはたらく、といった意味が読み取れますので、仏教では、仏の教えを聞き学んで、その教えに心が動かされて、仏道へと導かれる可能性のある者を

「機」

と呼んでいます。

そうすると

「悪人正機」

とは、阿弥陀仏の教えに出遇い、歓喜して救われたいと願う者が、まさしく悪人だといっていることになります。

これは、いったい何を意味しているのでしょうか。

『歎異抄』に、親鸞聖人の

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」

という言葉が示されています。

これは、善人でさえ阿弥陀仏の本願に救われるのだから、悪人はなおいっそう阿弥陀仏に救われる人ある、と言われているように窺えます。

ところで、ここで少し首をかしげる方がいらっしゃるかもしれません。

道徳は、善をたたえ悪をきびしく否定します。

宗教もまた、悪をきびしく誡めるのですが、悪そのものを徹底的に排除するものではなく、その悪を善に改めて救うという方向性を持ちます。

そこで、宗教は道徳より、深くて広いとされるのですが、とはいえ、真実の宗教で道徳を無視したり、悪をたたえたりする宗教は有り得ません。

ところが、親鸞聖人の言葉を文面通り受け取る限り、どうしても悪が重視・肯定されているように思われるのです。

ここで私たちは、自分自身の未来の姿をどのように見つめているかに注意したいと思います。

例外なく、自分は

「よき者」

であるとして、自分をとらえているのではないでしょうか。

謙遜して、

「私は悪人です」

「愚か者です」

と言っている人はいますが、その本人が他人から馬鹿にされたら、やはり我を忘れて怒ることになるからです。

そして、この

「よき者」

と思っている私たちの一人ひとりが、実は他人を無意識の内に傷つけたり、貶めたり、社会や世界を破滅に追いやろうとしたりしているのです。

それは、自身の本質が、実際はどうしようもない

「悪」

の中にあることを意味しています。

だとすれば、人間として最も重要なことは、自らが真の意味で自己の根元的な悪の世界に気付くことだと言えるのではないでしょうか。

そこで初めて人は、自分が全宇宙の中で、いかに小さく惨めな存在であるかということを覚知すると同時に、この私を救うべき無限の教えを求めることになるのです。

阿弥陀仏の教えとは、この求めにまさしく応え、このように求める者をこそ救う教えなのです。

10月になりました。

10月になりました。

「暑さ寒さも彼岸まで」

といわれるように、朝晩随分涼しくなって参りました。

鹿児島もこれから本格的な秋を迎えます。

あなたの街でも秋の気配が感じられることでしょう。

つい先日まで蝉の鳴き声が聞こえていたと思っていたのに、すでに秋の虫の声です。

季節の移り変わりの早さに驚かされます。

日本には四季があり、春、夏、秋、冬とそれぞれに違った風景を私たちに見せてくれます。

それに合わせるように、私たちも過ごしてきました。

田には春に稲を植え、夏を過ぎ秋に収穫。

畑には春に種をまき、夏、秋に収穫。

そして冬を迎え、多くの動植物が活動を抑えます。

それは人間とて変わりないものでした。

それが、近代化の後、人間のみが四季の移ろいに逆らうように生活を送るようになりました。

真冬でさえ、どこへいっても快適な気温で過ごせるようになりました。

コートや厚手のジャンバーなど必要ないくらいです。

そのため、人間は自然さえも自分の思い通りなるものだと我欲を募らせてしまったのかもしれません。

それが、私たちの生活にも過剰な欲望を生み、原発問題をはじめ多くの環境問題へとつながったように思います。

日本において近代化が始まったのは明治以降。

つまり150年も前はみな、自然と共に生きていたのです。

それが、たった150年でどうでしょう。

世界の裏側だって、飛行機にのって簡単にいける時代になりました。

決して今更、江戸時代の生活に戻ろうというのではありません。

ただ、私たちの生活の中で四季の移ろいを感じる余裕があれば、未来は変わっていくのではないかと思います。

どうですか?

あなたも四季の声に耳を傾けてみられては。

『どんなところにも生かされていく道はある』

私たちの住むこの日本では、昨年2011年までで、自死(自殺)者数が14年連続で3万人を超えています。

未遂、願望をもつ人を含めるとその数は20倍にもなる、というデータもあるそうです。

原因は様々で、その苦しみは当事者でなければわからない事でありますが、この現代社会に生きづらさを感じている人が、私たちの身近にたくさんおられるということは確かな事でしょう。

ある戦場カメラマンが、

「いくら紛争地帯でも、年間3万人もの人が死ぬことはそんなにありません。

日本ではそれくらいの人々が自殺しています。

この国は形を変えた戦場なんです」

とおっしゃった言葉がとても印象深く残っておりますが、私たちの生きるこの社会は、目に見える物から目には見えない様々な武器を持って、お互いがお互いのいのちを傷付けあっている、そんな社会の側面をもっているのかもしれません。

そのような大変な中で私たちは今、生活をしています。

お釈迦さまご在世の時代に、憎悪や権力欲に狂い、実父を殺害し、実母を牢に幽閉した阿闍世という王がいました。

やがて阿闍世は父親殺害という罪の自覚から、こころも身体も病んでいき、最後にお釈迦さまに救いを求めていきます。

お釈迦さまは、

「父を殺害した阿闍世の罪は、この同じ社会に生きるわたしの罪でもある」

と受けとめられ、お釈迦さま自身も老いた身体で最後の力をふりしぼり阿闍世のこころに寄り添い、法を説かれていきます。

私たちの社会は様々な問題を抱えています。

自死、差別、いじめ、環境、原発・・・・。

それら様々な問題に対して私たちは、関係ある事、無いことと区別してしまいがちですが、同じ社会に生きる私たちにとって、社会の問題、出来事はすべて私も含めた関係性の中にあるという視点を私たちは大切にしなければならないと思います。

人間としての尊厳を奪われ、長きにわたり部落差別という理不尽かつ厳しい差別を受けてこられた方が、

「これだけの厳しい差別を受けてきても、われわれの先祖は生き抜いてきた。

そのような中でも生きていける強さを人間はもっていると思う。

それはその差別と共に闘い、耐え抜いてきた仲間がいたからだ。

しかしそんな強さをもつ人間も、孤独の中で生きていく事は非常に困難なことなんだよ」

と語られた事がありました。

今、さかんに

「絆」

という言葉が使われる現代ではありますが、その背景には孤独を感じておられる方がいかに多いかという事でもあるのでしょう。

自分ひとりで生きている、そのもの一つで成り立っているいのちなど何一つありません。

すべては関係性の中で、お互いに相支え、相支えられつつ生かされている、という縁起によるいのちの見方を仏教では大切にしています。

またそのようないのちの真実を私に気づかせ、私がどのような境遇にあろうとも、私が背を向けようとも、いつも寄り添い、

「決して見捨てはしない」

とはたらいてくださるのが阿弥陀如来というほとけさまであり、そのおこころが

「南無阿弥陀仏」

というお念仏であります。

わたしたちがいのちある限り抱えていかなければならない多くの悩み苦しみの中で、確かなよりどころとなるのがお念仏であります。

とすれば、そのお念仏の教えをいただく私たちのこの集団(僧伽・サンガ)も、よりどころとならなければなりません。

今、私たちの教団は、この私はその僧伽の一員となっているでしょうか?今一度、問う必要があると思いますし、それがお念仏をいただくということだと思います。

その視点に立った時、どんなところにも生かされて生きている、お念仏の道がひらけてくると思います。