投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

先日、テレビで芸能人の方が世界の国で暮らす番組を見ました。

先日、テレビで芸能人の方が世界の国で暮らす番組を見ました。

私が見た放送では、ブータンで生活するものでした。

ブータンは金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えであるGNH(国民総幸福量または国民総幸福感)を大切にしている国です。

ある年の国勢調査では、

「あなたは今幸せか?」

という問いに対し、9割の人々が幸福であるとの結果も出ています。

番組で印象に残った場面がありました。

それは、芸能人の方がお世話になっている家の方が、自分の畑仕事に出かける途中に、近所の人が畑仕事をしているのを見かけたのです。

すると、自分の畑にはいかずに、近所の畑仕事を手伝いはじめたのです。

「自分も色々と助けられているから、他の人の仕事を見かけたときには手伝うようにしている。

互いを気にかけながら生きていくことが大切だ」

と言われていました。

まさに“お互いさま、おかげさま”の気持ちでありましょう。

この言葉を聞いて精神的な豊かさ、幸福につながるのだろうと感じました。

一方、我が身を振り返ると、自分のことばかりで生活している私。

“互いを気にかけながら生きていく”の言葉で深く考えさせられたことであります。

『お盆いのちの絆を思う』

8月になりました。

蝉の鳴く声が、けたたましく聞こえてきます。

ついこの前まで夏が恋しくて仕方なかったのですが、夏になってみますと暑いですね。

日中など、外にも出られないぐらいです。

また、私たち僧侶の衣は、少なくとも3枚は重ね着しますので、より一層夏場は厳しいです。

そう考えていきますと、早く秋になってもらいたいと思うばかりです。

しかし、秋になればなったで

「寒くなってきたな。

もう少し海水浴行きたかったな」

なんて、思うのでしょうね。

欲というのは、いつまでも尽きることがないものです。

では、常夏のハワイの人々って、どのように思われているのでしょうか。

ついつい、私たちは

「常夏」

という響きに憧れを抱いたりするものです。

でも、おそらくハワイの人たちは、何とも思っていないのかも知れませんね。

私たちは、春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来るという生活に慣れ親しんでいます。

そのため、

「早く暖かくならないかな」

「早く涼しくならないかな」

と、思い悩みます。

これが、常夏であるとわかっているならば、なにも悩むことはありません。

だって、ずっと夏なのですから。

つまり、私たちはついつい他と比較して、そして他のものがよく思えてしまいます。

まさしく、

「欲」とは、私たち自身の他との比較によって生み出されるものです。

いかがですか?

この夏、愉しんでおられますか?

私たちが生きているのはまさしく今ここです。

秋に恋い焦がれているばかりでなく、この夏を思いっきり愉しんでください。

「教行信証」の行と信(8月前期)

先ず、この称名を法体大行として見るのであれば、これは衆生を救う名号のはたらきということになり、その名号には衆生を救うための一切の功徳が見られることになります。

そこで、親鸞聖人はこの

「大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり」

の文を承けられ、次に

「この行はすなはちこれもろもろの善法を摂し、もろもろの徳本を具せり」

と、この名号によって一切の衆生が救われることを明かされます。

ただし、その名号の功徳について

「真如一実の功徳宝海なり」

と説いておられるのは釈尊です。

その意味からしますと、この称名はそのまま釈尊の説法と重なります。

しかもその説法を今、私たちが聞いているのです。

ここで、私と称名がどう関係し合うかということが問題になります。

ここでは、称えている名号を聞いているという姿が導かれます。

称えるということが、そのまま聞法することになるのです。

そうしますと、衆生にとっては、称えることによって往生するのではなくて、弥陀の本願を聴聞する、つまり名号のいわれを一生懸命聞くということが、ここでの衆生の仏道ということになります。

さて、阿弥陀仏と衆生の関係がこれからの問題になるのですが、ここで今一度、法性法身について考えてみます。

法性法身は真如といってもいいのですが、法性法身が衆生を救うために働く、その法の道理を親鸞聖人は

「法性法身が法蔵菩薩と名のり、不可思議の大誓願を発して阿弥陀仏となった」

と捉えられます。

ここに名号が成就するのですが、その光明無量・寿命無量の相を、親鸞聖人はそのまま真仏・真土だと理解されます。

大誓願によって名号の法が成就されたということは、法性法身、つまり真如そのものが衆生を救うために南無阿弥陀仏という名号になったことを意味します。

では、南無阿弥陀仏とは何でしょうか。

この点が私たちにとって一番重要なことになるのですが、それはつまるところ仏願の生起本末を知るということになります。

そこで、この仏願の生起本末を、もし阿弥陀仏の立場から言うとすると、これは第十八願の内容になります。

阿弥陀仏自らの大悲と名号を通しての一切の衆生の救いが、この願のはたらきになるのです。

だからこそ、私たちにとって第十八願が一番重要な本願になるのです。

第十八願には

「至心信楽欲生」と

「乃至十念」

が誓われているのですが、この本願の一切の衆生を救いたいという願いが

「至心信楽欲生」

であり、名号を通しての救いが

「乃至十念」

ということになります。

したがって、

「至心信楽欲生」

が阿弥陀仏の心、

「十念」

が阿弥陀仏の言葉を意味します。

そこで、阿弥陀仏の願いが言葉となって私たちの前に出現する、それが

「南無阿弥陀仏」

なのです。

ここに、救いの法のすべてが見られますから、第十八願が私たちにとって最も重要な本願ということになるのです。

このように第十八願は、阿弥陀仏の根本の願いであって、その本願には阿弥陀仏の大慈悲心と、救いのはたらきとの両方が誓われています。

そのため、この本願は自ずから二つの方向に働きます。

一つは衆生を直接救うという方向であり、もう一つは諸仏をして弥陀法を説法せしめるという方向です。

そうしますと、ここに弥陀と諸仏と衆生という三者の関係が生じることになります。

諸仏に対しては説法せしめ、衆生に対しては聞法せしめることになります。

したがって、諸仏と衆生の関係は、一方が説法し、他方は聴聞するのですから、阿弥陀仏とこの両者の関係は根本的に違っているといわなくてはなりません。

「相撲界に入ってから今まで」(上旬)悔しくて涙が出そうになりますね

======ご講師紹介======

常磐山太一さん(元小結・隆三杉)
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僕は、中学3年の3学期から学校には行っていません。

そのときから二子山部屋での修行が始まっていたからです。

相撲部屋に入ると新弟子検査があり、それに合格した瞬間から、相撲部屋の大変な生活が始まります。

二子山部屋は関取も多く、全部で60人ほどの人が生活していましたから相部屋が基本でした。

僕は早く関取になって、個室をもらっていい生活をしたいという思いが強かったので、どれだけ叩かれても殴られて辞めたいと思ったことはありません。

それに両親に楽をさせてあげたいと思っていましたから、どんなに苦しくてもその思いを心の支えにして頑張れたんです。

この世界は番付がものをいいます。

位が上の人から順番に風呂に入って、ちゃんこを食べて休んでいきます。

十両以上になると、付き人がつきます。

付き人は、風呂に入るときは関取の背中を流したり、個室の掃除、買い物、洗濯、ご飯の給仕など、関取の身の回りのことを全部するんです。

例えば、食事の場合、関取が次に何を食べて何をするのか、ずっと目が離せません。

緊張感で満ちています。

ちゃんこを作る使いっ走りから関取の風呂や給仕など、何から何まで終わって、やっと自分たちの風呂と食事にかかれます。

でも、その時には野菜のクズしか残っていません。

だから残った汁を冷や飯にかけて、たくあんと一緒に食べていました。

先輩の物を選択するのも付き人の仕事でした。

当時は洗濯機がなく、洗濯板で洗うしかありませんでした。

でも、そういう苦しい毎日が、強くなりたいという気持ちにつながったんです。

新弟子としての仕事が全部終わると午後7時半頃になります。

相撲部屋は9時が門限なので、それまでは僕たちの自由時間でした。

町の銭湯に行って、喫茶店で涼んで、夜食を買って来たりと、その1時間半が1日の中での楽しみでした。

ただし、門限に遅れると、鬼軍曹のような古参力士に竹の棒で叩かれました。

こんな1日がずっと続くんです。

相撲界に入ると、新弟子としてまず相撲教習所に半年間通うことになります。

そこでは、四股やぶつかり稽古などの基本的な相撲の取り方の他、礼儀作法、習字などの学科も学びました。

そういう厳しい新弟子時代の中でも、時に悔しかったことが1つあります。

稽古ではありません。

ある日、夜中の12時頃に先輩に起こされて

「牛乳を買ってこい」

と言われたんです。

僕が入った昭和51年頃は、まだコンビニもなかったので

「店、閉まってますけど」

と言ったら、ガツンと一発殴られて、

「それでも買ってこい」

と言われたんです。

夜中にいつものお店に行って牛乳を買うと、お店のおじさんが

「お相撲さん大変だね。

その先輩に負けちゃダメだよ」

と言ってくださいました。

それが、心に残っています。

今でもその方とは、お付き合いが続いています。

このことは、今思い出しても悔しくて涙が出そうになりますね。

だから、自分は絶対に後輩をいじめたりしないという気持ちになりました。

もちろん、稽古も辛いものでした。

例えば相手を土俵からずっと押し出していくぶつかり稽古。

竹ぼうきで叩かれて赤くみみず腫れになるんですが、痛みは感じません。

終わって風呂に入った時、ようやく気付くんです。

稽古の苦しさが痛みに勝るほど辛かったということですね。

先日、熊本県の阿蘇に行ってきました。

先日、熊本県の阿蘇に行ってきました。

出発時にバタバタしていたので、出かけ先の途中でガイドマップを忘れてきたことに気付きました。

でも、最近は携帯でナビ機能が使えたり、簡単に現地情報を見ることが出来ます。

という訳で、阿蘇への道のりは携帯に頼りっぱなしでした。

途中、23カ所連続してトンネルを通り抜けましたが、九州自動車道で一番長いトンネルがその中の1つにありました。

周りの景色が見える一般道と違って、トンネルでの運転は緊張を強いられる感じがしますが、トンネルの

の長さが長くなればなるほど、普段感じたことのないプレッシャーを感じ、改めて運転の難しさを思い知らされたことでした。

あっちに寄り、こっちに寄りしながら、出発してから4時間弱で目的地の阿蘇に着き、有名な高菜飯屋さんでご飯を食べました。

その後は、たくさんの動物たちとふれあえる所に行きました。

ゴールデンレトリバーが少し小柄に見えるほど大きな犬。

イメージしていたより毛が太くて固いカピパラ。

小さなカンガルーか、大きなうさぎのように見えるマーラ。

パンダ柄のハムスター。

日頃、動物園では見かけない動物がたくさんいました。

中でも、私が一番驚いたのは、リスザルの手がプニプニした柔らかいタッチだったことです。

いろいろな動物を実際にさわったり、エサをあげたりしてみて、遠くから見ている時には分からなかったそれぞれの個性的な姿を間近で感じることが出来ました。

日頃、人と実際に関わったり、ふれあったりする中で、その人の意外な一面を知ることが出来たりするのと同じだなと思いました。

次は、どこに行こうか、また計画中です。

また、新たな発見がありそうで、楽しみです。

『自分の力で生きているものは一つもない』

子どもたちが本堂にお参りをしてくれた時に、

「本堂の中には、龍も、象も、獅子もいるんだよ、探してごらん。」

と声をかけます。

そうすると

「へえー」

という顔をして結構真剣に探してくれます。

龍はわかりやすいのですが、象や獅子はなかなか見つけられないようです。

あなたも、本堂にお参りした時には、龍や象、獅子を探してみて下さい。

わからないときは、お寺の人に聞いて下さいね。

さて、龍や象、獅子のほかにもたくさんの生き物がいるのですが、その中に頭が二つある鳥(双頭の鳥)がいます。

名前を共命之鳥(ぐみょうのとり)といいます。

『仏説阿弥陀経』

という、阿弥陀様と阿弥陀様のおさとりの世界である浄土のことを教えて下さるお経の中に説かれています。

頭が二つありますので、一見妙な感じがする鳥ですが、この鳥はその名前、その姿が私たちにこんなことを語りかけてくれています。

「いのちはつながっているんだよ。

だれもが決してひとりで生きているのではないんだよ」と。

孤立・孤独・孤独死・孤食等々、

「孤(独)」

という文字(言葉)は、私たちの今生きている社会の厳しさを象徴する言葉のように思います。

もちろん、どの時代も孤独ということは人間にとって苦しみであり、悲しみであることに変わりはありません。

実際に。

先ほど紹介した

『仏説阿弥陀経』

というお経が説かれた場所も

「祇樹給孤独園(精舎)」

という名前です。

最初の文字と最後の文字だけをとったら、よく聞く

「祇園(ぎおん)精舎」

になるのですが、その中に孤独という文字が含まれていることに気付くでしょう。

なんで精舎がこんな名前なのかについて、ここでは詳細には説明できませんが、人はどんな時代でも

「孤独」

を苦悩として生きていく存在であることは間違いないようです。

お参りされている子どもたちや大人の方々に、阿弥陀経の共命之鳥が書かれているところの文章を見ていただきながら、いのちはつながっていること。

つながりがなければいのちは今ここに存在しないということなどを一緒に考えます。

この前、小学校2年生の子どもたちにいのちの授業をさせていただくご縁をもらいました。

その時には子どもたちと一緒に、私のいのちが一体どれほどのいのちとつながっているのかを考えました。

私から出発して、最後は地球のあらゆるいのち、過去のいのちとのつながりがあることを確認して、すごいねという思いを共有できました。

つながりがあるからこそ、私は今ここに生きています。

決して自分だけで生きているのではないのです。

でも、誰も私のことをわかってくれない、私は独りだと思う時もあるでしょう。

親鸞さまはなくなる前にこの様な言葉を残されたそうです。

「ひとりでいてうれしいとき(悲しいとき)は、二人と思って下さい。

二人でいてうれしきいと(悲しいとき)は三人だと思って下さい。」

あなたは決して独りではないんだと言われているのです。

仏となったいのちは、いつでも私に寄り添い私を導き続けていると浄土真宗では教えます。

生きている人だけでない、亡きいのちともつながりながら、私は今ここに生きている。

双頭の鳥は、そんなことも語ってくれているようです。

今度お寺に行くことがあったら、この鳥を探してみてくださいね。