投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

「教行信証」の行と信(7月後期)

ここで、西本願寺においては伝統の宗学が問題になります。

この宗学の中心問題が行信論なのですが、この行信論はまことに複雑です。

なぜ複雑になってしまうのかというと、弥陀から廻向される大行に対して、衆生の信じ方や行じ方をここに重ねてしまうからです。

そのため、ここで大きく三つの解釈が生まれます。

第一は

「無碍光如来の名を称するなり」の

「名」

を重視して、名号こそが大行だと捉える

「法体大行説」

です。

第二は、この無碍光如来の名を称えているのは諸仏ですから、この称名は

「諸仏の称名」

だと捉える立場です。

第三番目は、現実の問題として無碍光如来の名を称しているのは衆生なのですから、

「衆生の称名」

として捉えねばならないとする立場です。

このように伝統の宗学においては、三つの解釈が生まれ、どれが正しい解釈かということが、江戸時代からずっと論じられているという訳です。

そこで、この

「無碍光如来の名を称するなり」

とは何かということになるのですが、宗学ではこの問題にまず蓮如上人の教学を重ねます。

蓮如教学では、称名はあくまでも衆生の側で捉えられ、しかもその称名は真実の信心を得た上での称名でなければならないとされています。

つまり、称名が信心を離れては意味をなさないのです。

そこで、法体大行の場合も、諸仏の称名の場合も、衆生の称名の場合も、すべて衆生の信心との関係において論じられることになります。

そのため、論が複雑になり、しかも解決をみない論争が延々と続くことになってしまうのです。

けれども、論争に結論を見ないということは、論争の焦点があっていないか、あるいは論争そのものが矛盾しているからだと言わざるを得ません。

では、この論争のどこに問題があるのでしょうか。

宗学論争では、この三つの立場のいずれが正しいかを論じるのですが、そうではなく、この三つの称名は、それぞれ何を意味しているかを考えればよいのだと思われます。

まず、第一の法体大行ですが、この称名が阿弥陀仏より廻向されて、私の心に来たっているのだとしますと、それは衆生を救うための弥陀の

「はたらき」

ということになります。

称名とは、弥陀が衆生を救うすがただというのが第一番目の称名です。

それに対しまして、諸仏の称名という場合は、これは釈尊の説法を意味することになります。

説法とは、名号法を伝達するすがたですから、第二番目は、弥陀の教えはどのようにして伝わるかを明らかにしていることになります。

第三番目は衆生の称名とは何かということです。

未信の衆生は称名を通して獲信しますから、こちらは獲信の問題になります。

このように見ますと、三者はそれぞれに意味していることの内容が異なります。

第一の称名は阿弥陀仏が衆生を救うはたらきを意味し、第二は釈尊が弥陀の教えを説法するすがたであり、第三は私が信心を頂く場となります。

このように、三者はそれぞれ意味内容を異にしているのです。

にもかかわらず、この称名のどれが正しいかを論じても、これは生産的な論争にはなりません。

したがって、称名についてこのような違う立場から論じ合うのではなく、

「如来の名を称する」

をもし法体大行として解釈するのであれば、この称名にはどのような意義が見られるかを考えればよいのだと言えます。

また、諸仏の称名として捉えるのであれば、この称名にはどのような意味が見られるのでしょうか。

あるいは、衆生の称名であれば、どのように考えるべきなのでしょうか。

「旅ごころ、絵ごころ」(下旬)京都に巨大な映画村を作りたい

今後やりたいことは、時代劇再生運動を通じて京都に一大映画村を作り、国の予算で年間10本、時代劇の映画をつくることです。

時代劇というと、どうしてもちょんまげのイメージがあるんですが、そうではなく、明治・大正・昭和の戦争を挟んで中期くらいまでは時代劇ではないでしょうか。

その映画村に各時代ごとの風景を再現した村を作り、そこに国立の映画学校を設立して、映画を通して普通の学校では教えてくれない伝統的な日本人の心の教育を盛り込みます。

映画の撮影地に学校があるので、そこの生徒はカツラでもかぶれば、そのままエキストラとして出演できます。

各時代にタイムスリップしたようなその村を観光地にもします。

それも小さな規模ではなく大きく。

時代劇だけではありません。

さまざまな日本の伝統芸能も継承が危ぶまれています。

京都ではそれが大問題になっていますよね。

この人が死んでしまったら、この伝統は途切れてしまうというようなものも、その学校の中に入れてしまいましょう。

それに興味がある人は、学校に入る。

映画は総合芸術とも言われていますので、いろんなところに使えばいいんですよ。

私は昔から乗馬も大好きです。

大河ドラマでも馬を使うことがありますが、使えてもせいぜい30〜50頭集まればいい方で、30頭では関ヶ原の戦いはできません。

今はCGで誤魔化せますが、『天と地と』では、これ以上の規模は日本では撮れないということになり、カナダに行って川中島の戦いを撮ることになりました。

その時は、カナダの馬を1000頭集めましたが、馬を1000頭集めれば、乗り手も1000人必要です。

日本では、こんな規模の撮影はあり得ません。

日本で馬が最高に集まったのは、黒澤明さんの『蜘蛛巣城』で何百頭でしたから、この数がいかなすごいかが分ります。

馬が1000頭一斉に走り出すと、地鳴りがするんです。

地面が揺れ、音もすごい。

「ああ、昔の戦いというのは、きっと地鳴りがしていたんだなあ」

って、すごく貴重な体験をさせていただきました。

日本では今はできませんが、さっき言ったような学校の中に乗馬クラブを作って、そこで数百頭を飼育する。

競馬上がりの馬がたくさんいますから、その馬で戦の撮影をする。

そう考えていくと、いろんな構想が浮かんできますが、お隣の韓国のように、国が本気になって予算がないとできません。

しかし、長い目で見て、日本の素晴らしい文化を残すことが必要ではないかな、と思います。

日本では携帯電話の保有台数が、人口よりも多くなっているのだそうです。

日本では携帯電話の保有台数が、人口よりも多くなっているのだそうです。

最初は電話機能だけだったものが小型化に伴い急速に普及し、やがてメールが出来るようになり、その後カメラ機能を始めとする様々な機能が次々に付加され、近年は超小型パソコン+電話といった内容のスマートフォンが携帯市場を席巻しつつあります。

ほとんどの場所で電話やメールがつながり、とても便利になりました。

ところが、その一方、メールの影響で最近の若い人は

「簡潔に問答を終える『情報交換』の面ばかりが先行し、言葉に気持ちを込める『感情交換』の面が格段に減った」

といわれています。

例えば、ある人がジーンズショップに買い物に行った時、気に入ったジーンズを見つけ、店員に自分のサイズに合うものがないか聞いたところ、即座に

「(在庫は)ありません」

と。

返って来た言葉はそれだけで、すぐに別の所に行ってしまったそうです。

その人は

「買いたかった気持ちはその瞬間に消えた」

そうで、

「目的のない会話は無駄なのだろう。

でも、答えは速ければいいものではない。

その場、その時の答えだけでは、先がないのに」

と述べています。

また

「目的のない返事だけでなく、メールの返信も速さに追われている」

と言われます。

「モバイル社会研究所」

の調査によれば、中高生の8割以上が携帯電話のメールを返信するまで30分以上かかると

「遅いと思う」

と回答。

「10分以上」

も中学生で6割近く、高校生で7割近くもいたそうです。

30分以内には返信する

「30分ルール」

という規範も生まれ、そのため電車に乗っても食事中でも携帯電話を手放せない若者が増えています。

この状況は

「携帯のメール交換を速く、頻繁にこなすことで友人とのつながりを感じているが、やがて返信することに強迫観念を感じ始めるのでは…」

と、懸念されています。

友人とのメールなど本来はたわいないことが大半です。

それなのに、速さや数に追いまくられ、人との付き合いがメールというデジタルになり、速さや数が目に見えるようになってしまったために、便利さの一方で負担が増えてしまったというのは、何とも皮肉な現象です。

携帯メールとともに、最近は短文をつぶやくミニブログ

「ツイッター」

も広がっています。

ある大手通信会社ではグループ全社員にツイッター利用を奨励しました。

「効率的に社内の経営方針を共有したい」

というのがその目的でしたが、同社の男性社員は

「すぐに反応があるので、こちらもすぐに書き込まなければならない気分になる。

ツイッターばかりに時間が取られ、仕事に集中できない社員もいる」

と愚痴をこぼしています。

効率化を企図したことが、むしろ仕事への集中力を削いでしまうようでは、極めて問題です。

確かに私たちの社会は、パソコンや携帯の普及で、速く効率的な世の中になりましたが、その分、自身をゆっくり考えたり、余裕をもって楽しむ時間が減ってきているのではないでしょうか。

『自分の力で生きているものは一つもない』

私たちは今こうして生きているのですが、自分が生まれてきた時のことを自覚的に語れる人は誰もいません。

また、生まれた以上いつか必ず死んで行かなくてはならないのですが、死ぬという経験をしたことがないので、自分が死んで行くということもよく分かりません。

そうすると、私のいのちは、分からないところから始まって、分からないところで終わるということになります。

このように、分からないところから始まって、分からないところで終わるのが私のいのちだとすると、私たちは生きている間はいのちについて何となく分かっているつもりではいるのですが、やはり本質的な部分では何も分かっていないのだと言えます。

思えば、私は自らの意志によって

「生まれよう!」

と思って生まれて来た訳ではなく、気がついたら生まれていたのです。

しかも、生まれてすぐに

「生まれた!」

と自覚することもありませんでしたし、自らのことを意識したのは生まれて数年を経てからのことです。

つまり、私の意識では何も分からないのに、私はこの世に誕生して、しかも気がついたら私であったのです。

ところが、私は私自身を知らないままに生きていたのですが、それでもちゃんと生きて来ることが出来たのは、そこに有形、無形の多くの働きが支えてくれていたという事実があったからに他なりません。

もし、何か一つでも欠けていたら、おそらく生き続けることはできず、一言の文句も言えないままに息絶えていたことでしょう。

その

「気がついたら…」

という時までのいのち一つを考えてみても、私から頼んだ覚えがないにもかかわらず、何とか生きてこられたのは、私を生かすために無数の願いが

「生きてくれ」

「生きてくれ」

と支えてくれていたからに相違ありません。

その支えてくれていた存在とは、具体的には親であったり、親族であったりするのですが、今日までの私のいのちを願ってくれているのは、決してそれだけではありません。

考えてみますと、意識するとしないとにかかわらず、私たちは多くの生き物のいのちを殺して食べて生きています。

それは、生き物が私の口へ入って死んでくれているということです。

そうすると、経典には

「すべての生き物は自らのいのちを愛して生きている」

と説いてありますから、ただ黙って私のために死んでいく生き物はいないと思われます。

もし言葉が通じるとしたら、きっと

あなたは、私たちの

「いのち」

を取っているのだから、私たちを無駄死にさせないような人間になってもらわなければ困る。

私たちのいのちを無駄にしないあなたになれ。

というようなことを願っているのではないでしょうか。

このように、周囲にいる家族だけではなく、私のいのちは無数の願いに支えられているのですから、今こうして生きている私のいのちは、ただ漠然と生きているのではなく、多くのいのちの

「願いの結晶」

であると言うことができます。

ともすれば、私たちは自分一人の力で生きているかのように錯覚しています。

そのために、人生の途上で困難に直面して挫折すると、ふと

「死んでしまいたい」

と思うことがあったりします。

けれども、どれほど私が自分自身に絶望してそのようなことを思っても、私のいのちはそのような身勝手な思いにとらわれることなく、私が寝ている間にもこうして私を生かしめています。

まさに、多くの願いの結晶であるいのちが今私を生きているのです。

自分の力で生きているものは一つもありません。

周囲の人々によって、そしてより根源的には多くのいのちに支えられて、今こうして生きているのです。

そのことに、心を寄せる感性を親鸞聖人は

「知恩」

という言葉で語っておられます。

「教行信証」の行と信(7月中期)

4.法体の名号・諸仏の称名・衆生の称名

浄土真宗の教えは、

「真如が阿弥陀仏になった」

ということで言い尽くされているのだと言えます。

それは、真如が一切の衆生を救うために、

「南無阿弥陀仏」

という名号を成就し、阿弥陀仏になったということです。

したがって、阿弥陀仏の救いの法がまさに

「南無阿弥陀仏」

なのであり、その法が今、釈尊の心に廻向されたのです。

そこで、釈尊は

「南無阿弥陀仏」

と一声称え、衆生に阿弥陀仏の救いの法を説法されたのです。

この

「南無阿弥陀仏」

という念仏を通して、阿弥陀仏が一切の衆生を救いたいと願われたのが本願の建立ということです。

それは、法蔵菩薩が本願を成就したということなのですが、ではその本願とは何なのでしょうか。

一言でいうと、それは阿弥陀仏が一切の衆生を救いたいという願いです。

この仏の願いを、親鸞聖人は南無阿弥陀仏の

「南無」

という言葉の中にみられます。

普通名号と言えば、阿弥陀仏の四字を指します。

ですから、法然聖人までは、名号とはあくまでも阿弥陀仏であって、南無は私が弥陀を信じる心を意味していました。

したがって、一般的には南無は私の側にあります。

けれども、親鸞聖人はこの名号を六字で解釈されます。

六字の全てが名号だということになりますと、南無までが阿弥陀仏の側に含まれます。

そうしますと、南無は私の心ではなく、阿弥陀仏が衆生を救いたいという願いになります。

ここに、親鸞聖人独自の六字の解釈が見られます。

つまり、南無阿弥陀仏が衆生を救う法になるのです。

それは、私たち一人ひとりの称える南無阿弥陀仏が、私が阿弥陀仏に救われているすがたになるということです。

この真理は、自分が意識する、意識しないということは関係ありません。

阿弥陀仏が衆生を救うために自ら南無阿弥陀仏になったのですから、南無阿弥陀仏を称えているそこに、阿弥陀仏が私を救うすがたがあるからです。

ただし、この真理は、凡夫自身の力では絶対に知り得ることはできません。

ここに釈尊の説法の意義があり、この法を第十七願に建立・成就された阿弥陀仏の願意が見られます。

教巻には、弥陀の心が釈尊に廻向されているその事態が説かれ、阿弥陀仏の法の中心は本願と名号だと示されていました。

本願は阿弥陀仏の

「衆生を救う」

という願いであり、名号とはその本願の衆生を救っているすがたです。

弥陀の本願が、名号を通して衆生を救っているのです。

したがって、私たちにとっては、名号の中に阿弥陀仏の本願を見ることが重要なのです。

この点が、教巻において親鸞聖人が教えられていることです。

さて、弥陀の名号が釈尊の心に廻向されました。

そこで、釈尊の最初の行為は何かということになります。

それが

「行巻」

の最初の言葉になります。

したがって、

「行巻」

の冒頭の言葉は、釈尊の説法の第一声だと考えればよいと思われます。

つつしんで往相の廻向を案ずるに、大行あり、大信あり。

大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。

これはもちろん、親鸞聖人の言葉ですが、親鸞聖人ご自身はもし釈尊がここらおられたとしたら、おそらくこのような説法が始まるに違いないと意識されているのだと言えます。

それが

「大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり」

という言葉で、ここに阿弥陀仏の教えの全てが含められます。

この大行とは、往相廻向の大行ということで、阿弥陀仏が私たちを往相せしめるために廻向された大行が、無碍光如来の名を称しているすがたなのです。

「旅ごころ、絵ごころ」(中旬)役者も生活も、自分を客観的に見る

役者をしていると、ついつい自己中心的な考え方になりがちですが、年を取るにつれてだんだん

「それじゃいけないな」

と気付き始めました。

自分だけで考えたものは、必ず頭打ちになります。

じゃあどういう発想がいいかというと、エゴを捨てる。

極端かもしれないですが、自分であって自分でなくても役はできるんです。

そういう体験をしたことが過去に何度もありました。

今から24年前、『天と地と』という映画で上杉謙信の役をさせて頂きました。

そのときメガホンを持って監督をされたのが角川春樹さんでした。

さころが、私がどんな演技をしても、角川さんは

「違う」

としか言わない。

時には公衆の面前で罵倒されることもあり、すごくショックを受けました。

今思い出しても震えがくるくらいです。

それが何カ月も続いたある日、あまりにNGを出したためか、全てを出し尽くし、私・榎木孝明がどこかにいってしまったんです。

その状態で撮影された映像を後で見てみると、顔は自分だけど、自分の知っているじゃない。

それはある意味、上杉謙信に完全になりきっている状態でした。

そのとき角川さんが

「オッケー!おれが待っていたのはそれだ」

って言ってくれたんです。

きっと、自分が榎木だということを忘れて、上杉謙信が乗り移ったというと大げさですが、本当になりきっていたのでしょう。

その違いを周りは分からなかったと思います。

普段、そういうことは必要ありませんが、時には自分自身を忘れて冷静になる。

自らの考えを捨て去ることも大事だということを学びました。

要するに、自分の頭の中だけで考えてみることをやめてみるんです。

これを日常生活の中で考えると、

「おれが」

「私が」

という主張から一歩引いて、自分を客観的に見てみると、その感情に入っている自分がよく見えます。

感情で物事を言っているうちは、うまくいかないんですね。

「あ、頭にきている自分がいるな」

って。

それを見たとき、自分の気持ちがすーっとしていく瞬間があります。

これは役作りからヒントを得てはいますけども、日常生活においてもよく感じます。

私はインドを旅するのが好きですが、日本人の団体が

「まあ、貧乏でかわいそう。不潔だわ」

と言うのはよく聞きます。

しかし、これは日本人の自分と比較した考えでしかないですよね。

我々の常識にとらわれたものの見方だと思うんです。

実際は、インドの人にとってベナレスは聖地ですは、死体の流れるガンジス川で沐浴することは神聖なことです。

私は旅をするとき、日本人である前に

「地球人であれ」

と思います。

人種や言葉が違っても、同じ地球というこの広い中に生きているって考えると、普段は伝わらないことも伝わるようになります。

ですから、旅をする前には、日本人である前に地球人なんだと思って旅をしてみてください。

見方が少し変わりますよ。

とても新鮮な答えが返ってくる気がします。