投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

♪あれ松虫が鳴いている

♪あれ松虫が鳴いている

チンチロチンチロチンチロリン

あれ鈴虫も鳴きだした

リンリンリンリンリンリン

秋の夜長を鳴きとおす

ああおもしろい虫の声

♪きりきりきりきりきりぎりす

ガチャガチャガチャガチャくつわ虫

あとから馬おい追いついて

チョンチョンチョンチョンスーイッチョン

秋の夜長を鳴きとおす

ああおもしろい虫の声

誰もが一度は歌ったことがあると思う童謡、

「虫の声」

日が暮れてくると鳴き出す様々な虫の声を聞きながら、

「こんな声がするね。」

と、縁側に座りながら話されていた方もいるのでは、と思います。

朝晩が少しずつ涼しく感じられ始めた先日の夜、自室の窓を開け、テレビも消して、ボーッとしていた時のことです。

窓の外からチリリリ、チリリリと聞こえてきました。

「まだここにも虫っていたんだ…」

数年前から、地元で区画整理が進められており、田んぼも畑もなくなってきています。

幼い頃、火の用心のカチカチの当番が回ってくると、よく父親と一緒に出かけ、蛍を見つけたり、童謡の虫の声を歌ったりしていました。

自らも成長し、いつの間にか昆虫嫌いにもなり、また近所に田んぼも畑もなくなった今、虫の声なんて気にもとめていませんでした。

でもほんの少し、時間をゆっくり進めてみると、普段は全く気にもとめていなかったことが見えてくるものなんですね。

暑い日が続き、まだまだ秋は遠いと思っていましたが、確実に秋はもうそこまでやって来ていました。

その日以来、時々

「虫の声」

を口ずさんでしまっている私です。

『頑張れの声よりも共に泣ける心』

親鸞聖人のお言葉として

「酒はこれ忘憂の名あり」

という言葉が伝えられています。

仏教では、一般の信者の方々が守るべき事柄として、五つの戒律が示されていますが、その五番目に

「酒を飲むことなかれ」

という項目があります。

これは、前の四項目としてあげられている

「殺すことなかれ」

「盗むことなかれ」

「嘘をいうことなかれ」

「邪で淫らな男女の交わりを結ぶことなかれ」

とは違い

「ほどほどにしておくように」

という意味でおかれているのだそうです。

だからといって、日々の生活において守るべき事柄の一つとしてあげられているのですから、決して疎かにして良いということではないと思われます。

にもかかわらず、親鸞聖人がこのような言葉を残しておられるのは、おそらく酒を飲んで憂いを忘れなくてはならないような生き方をしている人々の心を、本当に知っておられたからではないでしょうか。

言うなれば、酒だけがこの世で慰めになるような生き方をしている人々の心を知り、そういう人々と共に生きておられたからこそ、酒の味を理解しておいでだったのだと思われます。

なお、今ここで言う酒の味とは、美味しいとか、美味しくないとか、そういうことではありません。

酒を飲まずにはおれない人々の心のことです。

親鸞聖人は、生きて行く中で辛い思い、悲しい思いをしている人々に接するときは、勇気を奮い起こさせるような励ましの言葉をかけることよりも、どこまでもその悲しみや憂いに満ちた心により添うことを大切になさったことが窺われます。

ともすれば、私たちはつい周囲の人々に対して

「頑張って!」

と、励ましの言葉をかけてしまいがちです。

もちろん、決してそれがいけないということではありませんが、

「頑張って!」

という時の私の立ち位置は、どこまでもその人を向こう側に見る場所です。

したがって、そこにはおそらく

「共に」

という心は生まれてこないように思われます。

お釈迦さまが教えてくださるように、私の人生には誰も代わってくれるものはいません。

ですから、辛いことも、苦しいことも、すべて私の身に起きたことは、この私が引き受けていく以外に道はないのです。

けれども、逆境に陥ったからといって、私たちはその事実だけでつぶれてしまうということはありません。

なぜなら、その苦しい胸の内をただ黙って聞いてくれる、あるいは何も言わなくてもかたわらに寄り添ってくれる人がいるだけで、そこに再び生きる勇気がわいてくるものだからです。

悩み苦しんでいる人に、多くの言葉はいらないのです。

ただ、黙って話を聞いてくれたり、そばに寄り添ってくれる人がいるだけで、私たちは自分の弱さと向かい合ったり、胸の奥に押し殺してきたいろいろな思いを解放することができたりするのです。

隣で一緒にゲームをしたり、黙ってお酒を勧めたり…、関わり方は人それぞれでしょうが、共に泣ける心を持つ、そんな人の一人になりたいものです。

「親鸞聖人が生きた時代」10月(中期)

自力弁道を標榜された道元禅師も、やはり現世を重視されました。

自力弁道の禅は、もともと現世での悟りを重視するだけに、道元禅師が主眼を置かれたのは、個々人の人間的完成という側面です。

つまり、生きながら

「生死を離れて仏となる」

ことでした。

そして、それは日々の修行のうちに準備されているものだというのが道元禅師の見解であり、それ故、道元禅師は未来に期待することを逃避として厳しく戒められます。

道元禅師が退けられた

「未来」

には、来世も含まれます。

道元禅師にとって、来世往生は何の価値もないものでした。

道元禅師の関心は、あくまで現世において、人間の主体的努力によって

「仏となる」

ことにあり、その意味で道元禅師は鎌倉新仏教の祖師中、極めつけの現世重視主義者であったということが出来ます。

では、親鸞聖人はどうだったのでしょうか。

考え方は違うものの、親鸞聖人もまた現世に重きを置くことでは、日蓮上人や道元禅師と同じでした。

少なくとも、源信僧都のように、現世をひたすら厭離すべき穢土と見立てたりはされませんでした。

また、法然聖人のように、死後の極楽往生を優先する見解もとられませんでした。

親鸞聖人の考え方は、『末燈鈔』の次の一文に要約されています。

「真実信心の行人は(略)臨終をまつことなし、来迎をたのむことなし。

信心のさだまるとき、往生またさだまるなり。

来迎の儀をまたず」

阿弥陀如来の本願を信じ、他力の信心に目覚めて念仏する人は、その瞬間から現世を正しく生きる力を備え、それに伴って現世で往生浄土の歩みが始まる。

信心を得た瞬間に、往生が決定し、人は煩悩具足の凡夫のまま、仏と等しい存在と化し、迷いのいのちを終えたとき、その繋縛を離れて極楽浄土への往生を全うできると言われるのです。

親鸞聖人はその境地を

「現生の往生」

あるいは

「現生不退転の位」

といわれ、その境地に達した人々を

「正定聚の機」

と呼ばれました。

しかも、親鸞聖人は

「来迎たのむことなし」

と言われるように、古くから人々を惹きつけてきた浄土信仰最大の魅力と言ってよい来迎まで正定聚にとっては不必要だと断定しておられます。

来迎とは、前にもふれたように、人間の臨終に当たって阿弥陀如来が救済のために迎えに来て下さるという概念ですが、それを不必要と断じ、

「獲信=現生の往生」

を打ち出されたのは、大乗の仏道が志願とする、現生における不退転の位に至ることへの応答であったといえます。

つまり、信心を得ることがそのまま不退転の位に至ることであると明かされることで、往生が決して未来の彼方に僥倖として期待されるものではなく、成仏への確かな歩みとして意義付けられたと言えます。

親鸞聖人のこの理解によって、死後志向であった浄土信仰は面目を一新し、まさに今、生きている人々の苦悩に即するきわめて前向きのダナミクスを獲得したと言っても決して過言ではありません。

誤解をおそれずに言えば、浄土信仰は親鸞聖人によって生まれ変わったと評しても、あながち不当てはいえないのです。

「どうして人を殺してはいけないのですかと問われれば」(中旬)亡くなった彼からの贈り物

そういった議論をする中で、ある4年生の学生が留年を希望してきました。

彼はお寺の跡継ぎで、卒業すれば実家のお寺に帰らないといけません。

ところが、最近になって仏教に大変関心が強くなってきたから、大学院に進学しようと思っていたようなんです。

しかし、お父さんの体調もあり、2年は厳しいので、せめて1年ということで大学に残りました。

彼は5年生として毎週休みなく出席していましたが、夏休み直前のある日、私の研究室にやって来て

「先生、僕ノイローゼなんです」

と言いました。

しかし、私が授業でみている限りは、元気に見えましたので、

「あまり思い込まず、もうちょっと自分の考えを見つめ直したらどう」

と言って本を1冊渡すと、

「分かりました」

と言って帰りました。

ところが、11月の終わりに、その生徒が1日授業を休みました。

あれ、と思いましたが、その次の週です。

今から講義に行こうと家を出ようとしたそのとき、大学から電話がかかってきました。

「先生が担当しているその学生、先ほど亡くなりました。

今ご両親が来られています。

すぐに大学の事務室まで来てください」

と言うんです。

私は飛んで行きました。

外傷は全くなく、解剖の結果、死因は大量に薬を飲んでの自殺。

私は、本当に落ち込みました。

「自殺をしてはいけない」

と、いのちの大切さを教えるため、みんなに自殺の議論をさせていたのに、その議論をしている本人が自らいのちを絶ってしまったんです。

悲しんでいる暇もなく、お葬式がありました。

お寺の跡継ぎでしたから、本堂でのお葬式でした。

お勤めが終わり、出棺のとき、お母さんがその学生の頬をずっとなでていました。

私は

「この姿だけは目に焼き付けておけ」

と言って、直視できない学生には無理にでも見せました。

その後、みんなで

「彼からの贈り物」

というタイトルの追憶集を出すことになりました。

その中で、ある女子学生は

「先輩と、あなたのお母さまに出会うことがなければ、いつも私のそばにあった愛に気付くことはありませんでした。

今までの私は仏の慈悲はもとより、母の愛の重みにさえ、全く気付くことはありませんでした。

仏の慈悲も、母の愛も遠いと思っていました。

本当は一番誓いはずなのに」

と書いてくれたんですね。

今年の夏は、例年以上に暑かったような気がしますね。

今年の夏は、例年以上に暑かったような気がしますね。

それって、体感でしょうか。

マスコミの所為でしょうか。

連日、

「猛暑!猛暑!」

と連呼されれば、その気にもなるというものです。

実際、気温自体も少し高かったようですが、鹿児島の場合やはり気分の問題が大きいのでしょう。

ここで、少し考え方を変えてみます。

もしこれが、逆に冷夏だったならば、どうだったでしょうか。

はたして、私たちは、心穏やかに過ごせたのでしょうか。

1993年は歴史的な冷夏でした。

私たちは心穏やかにその夏、冷夏を楽しめたのかというと、そうではありませんでした。

覚えておられますか。

なんと、冷夏による農作物の不作に悩まされたのです。

当時もマスコミは連日

「冷夏!冷夏!」

と連呼して農作物の不作、特に米不足を訴え続けたのでした。

当時を振り返ると、細長いタイ米が大学の学食で提供されていたことが懐かしく思い出されます。

結局、私たちは猛暑ならば

「猛暑だ!!」

と騒ぎ、冷夏ならば

「冷夏だ!!」

と騒ぐ、それだけのことなので

しょうね。

仏教でいうところの、

「諦」

とはなにかを考えさせられます。

さて、あと二カ月もすると、冬がやってきます。

気象予報によれば、今年は

「猛暑で、極寒」

との予測が…。

それが当たればば、私たちはやはり

「今年の冬は…」

と騒ぐのでしょうね。

『頑張れの声よりも共に泣ける心』

お寺で生活させて頂きますと、実に多くの方々から、様々な質問や悩み、相談をお受けいたします。

先日の事です。

地元の二十代のある後輩から相談を受けました。

彼は、私共のお寺の御門徒の家庭に育っておりますが、彼自身は今までほとんどお寺に参った事はなく、夏休みに帰省した折に、日頃から抱えている悩み、不安を私に打ち明けに来ました。

その相談とは、

「最近、どこへ行っても霊が見えて怖いんです。

実家に帰省しても寝ている部屋に毎晩やってきて、怖くて電気を消して眠れないです。

おはらいをしてもらえませんか?」

と、いう相談でした。

浄土真宗では、阿弥陀様のはたらきにより、故人は死後ただちにお浄土に生まれられるといただいております。

ですから故人を霊として扱ったりはいたしませんので、除霊やおはらいなどはいたしません。

彼は後輩でありますが、歳が離れていることもあり、今まであまり親しく話をしたこともありませんでしたし、お寺に参るご縁もあまりなかった事もあり、そのような教義的な事は知らずに来たので、私も簡単な説明をして、

「浄土真宗では、おはらいはしないし、ましてそんな力は無いし、役に立てなくてごめんね」

と、言って帰しました。

しかしその夜、

「本当にあれで良かったのだろうか?」

もちろんおはらいは出来ないけれども

「もう少し彼の思いを聞いて、彼のこころに寄り添う努力をすべきだったでは?」

私はどこか彼の悩みに対して

「終始否定的な思いで対応していたのではないか?」

と、私自身のあり方を反省する事でありました。

それほど今まで話したこともなく、お寺に来たこともないのに、余程の思いをもって私をたずねて来た彼の言葉を、私は聞いたつもりでいただけで、本当の意味で彼の思いを聞いてはいませんでした。

そこで後日、この事を彼に謝罪をして

「もう一度、詳しく聞かせてもらえないか?」

とお願いをして、彼に再びお寺に来てもらう事になりました。

そのようにして聞かせてもらった彼の言葉は、前回と同じような内容でも、聞く私にとっては全く違うものであり、前回のように

「役に立てなくてごめんね」

と他人事ではなく、

「彼のために何も出来ないかもしれないが、なんとか少しでも不安を取り除き、仏縁とつなげていくお手伝いが出来ないものか」

と考えるようになりました。

「聞いてあげた」

というぐらいの感覚では、かえってその人をおとしめ、傷付ける事にもなるでしょうし、わたくしはあらためて

「聞く」

という事の大切さ、難しさを身をもって知らされる事でした。

聞き方によっては、所詮他人事に過ぎず、わたくしの事として人の痛みや苦しみを感じることもあります。

「人の痛みや苦しみを、わたくしの痛み苦しみとして引き受けていき、そこに寄り添っていく」

すべてのいのちへの共感こそが、まさに阿弥陀様の大いなる慈悲のお心であります。

このわたしは、身内であったり関わりの深い人であれば、そのような共感する心が自然と湧いてきたりしますが、そうでない方々に対しては、文字どおり他人事になってしまいがちです。

そのような自己中心的なわたくしの心を通して、阿弥陀様の大いなる慈悲のお心に出遇わしていただき、またその阿弥陀様のお心を通してわたくしのありのままの姿に気づかせていただく事であります。

有難いことです。