投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

真宗講座 親鸞聖人に見る「往相と還相」(12月後期)

如来二種の回向と衆生との関係

阿弥陀仏は、名号

「南無阿弥陀仏」

をとおして、往還二種の功徳を、同時に一切の衆生に廻向しておられます。

けれども未信の衆生は、その廻向がいま自分に来ていることを、未だ知り得ていません。

二種の廻向がすでに自分に来っていることを知るのは獲信以後です。

では、往相・還相という如来の二種の廻向を衆生が獲得する時、衆生はいったいどのような仏道を歩くことになるのでしょうか。

さらには、この二種の廻向と衆生との関係をどのように見ればよいのでしょうか。

この場合、獲信以前と、獲信以後の、衆生と二種廻向との関係が問題になります。

そこで、ここでは獲信の時と、それ以後の衆生の心が問題になっています。

そこで、まず

「信巻」

便同弥勒釈の文に注意してみます。

真に知りぬ、弥勒大士、等覚金剛心を窮むるが故に、龍華三会の暁、まさに無上覚位を極むべし。

念仏の衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す。

故に便同弥勒と曰ふなり。

しかのみならず、金剛心を獲る者は、則ち韋提と等しく、則ち喜・悟・信の忍を獲得すべし。

是れ則ち往相廻向の真心徹到するが故に、不可思議の本誓に籍るが故なり。

なぜ、獲信の念仏者は弥勒菩薩と同じだと言えるのでしょうか。

それは、横超の金剛心を得ているからで、その者の心には

「往相廻向の真心」

が徹到しているのであり、したがってこの人は釈尊によって浄土の心を覚知せしめられた韋提希夫人と等しく、安心の喜びで満ち満ちています。

ここにまさしく如来の廻向をたまわった衆生の姿が見られます。

これと同一の内容を示す文として

「往還の廻向は本誓に由る。

煩悩成就の凡夫人、信心開発すれば則ち忍を得」

「如来二種の廻向をふかく信ずる人はみな等正覚にいたるゆへ憶念の心たへぬなり」

「如来二種の廻向とまふすことは、この二種の廻向の願を信じ、ふたごころなきを、真実の信心とまふす。

この真実の信心のおこることは、釈迦・弥陀の二尊の御はからひよりおこりたりとしらせたまふべし」

「念仏往生の願し如来の往相廻向の正業正因なりとみえてさふらふ。

まことの信心あるひとは等正覚の弥勒とひとしければ…」

等を見ることができます。

まさしく獲信とは、如来の二種廻向を深く信じることであり、これを逆にして言えば、如来の二種の廻向によって、私自身に真実の信心が開発され、それがひとえに釈迦・弥陀の御はからいによるとしておられます。

したがって、もし如来の廻向によらなければ、

「薄地の凡夫、底下の群生、浄信得がたし。

何を以ての故に、往相廻向に由らざるが故に」

と示されるように、私たちにとっての獲信は、絶対にありえないのです。

そうだとすれば、その恩徳はどれほど感謝しても、感謝しきれるものではありません。

私たちが今、この苦悩の心を断ち切って真実の涅槃に至ることを願うのは、ただ如来の廻向によるのであるから

「無始流転の苦をすてて無上涅槃を期すること如来二種の廻向の恩徳まことに謝しがたし」

と述べられ、さらにその恩徳に報いるための実践行として

「他力の信をえんひとは仏恩報ぜんためにとて如来二種の廻向を十方にひとしくひろむべし」

と説かれます。

往相の廻向を獲得した者の念仏道がここに見られます。

「心の病からみた現代社会」(下旬)認知症は早期発見が大切

ある先生は、

「食べられなくなる、それはイコール人生の終末じゃないでしょうか。そこにあえて穴を開けて、人工的に栄養を与えて生かしていくことが本当に正しいのでしょうか。自然に亡くなっていくことを邪魔しない方がいいと思います」

と言われた方もおられます。

みなさんはどうでしょう。

自分自身が認知症や脳卒中で倒れて、何も食べられなくなったときに、胃に穴を開けて人工的に栄養を入れて、延命する道を選びますか。

これは一人ひとりの問題ですが、自分の意識がはっきりしているときに、そうなったらどうするかということを家族にしっかり伝えておいた方がいいのではないかと思います。

意思表示がなければ、家族は

「現代の医学で出来ることをして下さい」

と言うでしょう。

そうすると、医者は延命治療をするんです。

しかし、生前にしっかりと意思表示をしておけば、自然に人生の終末を迎えていきます。

医学部を卒業して医者として育ってきた私たちにとって、病院に来た患者さんがどんな方であれ、いのちを救う、助けようとするのは至上命題でした。

しかし、これだけ高齢社会が進んで、こういうケースが増えてくると、いかに

「死」

ということを迎えさせてあげるかについても、これからの医学の大事な分野だと思います。

そのためには、みなさん一人ひとりが意思表示をしていた方がいいと思うんです。

認知症は早期発見が大事です。

今は鹿児島市内の脳外科に

「物忘れ外来」

というものがあり、そういうところに行かれると診断をしてくれます。

先ず、こういった病院で診察してもらうということですね。

早期に薬物治療をして進行を少しでも遅らせば、非常によくなるケースもあります。

デイケア、デイサービス、リハビリなどに積極的に参加していただき、いろんな人との交流を図ることも大切です。

また、大きな声で1日に2〜3回笑ってください。

気持ちが沈んでいても、ただ単に大きな声で笑うとだんだん明るくなってきますよね。

あと、家族の方は家庭では笑顔で接してください。

そして、否定をしないことですね。

例えば、その人が

「そこに熊がいる」

と言っても、

「熊なんていないよ」

と否定しないことです。

「あ、熊がいるね。にぎやかでいいいね」

と言ってほしいんです。

その人には見えているので、否定されると怒りますが、同意すればそれで安心するんです。

それと、回想するということも大事だと言われています。

子ども時代や元気な頃の思い出話をすると、非常に穏やかになってくると言われています。

そして、相手の顔を見て怒らない。

こういったことが、認知症の方と接するときに大事なことです。

阿弥陀さまの照らしてくださる光

急に寒くなってきたと思ったら、陽が暮れるのも早くなってきましたね〜。

あたりを見てみるとクリスマスのイルミネーションが大変キレイに飾られています。

光は今の私たちにとってかかすことのできないものとなっています。

皆さんは、もし光がないところ(真っ暗なところ)を歩くときには、いったいどこを見ながら歩かれるでしょうか?

もし家が停電になったら、まず光をさがそうとして壁とかに手が触れたりしませんか?

おそらくそれは自然なことだと思います。

だったら今度は何もない外を歩くときにはどうでしょうか?

Q.触れることのできない場所ではいったいどこを見ながら歩くのか…?

?前を見ながら歩く

?左右を見ながら歩く

?足下を見ながら歩く

A. ?(多くの人は、足下を見ながら歩くそうです)

何で答えが?なのか、皆さんはこんな経験はありませんでしょうか?

・タンスで足の小指をぶつけてしまった。

・ドアで足をぶつけてしまった。

・子どものおもちゃを踏んでしまった。

・画びょうを踏んでしまった。

・階段でつまずいたことがある。

等々

そうすると、自分が痛い思い・辛い思いをしたくないから、暗いところでは足下ばかりをみてしまうのだそうです。

私たちの心の中には煩悩というものがあります。

自分中心に物事を考え、言葉を言ったり行動してしまったりなど。

まさに色で例えるなら真っ黒ですね。

つまり、真っ暗な煩悩の世界にいる私たちは自分のこと(足下)ばかりを見てしまって、前を見ることがなかなかできないのではないでしょうか。

しかし、阿弥陀さまは煩悩の世界にいる私たちを常に照らしてくださっています。

たしかに暗いところで前を向くのは怖いかもしれませんが、そんな私たちを摂取不捨のお心で今も見ていてくださるのです。

今はまだ阿弥陀さまの照らしてくださる光に気づけないかもしれませんが、いつか気づかせてもらえるご縁に遇いたいですね。

『ずいぶん回り道をしてきたそれもまたいい』(後期)

幼い頃、学校から帰る途中で、回り道をした経験のある人は多いのではないでしょうか。

路地に入って虫を見つけたり、子猫を追いかけたり、興味をそそるガラクタを見つけたり。

田舎育ちの人であれば、藪にまぎれ込んだり、小川で遊んだり、探検ごっこをした人もいるでしょう。

子どもにとって、学校からの帰り道は好奇心そそる宝の道で、しかも正規のルートではない回り道にはには様々な出会いがあり、驚きがあり、多くの学びや経験がありました。

しかし、人が成長するにしたがって回り道はあまり良い意味では使われなくなります。

大人になるにつれ、定めた目標に向かって、横道にそれることなく最短距離で到達することが良しとされます。

しかも本人の思いはさておき周囲から見て、それが最短で効率的に早いほど素晴らしいことと評価されます。

戦後の日本は、あらゆる分野で便利、簡単、スピードを徹底的に追求してきました。

そんな社会の中で育ってきた私たちは、人の人生までも、目標に向かって直線コースで最短にたどり着くことこそが、立派ですばらしい人生と思いがちです。

ただ、あらためて自分自身の人生をふり返ってみると、自らの目標に直線コースで最短にたどり着いた人はごく僅かかもしれません。

いえ、最初の目標から大きく逸れてしまった人、それどころか当初の目標とまったく変わってしまった人も少なくはありません。

仏教の開祖であるお釈迦さまが、人の一生は

「一切のものは皆苦しみである」

と諭されました。

「苦」という文字の意味は苦しいということでなく、

「自らの思い通りにならないこと」

ということですが、まさしく自ら計画した人生通りにならなかった人、順風満帆に歩んで来ることができなかった人の方が多いのかもしれません。

自ら立てた目標に向かって直線コースで最短に効率よくたどり着くことはすばらしいことでしょう。

しかし、たとえ回り道といわれるような人生でも、よくよくふり返ってみると、多くの人との出会いの中で、様々な出来事を経験する中で、さらには逆境と言われるような経験を通して、人が生きる上で忘れてはならない大切なものに気づかされたり、どのような困難なことがあっても挫けることのない心に目覚めることができたということもあるではないでしょうか。

回り道、一つ一つ寄り道には大きな意味があるということです。

人生はよく山登りに喩えられますが、決められた登山ルート、あるいはロープウェーに乗って、表面だけの美しい風景を見ながら登るのと、自分で地図を見ながら、時には危険な目にも遭いながら、苦労して登るのとでは自ずと眺める風景も変わってきます。

物作りでも同様のことが言えるかもしれません。

あらかじめ部品も設計図も揃えられた物を組み立てるのと、自分で材料から探して試行錯誤を重ねて組み立てていくのでは、時間もかかり苦労はするのですが、その達成感は比べものにならないでしょう。

人生観とは、人生の価値、目的、態度についての考え方のことですが、

「観」という文字には、見わたす景色、外に表してみせる姿という意味があり、まさしくそれは多くの学びと経験の中で培われるものでありましょう。

人生には豊かさが必要です。

人間には奥深さも必要です。

そのためには、回り道も決して悪いことではありません。

回り道したようだけど、とてもすばらしい出会いや経験をさせていただた。

おかげさまの人生だった。

しみじみと、そう言える日々を送れたならどんなに幸せなことでしょう。

親鸞・去来篇 12月(7)

ここに参籠してから六日目の朝が白々と明けた。

二日め、三日めは、飢えと寒気に、肉体の苦痛がはなはだしかったが、きのうあたりからは、心身ともに痺れて生ける屍(しかばね)のような肉体の殻に、ただ、彼の意念の火が――生命の火だけが――赫々(あかあか)と求法の扉に向って燃えているのであった。

一椀の食も、一滴の湯も、喉にとおしていないのである。

声はかれ、眸(ひとみ)はかすみ、さしも意志のつよい範宴もその夕がたには、がたっと、痩せおとろえた細い手を床について、しばらく、意識もなかった様子である。

すぐ御葉山(みはやま)の下の鐘楼の鐘が、耳もとで鳴るように、いんいんと初更をつげわたると、範宴は、はっとわれに回って、思わず大喝に、

「南無っ、聖徳太子」

そして、廟窟の石の扉に向い、無我の掌をかたくあわせた。

「――迷える凡愚範宴に、求通のみちを教えたまえ、この肉親、この形骸を、艱苦に打ちくだき給わんもよし。ただ、一道の光と信とを与えたまえ」

思念をこらすと、落ちくぼんだ彼のひとみは、あたかみ、鞴(ふいご)の窓のように、灼熱(しゃくねつ)の光をおびて、唇は一文字にかたくむすばれて、太子の廟窟から求める声があるか、この身ここに朽ち死ぬか、不退の膝を、磐石(ばんじゃく)のようにくみなおした。

彼が、この古廟に詣でて、こうした思念の闘いに坐したのは、必ずしも、途中の出来ごころや偶然ではない。

範宴は夙(と)くから、聖徳太子のなしたもうた大業と御生涯とを、景慕していて、折もあらば、太子の古廟にこもって、夢になりと、その御面影を現身にえがいてみたいと宿望にしていたのである。

若い太子は、日本文化の大祖(おおおや)であると共に、仏教興隆の祖でもあった。

日本の仏法というものは、青年にして大智大徳の太子の手によって、初めて、皇国日本の民心に、(汝らの心の光たれ)と点(とも)された聖業であった。

かつては、弘法大師も、この御廟に百日の参籠をして、凡愚の闇に光を求めたといいつたえられている。

凡愚のなやみ、妄闇のまよい、それは、誰でも通ってこなければならない道であろう。

弘法大師すらそうであった。

いわんや、自分のごときをや。

範宴は、この生命力のあらんかぎりは――と祈念した。

叡山で学んだところの仏学と世間の実相と自身という一個の人間と、すべてが、疑惑であり、渾然(こんぜん)と一になりきれない矛盾に対して、解決の光をみたいと念願するのであった。

しかし、およそ人間の体力に限りがあると共に、精神力というものにも、限度があるのであろう。

夜がふれて、深々と、大気の冷(れい)澄(ちょう)がすべて刃(やいば)のように冴えてくると範宴は、ふたたび、ぱたっと、昏倒してしまった。

すると、誰か、

「範宴御房――」

初めは遠くの方で呼ぶように思えていたが、

「範宴どの。少納言どの」

いくたびとなく、耳のそばでくりかえされているうちに、はっとわれに回った。

紙燭(ししょく)を、そばにおいて、誰やら自分を抱きかかえているのであった。

除夜に鐘を撞くのは、どうしてですか?

一年を振り返り、感謝の気持ちを仏さまや家族にあらわすために、大晦日にお勤めする法要を

「除夜会」

といいます。

また、この夜午前零時前から

「除夜の鐘」

を撞くお寺が多いようです。

お寺で撞く鐘のことを

「梵鐘(ぼんしょう)」

といい、梵鐘も大切な仏具の一つです。

童謡『夕焼け小焼け』の中で、

「夕焼け小焼けで日が暮れて、山のお寺の鐘がなる」

とあります。

(ちなみにこのお寺、長野県にある私の知人のお寺の鐘の音だそうです)

法要があることをお知らせするために撞いたり、朝夕のお勤め前後に撞いていたことから時報の代わりとして根付いている地域も多くあります。

さて、除夜の鐘についてですが、108回撞くと聞いたことのある方が多いのではないでしょうか。

古来仏教では、人間には煩悩が108あると考えられてきました。

特にその代表的なものとして『欲望、怒り、執着』などがあげられます。

一年の煩悩を祓おうと撞いてはいませんか?

「梵鐘」を法具だと申しました。

鐘の音も、私が仏さまの声を聞かせていただく大切な仏事となります。

この私といのは、次から次へと煩悩が絶えず溢れてきて、一度は反省をしても、すぐに違う悩みを抱えてしまいます。

とてもとても108回では足りないのではないでしょうか。

ともすると、そんな私というのは、大晦日に限らず毎日毎日、一年中鐘を撞き続けばなければならないほどの煩悩を抱えているはずです。

鐘を撞くことが大事なのではなく、鐘の撞かれた数を数えることが大切なのでもありません。

一年を振り返る中に、私がどのような命の日暮しを過ごしてきたのか、どれほどの支えをいただいて一年の終わりを迎えることができたのか。

改めていただいた命をしっかりと見つめ、そして感謝を申しあげる日が、除夜会であり

「除夜の鐘」

の音の響きとなるのではないでしょうか。