投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

仏前でリンを鳴らすことの意味を教えてください

お仏壇にお参りする時は多くの人は、おもむろに仏前に座り、お念仏申しながら合掌礼拝をします。

またその中には、リンを数回打ち鳴らしてからお念仏を申し、合掌礼拝をされる方もおられます。

リンは読経の最初と最後や中間に定められた作法で打ち鳴らす仏具です。

ですから、読経以外のときにむやみやたらに打ち鳴らすものではありません。

しかしながら

「リンを鳴らさないと阿弥陀さま・ご先祖さまに届かない」

「阿弥陀さま・ご先祖さまにお参りにきたことを、念仏申しリンを鳴らせて知らせるんです」

というふうにおっしゃる方々もおられます。

浄土真宗では私が称えさせていただく念仏は、どこまでいっても私を必ずお救い下さる阿弥陀さまへの感謝のお念仏です。

だから、私の側から阿弥陀さまやご先祖さまに何かを届ようとする必要もないのです。

カネを打つということは、お釈迦さまのご在世の頃は、お釈迦さまの説法を聞くときの合図だったといわれます。

お仏壇の前でリンを打ち読経する時には、お釈迦さまの説法をお聞かせいただくという気持ちでお参りさせていただきたいものです。

スピードラーニング

30代も半ばになり、今更ながら外国語、特に英語を少しでも話せるようになりたいと、強く思いを抱いております。

これまでの自身の日常生活においては、英語を身近に聞く機会も少なく、また必要とすることもありませんでしたので、特に何の意識も持っておりませんでした。

しかしここ数年、年に何度かアジア諸国に行くご縁をいただく中で、現地の空港やホテルなど、必ず英語を必要とする場面に幾度となく遭遇し、その都度自分の語学力の無さを痛感するのと同時に、どの国の方々も母国語と共にほとんどの方が英語も同じように話し、理解し、外国人旅行者と対等に会話している姿には心底驚きました。

グローバルと呼ばれる現代において、世界では二カ国語話せて当然の世の中に既にあることを知らされます。

近年は韓国のアイドルグループが日本でも人気が高いですが、テレビを見ていて凄いと感じるのは、みんな日本語で受け答えをし、きちんとその国の言葉を覚え、仕事をする上である程度の会話力を身につけて日本に来ているということに、本当に感心する思いです。

タイのバンコクに、カオサン通りという世界中から旅行者が集まる一帯があります。

そこで働くタイ人を始め、私たちと同じアジア地域の旅行者たちも、見るからに強者ぞろいのアメリカやヨーロッパ諸国のバックパッカーたちと等しく英語で会話し、島国からやってきた私はその隅で恐る恐るビールを注文するという場面を何度も経験しました。

その度にもっと自分も堂々と英語で話しかけたい。

でも「This is a Pen」しか英語が頭に浮かんでこない自分が情けない。

そしてつい最近、いよいよ私も英語を身につけなければという思いに到る出来事がありました。

香港からのホームステイを受け入れておられるご夫婦が、日本らしいところを案内したいというので、香港の大学に通う若い学生さんを連れて私のお寺に尋ねて来られたことがありました。

本堂にご案内をして、ドキドキしながらその彼と簡単な英語のやりとりであいさつを交わしました。

「Hello」

「Nice to meet you」

「Where are you from?」

アルファベットで書くと格好良く見えますよね。

でも実際はおどおどしながら「ハ、ハロー」、流暢な片言です。

そしてその先はこれまでの旅を通して私が身につけた超自己流の英会話方法を駆使し、身振り手振りを交えながら数少ない英単語を連呼するのみの支離滅裂な会話が進み、最後は何故か

「I’m Buddhist」

「謝謝」

私は仏教徒ですと何の意味もない宣言をして会話は終了しました。

ただ、方法は滅茶苦茶でも、それでも何となくお互いの思いが通じ合うところが外国の方と話をしていて結構楽しいと感じるところですが、驚いたのは、それを横で見ていたそのご夫婦が、

「凄い、若先生は英語ができるんだ」

と思ったらしく、狭い地域がゆえそれがどう伝わったのか、数日経ったある日、全く別の方から

「先生は英語がお上手なんですってね」

と聞かれ、恥ずかしいやら弁解に必死になるやら、戸惑いを覚えたことです。

次はアフリカの方がホームステイに来る予定があるそうで、「その時はまた来ますから〜」とニコニコしながら言われるのですが、まず英語なのか何語なのかも分からず、どう迎えていいのか近頃悩むところです。

そのような経緯もあり、また旅をする中でやはり英語の必要性は自分でも肌で感じておりましたので、「聞き流すだけ」でお馴染み、スピードラーニングに私も手を出したというわけです。

聞き流すだけに惹かれ、楽して身につけようとするところが、昔から何も成長していないいかにも自分らしい姿ですが・・・。

その中身はというと、伊藤氏という日本人男性が、旅の英会話や日常会話など様々な場面の中で会話を展開していくという設定で、英語のワンフレーズごとに日本語の意味が流れますので、まさに聞き流すだけで大体の内容は理解することができます。

ところが、集中力のない私には、英語の本文よりもその後に続く日本語の解説の方に心が偏り、伊藤氏はコーヒーにはミルクを入れるタイプなんだとか、英語そっちのけで伊藤氏がどんな人物であるかの方に興味が向いているような状態で、しかも、楽して聞き流すことを自分で選んでいながら、聞き続けていない私の継続性の無さには、家族からも

「伊藤さんはあれからどうなったの?」

と笑われながら聞かれるような始末です。

そのような状態ですので一向に英語が上達するはずはありません。

ただ一つ、これは私の経験上個人的な見解ですが、英会話を理解するうえで大事だなと思うのは、様々な英単語を知っておくこともさることながら、「話す」ことよりも、むしろ相手がどんな内容を言っているのか、会話の流れから一つでも英単語を「聞く」ということができれば、あ、今このことについて話してるんだと何となく理解ができ、こちらもそれとなく単語を返すことで、文法としてはおかしくても、意思の疎通やコミュニケーションとしてのうえからは、異国の方と繋がりを持てたということの方が大きな喜びを感じると思うのです。

やはりそれには、若い時期からの体験と学びが大切でありましょう。

今の英語の教科書がどのような内容かは分かりませんが、私たちの年代は「Is this a Pen?」これはペンですか?という、今思えば不思議な英語からスタートしましたので、それではなく、もっと子どもたちが外国に興味を持つような、そしてちょっとした英語で相手との繋がりを実感できるような英語教育に期待をしたいと思います。

また英語を聞き続けることで耳が英語に慣れ、話の内容や要点が次第に分かってくるような感じがします。

もちろんそれにはある程度の英単語を理解していなければなりませんが、そこがスピードラーニングの意図するところではないかなと勝手に解釈しておるような次第です。

ある方が言います。

子どもが年齢を重ねることは「成長」。

でも大人になるとそれは「老化」。

体力的には確かにそうですが、けど、どんなに年を重ねても今からでもやりたい、やってみたいという希望と情熱は、いつまでも子どものように持ち続けていたいと思う、35歳の成長です。

とにもかくにも、まずはそのアフリカの方がいらしたときの対応を身につけることと、次はもっと勇気と自信を持ってカオサンでビールを注文できるよう、気楽にスピードラーニングに耳を傾けていきたいと思います。

真宗講座親鸞聖人に見る「往相と還相」

阿弥陀仏の回向法としての「往相と還相」(11月前期)

親鸞聖人の著述から、往相還相について書かれた文を通覧すると、内容的にはほぼ三種類に分類できるように思われます。

第一は、この往相と還相が、阿弥陀仏の廻向法そのものだということが示される文です。

ここでは、この廻向法が阿弥陀仏のいかなる願から出され、どのような法として衆生に来たるかが語られることになります。

阿弥陀仏から廻向される往相還相の教法とは、具体的には教・行・信・証となるのですが、第二はその物体と功徳が示される文です。

そして、第三はその阿弥陀仏より廻向された往相と還相の教法がいかに衆生と関わるか、さらには往相と還相の法を廻向された衆生がいかに仏道を実践するか、その行道のすがたが示される文となります。

そこで、第一の阿弥陀仏の廻向法としての「往相と還相」の文から検討することにします。

ここでまず注意されるのは、『教行信証』「教巻」冒頭の文の「謹んで浄土真宗を案ずるに、二種の廻向有り。

一には往相、二には還相なり。

往相の廻向に就いて真実の教・行・信・証有り」の文であることはいうまでもありません。

親鸞聖人が『教行信証』で最も強調したかった点は、阿弥陀仏の教法とは、往相・還相という二種の廻向法だと思われるからです。

この点については、『文類聚鈔』で

「若しは往若しは還、一事として如来清浄の願心の廻向成就したまふところに非ざること有ること無し」

と述べられることによって、さらに明白になります。

往相・還相という二種の廻向法は、まさにその一切が阿弥陀仏の清浄なる願心の成就によるのです。

阿弥陀仏は、一切の衆生を救うために大悲の本願力を成就されたのですが、その本願はただ、衆生成仏の法として、往相と還相の二種の法を廻向することにあったのです。

親鸞聖人の著述の中では、これと同一の内容を示す文として

「報土の因果誓願に顕す。往還の回向は他力に由る」

「白は即是選択摂取の白業、往相回向の浄業なり」

「本願力の廻向に二種の相有り。一には往相、二には還相なり」

「弥陀の廻向成就して、往相還相二つなり」

等が見られます。

では、往相の廻向について、真実の

「教・行・信・証」

のその各々は、どの願から出されているのでしょうか。

「行」については

「この行は大悲の願より出でたり。…諸仏称名の願と名づく。…また往相廻向の願と名づく」

「諸仏咨嗟の願より出たり。…諸仏称名の願と名づけ、また往相正業の願と名づく」

「この如来の往相廻向につきて、真実の行業あり。すなわち諸仏称名の悲願にあらわれたり」

「往相の廻向につきて、真実の行業あり。…真実の行業といふは、諸仏称名の悲願」

等と示されています。

往相廻向の行とは、第十七願において成就されたもので、諸仏の称名として、この行はこの世に出現します。

しかもこの第十七願が「往相廻向の願」「往相正業の願」と名づけられていることには、特に注意する必要があります。

なぜなら、この願の内実こそまさに「往相」を決定せしめていると窺えるからです。

次の「信」においては、

「斯の心則ち是れ念仏往生の願より出たり。斯の大願を選択本願と名づく。…また往相信心の願と名づく」

「念仏往生の願より出でたり。また至心信楽の願と名づけ、また往生信心の願と名づく」

「また真実信心あり。すなわち念仏往生の悲願にあらわれたり」

「真実の信心あり。…真実の信心といふは、念仏往生の悲願にあらわれたり」

等と示されます。

親鸞聖人は『教行信証』の「信巻」で、「涅槃の真因は唯信心を以てす」と述べられますが、この信こそ、まさしく第十八願成就の念仏往生の悲願より廻向されたものです。

阿弥陀仏が、一切の迷える衆生を往生せしめるために成就された、真実信心の願であるために「往相信心の願」と名づけられていると思われます。

では「証」はどうでしょうか。

ここでは、『文類聚鈔』の

「証と言ふは、則ち利他円満の妙果なり。則ち是れ必至滅度の願より出でたり。また証大涅槃の願と名づけ、また往相証果の願と名くべし」

の文がまず注意されます。

この文は『教行信証』の「証巻」冒頭の文とほぼ一致するのですが、『教行信証』では「往相証果の願」という言葉は見当たりません。

この『文類聚鈔』の文によって、第十一願が「往相の証果」の願として捉えられていたことが明らかになります。

これと同一内容の文として

「また真実証果あり。すなわち必至滅度の悲願にあらわれれたり」があります。ここでは「往相の証果」

とは何かが、大きな問題になるといえます。

親鸞・去来篇(1)

「どこまで、水を汲みに行ったのだ?」学頭は、睨みつけていった。

「はい」

範宴が、詫びると、

「はいじゃない」と金火箸で、胸を突いて――

「貴公、この法隆寺へ、遊びにきたのか、修行にきたのか」

「…………」

「怠惰の性(しょう)を、懲らしてやる」

学頭は、金火箸をふりかぶって彼の肩を打ちすえた。

範宴は炊事場の濡れている土に膝も手もついて、

「わるうございました」

「不埒なっ」

庖丁(ほうちょう)を持ったり、たすきを掛けたりした同僚たちが、がやがやと寄ってきて、

「俺たちが、働いているのに、怪しからん奴」

と、一緒になって罵詈(ばり)する学僧もあるし、

「荒仕事に馴れないから、無理もないよ」と庇う者もあった。

だが、庇う者のことば対して学頭はよけいに呶鳴った。

「こんなことがなかで荒仕事か、僧院に住む以上、当たりまえな勤めだ。叡山あたりでは、中間(ちゅうげん)僧(そう)や堂衆をこきつかって、据膳下げ膳で朝夕すんでいるか知らんが、当寺の学生寮(がくしょうりょう)では、そんな惰弱な生活はゆるさん。――また、貴族の子でも誰の子でも、身分などに、仮借もせんのだ。それが覚運僧都の仰せでもあり、法隆寺の掟(おきて)でもあるのだ。よいかっ」

「はい」

「おぼえておけ」

法衣の上は何ともなかったが、打たれた肩の皮膚が破れたのであろう。

土についている手の甲へ、袖の奥から紅い血が蚯蚓(みみず)のように走ってきた。

血を見て、学頭は、口をつぐんだ。

範宴は桶の水を、大瓶にあけて、また、川の方へ水を汲みに行った。

もう、梢のすがたは見えなかった。

白い枯野の朝(あさ)靄(もや)から、鴉が立ってゆく。

「かるい容態ならよいが……」

弟の病気が、しりきと、胸に不安を告げていた。

――仏陀の加護を祈りながら、範宴は、同じ大地を、何度も踏みしめて通った。

半日の日課がすんで、やっと、自分の体になると、範宴は、性善房にも告げず、法隆寺から一人で町の方へ出て行った。

小泉の宿(しゅく)には、この附近の寺院を相手に商いしている家々や、河内がよいの荷駄の馬方や、樵夫(きこり)や、野武士などかなり聚合(しゅうごう)して軒をならべていた。

「あ……。ここか」

範宴は、立ちどまって、薄暗い一軒のあばら屋をのぞきこんだ。

大きな笠が軒に掛けてあって、

「きちん」と書いてある。

何か、煮物をしていると見えて家の中は、榾(ほた)火(び)の煙がいっぱいだった。

ぎゃあぎゃあと、嬰児(あかご)が泣く声やら、亭主のどなる声やらして、どうして、それ以外の旅人を泊める席があるだろうかと疑われるような狭さであった。

『私が私でよかったと思える私になりたい』(前期)

あなたは『個性的』と言われた時に、どのように感じますか?

もちろんそれは、言われた時の話の流れや、言い方などによって、とらえ方も違ってくるとは思いますが、私は「特徴があるってことなのかな?」と解釈します。

本来、個性とはよくも悪くも、他人から区別できる違いがあれば個性となるのですが、近年は個性的であることが非常に重要であり、逆に特徴がないこと、区別できるものがないことがまるで悪いことのように言われたりすることもしばしば見受けられます。

たしかに、他の人が感動する・感銘を与えられるような、違いを有するということは大切なことかもしれませんが、そういったものがない場合には『悪・悪いこと』と見なしてしまい、認めないというのはいかがなものかと思います。

『阿弥陀経』というお経の中に「青色青光黄色黄光赤色赤光白色白光」という一文がありますが、あなたも耳にされたことがあるのではないでしょうか?

これは、お浄土の蓮の花の色が、それぞれの色で光り輝いているのを表しているものですが、私たちは、顔や姿、性格や能力、生まれや境遇が異なっていても、みなそれぞれ命を輝かせ生きていることを伝えているとも言えます。

向日葵や菊の花が、チューリップやゆり、バラの花を咲かすことはできません。

向日葵は向日葵、菊は菊です。

みんなそれぞれ、精一杯・いのち一杯に自分の花を咲かせています。

それぞれに咲き、それぞれに美しい花なのです。

自分の花を咲かせ、いのち輝いています。

その花たちは、私たちにみられようが、みられましが、どんなに素朴で小さくても、太陽の光に照らされて、いのち一杯に咲いている。

これほどすばらしく、見事なことはないのではないしょうか?親鸞聖人の教えも、どのようなものも、光(教え)に出遇うと、黄金のように輝くと伝えております。

私たちは、常日頃、自己を中心に過ごし、他の人と自分を比べながら、劣らないようにと飾り、ときには思い上がり、時には、落ち込んだりして、何かに追われるような虚しい日々を過ごすことも多くあります。

阿弥陀様の教えはそんな私たちを光照らし、あなたはあなたのままでいいんだよ、と引き受け受け止め、いのち輝かせてくださる教えなのです。

みんなちがって、みんないい。

私が私であってよかったと、自らのいのちという素晴らしく美しい花を咲かせながら、心豊かに、日々のいのちを喜びすごしていきたいものですね。

親鸞・去来篇 10月(10)

なお仔細に事情を訊くと、弟の朝麿は、梢と逃げてくる旅の途中風邪をこじらせて、食物もすすまぬようになり、この附近の木賃旅籠に寝こんでしまって、持ち合わせの小遣いは失くなるし、途方にくれているところだというのである。

「では……弟はわしに会いたいというと、おもとを使いによこしたわけか」

「ええ……」

梢は、打ち悄(しお)れたまま、

「いっそ、二人して死んでしまおうかと、何度も、刃物を手に取ってみましたが、やはり、死ぬこともできません」

と、肩をふるわせて泣き入るのであった。

無考えな若い男女(ふたり)も、途方に暮れたことであろうが、より以上に困惑したので範宴であった。

まず第一に思いやられるのは、髪をおろして、せっかく、老後の安住を得た養父の気持だった。

次には、生来、腺病質(せんびょうしつ)でかぼそい体の弟が、旅先で、金もなく、落着くあてもなく、これも定めて悶えているだろう容子(ようす)が眼に見える心地がする。

病のほども案じられる。

「どこですか、その旅籠は」

「ここから近い、小泉の宿端れでございます。

経本を商(ひさ)ぐ家の隣で、軒端に、きちんと板札が、打ってあります」

「見らるる通り、わしは今、朝のお勤めをしている途中、これから勤行の座にすわり、寮の日課をすまさねば、自分の体にはなれぬのじゃ。……それを了(お)えてから訪ねてゆくほどに、おもとは、弟の看護(みとり)をして下さるように」

「では、来て下さいますか」

梢は、ほっとした顔いろでいった。

兄は、きっと怒るであろうと弟からいわれていたものとみえ、範宴の返辞を聞くと、迷路に一つの灯を見たように彼女はよろこんだ。

「参ります。何でまた、捨てておかれよう。きっと行くほどに、弟にも、心をつよく持てといってください」

「はい。……それだけでも、きっと、元気がつくでしょう」

「では……」

と範宴は、学寮の忙しさが思いだされて、急に、水桶を担いだした。

すべらぬように藁(わら)で縛ってある足の裏は、冷たいとも痛いとも感覚は失せているが、血がにじみ出していた。

真っ黒な天井の下に、三つの大きな土(ど)泥(べ)竃(つつい)が並んでいた。

その炊事場には、薪を割る者だの、襷(たすき)がけで野菜を刻んでいるものだのが朝の一刻(いっとき)を、法師に似げない荒っぽい言葉や唄をうたい交わして働いていた。

範宴が、水桶を担って入ってきたのを見ると、泥(へっ)竃(つい)のまえに、金(かな)火箸(ひばし)を持っていた学頭が、

「範宴っ、何をしとった?」

と、焼けた金火箸を下げて、彼の方へ歩いてきた。