投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

私は、スポーツというのは

私は、スポーツというのは

「人類が作った最高の文化」

だと思います。

0.1秒を縮める為に、あるいはより多くの点を取る為に、日々の厳しい練習に耐えます。

ですから、プレーヤー(選手)には達成感・充実感を、オーディエンス(観客)には興奮・感動を与えてくれます。

そのスポーツ選手の頂点に立つプロや五輪選手には、

「一部の人間」

しかなることができません。

才能と人一倍の努力が必要となります。

私も、学生時代からバスケットボールをしています。

(「一部の人間」の中の一人ではなかったですが・・)

バスケットボールというスポーツはチーム競技で、5人対5人で1つのボールを争い、そのボールをゴールに入れるスポーツです。

体と体が激しく接触して、室内スポーツの中では「もっとも過酷なスポーツ」と言われています。

学生時は毎日×2、朝から晩まで練習浸けでした。今は週2日の練習に変化しましたが、今も社会人クラブでプレーを続けています。

環境やポジション等は変わっても(体力の低下 もしかり)チームの為の動き等、基本的なことは何も変わりません。

ただ一つ変化した事といえば、必死でボールを追いかけていた学生時代は、毎日の厳しい練習やプレッシャーの中で試合で負けたり、先生に怒られる度に涙を流していましたが、社会人の現在、自分の涙もろさが解消されたという事もありますが、バスケで涙を流す事は無くなりました。

ただ、バスケの事を“好き”という気持ちは、もしかしたらあの頃りもさらに大きくなったかもしれません。

多感な時期、バスケットボールというスポーツを通して勝つことの難しさ、負けることの悔しさそして何より仲間の大切さを私は教わりました。あの頃の経験は、私を大きく成長させてくれました。

将来子供ができ、小学校くらいになったら何かスポーツをさせてあげたいと思います。

そのスポーツがきっと、その子のかけがえのない宝物になると思うので・・・ 

『よろこびは分かち合って さらに深まる』

南無阿弥陀仏という仏さま、そのはたらきによっていろいろな言葉で呼ばれていますが、その一つに「尽十方」という表現があります。

十方とは、東西南北、その間と上下を意味する言葉で、いうなれば全ての世界ということです。

したがって「尽十方」とは、「全てを尽くす」という意味でしょうか。

それは、また

「全てを分けへだてなく照らす」

ということだともいえます。

 ところで、あなたは、今年流行の新しい洋服を買って、それを着て颯爽と街に出た時、向こうから見知らぬ人が全く同じ服を着て歩いて来たとしたら…、いかが思われますか。

特に女性の方は、あまり嬉しい気持ちがしないのではありませんか。

また、あなたが学生だったとして、テストで頑張って百点をとったのですが、クラスの大半の人達も百点だった場合と、たとえ八十点であったとしても、それがあなた一人でしかもクラスの最高点であった場合とでは、どちらの時に喜びを感じると思いますか。

おそらく…、点数は低くても後者なのではありませんか。

 実は、私たちの心は「尽十方」などひとつも有り難くないのです。

私だけが、つまり「尽一方」であることこそが何よりも嬉しいのです。

しかしながら「尽一方」の世界では、常に自分と他人とを比較し、自分より下のものを見ては

「自分は幸せだ」

と感じ、反対に自分より上のものを見てはその人をねたんだり、口惜しがることに終始するばかりで、心がやすまり、心から喜ぶということはなかなか出来ません。

 このように、私たちの意識は多くの場合、尽一方の世界にあこがれ、その世界に入ることばかりを望み、そのためにあれこれ苦労もしているのですが、この身に賜っている人間としての私の「いのち」そのものは、実は尽十方の世界を願っているのです。

 なぜなら、私たちはどんな時も、その喜びを分かち合える誰かがいない時には、かえって空しさを感じるからです。

「人間としての喜び」

は、どのような喜びであっても「共に喜ぶ」というところにあるのです。

そして、私の「いのち」そのものは、常に共に喜ぶことを願っているのです。

 だからこそ、逆にどのような悲しみに陥っても、それを一緒に悲しんでくれる人がいると、その事実のみによって潰れたりすることはなく、人はその深い悲しみに耐えてもいけるのです。

 このように、私たちの意識はいつも尽一方の世界ばかりをあこがれているのですが、私たちの「いのち」そのものは、尽十方の世界をこそ真に求めています。

 だからこそ、「よろこび」は誰かと分かち合って、さらに深まっていくのだといえます。

「檀那」

 古くは「檀那」、近世より後は「旦那」と表記されることが多い。

 遠くサンスクリット語に発し、漢字で音写され、日本に渡来した仏教用語です。

もともと檀那は、「布施・施し」の意味。

仏法を広めるために、僧や施設を支えることを檀那と呼びました。

また、施しする人は、漢字で音写され

「檀越(だんおつ)」

と表記されましたが、この意味も檀那という言葉に含まれるようになりました。

 要するに檀那は、仏法のために施しをすること、その心、そのような行為の主を指す言葉でした。

この意味での檀那は

「(寺の)一檀那」

「檀那寺」

というように使われ続けて今に至ります。

ちなみに檀那寺は

「今、自らが檀那をつとめ、支えている寺」

という意味で、この檀那寺には主従の意味はありません。

この檀那が中世以後、仏教の一般化に伴って広まり、仏教に関わる場に限らず、金品を提供する人の意に用いられ、裕福な人、人を使う人と意味が拡大して敬称になりました。

近世では、男性女性の区別なく、自分の仕える主人を呼ぶ言葉として、武家でも商家でも使われました。

「親鸞聖人における信の構造」7月(中期)

(1)『人は信心(悟り・完全な喜びの心)を得るために、どのような努力をするのか』

の立場とは、信じる心(完全な喜びの心)を得たいという立場です。

そして、この信心を得るために、自分は何をなすべきか、何を学べばよいかが問われます。

この時、私たちの心は信心を得たいと願っているのですから、それはいつ、どのような時に得られるか。

また、得られた時、どのような喜びを味わえるかが、最大の関心事になります。

 けれどもこれは、自分が体験しない限り、絶対に分かり得ないということを、はっきり知らなくてはなりません。

したがって、体験した人が、その体験談を一生懸命に語ったとしても、聞いている人には、あまり意味のないことで、どれほど一心に聞いても、聞いている人がそれを同じように味わうことは不可能です。

 例えば、テレビの放送で、おいしそうな料理を食べている出演者を見ることがあります。

けれども、見ている私たちは、全くおいしくありませんし、その味を共有することは出来ません。

それを味わうためには、ただ何となく番組を見ているのではなく、その料理の材料と、作り方を知る必要があります。

これと同じように、信心は他人の体験談を聞いてもあまり意味はないのです。

 何よりも「信心」は、自分が一生懸命に努力して、求めなくてはなりません。

この時、浄土真宗の事が誰でも願うことは、自分は本当に喜びの心で、一声、念仏を称えたい。

心から阿弥陀仏を信じ、晴ればれとした喜びの心が得たいということであるように窺えます。

では、そのことを実現するにはどうすればよいのでしょうか。

それは、自分がその心を得るために、一心に努力する以外、方法はありません。

例えば、

(1)自分が座禅し、念仏を称え、一心に心を静寂にする

(2)自分が一生懸命に祈り念仏をして、阿弥陀仏に救いを求める

(3)他人のために一心に心を尽くし、その喜びを通して、仏の慈悲を知る

等々、ここでは自分自身、出来る限りの努力をし、念仏行に励むことが求められます。

注意すべきは、この場合、自分は何もしないで座っており、ただ他人の体験談を聞いていても、決して信心の喜びは得られないということです。

では、親鸞聖人の場合はどうだったのでしょうか。

親鸞聖人は、まず

(1)『人は信心(悟り・完全な喜びの心)を得るために、どのような努力をするのか』

という問題について、究極まで求められました。

けれども、この行道においては喜びが得られず、そのため絶望のどん底に陥られたのです。

これが、1月〜3月までに述べた内容です。

 親鸞聖人を獲信せしめた念仏とは、どのような教えだったのでしょうか。

これが

(2)『仏とは何か。

仏はいかなる行為をなすか』

の内実で、その念仏が4月〜6月まで述べた内容の中心課題です。

「荒凡夫・一茶」(中旬) やれ打つな 蠅(はえ)が手を摺(す)り 足をする

彼はその後の5年間を、自分の思うままに振る舞って死んでいきました。

そこで疑問に思うのは、そんなに愚のかたまりの男が自由に生きたら、人の迷惑になるんじゃないかということですよね。

だから「自由」ということが問題になってくるわけです。

自由というのは、人を殺したり傷つけたりする自由じゃないんです。

 その辺のけじめをつけるのは難しいですね。

それで私は一茶の俳句をずっと見直しました。

そうしたら、そのことがわかりました。

それが「生き物感覚」です。

つまり、一茶の俳句を見ますと、いのちに対して非常にデリケートな感覚があるんです。

 例えば、彼は歯が丈夫だったんですが、それでも49歳の頃には歯が揺らいできました。

そのときに作った句で

「花芥子(はなげし)の ふはつくやうな 前歯かな」

という句があります。

ハナゲシというのはケシの花です。

俳句ではケシの花をハナゲシとも言います。

前歯がふわふわしている感じが、ケシの花のようだと言っているんですね。

 自分の歯が揺らいできて、

「ああケシの花びらが揺らいでいるようだ」

という、この感覚は何ともいえませんね。

これを私は「生き物感覚」と言っています。

 彼にとっちゃケシの花も自分も同じ生き物なんですよ。

同じ生き物同士の感覚でいますから、自分の歯が揺らぐということが、ケシの花が揺らいでいるのと同じだという感覚で素直に受け止めるんですね。

この感覚がすごいと思うんです。

 それから

「やれ打つな 蠅が手を摺り 足をする」

という句があります。

ハエは4本の足の先で物を確かめるんだそうです。

例えば、刺身のところに止まったら、これは刺身だとわかるというように、ハエは足の先の感覚をいつも磨いていないといけない訳です。

だから暇があれば足の先を磨くんですね。

 それで、一茶の目の前にハエが止まって、足の先をすり合わせ始めたのに対して、

「ハエが今いい気持ちで、体の掃除をしているんだから、こんなのを打つなよ」

と、そういう気持ちなんですね。

決して慈悲心だとかじゃなくて、ハエと自分との間の生きた交流があるから、そういう句が出来る。

私はこれが一茶の本体だとわかってきて、この感覚はすごいと思いました。

 それからR.H.ブライスという戦後活躍したイギリス人の学者がいます。

この人は日本が大好きな人で、彼が出した「ハイク」という英文の中で、松尾芭蕉・与謝蕪村・小林一茶・正岡子規。

この4人の俳句を合計で千数百英訳しています。

 その中に

「蚤(のみ)どもが さぞ夜永(よなが)だろ 淋しかろ」

という一茶の句があります。

ノミよ、お前たちも夜長をもてあまして寂しいんじゃないか。

おれもそうなんだよ、という句です。

 この句をブライス氏がともて褒めましてね。

それであとがきに

「最も日本人的な心で、人間味豊な人だ」

と書いています。

「古いお仏壇は、どうしたらよいですか?」

 お仏壇を新たにお求めになったり、家に住む人が居なくなったりして、古いお仏壇の処分をされることがあるかと思います。

 これまで、阿弥陀如来様を安置して、家族が手を合わせ、いのちのよりどころとして礼拝してきたお仏壇です。

まずご門徒の方はご加入のお寺に、そうでない方はお近くの浄土真宗本願寺派のお寺にご相談下さい。

 尚、ご本尊の処分はお寺さんにご相談下さい。

また、お仏壇の処分はお近くの仏具店にお問い合わせになると、いくらか費用は掛かりますが、買い換えでなくても引き取って処分して下さるはずです。