投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

「付属」

 「付属」とは「付属品」という言い方が示すように、主なるものについていることを指すのが一般的です。

「付属」は本来、仏教語で、

「嘱累(しょくるい)」

という難しい別表記もあります。

仏さまが教えを流布する使命を付与し、託されることをいいます。

また、師匠が弟子に仏法の奥義を伝授し、それを後世に伝えるよう託すことも付属というようになりました。

 付属とは、おまけではなく、本体そのものが託され、与えられることで、主たるものと付属は本来一体でした。

そのような意味で付属こそが大切な中身を内包していたといえます。

バンコクのカオサン通り、ホーチミンのファングラーオ、そして、コルカタのサダルスト

バンコクのカオサン通り、ホーチミンのファングラーオ、そして、コルカタのサダルストリート。

これらは、ゲストハウスやドミトリー(大部屋)といった安宿が軒を連ね、世界中のバックパッカーが集まる街として、旅行者の間では

「三大聖地」

とも呼ばれているところです。

旅人のバイブルとも言える沢木耕太郎の

『深夜特急』

に憧れ、旅に出た方も多いのではないでしょうか。

今回私は、その三大聖地の一つ、コルカタのサダルストリートを訪れる機会を得ました。

多くの旅行者でごった返すカオサンやファングラーオの華やかさとは趣を異にし、ここは不思議なほど物静かで、異種異様な雰囲気さえ漂わせているところでした。

 コルカタ到着は夜中の1時。税関を抜けると、ムスッと熱く重たい空気が全身にまとわりついてきました。

怪しく灯るダイダイ色の街灯に映し出された人影のシルエットから、ギョロギョロと泳ぐようなインド人の瞳だけがはっきりと見えていました。

自動ドアの扉が開くと、その動きはピタッと止まり、鋭い視線が一気に突き刺さってきます。

フェンスの向こうで、群がる人たちの手が一斉に挙がりました。

 「ヘーィ、ジャーパニィ!」

 「タクシー?タクシー?」

 「ホテルドコ?」

まさに俺が俺がの大喚声です。

それは例えるならば、まるで市場でのセリが始まったといったところでしょうか。

つまり

「誰が、このジャパニーズを客として落とせるか」

という訳です。

 噂に凄いとは聞いていましたが、到着後すぐにやってきたインドでの試練です。

しかし私たちには、幸い空港内で買った「公認」のタクシーチケットがありました。

国の機関によって認められたこの正規のチケットを振りかざせば、いくらインドとはいえ誰もがこれに従わざるを得ないはずです。

 ところが…、

「あまい、あまかった…。」

というのが正直なところです。

 私たちが動くと、彼らも動きます。

みるみるうちに周りをインド人に包囲されてしまいました。

完全アウェーの中での深夜1時。

そこから、私たちと彼らとの

「値段交渉の戦い」

の火ぶたは切って落とされ、いつの間にか

「公認のタクシーチケット」

「ただの紙切れ」

と化していました。

四方八方から、何を言っているのか全く分からないヒンディー語が飛び交い、何故か激しくまくし立てられていました。

それはおそらくこういう内容だったと思われます。

「何でそんなもの(公認のタクシーチケット)を買ったんだ。

俺がもっと安くで乗せてやったのに!」

でも、それって絶対ウソだと思います。

その証拠に

「チケットをよく見せてみろ!」

という仕種をして、何とか公認のチケットを取りあげようとしているのが、その雰囲気でわかりましたから。

 そんなやりとり(激闘)が10分ほど経過した頃、

「OK! じゃそのチケットで行ってやるよ」と。

その言葉に、思わず

「このチケット、使えるんじゃねーか!」 

 一同に、そう日本語でつっこんでいました。

日本では、当たり前に思えることが、ここではなかなか普通に事が進まない…。

到着するなり、早々に受けたインドでの洗礼でした。

 こうして、どうにかこちら優位で交渉成立と思ったものの、実はこの時には、これがまだ前半戦であるとは、まだ誰も知るよしもありませんでした。

一人の男が、怪訝そうにしぶしぶと、ようやく自分のタクシーへと歩を進めました。

そして、後に続く私たちはそのタクシーを見て、皆一様に驚愕しました。

何と、そこに停めてあったのは、今すぐにでも殿堂入りしそうな、往年のクラシックカーさながらのタクシーだったのです。

「ちゃんと走るのか?」

正直、そう思いました。

ここからが、いよいよ後半戦のスタートです。

(「インド・コルカタ編」つづく) 

『よろこびは分かち合って さらに深まる』

私たちは、嬉しいとき、何かの目的が達成された時によろこびを感じます。

また、自分以外の親しい人に嬉しい出来事があった時にも喜んだりします。

このように、自分のことや他人のことで喜びを感じるときに、一人で喜ぶよりも一緒に喜ぶことで嬉しさは増し、快い気持ちになります。

そして、お互いによろこびあうことで、更にその喜びを増やすことが出来ます。

それは、お寺や法事で仏さまの教えを聞くときにも同じことが言えるのではないでしょうか。

仏さまの教えを同じ場所、時間の中で聞くことによって、お互いにその教えのありがたさに気づき喜ぶことで、私の心に深く伝わります。

同時に、私の心に伝わった仏さまの教えの喜びは、一緒にいた人にも同じように伝わり、同じように喜びを感じることが出来ます。

それは、仏さまの教えが、更に広く伝えられることになり、喜びも更に深められるからです。

そして更には、多くの人に喜びを分かち合えるご縁を作って下さった仏さまへの感謝の気持ちとなります。

教えを聞くことのよろこびをもっと分かち合え、そして、さらによろこびが広められることが出来るように大切にしていきたいものです。

「親鸞聖人における信の構造」7月(前期)

 ここで、これまでに問題にしてきた事柄を要約しますと、

1月〜3月までは

『(1)人は信心(悟り・完全な喜びの心)を得るために、どのような努力をするのか』

4月〜6月までは

『(2)仏とは何か。

仏はいかなる行為をなすか』

ということが中心点でした。

そしてこれからは

『(3)浄土真宗の信心とは何か。

いかにすれば信心を得ることが出来るか。

信じる心について。

信心を得た人はどのような道を歩むか』

といったことが中心課題になります。

 ところで、今日の浄土真宗の教えにおいては、ほとんどの場合(3)の事柄について多くの関心が寄せられています。

にもかかわらず、この点が一般にはあまりよく理解されていないのが現状です。

つまり説く側は「信心」について熱心に語るのですが、それが聞く側の人々からは

「少しも分からない」

という反応が示されているということです。

それは、何故でしょうか。

おそらく、教えを説く側が、(1)と(2)の問題をあまり重視していないからだと思われます。

 具体的には

「念仏者がいかに社会的な問題に積極的にかかわっていくか」

ということが、しばしば実践的な課題として取り上げられていますが、その前提には

「念仏者=獲信者」

という暗黙の了解めいたものがあり、したがってそのことに消極的であったり、ましてや背反するような言動を犯すと覿面厳しい指弾を受けることになります。

「(獲信の」念仏者であるにもかかわらず…」

と。

 そこで、まず自分が今、どの立場から浄土真宗の教えを学び求めようとしているかを、はっきりと知る必要があります。

(1)と(3)が人間の問題であり、(2)が仏の問題です。

そして(1)においては、未信者の心が問われており、(3)では獲信する者の心が問題になっています。

そこで、今の私たちの立場ですが、それは(1)(未信者)であるであるということに特に注意しなければなりません。

したがって、ここでは終始(1)の立場から、(2)と(3)を問題にしています。

「荒凡夫・一茶」(上旬) ともかくも あなたまかせの 年の暮れ

======ご講師紹介======

金子 兜太さん(現代俳句協会名誉会長)

☆ 演題 「荒凡夫・一茶」

大正8年埼玉県生まれ。

高校在学中に俳句を始め、加藤楸邨(かとうしゅうそん)に師事。

昭和18年、東京大学経済学部を卒業して日本銀行に入行、定年まで勤務されました。

昭和30年に第一句集「少年」を発表。

中国との俳句交流に力を尽くし、現在、現代俳句協会名誉会長、日本芸術院会員、「朝日俳壇」選者をお務めです。

「金子兜太集」(全4巻、筑摩書房)ほか著作多数。

桜島にある「溶岩なぎさ遊歩道」に句碑があります。

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江戸時代の俳人、小林一茶。

彼が結婚したのは、52歳の時です。

その後、子ども授かるのですが、57歳の時に可愛がっていた娘のサトが死んでしまいます。

その前の年の終わり頃からずっと書いていたのが

「おらが春」

という日記風の句文集です。

一茶の書いたもので世間で有名なのは

「七番日記」

という長い日記、それからここで紹介する

「おらが春」

です。

この日記は、サトが元気でいた頃から書き始めています。

特に女の子ですから、可愛くてしょうがないんですね。

大喜びでした。

そうしている内に、サトが疱瘡(ほうそう)で亡くなってしまい、あとは非常に悲痛な気持ちでおります。

そのことをずっと書いています。

「おらが春」

の最後には

「他力本願、自力本願」

ということが書かれています。

一茶は浄土真宗の門徒でしたが、彼がこういう言葉を本気で書きとめたのを見たのは、そこが初めてです。

この言葉について浄土真宗の学者さんに聞いてみたんですが、ほとんど評価されませんでした。

でも、私は専門家から見たら他力本願も自力本願もよくわかっていないような人間が書いたということが、一茶らしくて好きなんです。

これはひと言でいうと、阿弥陀如来さまの前に身を投げ出して、あとは自分勝手なことをさせてもらいます。

どうぞ、煮て食おうと、焼いて食おうとご勝手に、というような文章だと思います。

それで、その終わりに書いた句が

「ともかくも あなた任せの 年の暮れ」

です。

この「あなた」は阿弥陀如来さまです。

そのときの一茶の心中を察すれば、私はこの句は非常によくわかるんです。

そしてそこからしみじみと思いますことは、一茶という人は阿弥陀如来さまに甘えていたということです。

甘えている人だからこそ、こんなことが書けたのだと思います。

尊敬される、敬愛される神さま仏さまというのは普通です。

むしろそうでなかったら、神さま仏さまじゃないと思うくらいですが、甘えられる仏さまというのは大変なことじゃないでしょうか。

これが本当の信仰だと私は思います。

この

「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」

という句で、私はそのことを確認しました。

一茶はその後まもなく、脳出血で倒れまして、軽い言語障害になってしまいますが、しばらくお弟子さんの温泉で療養して回復します。

そして60歳になって迎えたお正月に

「自分は、これから荒凡夫(あらぼんぷ)として生きたい」

とはっきり書いています。

荒っぽい平凡な男ということですね。

どういうことかと言いますと

「おれは煩悩具足、五欲兼備、愚のかたまり、いわば本能のかたまりみたいな男で、それをどうにも抑えられない人間だ。

そんな下らない男だけれど、このまま生かして下さい」

ということですね。

その下らない男のことを、彼は

「荒凡夫」

と表現しているんです。

「荒い」というのは、非常に粗雑な人間という意味で書かれているのだと思いますが、私はそれを「自由」という意味に受け取っています。

阿弥陀如来さまの前に身を投げ出して、自由で平凡な荒凡夫で生かして下さいという気持ちの中には、あふれるような

「甘え」

があると感じ取れます。

ちょうど赤ん坊がお母さんの目の前で、丸裸になって泣きわめく感じとそっくりです。

いい風景です。

私はこういう風景が大好きでして、そのとき一茶は真人間になったんだなと思います。

「不退転」

時折、政治家が「不退転の決意で…」と述べることがあります。

この「不退転」はサンスクリット語「アヴィルニヴァルタニ−ヤ」の訳です。

仏道修行において、一度覚った法や境地から退いたり、それを失ったりせず、迷いま世界にかえらないことで、経典では

「不退転に住す」

というように用いています。

政治家の場合も、その拡大用法で、一歩も退かない決意を述べているようです。

浄土真宗では

「他力信心を得たものは、この世において正定聚不退の位につき、必ず仏に至るに定まる」

と説きます。