投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

「私の北極物語」(下旬) 北極で学んだ大切なこと

 地球のてっペんまで行って学んだ大切なこと。

それは、世の中にはお金で買えないものがあるということです。

まず両親から頂いたいのちです。

いのちある限り、最後まで一生懸命頑張りたい。

無駄に死ぬことはよそうと思っています。

生きてこそ、親孝行もできると思っています。

次に心ですね。

心もどこにも売ってはいません。

優しい心、思いやりの心、友情もそうではありませんか。

お金を払って「お友達になって」なんて言いますか。

気持ち悪いって思うでしょ。

やっぱり友情は長い年月をかけて、心と心が通じ合うから生まれるような気がします。

お金では決して買えないと思います。

それから両親です。

私がもう一度北極点を目指すと決めたとき、やっぱり親に黙って行くことはできませんから、二度目の挑戦をすることをちゃんと言おうと思ったんです。

それで、母に「もう一度北極に行ってくる」と伝えたら、びっくりしながらも「気をつけてやるんだよ」と言ってくれました。

でも父親は入院中でしたから、そうはいかなかったんです。

私も毎日、「行って来る」と言うつもりで病院に顔を出すんですけど、なかなか言えませんでした。

そのままついに出発の日になってしまったんです。

その日はもう成田空港に行って、カナダへ飛ばなくてはなりませんでした。

そのときに私、父親に向かって

「これから、二度目の遠征に行ってくる。

帰ってくるまでは生きてろよ、死ぬな」

などと言って出発してしまったんです。

ですが、親というのは本当に有り難いものだと思います。

なぜかといいますと、スタートする前日に、本部のあるレゾリュート村で国際電話を入れたんです。

母に「行って来ます」と言いたかったのと、父がどんな容態なのかをよく聞いて、頭にたたき込んでスタートしようと考えていたんです。

そうしたら電話に出たのは父でした。

外泊許可をもらって、私からの電話を待っていたそうです。

父は口が不自由になっていましたが、その不自由な口でたった一言だけ

「がんばんなさいよ」

と言ってくれたのですが、それが本当に嬉しかったことを覚えています。

お蔭さまで、私は北極点に到達できました。

日本に帰って来て、そのことを一番最初に父に報告しました。

父はたいへん嬉しそうな顔をしまして、「よかったな、よかったな」と言ってくれました。

それから間もなく亡くなりました。

でも、最後に父親に孝行ができて、「間に合ってよかった」って思いました。

浄土真宗らしいお墓はどんなお墓?

最近は本当に多種多様なお墓を見かけるようになりました。

故人を偲ぶ思いを形にと種々様々な物をモチーフにしたお墓。

不謹慎かもしれませんが、見ていて飽きません。

 さて、浄土真宗のみ教えに添ったお墓というのはどのようなものなのでしょうか。

まず浄土真宗にとってお墓というのはどういうものなのかを通して考えてみたいと思います。

 浄土真宗でのお墓という所は、世間一般で考えられているような「死者を祀り霊を慰める処」ではありません。

ご先祖や身近かな人のお骨を納めて、亡き人の遺徳を偲ぶ。

私にいのちを届け育んで下さったご恩に感謝する。

そんな場所がお墓なのです。

 ですから、ご先祖や先立たれた方の為に拝むのでは無く、「私」がその方々をご縁として、いのちの事実に出会う。

そして、如来さまに手を合わさせて頂く、そんな場所なのです。

あくまでも私たちの礼拝の対象は阿弥陀如来に他ならないのです。

 そのような訳で、お墓の正面には「南無阿弥陀仏」とお名号を刻むようにします。

形だけではなくお墓参りする私たちの心持ちも含めて…、それが浄土真宗らしいお墓のあり方だと言えましょう。

『他力 私を支える仏の力』

一般に「他力」という言葉は、

「他者をあてにすること」

という意味に理解され、消極的なあり方として否定的に用いられているようです。

確かに、自分は何の努力もしないで他人の力をあてにすることはあまりほめられたこととはいえません。

けれども、よく考えてみますと他者をあてにしているのは私なのですから、やはりそれは「自力」だと言えはしないでしょうか。

つまり、他者をあてにして「何もしない」ことを「している」のはこの私自身なのですから。

ところで、この「他力」という言葉が誤解されている一番大きな理由は、言葉の主体者が私だと誤解されていることに起因していると思われます。

実はこの言葉の主体者は、私ではなく仏さまなのです。

したがって、この言葉は

「仏さまが他(である私たち)を救うはたらき」

を意味しているのです。

「他力」とは、「流転」といわれるような、いつ始まったのかそしていつ終わるかわからない、しかもいま自分がその迷いの只中をさまよい続けていることにさえも気付かない私を、私が願うに先立って、願うと願わざるとにかかわらず、既にして

「念仏せよ、救う」

とよびかけて下さる尊い願いのはたらきを意味しています。

このような意味で、「他力」とはまさに

「私を支える仏の力」

であると味わうことができるのではないでしょうか。

なぜいま念仏か(1)7月(中期)

この場合重要なことは、その根本原因を堂利敵に見つめることであって、決して悪魔や悪霊といった神のタタリとするような、迷信的見方をしてはならないことはいうまでもありません。

ところで、いまここでの問題は、現代におけるこの当然の見方を、八百年前の親鸞聖人の時代にあてはめるとどうなるかということです。

この時代においては、今の私たちがもっているように科学的な見方はまだ成り立っていません。

そのような時代を生きられた親鸞聖人の思想に迷信的要素がないことに、私たちは着目する必要があります。

なぜ、科学的な見方の成立していなかった時代であるにもかかわらず、親鸞聖人の思想には迷信的要素がないのでしょうか。

ひるがえって、現代の世相に目をうつしてみますと、まさに現代は「科学の時代」なのですが、迷信的信仰が満ちあふれています。

したがって、現代は科学の時代であると同時に迷信の時代であるともいえます。

このようにみますと、仏教のいう「因果の道理」とは、必ずしも科学的な見方とは重なっていません。

つまり、科学的な原因と結果の法則を意味しているのではないのだといえます。

科学的な見方が発達している今日、迷信的要素の多い信仰が人々の心を魅了し、一方科学的な見方がまだ存在しなかった時代を生きられた親鸞聖人の思想にまったく迷信的要素が見られない、このことをどのように説明付ければ良いのか、しばらく考えてみたいと思います。

「私の北極物語」(中旬) 真北に太陽、北極点が近づいた

実はこのとき出ていた雲が、いま盛んに言われている温暖化の雲です。

それがこの年、北極点付近の上空にだけ出たものですから、大量の雪が溶けて、水浸しになってしまったんです。

このころロシア側の北極海では、科学者の方々が二、三カ月ほど、海流はどう流れるかということを研究していました。

その結果、なんとこの年だけ海流が逆流したんだそうです。

それで大騒ぎになりました。

世界中の学者さんたちが集まって温暖化会議というのを開いて、これがもとで京都議定書につながったんです。

最悪の時期に挑戦したんだなと思っています。

でも、あきらめずに、どうにか水浸しの道を頑張りまして、目的地まで十キロという所まで来ました。

北極では、目標物が見えません。

目印になるものが何もないんです。

そこで、太陽が重要になります。

普通、お昼の十二時の太陽はどちらの方角かと聞かれたら、南と答えますね。

ところが、北極点の付近では、二十四時間太陽が出ているんです。

だから真夜中の十二時なのに真北に太陽があったりします。

そして、あと十キロという地点で太陽が顔を出しました。

つまり、いよいよ北極点が近づいてきたということです。

そうして、やっと北極点に到達しました。

あんなに立ちたかった北極点、あんなに見たかった地球のてっぺんの景色を眺めました。

そうしたら、なんてことなかったんですよ。

毎日見た景色と同じで、空と氷ばっかり。

あれだったら、ベースキャンプの本部もあるし、レゾリュート村でも一緒だったんです。

でも私は、希望がかなってこの地球のてっぺんに立ちました。

そこでいろんなことをしたかったんですけど、なにせ氷の状態がとても悪かったので、ゆっくりできなかったんです。

確認して測定がすんだら、早く安全な氷まで戻らないと、私たちは遭難する危険性があります。

結局、三十分しか時間がありませんでしたが、仕方ありませんでした。

最後に三本締めをして、私の北極点は終わりました。

さて、帰りはどうしたかと言いますと、最初は氷の上を往復する予定でした。

でも天候と氷の状態が悪化していたので、無理して帰ったら全員遭難してしまいます。

そこで計画を変更して、飛行機で帰りました。

私たちは二カ月かけて北極点まで行ったのに、帰りはたった四時間だったんです。

がっくりきました。

でも、北極点の遠征というのは、一歩ずつ一生懸命目的に近づくことに価値があるんだと思いました。

私は二度、北極点に挑戦しました。

お金もかかりまして、二度とも無一文になってしまいました。

そんな大金をかけたものですから、何か得したことでもあったのかなんて言われましたけど、残念ながら形に残るものは何もありませんでした。

それでも、心の中にはたくさんのいいことが残った気がします。

北極の大自然から素晴らしいことを教えていただけたというのが正しいと思います。

お通夜のご飯にお箸?

 葬儀にまつわる風習には、浄土真宗の教えに相応しくないものも数多く残っています。

その代表格と言っていいのが「一膳飯のお供え」です。

お通夜から葬儀にかけてお茶わんにご飯を盛って箸を突き立てたお供えが一膳飯です。

この風習は元来、葬儀の後にその茶わんを叩き割ることとセットになっています。

 日本古来の考え方に、人は死後「霊」といういのちの姿になって、そのあたりをウロウロとうろついている、というものがあります。

そして、時にその「死霊」が「荒魂」となって人々に害を及ぼすことがあるというのです。

そこで、死後に間違ってもこの家に帰ってきてもらっては困るということで、最後にご飯を供えて霊を慰め、葬儀の後に「帰るところは無い」と故人のお茶わんを割るという風習が昔はあったのです。

 けれども、これは葬儀の場で大切な人を亡くした悲しみの中に有りながら、一方で亡き人に対してかなり酷い仕打ちを行っていると言わざるを得ません。

もちろん、浄土真宗のみならず、仏教の教えに照らしても全く間違った風習だと言えます。

 仏教は、真実に目覚め仏さまのさとりを得る教えです。

浄土真宗では、いのちが終わるその時に阿弥陀如来のはたらきによって仏の国(浄土)に往生して覚りを開く(仏となる)。

そして仏として仏のお仕事(衆生の救済)をするという役目につくのです。

 仏事にまつわる物事の中には、「一膳飯」のみならず「昔からの…」ということで、形として残っているものも多いようですが、一つ一つの物事が意味することをしっかりと知って、間違っていることは行わないようにしたいものです。