投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

『人生 邂逅(めぐりあい)の不思議』

 

 「邂逅(かいこう)」という言葉は、辞書には『思いがけず会うこと。

めぐりあい』と、また「不思議」という言葉は『「不可思議」の略。

想像のつかないこと。

論理的に説明がつかないこと』と説明してあります。

そうしますと、この言葉は「人生とは想像のつかないことや人に、思いがけず出会うこと」と、理解することができるように思われます。

 確かに、私たちの人生というのは「出会いの連続である」といえます。

あの人に出会いこの人に出会い、あのことに出会いこのことに出会い、そしてやがて命の終わりに出会って行く。

このような意味で、出会いの連続を生きるのが、私たちの人生の具体的内容であるといえます。

 そうしますと、その出会いの連続の中で、人生が出会いであるということの意味を教えてくれるような人や出来事に出会えるということが、私にとっては何よりも大切なのではないでしょうか。

 けれども、人生が出会いであるということは言葉の上では理解し得ても、その有り難さ尊さというものを教えてくれる人に出会うことができなければ、そのことを真の意味で実感することはなかなか難しいようです。

 いま出会っている周囲の人々は、まさに不思議なご縁によって出会っているといえる人々だと言えるのですが、その人々から、私は何を学び取ることが出来るでしょうか?

「親鸞聖人の念仏思想」 (1)6月(前期)

 親鸞聖人の念仏思想は難解であるといわれます。

それは、私たちの理解力に問題があるからだと思われるのですが、それにもまして大きな原因だと考えられることは、親鸞聖人が語ろうとしておられる真理と、私たちが親鸞聖人から学ぼうとしている事柄との間に大きな相違があることだといえます。

親鸞聖人には主著『教行信証』を通して、これこそを明らかにしたいという一つの真理があります。

ところが、それを学ぼうとする私たちの側には別の期待感があって『教行信証』を読むものですから、ここには自分の期待していることが何も説かれてはいないという失望感が残ってしまうことになるのです。

しかも、そのわからないところを自分であれこれ理屈をつけて理解しようとするものですから、余計にわからなくなってしまうことになるのです。

そのズレを、最も大きく引き起こしているのが、親鸞聖人の念仏思想への理解の仕方だといえます。

 では、親鸞聖人は念仏についてどのようなことを説こうとしておられるのでしょうか。

 まず、仏教が仏道の面で「行」というときは、必ず人間の行為性をとらえます。

「行」という言葉には普通二つの意味が考えられます。

一つは「諸行無常」という言葉に現れてくる行で、これはものごとが移り変わるとか、動いていくことを意味しています。

それともう一つは「修行」という言葉で使われる行の意味です。

これは進歩する都下、向上するとかいうことです。

いま念仏行という場合は、この「修行」という行の意味で問題になるのです。

その行とは、いうまでもなく、迷っている者が仏価に至るために、自分自身で懸命に行う行為のことです。

その修行の内容いかんによって、悟れるか悟れないかが決定するのです。

したがって、仏教において「行」は非常に重要なのです。

まさに「行を除いて仏教はありえない」といえるほど、重要なのです。

「念仏が育てる心」〜金子みすゞの世界〜(上旬) イワシのお葬式

======ご講師紹介======

 上山 大峻さん(浄土真宗教学伝道研究センター所長)

☆ 演題 「念仏が育てる心」〜金子みすゞの世界〜

昭和九年山口県生まれ。前龍谷大学学長で浄土真宗教学伝道研究センター所長。

龍谷大学大学院文学研究科博士課程を修了。卒業後。龍谷大学国際文化学部教授を経て、平成十一年より四年間、龍谷大学学長を努められました。

また、文学博士であられ、ご専門は仏教学。経典などの古写本研究を四十年近く行われており、著者に『敦煌仏教の研究』『仏教を読む』などがあります。

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浄土真宗教学伝道研究センター所長 上山大峻 さん

 私は山口県の山陰側の油谷町に生まれ、現在もそこにあるお寺の住職をしております。

下関から山陰線で北上、ちょうど二時間ぐらいで人丸駅という所に着きます。

そこは人丸神社という神社があるところで、その地域が油谷町です。

ある時、油谷町の広報誌に有名な金子みすゞさんの「大漁」という詩が載っていたのです。

朝焼け小焼けだ 大漁だ

大羽鰮(いわし)の大漁だ

浜は祭りのようだけど

海の中では何万の

鰮のとむらいするだろう

びっくりしました。

人間ではこの詩は詠めない。

なぜなら、人間は自分のことしか考えないからです。

人間の命が一番大切、私の命が一番大切という自己中心の心(我執とも言います)に固まっているのが人間だからです。

イワシが取られたのを悲しんで、仲間たちがお葬式をしているだろうという発想は人間の心からは絶対に出てこない。

ところがこの人は、その心で詠んでいるのです。

 どんな人だろうと思って早速本屋に行って本を探したら『小鳥と私とすずと』という青い表紙の本があったのですが、それは幾つかの詩を抜粋したものでした。

本屋さんが言うには、ほかに五百十二編の詩を全部収録した『金子みすゞ全集』というのがあるというので、取り寄せてもらい、読み通してみました。

そうしたら、やはりありました。

この「大漁」の詩を始めとして、仏さまの心でないと詠めない、あるいは仏教の話を聞いている人でないと詠めないような詩が、他にもたくさん見つかったのです。

 お聞きになったことがあるかもしれませんが、最初金子みすゞさんを世に出されたのは、早稲田大学出身の矢崎節夫さんです。

矢崎さんは偶然に「大漁」という詩を岩波文庫の日本童謡集で読まれた。

十九歳の時だったといいます。

やはり心を揺さぶられたんだそうです。

何とかしてこの詩を詠んだ人に会いたい。

もっと他にはないだろうかと探して歩かれた。

そして、金子みすゞさんの弟さんに出会い、みすゞさんが書き遺して預けていた三冊の手帳を譲り受けられて、五百十二編の詩を本にして発表されたのです。

 後になって知ったんですが、みすゞさんは私と同じ地域の出身で、同じ大津高校の先輩なんです。

みすゞさんは大津郡立大津高等女学校を出ておられるんですけれども、この女学校が後に男子高校と合併したのです。

そして私が行った大津高等学校になったわけです。

だから先輩になるのです。

みすゞさんは、この高校の学区内かの仙崎から通っていました。

そのことを知って、こんな人が私たちの土地から生まれていたことにまたびっくりしました。

 金子みすゞさんの素晴らしい詩を知ってもらいたい、そんな思い出今日もお話をさせていただくわけです。

 行かれた方もあるかと思いますが、仙崎という土地は漁村です。

「仙崎かまぼこ」で有名です。

青海島(あおみじま)という風光明媚な観光地でも知られております。

金子みすゞさんは、その仙崎の町の金子文栄堂という書店に生まれ育ちました。

そして、書店の店番をしながらいろいろな本を読んでいたらしい。

それが彼女の詩心を育てたんだと思われます。

 この仙崎という所は、大変仏教の盛んな所なんです。

浄土真宗のお寺が六つ、浄土宗のお寺が四つと日蓮宗のお寺が一つあります。

小さい漁村なのにたくさんお寺があります。

人々は毎日のようにお墓にお参りをして花を生け変えられます。

とてもご先祖を大切にする所なんです。

そういう所にみすゞさんは生まれて、自然に仏教の心が身についたのだと思います。

その心で詠ったのが、人々の心を揺さぶった「大漁」という詩なんですね。

「今をいかに生きるか」(2)5月(後期)

 最大の悲劇が臨終の時に見られるのが、私たちの偽らざる姿だといえますが、では浄土真宗の信者の人々はどうであったのでしょうか。

そこで、百年、あるいは二百年前の信者はどのように臨終を迎えられたのかということを「妙好人」といわれた篤信の人々の例から窺うことができます。

ある妙好人がいま亡くなろうとしています。

そしてそこには多くの仲間が集まってきています。

そこでみんなが別れを悲しむことになるのですが、そのとき別れを悲しんでいる仲間に対して、死んで行く妙好人が次のようなことを静かに語るのです。

「共に念仏を喜んで生かされよ」ということを集まっている人々に説くのです。

これは、現代の私たちの姿とは全く逆の姿です。

臨終を迎えるものが、元気な人々によって支えられるのではなく、死に往く人が別れに集まった人々の心を癒そうとしているのです。

浄土真宗の信仰は、死を目前にして、自らの死を悲しむのではなく、頂いた念仏の慶びを残された人々に伝え、悲しむその人々の心を慰めるはたらきをするのです。

これは、自分の最悪の場である臨終で、「ただ他のために仏法を伝える」という大乗菩薩道がまさに凡夫である念仏者によって実践されているのだといえます。

私たちはどうすれば、本当にこの世を生きることができるのでしょうか。

真の意味で、永遠の世界と自分が関わりを持つこと、この無限に大きい世界の中で、自分が永遠に慶びをもって生かされるというような心を持つことが出来たとき、私たちは初めて実際的に味わう心の安らぎとは関係なく、たとえどのような悲惨な人生に出会ったとしても、その中で自分自身、念仏を慶び、自らの輝く命の尊さを誇ることが出来るようになるのではないでしょうか。

なぜ私たちにとって念仏が必要なのか。

それは念仏によってのみ、仏によってえいえん生かされる、自分の心の無限の尊さを知りうるからです。

このように意味で、念仏のこの世界における重要性を、いま一度、念仏の世界そのものから問い直すことが必要になるのです。

そこで「では浄土真宗の教えとは何か」ということが問われることになります。

「子供を叱れない大人たちへ」(下旬) 怒られるのが嫌

法務省少年篤志面接委員 桂 才賀 さん

 『現代青少年起筆川柳集足利編』。

これは中学生の作品なのか、小学生の作品なのか、一切書いてないんでわかりません。

みなさんで勝手にご判断ください。

 「勉強のやる気の失せる母の声」「勉強中顔出す父はただの邪魔」「叱る時ひとこと言わせて私にも」「わけ聞かず頭ごなしに叱るなよ」「片付けなさいと言うけれど自分の物も片付けろ」「勉強せい昔はあんたも言われたの」「世間体事件きっかけすぐばれる」

 先生方に対する作品も多いのに驚きました。

いかに今の子どもが先生に対しての不満が多いかってことです。

私がその作品の中で特に気に入ったのがこれです。

 「この人は向いてないのに教育者」

またこんなのもありました。

「立ち上がれシルバーシートの高校生」

 これは誰が考えたかお察しになれますよね。

高校生に立ち上がれって言ってんだから、中学生か小学生の作品っていうことですよね。

たくさん作品が出来上がり、みんなが選んだダントツトップの作品が、実はこれです。

 「たまにはよ叱ってみろよ大人たち」

 「叱ってるよ」って言う方がほとんどなんですが、いや実は叱ってないんです。

怒っているんです。

「怒る」も「叱る」も一緒じゃねぇかって言う方がいますが、大違いなんです。

 「怒る」というのは、自分が気に入らない状況になった時に爆発してる状況です。

「怒る」っていうのは、年輪、教育、教養がなくてもできるんですね。

子どもでも怒れるんです。

 「叱る」というのは、辞書に「過ちを正してあげること」となっているんです。

過ちを正してあげようとする時は、カッかしてちゃできないですよ。

カッかしてるってのは怒ってるんです。

叱ってやる時は、怒りを抑えなきゃならないんです。

 「怒る」と「叱る」じゃレベルが全然違うんです。

だからそれをちゃんと子どもたちが訴えている訳ですよ。

「大人、先生、怒ってばっかりじゃん。

叱って見ろよ。

たまには叱ってくれよ、怒ってんじゃなくてよ」。

誰でもそうですが、彼らたちも怒られるのが嫌なんです。

でも叱ってくれているのは、自分のことを思ってということをちゃんとわかっています。

怒っているのと叱っていることの区別を子どもはしっかりわかっているんです。

 ところが、今のほとんどの大人、ほとんどの教師、ほとんどの警察官、こういう連中は怒ってはいますが叱っていないんです。

「たまにはよ叱ってみろよ大人たち」

 ぜひみなさん、叱ってやってください。

怒るんじゃなくて、叱ってやってください。

『この世でいらない人は 一人もいない』

一般に私たちは「役に立つ」「役に立たない」ということを基準にして自分や他の人たちを評価しがちです。

そのために、自分が「世の中の役に立っている」と思える時は生き生きとしていますが、そう思えなくなると生きてゆく自信や希望さえも失くしてしまうことがあります。

 けれども、そのような評価の仕方は明らかに間違っています。

例えば、生まれて間もない赤ちゃんは世の中のことに対して、何の役に立っていないばかりか、常に周囲の人の手を煩わせ、すべてのことを委ねています。

それにもかかわらず、その存在は周りの人々の笑顔を誘い、生きる勇気を与えてくれます。

 人間にとって一番恐ろしい病気は「自分は誰にも見向きもされない。

自分みたいな者は、この世になくてもいい存在なんだ」と思ってしまうことだといわれます。

したがって、どれほど近代的な医療が発達しても「自分は自分に生まれてよかった」ということを実感することが出来なければ、この病気を克服することは難しいと思われます。

 「役に立つ」ということが人間の価値の基準ではありません。

あなたも、私も、そしてすべての人々が「大切な存在」なのであって、まさに存在そのものが尊いのです。

この世の中には「いらない人」など一人もいないのです。

仏さまの教えは、この「一人ひとりが大切な存在」であることを明らかにしてくださいます。