投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

『聞思まことのみ法に自らを問う』(後期)

 「生きているうちが華だから、死んだら終わり」

 という考えを持っている方が、少なからずいるように思います。

 なるほど、普通に考えれば、そりゃそうだ、とうなずけそうです。

 しかし、もう少しはっきりした文体で考えると、どうでしょうか。

 わたしが生きているうちが華だから、わたしが死んだら終わり。

 つまり、自分の人生が華だから他のいのちを踏み台にしても自分の華を求めるべきだ、死んだ後の世界はどうでもいい、です。

 自分中心の人が出会うと、争いが起こり踏みつけ合ってしまいます。

 結果、華の人生ではなく、地獄を作っていくのです。

 死んだ後のことを考える必要がないなら、自分の子や孫に対しても、その他大勢の生き物に対しても、なんら愛情を注ぐ必要はありません。

 このような生き方が華でしょうか。

 ある先生がおっしゃっていました。

 「あなたのお母さんは、どうしてお母さんと呼ばれるのですか」と。

 ほとんどの方は、

 「私を生んでくれたからです」と答えるでしょう。

 しかし、先生は他の答を持っていると言われます。

 それは

 「自らがお母さんと名乗るから、お母さんと呼ばれる」という答えです。

 世の中には色々な家庭があり、自分で生まなくてもお母さんと呼ばれる人は沢山います。

 その家庭でも、子どもがお母さんと呼ぶのは、お母さんが小さな時から

 「お母さんがご飯を持ってきたよ」

 「お母さんがおむつを替えるよ」

 と、呼び続けてきたからです。

 少し古い曲ですが、

 「こんにちは赤ちゃん私がママよ」という歌がありました。

 その通りです。

 「私がママよ」と呼びかけているのです。

 そしてその呼びかけの中には、あなたがどうであろうと私はあなたのお母さんであり続ける、ビリでも失敗しても、落ちこぼれでも、私があなたの母だ、という強い意志が見て取れます。

 「ナモアミダブツ」は仏さまのお名前です。

 そしてその名前には、お母さんという響きが持っているのと同じような働きがあります。

 「私はナモアミダブツだ、あなたを必ず救うナモアミダブツがここにいるぞ」

 と聞いてみてはどうでしょうか。

 子どもが

 「お母さん」と言うまでには、それなりの時間がかかると思いますが、お母さんは何度も何度も

 「お母さんだよ」と呼びかけを繰り返し、ようやく私が気づくようなありさまです。

 仏さまはずっと

 「必ず助ける、ナモアミダブツだよ」と呼びかけ続けておられます。

 聞いて、聞いて、聞いて、親の働きに感謝し、親の名前を呼べる人生をありがたく思うことが人生の華なのではないでしょうか

 

真宗講座末法時代の教と行 浄土真宗の教行信証 9月(後期)

では、なぜ

「浄土の真宗は証道今盛り」と言えるのでしょうか。

それは、阿弥陀仏の大悲によって教行証のすべてが、ここに廻向されているからに他なりません。

それ故に、釈尊の教えによって、この弥陀の大法を頂戴する者は、末法の現世においても行を成就し証果に至ることができます。

浄土真宗が

「証道今盛りなり」といわれるのもまた、当然のことだと言えます。

ここにおいて、聖道の諸教と浄土の真宗、すなわち釈尊の仏教と親鸞聖人が明らかにされた阿弥陀仏の仏教の証果に至る構造は、次のように対比することができます。

聖道の諸教・行を信じ行じて証に至る

浄土の真宗・教に説く行を信じ証に至る

聖道の諸教(浄土の第十九・二十願の教をも含む)では、衆生は、釈尊の教えを一心に信じ、教えのごとく行じて仏果に至るのですから、教えに対して行者は、一毛の疑惑心を持つことも許されません。

ひたすら教えに信順し、行道に専念することによってのみ証果が得られるのです。

そこで信が初入で最も

「易」、証が究極で最も

「難」、行がその難に至る道程であるため

「難行」というのです。

しかもこの「行」が、仏果を得る因となるのですから、衆生にとって、行が最も重視されることになります。

では、浄土真宗の教えはどうでしょうか。

阿弥陀仏の仏教は、仏の大行が無条件で一切の凡愚を救うという法です。

釈尊は、自身の出世本懐の教えとしてこの法を説かれました。

そうすると、衆生はこの釈尊によって明らかにされた、阿弥陀仏の大行をただ信じるのもで、証果は自然に開かれます。

こうして、阿弥陀仏の大行が私を仏果に至らしめるのですから、行と証は衆生にとっては

「易」の至極です。

これに対して信は、この不可思議なる法を、愚かな凡夫が果たして真実、信じることが出来るかどうかが問われている心だということになります。

ここで、両者、聖道の仏教と浄土の真宗の行と信の関係を見ると、前者では信から行へと、信行の次第を、後者は行から信へと行信の次第を呈しています。

これは、単に順序が逆だという問題ではなく、仏果に至る法の構造が根本的に異なっていることを意味しています。

聖道の仏教においては、仏の教えを行者が信じ行じて証に至るのですから、教のみが仏から衆生へという仏のはたらきの中にあります。

これに対して信と行と証は、行者自身が仏になろうとする発菩提心と行業によって開かれる証果ですから、衆生自体のはたらきを示します。

一方、浄土の真宗においては、教と行と証が阿弥陀仏が、衆生を仏果に至らしめる法のはたらきとしてあります。

その法を衆生が領受する場が信です。

したがって

「信」のみが衆生が法とかかわることのできる唯一の場であると同時に、衆生のただ一つの主体的なはたらきになります。

この故に、信が衆生にとって最も重要な要因、仏果に至る真因となるのです。

衆生は、信によって法と出遇うのですが、それがほんの一瞬、あるいはわずか一点の事柄であっても、その接点の真の覚知は、凡愚自体の問題であるが故に、この信がまさに

「難中の難」なのです。

親鸞聖人が

「無上妙果の成じ難きにあらず、真実の信楽実に獲ること難し」

といわれるのは、まさしくこの点を述べられたものであると窺えます。

むすび

真宗者にとって

「念仏」とは何でしょうか。

これまで述べてきた法の構造が明かになるならば、自然とここに四つの場が開かれることになります。

第一は、未だ真の意味で浄土真宗の法門に出遇っていない者にとっての念仏です。

第十九・二十願の念仏がそれで、この者の念仏は聖道仏教の行と同一の場におかれています。

したがって末法にあっては、この行は直接的には仏果への行業となりえません。

けれども、その念仏の功徳は、やがてこの者を浄土真宗の法門へと導くことになります。

親鸞聖人にとっては、法然聖人に出遇われる以前の念仏、三願転入の構造がそれで、念仏が行者をして真に苦悩せしめ、阿弥陀仏の本願に出遇わしめるのです。

第二は、阿弥陀仏の本願としての念仏です。

親鸞聖人は法然聖人によってこの大法を信知せしめられました。

一声の念仏を通して、一切の衆生を救う阿弥陀仏の大行がこれで、親鸞聖人にとっての念仏義は、主としてこの阿弥陀仏の救いの構造として述べられています。

第三は、この阿弥陀仏の大行を、衆生が自身の主体を通して信知する場です。

第二が法の場の念仏であるとすれば、第三は機の場の念仏です。

獲信の構造としての念仏であり、親鸞聖人においては

「信の一念」の時がこの念仏です。

第四は、獲信者が念仏もの行者として生きる念仏の場です。

ここでは、真の念仏者の実践が問われることになります。

したがって、四つの場を見ることなく親鸞聖人の念仏を論じることは、必然的に論そのものが矛盾をきたすことになります。

したがって、親鸞聖人の念仏義について考える場合、その文章がどの場で述べられているのかということを明確に理解することが何よりも大切になります。

なお、これまで述べてきた

「末法の教行としての念仏」

は、第二の念仏論であることは言うまでもありません。

ONEPIECE

ONEPIECE

ご存じの方も多いと思います。

週刊少年ジャンプに連載されている漫画です。

私も大好きです。

この漫画(「ONEPIECE」)親が子どもに読ませたい漫画ランキング一位なんです。

そんなランキングがあったなんて驚いてしまいましたが

私が子供の頃は「読みなさい」親にそういって渡された漫画は『漫画日本の歴史』でした。

今の子どもは「この漫画を読みなさい」そう言って『ONEPIECE』を渡されるんだな。

羨ましい。

ちなみに

一位にONEPIECEが選ばれている多くの理由が

“仲間の大切さを学べるから”

らしいです。

いつか

ONEPIECEが教科書に載る日が来るのかもしれないですね。

「生涯トライアウト」(下旬)誰がやるんだ、俺だろ

 そしてプロレスを引退して新しい人生が始まる訳ですが、私の人生は浮き沈みが激しいんです。

 プロレスラーのデビュー直前に交通事故に遭って、全治三年の大怪我を負いましたし、プロレスで成功した一方で事業に失敗して大変な目にあったりもしました。

 しかは、私はミスター・トライアウトですから、こんなところで弱音を吐く男じゃありません。

 なぜなら、多くの方から応援や支援をして頂きながらプロレス活動を続けてきたからです。

 だから、誰かが音をあげても、私は最後まで音をあげないんだという思いで、挑戦を続けます。

 一生懸命やる。

 それしかないんです。

 それが演題の通り、私の人生全てがトライアウトということなんです。

 その新しい道として農業を選びました。

 鶴の飛来で有名な出水市で、一年間農業研修をしたんです。

 私自身が市来農芸高校出身というのもありましたし、実家が農家ということもありましたので、自分の中で農業をやるきっかけとなる要素はいろいろあったと思います。

 しかし、やっぱり私が農業をやろうと最終的に決めたのは、事業に失敗して、これじゃダメだと思っていた頃に起こった東日本大震災でした。

 それが一番の引き金になりましたね。

 真剣に日本の食はまずいことになるんじゃないかと思ったんです。

 それでこういう性格なものですから、

 「誰がやるんだ、俺だろ」

 ということで、完全にスイッチが入りまして、自分自身も新しい道の選択をしなきゃいけない時期でしたので、農業という道を選んだ訳です。

 さらに言えば、農業は自分がこれまで培ってきた体と体力を活かせる場所だったんですね。

 いろんなきれいごとはありますけど、それはまだ結果が出ていないので、これからだと思います。

 今は出水市でプチトマトを中心にいろんなものを作っています。

 農業は大変で、儲からないとか、割に合わないとか、いろいろ言われますし、事実そういうこともあります。

 でも、やるんです。

 自分が作ったものが、少しでも人のためになるのなら、私は嬉しいです。

 生活も大事ですが、私は少しでも社会に恩返しをしたい、少しでも役に立ちたい、自分が生まれてきた意味を見つけたい、そう思っています。

 なぜ自分は今ここに生きているのか、きっと自分には生まれてきた意味や役割があるんじゃないかと思っています。

 この道ではまだまだ新人なので大きなことは言えませんが、まずはご報告まで。

 農業やっています。

 

親鸞・去来篇 川霧 9月(7)

あさましいこの女の狂態を見るにつけて、範宴は、一昨日(おととい)、鍛冶ケ池の畔(ほとり)で逢った弟のことを思い出した。

弟は、あの時、池のふちで年ごろの若い娘と列(なら)んでいた。

まさか、人目にとやこういわれるほどのことではあるまいが、弟は、自分とちがって、蒲柳(ほりゅう)だし、優しいし、それに、意志がよわい。

範宴が、今度、叡山を下りてから、何よりもふかく多く心に映ったものは、

「女」

だった。

女のいない山から下りてみると、世間は女の国に見える。

女だらけに見える。

わずらわしいことにも思い、何か急に明るい気もちもして、自分の年頃に、おぼろな不安と温かさを醸(かも)していた。

「お師さま、弱りました」

さっきから、女をなだめすかしていた性善房は、持てあましたようにいった。

「どうしても、家へ帰らないというのです」

範宴が今度は、

「宇治かの、おもとの家は」

と訊いた。

「いやです。帰るくらいなら、一人で帰る」

「そういわないで、私たちも、宇治の町へ行く者です。送ってあげよう」

「くどい坊さんだね」

「私たちの使命ですから、気に食わないでも、ゆるして下さい。私は、おもとを幸福にしてあげたいのだ」

「笑わすよ、この人は。人間を幸福にしてやるなんて、そんな器用なまねが、人間にできるものか」

「私の力ではできません。仏の御力(みちから)で――」

「その仏が、私は大嫌いだよ。――死にたいというのに、邪魔をするし、嫌いだというものを押しつけるし、お前たちは、人を不幸にするのが上手だよ」

「とにかく歩きましょう」

「嫌――」

「おもとの望みのようにして上げたらよかろう」

「わたしの望みは、わたしの男を自分のものにすることだ」

「やさしい願いではありませんか」

「とんでもないことをおいいでない、男には、ほかに、女ができているんだよ」

「その男とは、おもとの良人(おっと)でしょう」

「まだ、ちゃんと、何はしないけれど……」

「ようございます。私どもが真ごころを尽して、男の方に申しましょう。わるいようにはしない……さ、歩いてください」

やっと、宇治の町まで連れてきて、女の家をたずねると、

「そこ――」

と、裏町の穢(きたな)い板長屋の一軒を指さした。

御烏帽子作国助と古板に打ちつけてある。

範宴が、板戸をたたいて、

「こん晩は」

訪れると、その隙に、女は性善房の手を振り椀(も)いで、逃げようとした。

お墓参りは、実物のお墓ではなく、インターネットのお墓でも良いのでしょうか?

近年、新しい形のお墓参りが徐々に広がりつつあるんだそうです。

それはお墓や遺影、法名や戒名、生前の写真が、パソコンや携帯電話の画面にあらわれる

「ネット墓地」

と呼ばれる物で、つまりは、インターネット上にお墓があり、お寺に足を運ばずにお参りすることができるというものなんだそうです。

高齢者や遠方に住んでいてお墓参りに行きにくい、子どもがいないため実際のお墓だと今後の管理が難しいという方が利用しているサービスなんだそうです。

ネット社会が生んだ奇抜な発想のユニークな試みといえるような気がしますが、利用者やご存じの方には様々な反応があるようです。

「実際のお墓にはなかなか行くことができないけれど、頻繁にお参りできるほうがいいかもしれない」

「場所を取らなくていい」

「お墓の維持費や建立費用がかからない」

といった声がきかれるようです。

反対意見としては、

「サーバーの不具合により、データがなくなったらどう責任をとるのか?バックアップの面はどうなのか?」

「やはりお墓は実際に行くべきもの」といった声や

「情緒に欠け、抵抗がある」

といった反応もみられるそうです。

遠方からだとお墓参り自体が難しく、高齢者にとってはそれがなおさらのこととは言えます。

また都市部には土地がなく新規にお墓をたてることが難しく、さらには少子化でお墓を管理していくことも困難な時代になっていると言えるようです。

様々な事情でお墓参りが困難な方にとって

「ネット墓地」

という選択肢がうまれたと言えるのではないでしょうか。

海外では、交通事情・墓不足の理由で日本よりも

「ネット墓地」

が広がっているんだそうです。

浄土真宗におけるお墓とは、ご先祖様や故人を偲び仏縁をいただく場所です。

ご先祖さまに感謝しつつ、いのちの行き先が浄土であることを再確認する場であり、先祖の霊を追善供養するものではありません。

お墓は故人の遺体、遺骨、その他の遺品(髪、爪など)を納める場所のようなものと考えるのがよい気がします。

お墓の意味としては故人をしのび、私たちの命のはかなさ(無常)を通して阿弥陀様の大きな慈悲に気づかさせていただく御縁の場所です。

お念仏の教えをいただいた方はすべてお浄土に生まれ阿弥陀さまと同じさとりを開かせていただきます。

すなわちお墓は故人の遺徳をしのび、私たちにかけられた故人の願いに耳をかたむけていかなくては、なりません。

お墓やお仏壇や法事といったお参りするということは、そういう御縁に合わせていただくお勤めなのです。

私たち念仏者はなくなると同時に、浄土に生まれます。

そしてお浄土で阿弥陀さまと同じ悟りを開かせていただきます。

ゆえに私たちのほうから、仏さまに向かって成仏しただろうか?とか、どこに行ったのか?故人の魂はどうだろうとか、いろんなことを心配しますが、心配されているのは、私たちのほうであることに気づかされることが大事なことです。

インターネットのお墓や実際のお墓に限らず、お参りのご縁を通して、故人の遺徳をしのび、私たちに、かけられた故人の願い・阿弥陀様の私たちをあんじるお心を聞かせていただく、聴聞のご縁として仏縁いただいていくことが大切であると言えるでしょう。

お念仏の生活を心から、よろこび味わせていただきたいものですね。