投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

親鸞・去来篇 川霧 9月(7)

あさましいこの女の狂態を見るにつけて、範宴は、一昨日(おととい)、鍛冶ケ池の畔(ほとり)で逢った弟のことを思い出した。

弟は、あの時、池のふちで年ごろの若い娘と列(なら)んでいた。

まさか、人目にとやこういわれるほどのことではあるまいが、弟は、自分とちがって、蒲柳(ほりゅう)だし、優しいし、それに、意志がよわい。

範宴が、今度、叡山を下りてから、何よりもふかく多く心に映ったものは、

「女」

だった。

女のいない山から下りてみると、世間は女の国に見える。

女だらけに見える。

わずらわしいことにも思い、何か急に明るい気もちもして、自分の年頃に、おぼろな不安と温かさを醸(かも)していた。

「お師さま、弱りました」

さっきから、女をなだめすかしていた性善房は、持てあましたようにいった。

「どうしても、家へ帰らないというのです」

範宴が今度は、

「宇治かの、おもとの家は」

と訊いた。

「いやです。帰るくらいなら、一人で帰る」

「そういわないで、私たちも、宇治の町へ行く者です。送ってあげよう」

「くどい坊さんだね」

「私たちの使命ですから、気に食わないでも、ゆるして下さい。私は、おもとを幸福にしてあげたいのだ」

「笑わすよ、この人は。人間を幸福にしてやるなんて、そんな器用なまねが、人間にできるものか」

「私の力ではできません。仏の御力(みちから)で――」

「その仏が、私は大嫌いだよ。――死にたいというのに、邪魔をするし、嫌いだというものを押しつけるし、お前たちは、人を不幸にするのが上手だよ」

「とにかく歩きましょう」

「嫌――」

「おもとの望みのようにして上げたらよかろう」

「わたしの望みは、わたしの男を自分のものにすることだ」

「やさしい願いではありませんか」

「とんでもないことをおいいでない、男には、ほかに、女ができているんだよ」

「その男とは、おもとの良人(おっと)でしょう」

「まだ、ちゃんと、何はしないけれど……」

「ようございます。私どもが真ごころを尽して、男の方に申しましょう。わるいようにはしない……さ、歩いてください」

やっと、宇治の町まで連れてきて、女の家をたずねると、

「そこ――」

と、裏町の穢(きたな)い板長屋の一軒を指さした。

御烏帽子作国助と古板に打ちつけてある。

範宴が、板戸をたたいて、

「こん晩は」

訪れると、その隙に、女は性善房の手を振り椀(も)いで、逃げようとした。

お墓参りは、実物のお墓ではなく、インターネットのお墓でも良いのでしょうか?

近年、新しい形のお墓参りが徐々に広がりつつあるんだそうです。

それはお墓や遺影、法名や戒名、生前の写真が、パソコンや携帯電話の画面にあらわれる

「ネット墓地」

と呼ばれる物で、つまりは、インターネット上にお墓があり、お寺に足を運ばずにお参りすることができるというものなんだそうです。

高齢者や遠方に住んでいてお墓参りに行きにくい、子どもがいないため実際のお墓だと今後の管理が難しいという方が利用しているサービスなんだそうです。

ネット社会が生んだ奇抜な発想のユニークな試みといえるような気がしますが、利用者やご存じの方には様々な反応があるようです。

「実際のお墓にはなかなか行くことができないけれど、頻繁にお参りできるほうがいいかもしれない」

「場所を取らなくていい」

「お墓の維持費や建立費用がかからない」

といった声がきかれるようです。

反対意見としては、

「サーバーの不具合により、データがなくなったらどう責任をとるのか?バックアップの面はどうなのか?」

「やはりお墓は実際に行くべきもの」といった声や

「情緒に欠け、抵抗がある」

といった反応もみられるそうです。

遠方からだとお墓参り自体が難しく、高齢者にとってはそれがなおさらのこととは言えます。

また都市部には土地がなく新規にお墓をたてることが難しく、さらには少子化でお墓を管理していくことも困難な時代になっていると言えるようです。

様々な事情でお墓参りが困難な方にとって

「ネット墓地」

という選択肢がうまれたと言えるのではないでしょうか。

海外では、交通事情・墓不足の理由で日本よりも

「ネット墓地」

が広がっているんだそうです。

浄土真宗におけるお墓とは、ご先祖様や故人を偲び仏縁をいただく場所です。

ご先祖さまに感謝しつつ、いのちの行き先が浄土であることを再確認する場であり、先祖の霊を追善供養するものではありません。

お墓は故人の遺体、遺骨、その他の遺品(髪、爪など)を納める場所のようなものと考えるのがよい気がします。

お墓の意味としては故人をしのび、私たちの命のはかなさ(無常)を通して阿弥陀様の大きな慈悲に気づかさせていただく御縁の場所です。

お念仏の教えをいただいた方はすべてお浄土に生まれ阿弥陀さまと同じさとりを開かせていただきます。

すなわちお墓は故人の遺徳をしのび、私たちにかけられた故人の願いに耳をかたむけていかなくては、なりません。

お墓やお仏壇や法事といったお参りするということは、そういう御縁に合わせていただくお勤めなのです。

私たち念仏者はなくなると同時に、浄土に生まれます。

そしてお浄土で阿弥陀さまと同じ悟りを開かせていただきます。

ゆえに私たちのほうから、仏さまに向かって成仏しただろうか?とか、どこに行ったのか?故人の魂はどうだろうとか、いろんなことを心配しますが、心配されているのは、私たちのほうであることに気づかされることが大事なことです。

インターネットのお墓や実際のお墓に限らず、お参りのご縁を通して、故人の遺徳をしのび、私たちに、かけられた故人の願い・阿弥陀様の私たちをあんじるお心を聞かせていただく、聴聞のご縁として仏縁いただいていくことが大切であると言えるでしょう。

お念仏の生活を心から、よろこび味わせていただきたいものですね。

親鸞・去来篇 川霧 9月(6)

捨てておけない気がした。

範宴は駈けだしつつ

「ああ迅(はや)い足だ、性善房、おもと一人で、先に走ってあの女を抱きとめい」

「かしこまりました」

性善房は、宙をとんで、もう宇治の大橋を彼方へ越えてしまった女の影を追って行った。

案のじょう、女は橋をこえると、町の方へは向わないで、河原にそって上流の方へ盲目的に取り乱したまま駈けてゆく。

「これっ、どこへ参る」

性善房がうしろから抱き竦(すく)めると、女は、甲(かん)ばしった声で、

「どこへ行こうと、大きなお世話ですよ、離してください」

「離せません。おまえは死のうとする気じゃろう」

「死んでわるいんですか」

青白い顔を向けて、女は、食ってかかってくる。

その眼ざしを見て、

(これは)と性善房は思わず面を背けてしまった。

つりあがった女の目は、光の窓みたいに尖っていた。

髪は肩へ散らかっているし、水浸しになった着物だの、肌だのを持って、寒いとも感じないほど、逆上してしまっている。

「なぜ悪いのさ」

女は僧侶のすがたを見て、ことさらに反感を抱いたらしく、かえって、詰問してくるのだった。

「わるいにきまっています。人間にはおのずから、定められた寿命がある。一時の感情で、生命(いのち)を捨てるなどは、愚か者のすることです」

「どうせ私は、愚か者です。愚か者なればこそ」

しゅくっと、嗚咽(おえつ)して、

「男に……男に……」

他愛なくわめいて、また、

「死なして下さい」

「そんなことはできない」

「面当(つらあて)に、死んでやるんです」

と、おそろしい力でもがいた。

性善房が持ち前で、そのかぼそい手頸(てくび)を捻(ね)じ上げて、範宴の来るのを待っていると、女は性善房が憎い敵ででもあるように、指へ噛みつこうとさえするのだった。

「落着きなさい。

……痴情の業(わざ)のするところだ、醒(さ)めた後では、己れの心が、己れでもわからないほど、呆(あ)っ気ないものになってくる」

「お説教ならお寺でおしなさい。

私は、坊さんは嫌いです」

「そうですか」

苦笑するほかはない。

範宴が、追いついてきた。

「どうした、性善房」

「抑えました」

「ひどいことはせぬがよい」

「なに、自分で狂い廻って、泣きさけぶのです」

「お女房――」

範宴は背をなでてやって、

「行きましょう」

「どこへさ」

「あなたのお宅まで、送ってあげます。風邪をひいてはなりません。着物も濡れているし…」

「死ぬ人間に、よけいなおせっかいです。かまわないで下さい」

女人は救い難いものとはかねがね聞かされているところであったが、こういうものかと、範宴は、しみじみと見つめていた。

親鸞・去来篇 川霧 9月(5)

ふと、振りかえって、女のうしろ姿を見送りながら、

「もし……」性善房は、範宴の袂(たもと)を、そっと引いた。

「――あの女房、泣いているではありませんか」

「町の者であろう」

「欄干へ寄って、考えこんでいます。おかしな女子(おなご)だ」

「見るな、人に、泣き顔を見られるのは憂(う)いものじゃ」

「参りましょう」

二人は、そういって、歩みかけたが、やはり気にかかっていた。

五、六歩ほど運んでから再び後ろを振り向いたが、その僅かな間に、女のすがたはもう見えなかった。

「や、や?」

性善房は、笈(おい)を下ろして、女のいたあたりへ駈けて行った。

そして、欄干から、のめり込むように川底をのぞき下ろして、

「お師様、身投げですっ」と手を振った。

範宴は、驚いた。

そして自分の迂闊(うかつ)を悔いながら、

「どこへ」と側へ走った。

性善房は、暗い川面を指さして、

「あれ――、あそこに」といった。

水は異様な渦を描いていた。

女の帯であろう。

黒い波紋のなかに、浮いては、沈んで見える。

「あっ、あぶないっ……」

性善房が驚いたのは、それよりも、側にいた範宴が、橋の欄干に足をかけて、一丈の余もあるそこから、跳び込もうとしているからであった。

抱きとめて、

「滅相もないっ」と、叫んだ。

「――私が救います。お大事なお体に、もしものことがあったら」

と、彼は手ばやく、法衣を解きかけた。

すると、河原の方で、

「おウい……」

と、男の声がした。

二、三人の影が呼び合って、駆けつけてきたのである。

川狩をしていた漁夫(りょうし)であろうか、一人はもうざぶざぶと水音を立てている。

川瀬は早いが、幸いに浅い淵に近かったので苦もなく救われたのであろう、間もなく、藻(も)のようになった女の体をかかえて岸へ上がってきた。

「ありがとう」

範宴は、礼をいいながら、男たちの側へ寄って行った。

女は、まだ気を失っていないとみえて、おいおいと泣きぬいていた。

両手を顔にあてながら身を揺すぶって泣くのである。

「どう召された」

性善房が、やさしく、女の肩に手をやってさし覗くと、女は不意に、

「知らないっ、知らないっ」

その手を振り払って、まっしぐらに、宇治の橋を、町の方へ、駈けだして行くのであった。

「あっ、また飛びこむぞ」

男たちは、そういったが、もう追おうともしないで、舌打ちをして見送っていた。

真宗講座末法時代の教と行 浄土真宗の教行信証 9月(中期)

ここは、親鸞聖人の廻向義、阿弥陀仏が衆生を済度するために、自身の功徳の一切をその衆生に廻施するという意味をもそのまま全く動かさないで、この文の廻向の語に重ねることが重要なのではないかと思われます。

そうすると

「二種の廻向」は、どこまでも阿弥陀仏の廻向が述べられていることになります。

逆に言えば、ここは衆生(私)にとっての廻向が語られているのでも、また私の往還の相が説かれているのでもありません。

衆生の主体性が問われているのではなく、阿弥陀仏自体の行為性が問題となっているのです。

したがって、ここでは

「せしめられる」という廻向義は成立しません。

往還の問題もまたその通りであって、往相・還相の廻向そのものが、阿弥陀仏の側より語られなくてはならないのです。

そうすると、往相とは

「衆生が浄土に往生する自利の相状」

ということではなく、

「阿弥陀仏が衆生を浄土に往生せしめる相(はたらき)」

の意味になります。

ここにおいて、親鸞聖人の廻向義の特殊性は、ほぼ消えてしまうことになります。

親鸞聖人は何も

「廻向」に特別な意味を持たせようとされたのではありません。

むしろ仏教の廻向義の本来のすがたをどこまでも求められたのだと言えます。

そして、その究極において仏教における廻向義の一切は、ただ阿弥陀仏の廻向を通してのみ成就されるのだということが明らかになったのです。

このことから

「往相の廻向について真実の教行信証あり」

という文は、次のように理解することができます。

「教」とは、衆生を往生せしめるために、諸仏をして説かしめる阿弥陀仏の本願の教え

「行」とは、衆生を摂取し往生せしめる阿弥陀仏の大行、すなわち正定の業としての称名(名号)

「信」とは、衆生往生の正定の因である大信心

「証」とは、その業因によって得さしめられる衆生の証果

では、なぜ阿弥陀仏はこのような廻向をされるのでしょうか。

穢土の仏教においては、像末法滅の相を呈します。

そこには、真実の行も証も存在しません。

そこで阿弥陀仏は、その衆生の教行信証のすべてを仏自身において成就し、その衆生のすべてを浄土に往生させるために、それを廻向されるのです。

だからこそ、親鸞聖人にとって、阿弥陀仏の仏教が末法におけるただ一つの真実の仏教

「浄土真宗」なのでした。

ところで『教行信証』「総序」に示されている

「真宗の教行証を敬信して」とは、弥陀廻向の法を親鸞聖人ご自身が頂かれた姿ですが、この場合、法としての大行・大信は、ともに

「行」に含まれていると見ることが出来ます。

真宗の

「教行証」の法が、衆生を救済するために弥陀より廻向されて来ます。

衆生はそれを信知するのですが、ここに法と機(衆生)の接点が見られます。

この一瞬を機の側より問われる時、そこにはじめて

「成就文」の「至心に廻向せしめたまへり」

という場が成り立ちます。

つまり「獲信」という機の問題においてのみ

「せしめられる」という親鸞聖人独自の廻向義が見られるのであって、法としての廻向義は、仏教本来の意を微動だにもさせておられないと言えます。

ここにおいて

「後序」で語られた

「聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道今盛りなり」

の意が鮮明に浮かび上がってくることになります。

釈尊の仏教は、行も証もないという

「末法」の相を呈します。

そして、現世は、その末法の時が到来してすでに久しくなります。

にもかかわらず、その釈尊の仏教の教えのごとく道を求めようとする

「聖道の諸教」が、

「行証久しく廃れ」ていると言われるのは当然のことと言えます。

「生涯トライアウト」(中旬)プロレスは、親子の絆を育む

昔は、各地域にみんなをまとめてくれたガキ大将がいました。

逆らうと恐いけど、弱い者いじめはしない。

何かあったら守ってくれるヒーローでした。

そういう人たちのお蔭で、少なくとも私が幼少の頃には陰湿ないじめというのはなかったです。

最近のいじめはネットに誹謗中傷の書き込みをするとか、得体が知れない感じがしますね。

個人的な考えですが、気に入らないことがあればお互いに話し合いをして、それでもだめなら泥んこになって一回くらい戦ってみたらいいんじゃないか。

そうすれば、お互いの良さがわかるのになって思います。

僕らの時代はそういう感覚でした。

戦ってけんかした人ほど今もつきあいが長いです。

お互いのいいところと悪いところが分かっているんですよね。

だから、相手の間違いなども平気で言い合えるんです。

そういう付き合いというものが、今どんどん少なくなってきていると感じます。

私は子ども達を前に、TEAMGAMILOCKチャリティープロレスの試合をしましたが、実はこれにはもう一つ大きなテーマがありました。

それは、お父さんお母さんと一緒に家族できてほしいということです。

なぜなら、子どもは親の姿を全部見ています。

子どもにだけ

「いじめはやめろ、自殺はやめろ」

と言うのは違うと思います。

ちゃんと子どもに愛情を持っているのか。

子どもの話に耳を傾けているのか。

「うちの子は悪くない、他の子が悪い」

と言う親の話をよく聞きますが、そういう親の姿を子どもは見ているんです。

私はプロレス会場で、伝えたい問題を両親に投げかけたかったんですね。

プロレスのいいところは、プロレスを通して親子のコミニュケーションや絆を生んでいくことです。

親と子どもがプロレスという共通の話題で盛り上がれるんです。

一つの共通の話題ができることで、家族の中で

「やっぱり殴る方も殴られる方も痛そうだったよね」

というような会話が聞こえてくるんですよ。

そりゃあ目の前で大きな男たちが戦う訳ですから、誰もが見ても痛そうですよね。

暴力とかじゃなくて、けんかにしても何にしてもそうなんですけど、殴る方も殴られる方も痛い。

体も痛いですが、一番痛いのは心なんです。

絶対お互いにいい気持ちはしないじゃないですか。

そういう角度からもプロレスは伝える力を持っていると信じて、私はチャリティー活動を続けてきました。

その結果、ちゃんと伝わったのかどうか。

これは一人ひとりの心に聞かなければ分からないことではありますが、私は少なからず伝わったと思っています。

全ての人に伝わらなくてもいいんです。

この活動をしたことで、私が伝えたかったことが、一人でも二人でも伝わってくれたらいいなと思います。

その一人二人のために、私はいのちをかけて、引退するまでの五年間、身を削ってプロレスの試合をやってきたんです。