投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

親鸞・去来篇 川霧 9月(6)

捨てておけない気がした。

範宴は駈けだしつつ

「ああ迅(はや)い足だ、性善房、おもと一人で、先に走ってあの女を抱きとめい」

「かしこまりました」

性善房は、宙をとんで、もう宇治の大橋を彼方へ越えてしまった女の影を追って行った。

案のじょう、女は橋をこえると、町の方へは向わないで、河原にそって上流の方へ盲目的に取り乱したまま駈けてゆく。

「これっ、どこへ参る」

性善房がうしろから抱き竦(すく)めると、女は、甲(かん)ばしった声で、

「どこへ行こうと、大きなお世話ですよ、離してください」

「離せません。おまえは死のうとする気じゃろう」

「死んでわるいんですか」

青白い顔を向けて、女は、食ってかかってくる。

その眼ざしを見て、

(これは)と性善房は思わず面を背けてしまった。

つりあがった女の目は、光の窓みたいに尖っていた。

髪は肩へ散らかっているし、水浸しになった着物だの、肌だのを持って、寒いとも感じないほど、逆上してしまっている。

「なぜ悪いのさ」

女は僧侶のすがたを見て、ことさらに反感を抱いたらしく、かえって、詰問してくるのだった。

「わるいにきまっています。人間にはおのずから、定められた寿命がある。一時の感情で、生命(いのち)を捨てるなどは、愚か者のすることです」

「どうせ私は、愚か者です。愚か者なればこそ」

しゅくっと、嗚咽(おえつ)して、

「男に……男に……」

他愛なくわめいて、また、

「死なして下さい」

「そんなことはできない」

「面当(つらあて)に、死んでやるんです」

と、おそろしい力でもがいた。

性善房が持ち前で、そのかぼそい手頸(てくび)を捻(ね)じ上げて、範宴の来るのを待っていると、女は性善房が憎い敵ででもあるように、指へ噛みつこうとさえするのだった。

「落着きなさい。

……痴情の業(わざ)のするところだ、醒(さ)めた後では、己れの心が、己れでもわからないほど、呆(あ)っ気ないものになってくる」

「お説教ならお寺でおしなさい。

私は、坊さんは嫌いです」

「そうですか」

苦笑するほかはない。

範宴が、追いついてきた。

「どうした、性善房」

「抑えました」

「ひどいことはせぬがよい」

「なに、自分で狂い廻って、泣きさけぶのです」

「お女房――」

範宴は背をなでてやって、

「行きましょう」

「どこへさ」

「あなたのお宅まで、送ってあげます。風邪をひいてはなりません。着物も濡れているし…」

「死ぬ人間に、よけいなおせっかいです。かまわないで下さい」

女人は救い難いものとはかねがね聞かされているところであったが、こういうものかと、範宴は、しみじみと見つめていた。

親鸞・去来篇 川霧 9月(5)

ふと、振りかえって、女のうしろ姿を見送りながら、

「もし……」性善房は、範宴の袂(たもと)を、そっと引いた。

「――あの女房、泣いているではありませんか」

「町の者であろう」

「欄干へ寄って、考えこんでいます。おかしな女子(おなご)だ」

「見るな、人に、泣き顔を見られるのは憂(う)いものじゃ」

「参りましょう」

二人は、そういって、歩みかけたが、やはり気にかかっていた。

五、六歩ほど運んでから再び後ろを振り向いたが、その僅かな間に、女のすがたはもう見えなかった。

「や、や?」

性善房は、笈(おい)を下ろして、女のいたあたりへ駈けて行った。

そして、欄干から、のめり込むように川底をのぞき下ろして、

「お師様、身投げですっ」と手を振った。

範宴は、驚いた。

そして自分の迂闊(うかつ)を悔いながら、

「どこへ」と側へ走った。

性善房は、暗い川面を指さして、

「あれ――、あそこに」といった。

水は異様な渦を描いていた。

女の帯であろう。

黒い波紋のなかに、浮いては、沈んで見える。

「あっ、あぶないっ……」

性善房が驚いたのは、それよりも、側にいた範宴が、橋の欄干に足をかけて、一丈の余もあるそこから、跳び込もうとしているからであった。

抱きとめて、

「滅相もないっ」と、叫んだ。

「――私が救います。お大事なお体に、もしものことがあったら」

と、彼は手ばやく、法衣を解きかけた。

すると、河原の方で、

「おウい……」

と、男の声がした。

二、三人の影が呼び合って、駆けつけてきたのである。

川狩をしていた漁夫(りょうし)であろうか、一人はもうざぶざぶと水音を立てている。

川瀬は早いが、幸いに浅い淵に近かったので苦もなく救われたのであろう、間もなく、藻(も)のようになった女の体をかかえて岸へ上がってきた。

「ありがとう」

範宴は、礼をいいながら、男たちの側へ寄って行った。

女は、まだ気を失っていないとみえて、おいおいと泣きぬいていた。

両手を顔にあてながら身を揺すぶって泣くのである。

「どう召された」

性善房が、やさしく、女の肩に手をやってさし覗くと、女は不意に、

「知らないっ、知らないっ」

その手を振り払って、まっしぐらに、宇治の橋を、町の方へ、駈けだして行くのであった。

「あっ、また飛びこむぞ」

男たちは、そういったが、もう追おうともしないで、舌打ちをして見送っていた。

真宗講座末法時代の教と行 浄土真宗の教行信証 9月(中期)

ここは、親鸞聖人の廻向義、阿弥陀仏が衆生を済度するために、自身の功徳の一切をその衆生に廻施するという意味をもそのまま全く動かさないで、この文の廻向の語に重ねることが重要なのではないかと思われます。

そうすると

「二種の廻向」は、どこまでも阿弥陀仏の廻向が述べられていることになります。

逆に言えば、ここは衆生(私)にとっての廻向が語られているのでも、また私の往還の相が説かれているのでもありません。

衆生の主体性が問われているのではなく、阿弥陀仏自体の行為性が問題となっているのです。

したがって、ここでは

「せしめられる」という廻向義は成立しません。

往還の問題もまたその通りであって、往相・還相の廻向そのものが、阿弥陀仏の側より語られなくてはならないのです。

そうすると、往相とは

「衆生が浄土に往生する自利の相状」

ということではなく、

「阿弥陀仏が衆生を浄土に往生せしめる相(はたらき)」

の意味になります。

ここにおいて、親鸞聖人の廻向義の特殊性は、ほぼ消えてしまうことになります。

親鸞聖人は何も

「廻向」に特別な意味を持たせようとされたのではありません。

むしろ仏教の廻向義の本来のすがたをどこまでも求められたのだと言えます。

そして、その究極において仏教における廻向義の一切は、ただ阿弥陀仏の廻向を通してのみ成就されるのだということが明らかになったのです。

このことから

「往相の廻向について真実の教行信証あり」

という文は、次のように理解することができます。

「教」とは、衆生を往生せしめるために、諸仏をして説かしめる阿弥陀仏の本願の教え

「行」とは、衆生を摂取し往生せしめる阿弥陀仏の大行、すなわち正定の業としての称名(名号)

「信」とは、衆生往生の正定の因である大信心

「証」とは、その業因によって得さしめられる衆生の証果

では、なぜ阿弥陀仏はこのような廻向をされるのでしょうか。

穢土の仏教においては、像末法滅の相を呈します。

そこには、真実の行も証も存在しません。

そこで阿弥陀仏は、その衆生の教行信証のすべてを仏自身において成就し、その衆生のすべてを浄土に往生させるために、それを廻向されるのです。

だからこそ、親鸞聖人にとって、阿弥陀仏の仏教が末法におけるただ一つの真実の仏教

「浄土真宗」なのでした。

ところで『教行信証』「総序」に示されている

「真宗の教行証を敬信して」とは、弥陀廻向の法を親鸞聖人ご自身が頂かれた姿ですが、この場合、法としての大行・大信は、ともに

「行」に含まれていると見ることが出来ます。

真宗の

「教行証」の法が、衆生を救済するために弥陀より廻向されて来ます。

衆生はそれを信知するのですが、ここに法と機(衆生)の接点が見られます。

この一瞬を機の側より問われる時、そこにはじめて

「成就文」の「至心に廻向せしめたまへり」

という場が成り立ちます。

つまり「獲信」という機の問題においてのみ

「せしめられる」という親鸞聖人独自の廻向義が見られるのであって、法としての廻向義は、仏教本来の意を微動だにもさせておられないと言えます。

ここにおいて

「後序」で語られた

「聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道今盛りなり」

の意が鮮明に浮かび上がってくることになります。

釈尊の仏教は、行も証もないという

「末法」の相を呈します。

そして、現世は、その末法の時が到来してすでに久しくなります。

にもかかわらず、その釈尊の仏教の教えのごとく道を求めようとする

「聖道の諸教」が、

「行証久しく廃れ」ていると言われるのは当然のことと言えます。

「生涯トライアウト」(中旬)プロレスは、親子の絆を育む

昔は、各地域にみんなをまとめてくれたガキ大将がいました。

逆らうと恐いけど、弱い者いじめはしない。

何かあったら守ってくれるヒーローでした。

そういう人たちのお蔭で、少なくとも私が幼少の頃には陰湿ないじめというのはなかったです。

最近のいじめはネットに誹謗中傷の書き込みをするとか、得体が知れない感じがしますね。

個人的な考えですが、気に入らないことがあればお互いに話し合いをして、それでもだめなら泥んこになって一回くらい戦ってみたらいいんじゃないか。

そうすれば、お互いの良さがわかるのになって思います。

僕らの時代はそういう感覚でした。

戦ってけんかした人ほど今もつきあいが長いです。

お互いのいいところと悪いところが分かっているんですよね。

だから、相手の間違いなども平気で言い合えるんです。

そういう付き合いというものが、今どんどん少なくなってきていると感じます。

私は子ども達を前に、TEAMGAMILOCKチャリティープロレスの試合をしましたが、実はこれにはもう一つ大きなテーマがありました。

それは、お父さんお母さんと一緒に家族できてほしいということです。

なぜなら、子どもは親の姿を全部見ています。

子どもにだけ

「いじめはやめろ、自殺はやめろ」

と言うのは違うと思います。

ちゃんと子どもに愛情を持っているのか。

子どもの話に耳を傾けているのか。

「うちの子は悪くない、他の子が悪い」

と言う親の話をよく聞きますが、そういう親の姿を子どもは見ているんです。

私はプロレス会場で、伝えたい問題を両親に投げかけたかったんですね。

プロレスのいいところは、プロレスを通して親子のコミニュケーションや絆を生んでいくことです。

親と子どもがプロレスという共通の話題で盛り上がれるんです。

一つの共通の話題ができることで、家族の中で

「やっぱり殴る方も殴られる方も痛そうだったよね」

というような会話が聞こえてくるんですよ。

そりゃあ目の前で大きな男たちが戦う訳ですから、誰もが見ても痛そうですよね。

暴力とかじゃなくて、けんかにしても何にしてもそうなんですけど、殴る方も殴られる方も痛い。

体も痛いですが、一番痛いのは心なんです。

絶対お互いにいい気持ちはしないじゃないですか。

そういう角度からもプロレスは伝える力を持っていると信じて、私はチャリティー活動を続けてきました。

その結果、ちゃんと伝わったのかどうか。

これは一人ひとりの心に聞かなければ分からないことではありますが、私は少なからず伝わったと思っています。

全ての人に伝わらなくてもいいんです。

この活動をしたことで、私が伝えたかったことが、一人でも二人でも伝わってくれたらいいなと思います。

その一人二人のために、私はいのちをかけて、引退するまでの五年間、身を削ってプロレスの試合をやってきたんです。

キラキラネーム

個性的ではあるものの読むのが難解な名前が「キラキラネーム」と呼ばれていますが、子どもの名前に見られるようになったのは1990年代の半ば頃からだそうです。

これは、マタニティー雑誌の『たまごクラブ』が子どもの名前に関する特別付録をつけて、その中で個性的な名前を多数紹介したことがきっかけで広がったといわれます。

そういえば、今から20年前の1993年に「悪魔」と名付けられた子どもに対して、行政が出生届を認めなかったことが世間の耳目を集めました。

戸籍法には人名に使える漢字の規定があるために、使いたくても使えなかったことから、その部分だけ平仮名や片仮名で表記せざるを得なかったという人の話を聞いたことがあります。

そのため、これまで何度も多くの漢字が追加されてきました。

このように、人名には使える漢字に一定の制約があるのですが、その一方読み方については特に規定もなく、漢字をどう読ませるかは親の裁量に任されています。

そのため、本来その漢字にはない読み方をしても、法律上全く問題はないことから、『たまごクラブ』はそのことに着目して、宇宙(こすも)とか月(るな)など“当て読み”が可能だということを紹介しました。

緑輝(さふぁいあ)、皇帝(しいざあ)、男(あだむ)、礼(ぺこ)、煌翔(きらと)、来桜(らら)、乃愛琉(のえる)、英雄(ひーろー)、恋恋愛(れんれこ)、いずれも実際にある名前だそうですが、振り仮名無しではなかなか読めないものばかりです。

もはや「キラキラネームのほうが普通」といった感じさえするような昨今の状況ですが、聞くところによると、既に弊害が出始めているのだそうです。

例えば、小学校などの「お受験」では、キラキラネームの場合、“名付けた親は非常識な人間なのでは?”という印象を学校に持たれがちで、名門校になればなるほど敬遠されたり、中には名前のことで学校でいじめられ引きこもりになるというケースもみられるそうです。

また、同様の理由で就職試験で落とされたり、あるいは結婚相手の親から

「こんな名前をつけるような親の息子にうちの娘はやれない」

と、反対されたケースもあったりしたそうです。

自分の意思とは無関係に、親につけられた名前によって、進学・就職・結婚が上手くいかなかったり、学校で苛められたりするというのは、本人には何の責任もないことだけに、極めて悲劇的なことだと言えます。

しかも、一生その名前に縛られるのですから…。

だからといって、改名は容易ではありませんが、必ずしも変更できない訳でもありせん。

ただし、容易でないのは、頻繁に名前が変わると社会的に混乱を招いてしまうからです。

したがって、本来、名前を付ける前には、よく考えることが求められます。

しかし、どうしても変えなければならない場合、一つは「読み方だけ変える」という方法があります。

これは、漢字を変更せずに、読み方だけを変える方法です。

これは比較的簡単で、住民票を登録できる役場の窓口に行き、読み方の変更手続きを行います。

次に、漢字を変更する場合ですが、これには戸籍の変更が必要です。

「正当な事由」によって名前を変更しようとする場合は、家庭裁判所の許可を得てその旨を届け出る必要があります。

「戸籍法第107条の二」によれば、「正当な事由」とは、過去の判例では具体的に以下のような場合を指します。

  • 珍奇・難解など、社会生活上、著しい支障がある。
  • 家族や近所に同姓同名の人がいる。
  • 性別を間違えられる。
  • 犯罪者に同姓同名の人がいる。
  • 神官や僧侶となった。
  • 神官や僧侶をやめた。
  • 商売上・伝統芸能などで襲名した。
  • 帰化して日本風の名前をつける。
  • 長い間、通称名として使ってきた。

なお、姓名判断や占い、画数が悪いからという理由の場合は「正当な事由」とは認められません。

ところで、浄土真宗では念仏者であることの証として、生前に「法名」を名のります。

一般に「法名」は死んだ時に付けるものと錯覚されていますが、本来は生前に名のるもので、その機会がなかった方には葬儀に際して住職がつけているのが現状です。

では、どうすれば「法名」は名のれるのかというと、原則として京都の西本願寺で「帰敬式」という儀式を受式して頂きます。

なお、2カ月以上前に申請をすれば「内願」という形で自分の希望する名前を「法名」として名のることもできます。

ただし、今流行りのキラキラネーム的な「法名」は不可ですが…。

自分の生き方や願いを「法名」として名のることはとても素晴らしいことです。

「帰敬式」を受けるのは後からでも、とりあえず先に自分の「法名」を考えてみませんか。

戸籍上の名前(俗名)は親からつけてもらったものですが、「法名」も死んでから、しかも自分の知らない名前をつけてもらいますか。

それとも、生きている今、自らの願いを名のりますか。

やっぱり…、「今でしょ!」

法名を「通称名」として一定期間(裁判所の判断にもよりますが一般的には10年ほど)使えば、上記の「長い間、通称名として使ってきた」に該当して、手続きをすれば「法名」を正式名称とすることも可能だと思われます。

『聞思まことのみ法に自らを問う』(中期)

なぜ、私たちにとって、常日頃から仏さまの教えに耳を傾けることが大切なのでしょうか。

もし、日常生活における幸福の求めだけが人間にとって重要なことだとすると、ことさら仏さまの教えに熱心に耳を傾けなくて良いのかもしれません。

また、日頃から神仏に幸福への祈りを捧げていても、時として不幸な状況に陥ることもあります。

そのため、不慮の事故に遭い悲惨な状態になると、つい

「世の中には神も仏もあるものか」

と叫んでしまう人もいたります。

実はこのような時にこそ、その人にとって必要となるのが、その人を真の意味で救う教えだと言えます。

つまり、自分が思い描いていた幸福の求めが破れた時にこそ、真の意味で宗教が求められることになるのです。

ところで、このような非常の事態に陥った時は、人の心は大きく動揺しています。

したがって、深遠な宗教の哲理をじっくりと聞いたり、深く学んだりすることはできません。

「溺れる者は藁(わら)をも掴む」

という諺がありますが、まさにそのような状況にあるといえます。

そして、このような局面においては、藁を掴んだその時が、まさにその人の溺れている時になります。

一般に、人がどうしようもない悲惨な状態に置かれると、その人を救うという宗教が現れ、その人の心に響くような言葉を語りかけます。

この時その人は、心が動転しているため、その言葉の真偽を聞き分けることは容易ではありません。

そこでその人は、自分の耳にとって最も甘く響く言葉を選ぶことになります。

この場合、もしこの選びがこの人にとって

「藁」であるとすると、その宗教を掴んだが故に、さらなる悲惨な状態に陥ってしまうことになります。

なぜなら、藁は掴んでも浮かばないように、このような教えはその人を正しい方向に導くものではないからです。

けれども、私たちは掴んだという思いがあるため、余計にもがいてしまうことになるのです。

だからこそ私たちは、常日頃から真実の教えに耳を傾ける必要があるのです。

人は、心が平常であって理性が働いている時には、偽りの宗教を見分ける力を持っています。

したがって平生、真の宗教を選び、その教えに耳を傾けることが大切になるのです。

なぜなら心が混乱して動揺した時でも、今まで聞いている宗教が、その人を正しい方向に導くことになるからです。

このことについて、『金光明経』には次のように述べられています。

深くおのれを省みて、自分の罪と汚れを自覚し、懺悔する。

他人の善いことを見るとわがことのように喜んでその人のために功徳を願う心が起きる。

またいつも仏とともにおり、仏とともに行い、仏とともに生活することを願うのである。

この信ずる心は、誠の心であり、深い心であり、仏の力によって仏の国に導かれることを喜ぶ心である。

だから、すべての所でたたえられる仏の名を聞いて、信じ喜ぶ一念のあるところにこそ、仏は真心をこめて力を与え、その人を仏の国に導き、ふたたび迷いを重ねることのない身の上にするのである。

さて、では私たちは真の宗教を、どのようにして選べばよいのでしょうか。

そのためには何よりもまず、自分とはいかなる者であるか、自らの真の姿を知ることが大切なのではないでしょうか。

親鸞聖人は、今日の私たち愚かな凡夫の姿を

「悪人」ととらえられます。

この悪人とは、人間社会の日常生活の中で、法律や倫理的な悪を行う人という意味ではありません。

どのような宗教であっても、人に悪を勧める宗教はありません。

宗教は、必ず私の人生にとっての

「善」を勧めるものであって、善がその人によい結果をもたらすと信じるからこそ、人はその宗教を信じ、その宗教にしたがうことになるのです。

けれども、そうすると、私たちが好み行おうとしているその善が、はたして本当の意味での善であるかどうかということが問題になります。

これは『歎異抄』でも言われていることなのですが、私たちは往々にして、仏の教えを判断の基準に置かず、自分が善だと思うことを善とし、悪のように見えれば悪だと考えてしまう傾向があります。

しかも自分が置かれている状況によって、どのような振る舞いをするかわからないのが私の本質です。

例えば、日頃とても気の優しい人が、条件によっては平気で人を殺すことになるかも知れません。

あるいは、自分では善意でなしたつもりの行為が、時として相手の心を深く傷つけることもあったりします。

そうすると、このような不確かな私の行為が、どうして真の善だといえるでしょうか。

そこで仏教では、このような毒をまじえた善の一切を仏果への行とはみないで、むしろ迷いの因であるとみます。

このことを踏まえて善導大師は、自分自身のことを

いま現にここにいる自分は、罪悪生死の凡夫であって、無限の過去から今日まで、常に、迷いの世界に沈み流転し続けて、まったくこの迷いから出る縁に恵まれなかった。

と述べておられます。

では、なぜ、永遠に迷い続けてきた自分の姿を、善導大師は見ることができたのでしょうか。

それは凡夫として、ここに佇んでいる自分を、知ることができたからにほかなりません。

『金光明経』にも説かれていますが、もし自分が過去において、仏とともにいて、仏の教えにしたがい、仏の教えを行じたならば、また、仏の名を聞き、信じ喜ぶ一念があったならば、仏は善導大師をすでに仏果に導き、ふたたび迷いを重ねることはあり得なかったはずです。

「深くおのれを省みて、自分の罪と汚れを自覚し、懺悔する」

とは、まさに善導大師のように、今の自分を知ることだといえます。

ところが、善導大師は同時に、その自分がいま仏法を聞く縁に恵まれたことを、心から喜ぶことになります。

ことに阿弥陀仏の名号を聞き、この仏の本願が、大悲心をもって、迷える善導大師を摂取しておられることを次のように喜ばれます。

阿弥陀仏の四十八願は、迷える衆生を摂取したもうています。

したがって、衆生には、何の疑いもはからいも必要ではありません。

阿弥陀仏の願力に乗じて、必ず往生すると信じればそれでよいのです。

ここで私たちは、仏とは何かを知ることが求められます。

お釈迦さまは悟りを得られた後、とのようなご一生を過ごされたのでしょうか。

それは

「迷える衆生を救う」

という一筋の道を歩まれたといえます。

悟りの智慧を得られたが故に、迷える衆生を知り、お釈迦さまに救いを求める人びとを悟りに導くために、慈悲の実践を続けられたのです。

だとすれば、最高の仏・無上仏は、一切の衆生を救われるために、衆生の願いに先がけて、すでに衆生の心にきているといえます。

だからこそ、衆生が自らの迷える姿を知り、その姿を慙愧して仏の願力を信じれば、そのとき衆生は救われるのです。

このように

「人生のよりどころを明らかにする確かな言葉をよく聞き考えること」、言い換えると

「まことのみ法に自らを問う」あり方を「聞思」といいます。

親鸞聖人は

「聞思して遅慮することなかれ」と、積極的に聞思することを説いておられます。