投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

東日本大震災が発生し、今月で1年目を迎えます。

東日本大震災が発生し、今月で1年目を迎えます。

この大震災によってたくさんの尊いいのちが失われ、今もなお行方不明の方々が多数おられ、そして多くの方々が今もなお苦しんでおられる状況を様々な情報を通して見たり聞いたりいたしますと心が痛むことです。

この大震災の事実を風化させることなく今後の災害対策に生かすこと・そして復旧・復興のために引き続き被災された方々の心に寄り添い、我々一人ひとりがそれぞれの立場において支援させて頂くことが大切なことだと思います。

暑さ寒さも彼岸までといわれますように春のお彼岸を迎えるころには、寒さもだいぶ和らいでいることと思います。

今月で長男が保育園を卒園して4月より小学生になります。

その準備で最近、机を購入しました。

ランドセルについては、

「早めに買わないと種類がなくなるよ」

というお父さん・お母さん仲間の助言もあり、早めにお店に行きました。

私たちの小学生時代には考えられない程、多種多様のランドセルがあり、驚いたことです。

本人が目を輝かせて選び、お気に入りのものを見つけて購入しました。

ランドセル・机等も揃い、長男はこれから始まる小学生生活を楽しみにしています。

私の地区では少子高齢化・過疎化等の影響により、2年前より4つの小学校と2つの中学校が統合され、小中一貫校が誕生しました。

現在は暫定的に既存の小・中学校でそれぞれ授業が行われています。

現在建設中の新しい校舎がもうしばらくすると完成し、来年平成25年の4月より新しい校舎で小学生・中学生が一緒に学ぶことになります。

3人兄弟の一番下の次男が入学するころには、同級生は何人いるのだろうかなと現実的な問題を抱えながらも、今はただ親としては子どもの成長を見守るばかりです。

小学生になるということは、一方で自分自身もそれだけ年を取ったんだなあと長男の成長を喜びながらも時の早さに驚かされることです。

1年前の東日本大震災を通して、今こうして生かされていること・家族と一緒に暮らせるということ・学校に通えるということ・水がでること・電気がつくこと当たり前と思っていたすべてのことが実は当たり前でなく有ること難し、まさに有難いことであったということを改めて強く気づかされた気がします。

だからこそ、こどもたちとの日々の生活のなかで、一日いちにちの時間を大切にしながら成長を見守っていければと思うことです。

『あなたがいてくれたから がんばれたよ』

年度末の3月、何かと慌ただしいこの時期ですが、この3月という月は私にとって忘れられない月です。

私は3月7日が誕生日です。

誕生日だからと言うのではないのですが、中学2年の時の誕生日と祖父との思い出は、今でも忘れることが出来ません。

 祖父は、祖母が67歳で亡くなり、それからは一人で暮らしていました。

私たちと住居は別々でしたが、いつでもすぐ行ける距離に住んでおり、行き来するのが楽しみでもありました。

 中学2年の時の私の誕生日。

家族と祖父とで誕生日のお祝いに一緒に食事に行くことになり、祖父宅に私が電話を入れ

「じいちゃんこれから迎えに行くからね」

と言葉を交わし、父と二人祖父宅へ車で向かいました。

玄関を開け、

「じいちゃん行くよぉ」

と元気よく呼ぶものの、何の返事もありません。

「おかしいな」

と思いリビングに上がると、ついさっきまで会話していた祖父が、受話器を握ったまま倒れているのが目に飛び込んできました。

すぐに父を呼び、意識のないまま祖父は救急車で搬送されていきました。

その日は、驚きと悲しさで、その後どのように過ごしたか覚えておりませんが、脳梗塞で祖父はそのまま入院となり、楽しみにしていた誕生日は一瞬にして不安な気持ちに変わりました。

 それからは心の安まるときがなく、意識の戻らない祖父のことが気がかりで、何をするにも心ここにあらずの日々が続きました。

お見舞いに行きますと、穏やかにただすやすや眠っているようにしか見えない祖父に

「じいちゃん」

と何度も声を掛けますが、意識の戻らない祖父の姿に私は悔しささえ覚えました。

何で起きないんだろう、何で目が開かないんだろう。

当時の私にはそれを受け止めることは容易ではなかったようです。

 そして祖父はそのまま一度も意識が戻ることなく、春のお彼岸のお中日の日に80歳で亡くなっていきました。

ちょうどお寺ではお彼岸の法要の最中でもありましたので、お説教のご講師さんやお同行のみなさんも祖父の遺体が帰ってくるのを待っていてくださり、先代住職の大きさを感じました。

 思い返してみますと、私のいのちが誕生した日に祖父は倒れ、人間の老いの姿、病の姿をまざまざと見せつけ、そして彼岸の中日に亡くなりました。

仏教の根本にある

「生老病死」

の仏道を、祖父は我が生き様として私に示してくれたように思います。

 『なごりおしくおもへども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときこそ、かの土へはまいるべきなり』

 祖父だって、もっと生きたかったことでしょう。

身支度を調え、孫の誕生日のお祝いにいつでも出発できる格好で倒れていた姿からは、

「僕のために準備してくれていたんだなぁ」

と思うと、胸がいっぱいになります。

いよいよ最後力尽き、御仏に抱かれていのちを終わっていきました。

私にとって、まさに浄土への道しるべの人でありました。

 ある方が

「がんばる」

という言葉を

「願いに生きる」

と書いて

「願生る(がんばる)」

と表現されていました。

とても心に残っています。

祖父は自分の最期を通して、いのちの喜びも生きる厳しさも、そこにその全てを身をもって伝えようとしてくれたのかもしれません。

あなたによって願いを知り、あなたがいてくれたから、願いに生きることを

「がんばる」

と味わうことのできる自分にお育てをいただいたこと、今はただ

「南無帰依仏」

と、仏の願いを聞かせていただく身の仕合わせを有難く思うばかりです。

親鸞聖人の往生浄土思想 (3月前期)

では、この獲信者と念仏は、どのように関係するのでしょうか。

この衆生は

「念仏せよ、汝を救う」

という本願を信じるのですから、信を得た者の人生は、当然、ただ念仏のみの道を歩むことになるといえます。

したがって、信心往生派からの

「念仏往生と信ずる人は辺地に往生する」

という主張は、念仏往生の義に対する完全な誤解といわざるを得ず、同時にもし念仏往生派が、往生の正因はただ本願を信じるのみという

「唯信」

の往生を見落としているとすれば、この人もまた本願の義にまったく信順していないということになります。

親鸞聖人は、手紙で弟子たちに、この

「念仏往生」

「信心往生」

の義を明らかにされたのですが、これによって知られるように、親鸞聖人における念仏往生とは、弥陀釈迦二尊の救いの構造を、そして信心往生とはその教法を信じる獲信の構造を意味していたのだといえます。

これを法然聖人と親鸞聖人の関係において述べれば、法然聖人はただ念仏による往生の道を説法され、親鸞聖人はその教えを一心に聴聞して、その心にただ信心のみの往生の道を開かれたということになります。

では、親鸞聖人はその

「念仏」

のはたらきをどのように理解され、往生すべき

「浄土」

をどのような場と見られたのでしょうか。

親鸞聖人の往生思想の特徴は、

「他力廻向」

の義にあることは言うまでもありません。

自分自身の力による往生のための

「行」

は見られず、往生の証果の一切、行も信も証も、その全てが阿弥陀仏から廻向されるのだと説かます。

では、なぜそのような思想が親鸞聖人の中に生まれたのでしょうか。

すでに述べてきましたように、親鸞聖人に明らかになったこの仏法の原理は、法然聖人との出遇いによって親鸞聖人が獲得された真理です。

そこでいま一度、法然聖人の前に跪いておられる親鸞聖人の姿を問題にしてみます。

このときの親鸞聖人には、仏果を得るための行も信も証もまったく存在していません。

このような親鸞聖人に対して、法然聖人はひたすら

「南無阿弥陀仏」

についての説法をされます。

そしてこの説法によって、親鸞聖人は真実の信心を得られました。

親鸞聖人の思想においては、この時に得られた

「信心」

が往生の正因です。

では、親鸞聖人に

「信」

を得させた

「行」

は、いったい誰が行ったのでしょうか。

法然聖人の説法という行為によって、親鸞聖人は信を得ておられるのですから、その行は法然聖人によってなされているということが出来ます。

したがって、親鸞聖人にとって往生の因を得るための行は、親鸞聖人にあったのではなく、阿弥陀仏の選択本願念仏の真実を語られる法然聖人にあったのだと言えます。

「本願海流」(上旬) 独りぼっちで…

======ご講師紹介======

大峯 顕さん(大阪大学名誉教授)

☆ 演題 「本願海流」

講師は、大峯 顕(おおみね あきら)さんです。

1929年7月1日 生まれ。

哲学者、大阪大学名誉教授、浄土真宗僧侶(専立寺前住職)、俳人。

俳号大峯あきら。

俳誌「晨」を主宰しておられます。

専攻は宗教哲学。

中期フィヒテ研究・西田幾多郎研究で知られます。

文学博士(京都大学)(1976年)。

毎日俳壇選者。

2002年、句集「宇宙塵」で第42回俳人協会賞受賞。

2011年、句集「群生海」で第52回毎日芸術賞、第26回詩歌文学館賞受賞。

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私たちにとって、死というのは永遠の謎です。

なぜかというと、今地球上に生きている人間は、誰一人として一度も死を経験したことがないからです。

臨死とか臨死体験など、死ぬ寸前のことは経験したかもしれませんが、これはまだ生きている間の話です。

ですから、死が何であるかということは、死の苦しみとか不安とかを超越されたお釈迦さまのお言葉を聞かないと分からないんです。

凡夫同士が、ああだこうだと言っても、結局死が何であるかは分からないんです。

 もともと人間は、独りぼっちで生まれてきて、独りぼっちで死んでいくんです。

大勢友だちがいるから賑やかに生きていると言っても、それは幻想にすぎません。

そして、独りぼっちのもの同士が不思議に出会っていくんです。

二つの流れ星が交差したようなものですね。

さっと一瞬交差して、どっかへ行っちゃう。

ところが、お念仏の世界では

「別れない」

という不思議なことが、阿弥陀さまの力で起こるんです。

お念仏がなかったら、また会えませんよ。

お念仏がなかったら、夫婦といえども、親子といえども、死んでしまったらどこへ行ったのか分からない。

では、どこでまた会えるのかと言うと、阿弥陀さまの国・お浄土です。

お浄土というのは

「永遠のいのちの世界」

ということです。

 生死(しょうじ)を超えた方というのは、目が覚めた方です。

今の私たちというのは、目が覚めないで、例えたら、お酒に酔っぱらって、ああだこうだ言って生きているようなものなんです。

調子がいいときには

「死んだら死んだ時や」

と言い、

「あと、三カ月のいのちです」

と言われたら、途端に何がなんだか分からんようになってしまう。

そういう存在を凡夫というんですよ。

そして、このような存在を超えた方がお釈迦さまなんです。

 では、お釈迦さまはなぜ仏になられたかというと、それは個人的な意見を捨てられたからです。

「私はこう思う」

というは、みんな妄想です。

仏法の真理は無我です。

お釈迦さまの言葉は

「私はこう思う」

じゃないんです。

この我を超えた、自己中心的な発想を超えたお釈迦さまのお心の中に浮かんできたのが、阿弥陀さまのご本願ということなんです。

 ニュートンは、物理学的宇宙の法則を発見しました。

それに対してお釈迦さまは、精神的宇宙というか、物質のことを考える人間を含めた大きな世界の法則を発見されました。

これが阿弥陀さまのご本願です。

つまり、

「南無阿弥陀仏によってお浄土に生まれていく」

ということは宇宙の法則なんです。

「お前を必ず救う。

救うことが出来なかったら、私は仏にならない」

と誓われた阿弥陀さまのお言葉を信じたら、自然に私たちはこの法則にしたがって仏になる訳です。

あるいは、阿弥陀さまの本願力に乗る訳です。

これを親鸞聖人のお言葉で言えば、本願海ということになります。

海はじっとしていません。

絶えず流れています。

それで私は、本願海流といっています。

『心は行いによって 初めて見える』

イギリスを代表する世界的女優と言えば、オードリー・ヘプバーンさんです。

私などは、親子二代、今だに正調?なファンであります。

その彼女、1989年女優としては円熟期にあたる58歳で突如引退。

その後はなんと、ユニセフ親善大使として活動。

自らを身の危険に晒ながらも、当時戦争状況下にあったソマリアやスーダンなどを足繁く訪問して人々を驚かせました。

 それには、次のような理由がありました。

 彼女の幼い頃、第二次世界大戦中、ナチスドイツに対するレジスタンス運動に身を投じた叔父や叔母が、目の前で銃殺されました。

また彼女自身、栄養失調で呼吸困難に陥った上に、水腫症から黄疸が出るほどの重症を負いました。

当時は戦時下で、食料事情も悪く満足に治療も施せない状況でした。

そのような中、母親が必死の思い出手に入れたペニシリンのお陰で九死に一生を得るという体験をしました。

また、ユニセフ親善大使を引き受けた理由を後に次のように語っています。

 

「私自身が、食べ物や医療の援助を受けた子どもの一人だから、ユニセフが子どもにとってどんな存在なのか証言できる」

と。

 その彼女の言葉(ことばの葉)です。

「美しい唇のためには、親切な言葉を話すこと。

 美しい目のためには、他人の美点を探すこと。

 スリムな身体のためには、お腹をすかした人々に食べ物を分け与えること。

 歳をとれば君は二つの手を持っていることに気づくだろう。

 ひとつは自分自身を助ける手、一つは他人を助ける手を」

 

親切な言葉とは、優しさです。

その優しさとは、心と心を繋ぐ宝の贈り物にもなります。

美しい目とは、人に安らぎを与えます。

その人の心の働きからにじみ出る眼差しは、どんなにか安らぎを与えてくれることでしょう。

自分を助け、他人を助ける二つの手は、様々なボランティア活動へと繋がっていきます。

彼女のユニセフ親善大使としての活動を通じ、

「心は行いによって初めて見える」

という言葉に、改めて心を熱くするところです。

「親鸞聖人の往生浄土思想」(2月後期)

 親鸞聖人は、この念仏の法門をただ一心に聴聞されます。

ここにおいて、何が明らかになられたのでしょうか。

それは

『歎異抄』に

「ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべし」

と示される

「よきひとのおほせ」

であることは言うまでもありません。

しかも、この点を親鸞聖人は、後にお手紙の中で次のように述べておられます。

 尋ね仰られ候念仏の不審の事。

念仏往生と信ずる人は辺地の往生とてきらはれ候らんこと、おほかたこころえがたく候。

そのゆへは、弥陀の本願とまふすは、名号をとなへんものをば極楽へむかへんとちかはせたまひたるを、ふかく信じてとなふるがめでたきことにて候なり。

親鸞聖人の晩年、関東の弟子たちの間で、念仏に関して大きな問題が生じました。

念仏往生派と信心往生派との間で、往生に関して論争が起こり、信心往生派が、往生を願って一心に念仏を称えている念仏往生派の人々に、そのように

「念仏往生」

と信じている者は、辺地にしか往生しないと非難したのです。

しかもこの論争は、弟子たちの間では結論を導くことができませんでした。

なぜなら、親鸞聖人はある場合には

「ただ信心が往生の正因である」

と述べられ、またある場合には

「ただ念仏が往生の業」

だと説いておられるからです。

そこで、そのことへの疑問を京都の親鸞聖人に手紙で問われることになりました。

この弟子たちからの質問対して親鸞聖人は、両者の論争は全く無意味であり、両者とも念仏と信心の真理が根本的に分かっていないとして、弟子たちの論争そのものを厳しく否定されます。

弟子たちの質問に対して親鸞聖人は、まず阿弥陀仏が本願に何を誓われているかを明らかにされます。

阿弥陀仏は、本願に

「名号を称えるものを極楽に往生せしめる」

と誓われます。

願意が

「称名するものを救う」

のですから、親鸞聖人は弟子たちに

「ただ念仏が往生の業」

だと説かれたのです。

したがって、この場合の

「念仏」

は、一切の衆生を救うための、阿弥陀仏のはたらきそのものであり、同時にその名号が大行であることを説示しておられます。

これは、釈尊の大悲の行を意味しておられるのです。

私たちはいったい、どのような行によって往生するのでしょうか。

それはまさしく、釈尊によって明らかにされた、この念仏の大行によって往生するのです。

そこで、往生の因について親鸞聖人は

「ただ信心を要とする」

と述べられます。

これが、信心がまさしく往生の因であるとされる

「信心往生」

の義です。