投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

親鸞聖人の往生浄土思想 (3月中期)

ここで、この法の流れを整理してみますと、

(1)阿弥陀仏は本願に念仏を選択し、その念仏によって一切の衆生を攝取するという本願を成就して、その念仏を十方に響流する。

(2)釈迦仏は、弥陀三昧の中で、この念仏の法を領受し、釈迦仏の国土の衆生を救うために、その法門を説法する。

(3)釈尊が説くその念仏の法門が、純正浄土教に伝承される。

(4)その念仏の真理が、善導大師によって説かれ、わが国では法然聖人によって明らかにされた。

(5)法然聖人の説法という浄土真実の行によって、親鸞聖人は弥陀の本願を獲信した。

ということになります。

では、この

「信」

によって、親鸞聖人にどのような真理が明らかになったのでしょうか。

阿弥陀仏は本願に

「至心信楽欲生我国、乃至十念」

と誓っておられます。

一般的にこの三心と十念は、衆生が発起する信心と念仏であると解釈されています。

けれども親鸞聖人は

「至心信楽欲生」

の三心は、弥陀が本願に一切衆生を浄土に往生せしめるために成就された大悲心であり、

「乃至十念」

は弥陀から一切の衆生に呼びかけられている本願招喚の声だと見られます。

それゆえに

「南無阿弥陀仏」

という称名念仏は、称えている念仏者の行ではなくて、その衆生を攝取するための、阿弥陀仏の大行・大信であると捉えられることになります。

では

「南無阿弥陀仏」

という六字には、どのような義があるのでしょうか。

この南無阿弥陀仏を善導大師は『観経疏』

「玄義分」

で、

南無というは則ちこれ帰命なり、またこれ発願廻向の義なり。

阿弥陀仏というは、則ちこれその行なり。

この義をもっての故に必ず往生を得。

と解釈されます。

私たちが称える称名念仏について、

「南無とは阿弥陀仏に対して一心に帰命し、その浄土に往生したいとの願いを発起する義である。

阿弥陀仏とは、まさしく称名行であるがゆえに、願と行を具足して、必ず往生を得る」

と述べられるのです。

 ところが親鸞聖人は、この称名念仏を、私たちが称える以前に、阿弥陀仏から衆生の心に来る弥陀の大悲心のはたらきであると捉えられ、この六字を次のように見られます。

『「南無」

とは帰命であり、その帰命とは、阿弥陀仏の本願招喚の勅命である。

「発願廻向」

とは、阿弥陀仏が発願して、衆生が往生するための行を、弥陀自身において成就し、その行を衆生に廻施されている。

阿弥陀仏の大悲心である。

「即是其行」

とは、その念仏が阿弥陀仏の選択本願の行だということである。

「必得往生」

とは、それゆえに、衆生がこの願力廻向の真実を聞き信じた瞬間に、往生することを示しているのである。

「本願海流」(中旬) 仏に遇えない私

私たちの今生きている世界を

「娑婆」

といいます。

でも、生まれて死ぬだけでは、娑婆は終わりません。

死んでも、また生まれるんです。

その新たに生まれたところもまた娑婆なんです。

そして、その娑婆のいのちもまた死ぬんです。

それがどこまでも続いていくから生死と言うのです。

 この生死の世界というのは、一回生まれて一回死ぬだけの世界ではありません。

「死ぬのはいやだ」

と思っている。

その心を無限に終わりなく繰り返していかなければならない。

これを生死流転と言います。

私たちは、人間に生まれて初めて

「死ぬのはいやだなあ」

と思ったんじゃないんですよ。

人間に生まれる前も何かの生を受けていて、そこでもきっと

「死ぬのはいやだなあ」

と思っていたに違いありません。

 よく

「死んだらおしまいだ」

という人がいますが、その人はきっと、そのように思いたいのでしょうね。

ただ、もし死ぬことがすべての終わりだったら、あるいはすべてがそこで解決するのであれば、死ぬことを恐れることは何もないじゃないですか。

ところが、

「死んだらしまいだ」

と言うている人が、実は一番死にたくないんです。

そこに、人間の大きく厄介な問題があるんです。

 確かに私たち人間は、せいぜい百年かそこらしか生きることの出来ない有限な存在です。

けれども、その有限な私が抱えている問題は、有限じゃなく無限です。

それを生死流転というんです。

ところが、私たちは、それをそうは思わないで、この世のいのちが終われば、すべてが終わりだと思ってしまうのです。

 具体的に言うと、物質的な姿が非常に肥大化して、物質の現象がすべてだという考え方が出てきました。

けれども、死ぬということだって、誰も見たことはありません。

死体というのはものですからね。

体というのは、死ねば硬直して腐っていきます。

あれは物質の変化なんです。

ですから、死体というのは死んだ人じゃないんですよ。

ましてや、お念仏の人はお浄土に往っているんですから、棺桶には入っていないんです。

棺桶の中に入っているのは体ですよ。

体はその人じゃない。

いわば、この世に脱ぎ捨てた着物です。

仏教が問題にするのは、着物じゃありません。

その自分というものを問題にするんです。

これはなんとも、名付けようがありません。

 そこを善導大師は

「自身」

と言われた。

「自身は現に此れ罪悪生死の凡夫」

と。

この自分というものは何者か。

それは、体じゃない、罪悪生死の凡夫だ。

「曠劫(こうごう)よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなし」

の身だと。

つまり、無始無終の世界を流転輪廻している、なんとも名付けようがない存在であるということを罪悪生死の凡夫と言われたんです。

これが、自分というものの正体なんです。

このことは、善導大師の深い内省がとらえた真理の言葉です。

ですから、

「私は人間です」

という言葉は

「私」

という真理をとらえていない言葉なんです。

この

「私」

とは何であるかということは、仏さまの教えを聞かないことには分からないのです。

善導大師は結局、

「この私は永遠に助かっていかない存在だ」

と言っておられます。

どこまで行っても、仏には遇えない私だ。

仏に遇えないということは、自分が死んだらどこへ行くかということが分かっていない人です。

どこから来たかも分からないし、自分が何ものかも分からない存在だということなんです。

 

『五正行』

  それすみやかに生死を離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣(さしお)きて、選んで浄土門に入れ。

浄土門に入らんと欲はば、正・雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛(なげう)ちて、選んで正行に帰すべし。

正行を修せんと欲はば、正・助二業のなかに、なほ助業を傍(かたわ)らにして、選んで正定をもっぱらにすべし。

正定の業とはすなはちこれ仏の名を称するなり。

称名はかならず生ずることを得。

仏の本願によるがゆゑに。

親鸞聖人は『教行信証』に法然聖人の『選択本願念仏集』から、いわゆる

「三選の文」

を引用されます。

最初の

「それすみやかに生死を離れんと欲はば」

とは、もし、今、迷いの心を破り、仏果に至ることを願うのであればということです。

そうであれば、生死を離れる道は、ただ仏道しかありません。

ところで、その仏道に二つの勝れた道があるといわれます。

それは、聖道門と呼ばれる道と浄土門と呼ばれる道です。

このように二つの道があるのですが、今、直ちに生死を離れたいと欲するなら、今しばらく聖道門をそのままにして、浄土門を選べといわれます。

ただし、浄土門にも、正と雑の二つの道があるというのです。

したがって、この浄土の門に入っても、直ちに仏果を願うなら、正雑の二つの行の内、必ず正行を選べといわれます。

ここでいう正行とは、善導大師によって明らかにされた五つの行、つまり読誦・観察・礼拝・称名・讃嘆供養の五つの正行です。

善導大師は、この五つを浄土往生の正行としておられます。

これに対して、往生するために座禅をするとか、千日の回峰行をすることなどは雑行と呼ばれます。

 ところで、法然聖人は、これらの五つの正行の中にも正と助の二つの業があるから、この内の助業を傍らにして正定業を選べと言われます。

正定業とは、言うまでもなく称名を指します。

ですから、称名以外の四つの業が助業です。

では、なぜ称名が正定業なのでしょうか。

「称名はかならず生ずることを得」

るからであり、また

「仏の本願によるがゆゑ」

なのです。

称名はまさしく往生の業であるから、仏は本願に称名せよと誓われるのであり、このように本願に誓われているからこそ、称名することがまさしく往生の行業となるのです。

 この文章に

「選ぶ」

という語が三回出てきます。

「選び」

とは、まず仏と仏の

「選び」

だといえます。

その根本は、阿弥陀仏の選びです。

阿弥陀仏が一切の宝蔵の中から、念仏一行を選んで、衆生に与えられた。

ここに最大の選びがあります。

そして、この選びを次に釈迦仏が受けるのです。

称名念仏こそが、一切の衆生を仏果に至らしめる行であり、その念仏の教えを出世本懐の教えとして説かれたのが『無量寿経』です。

ここに釈迦仏の選びが見られます。

そして、さらに釈迦仏の選びを受けて、釈迦仏によって説かれた仏果への道の中から、私の唯一の仏果への道として、私が念仏一つを選ぶことになるのです。

この選択の構造を、法然聖人が明らかにされ、その称名念仏の選びを親鸞聖人が受け継がれることになります。

東日本大震災が発生し、今月で1年目を迎えます。

東日本大震災が発生し、今月で1年目を迎えます。

この大震災によってたくさんの尊いいのちが失われ、今もなお行方不明の方々が多数おられ、そして多くの方々が今もなお苦しんでおられる状況を様々な情報を通して見たり聞いたりいたしますと心が痛むことです。

この大震災の事実を風化させることなく今後の災害対策に生かすこと・そして復旧・復興のために引き続き被災された方々の心に寄り添い、我々一人ひとりがそれぞれの立場において支援させて頂くことが大切なことだと思います。

暑さ寒さも彼岸までといわれますように春のお彼岸を迎えるころには、寒さもだいぶ和らいでいることと思います。

今月で長男が保育園を卒園して4月より小学生になります。

その準備で最近、机を購入しました。

ランドセルについては、

「早めに買わないと種類がなくなるよ」

というお父さん・お母さん仲間の助言もあり、早めにお店に行きました。

私たちの小学生時代には考えられない程、多種多様のランドセルがあり、驚いたことです。

本人が目を輝かせて選び、お気に入りのものを見つけて購入しました。

ランドセル・机等も揃い、長男はこれから始まる小学生生活を楽しみにしています。

私の地区では少子高齢化・過疎化等の影響により、2年前より4つの小学校と2つの中学校が統合され、小中一貫校が誕生しました。

現在は暫定的に既存の小・中学校でそれぞれ授業が行われています。

現在建設中の新しい校舎がもうしばらくすると完成し、来年平成25年の4月より新しい校舎で小学生・中学生が一緒に学ぶことになります。

3人兄弟の一番下の次男が入学するころには、同級生は何人いるのだろうかなと現実的な問題を抱えながらも、今はただ親としては子どもの成長を見守るばかりです。

小学生になるということは、一方で自分自身もそれだけ年を取ったんだなあと長男の成長を喜びながらも時の早さに驚かされることです。

1年前の東日本大震災を通して、今こうして生かされていること・家族と一緒に暮らせるということ・学校に通えるということ・水がでること・電気がつくこと当たり前と思っていたすべてのことが実は当たり前でなく有ること難し、まさに有難いことであったということを改めて強く気づかされた気がします。

だからこそ、こどもたちとの日々の生活のなかで、一日いちにちの時間を大切にしながら成長を見守っていければと思うことです。

『あなたがいてくれたから がんばれたよ』

年度末の3月、何かと慌ただしいこの時期ですが、この3月という月は私にとって忘れられない月です。

私は3月7日が誕生日です。

誕生日だからと言うのではないのですが、中学2年の時の誕生日と祖父との思い出は、今でも忘れることが出来ません。

 祖父は、祖母が67歳で亡くなり、それからは一人で暮らしていました。

私たちと住居は別々でしたが、いつでもすぐ行ける距離に住んでおり、行き来するのが楽しみでもありました。

 中学2年の時の私の誕生日。

家族と祖父とで誕生日のお祝いに一緒に食事に行くことになり、祖父宅に私が電話を入れ

「じいちゃんこれから迎えに行くからね」

と言葉を交わし、父と二人祖父宅へ車で向かいました。

玄関を開け、

「じいちゃん行くよぉ」

と元気よく呼ぶものの、何の返事もありません。

「おかしいな」

と思いリビングに上がると、ついさっきまで会話していた祖父が、受話器を握ったまま倒れているのが目に飛び込んできました。

すぐに父を呼び、意識のないまま祖父は救急車で搬送されていきました。

その日は、驚きと悲しさで、その後どのように過ごしたか覚えておりませんが、脳梗塞で祖父はそのまま入院となり、楽しみにしていた誕生日は一瞬にして不安な気持ちに変わりました。

 それからは心の安まるときがなく、意識の戻らない祖父のことが気がかりで、何をするにも心ここにあらずの日々が続きました。

お見舞いに行きますと、穏やかにただすやすや眠っているようにしか見えない祖父に

「じいちゃん」

と何度も声を掛けますが、意識の戻らない祖父の姿に私は悔しささえ覚えました。

何で起きないんだろう、何で目が開かないんだろう。

当時の私にはそれを受け止めることは容易ではなかったようです。

 そして祖父はそのまま一度も意識が戻ることなく、春のお彼岸のお中日の日に80歳で亡くなっていきました。

ちょうどお寺ではお彼岸の法要の最中でもありましたので、お説教のご講師さんやお同行のみなさんも祖父の遺体が帰ってくるのを待っていてくださり、先代住職の大きさを感じました。

 思い返してみますと、私のいのちが誕生した日に祖父は倒れ、人間の老いの姿、病の姿をまざまざと見せつけ、そして彼岸の中日に亡くなりました。

仏教の根本にある

「生老病死」

の仏道を、祖父は我が生き様として私に示してくれたように思います。

 『なごりおしくおもへども、娑婆の縁つきて、ちからなくしておわるときこそ、かの土へはまいるべきなり』

 祖父だって、もっと生きたかったことでしょう。

身支度を調え、孫の誕生日のお祝いにいつでも出発できる格好で倒れていた姿からは、

「僕のために準備してくれていたんだなぁ」

と思うと、胸がいっぱいになります。

いよいよ最後力尽き、御仏に抱かれていのちを終わっていきました。

私にとって、まさに浄土への道しるべの人でありました。

 ある方が

「がんばる」

という言葉を

「願いに生きる」

と書いて

「願生る(がんばる)」

と表現されていました。

とても心に残っています。

祖父は自分の最期を通して、いのちの喜びも生きる厳しさも、そこにその全てを身をもって伝えようとしてくれたのかもしれません。

あなたによって願いを知り、あなたがいてくれたから、願いに生きることを

「がんばる」

と味わうことのできる自分にお育てをいただいたこと、今はただ

「南無帰依仏」

と、仏の願いを聞かせていただく身の仕合わせを有難く思うばかりです。

親鸞聖人の往生浄土思想 (3月前期)

では、この獲信者と念仏は、どのように関係するのでしょうか。

この衆生は

「念仏せよ、汝を救う」

という本願を信じるのですから、信を得た者の人生は、当然、ただ念仏のみの道を歩むことになるといえます。

したがって、信心往生派からの

「念仏往生と信ずる人は辺地に往生する」

という主張は、念仏往生の義に対する完全な誤解といわざるを得ず、同時にもし念仏往生派が、往生の正因はただ本願を信じるのみという

「唯信」

の往生を見落としているとすれば、この人もまた本願の義にまったく信順していないということになります。

親鸞聖人は、手紙で弟子たちに、この

「念仏往生」

「信心往生」

の義を明らかにされたのですが、これによって知られるように、親鸞聖人における念仏往生とは、弥陀釈迦二尊の救いの構造を、そして信心往生とはその教法を信じる獲信の構造を意味していたのだといえます。

これを法然聖人と親鸞聖人の関係において述べれば、法然聖人はただ念仏による往生の道を説法され、親鸞聖人はその教えを一心に聴聞して、その心にただ信心のみの往生の道を開かれたということになります。

では、親鸞聖人はその

「念仏」

のはたらきをどのように理解され、往生すべき

「浄土」

をどのような場と見られたのでしょうか。

親鸞聖人の往生思想の特徴は、

「他力廻向」

の義にあることは言うまでもありません。

自分自身の力による往生のための

「行」

は見られず、往生の証果の一切、行も信も証も、その全てが阿弥陀仏から廻向されるのだと説かます。

では、なぜそのような思想が親鸞聖人の中に生まれたのでしょうか。

すでに述べてきましたように、親鸞聖人に明らかになったこの仏法の原理は、法然聖人との出遇いによって親鸞聖人が獲得された真理です。

そこでいま一度、法然聖人の前に跪いておられる親鸞聖人の姿を問題にしてみます。

このときの親鸞聖人には、仏果を得るための行も信も証もまったく存在していません。

このような親鸞聖人に対して、法然聖人はひたすら

「南無阿弥陀仏」

についての説法をされます。

そしてこの説法によって、親鸞聖人は真実の信心を得られました。

親鸞聖人の思想においては、この時に得られた

「信心」

が往生の正因です。

では、親鸞聖人に

「信」

を得させた

「行」

は、いったい誰が行ったのでしょうか。

法然聖人の説法という行為によって、親鸞聖人は信を得ておられるのですから、その行は法然聖人によってなされているということが出来ます。

したがって、親鸞聖人にとって往生の因を得るための行は、親鸞聖人にあったのではなく、阿弥陀仏の選択本願念仏の真実を語られる法然聖人にあったのだと言えます。