投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

『一年の早や過ぎ行きて除夜の鐘』

浄土真宗のお寺では1年間の行事の中で彼岸会・降誕会・永代経法要等々、様々な法要・行事が営まれます。

それぞれ大切な法要・行事ではありますが、その中でも特に一番大切にしているのが親鸞聖人のご遺徳を偲び、報恩感謝の意を表す報恩講法要であります。

浄土真宗のご本山である京都の西本願寺では1月9日より1月16日まで法要が厳修され、全国各地よりたくさんの僧侶・門信徒の方々が参拝されます。

しんしんと冷える御堂において僧俗ともに御堂を震わせんばかりに勤められる法要の様子は言葉には言い表すことのできない深い感動をおぼえることです。

京都のご本山の西本願寺で厳修される御正忌報恩講と前後して、全国各地でも各寺・各家において報恩講の法要がお勤めされます。

それぞれの地域によっても異なりますが、鹿児島では11月・12月にお勤めされる場合が多いようです。

自坊においては11月に近隣の寺院のご住職に出勤いただき賑々しく報恩講法要を勤めさせていただきました。

お寺の法要とは別にご門徒の家を一軒一軒お参りさせていただく在家報恩講も10月より始まりまして、今月12月にはお参りが終わる予定です。

このあたりでは報恩講を親しみを込めて

“ほんこさあ”

と呼んでいます。

自坊において、ご法事等はお寺にお参りしていただく形になっておりますので、

“ほんこさあ”

は年一回御門徒のお宅にお参りする大切なご縁でもあります。

お参りをさせていただくと、それぞれに、年に1回のこの

“ほんこさあ”

を大切にして待っていて下さいます。

「“ほんこさあ”を終えると、ようやく落ち着いて新年を迎えることができます」

或いは

「今年も“ほんこさあ”の時期になりましたね。ほんと1年が経つのは早いですね」

といった会話をすることです。

一軒一軒をお参りさせていただく中に、お仏壇の横上に飾られている御先祖の方々の遺影を拝見いたしますと、このおばあちゃんは、私がまだ小さい時に、よくお寺にお参りして下さった方だなあ。

このおばあちゃんはこの家の方だったのかと気づかせていただくこともしばしばです。

逆に顔も名前の知らない遺影の方が多いのも現実です。

しかしながら、私は直接お会いしたこともないこの方々が南無阿弥陀仏のお念仏を子や孫へとお伝え下さったからこそ今、こうしてお参りが続けられてきたんだなあと頭が下がる思いがしたことです。

親鸞聖人のご遺徳に感謝し、その教えを慶んでこられた先達のお心を大切にさせていただきながら、お参りさせていただくことです。

この“ほんこさあ”のお参りが終わりますと、いよいよ年の瀬となります。

除夜の鐘をつきながらこの1年を静かに振り返ることです。

「念仏の教えと現代」12月(前期)

現代の人々は、普通どのような人生観を持っているのでしょうか。

ここでいう人生観とは、人間にとっての生と死の問題、いわゆる生死観のことですが、私達の人生の見方は、率直に言うと生きるという面、つまりいかによく生きるかという、その一点に自分の立場をおいて人生を眺めようとしていると言えます。

明日をどのようにしてよく生きるかという、そういう面のみを見つめているのです、それは、いかに自分は幸福に人生を終えるか、そのような人生の見つめ方が現代を生きる私達の特徴であるといえます。

この場合、生きるということと死ぬということは、全く次元が違います。

生と死は全然次元が違うのですが、その生と死の両面すべてを併せて、私達は生きるという立場から生と死の両方を見ていると考えることができます。

ということは、私達が語っている人生論は、生きるための幸福論にしか過ぎないと考えられます。

したがって、いかにすれば人間は幸福に生きることが出来るか、といったような幸福な人生のあり方が、私達の考え方の全てを支配しているといえるのです。

そうだとしますと、私達は自分の死そのものも、幸福論の線上で見ていることになります。

これは、今日のテレビ・映画などで死ということが問題にされている場面を思い起こしていただくとよいのですが、死そのものを生き方の中でとらえ、その中で幸福論的に追求されているように見受けられます。

幸福論的にとは、どうすれば自分がよく生きることが出来るかということです。

それを老いの問題についていえば、どうすればいつまでも若さを保つことが出来るかという説明になります。

そこでは、いつまでも若さを保つことができる秘訣が語られることになります。

八十になっても九十になっても、若々しい心身でいるためには、どうすればよいのかという観点からのみ、私のあり方が問題にされるのです。

病にかかった場合でも、今日では病にかかっても、このように痛みを消すことができる医学が発達していると説明されます。

そして最後は、いかに楽に死ぬかですが、その死に方までもが幸福論的に述べられることになります。

このように、全てがバラ色の人生の中にあるかのようにとらえられているのです。

まさに老いが、病が、そして死そのものまでもがバラ色で語られているのが現代の特徴だといえます。

確かに、人々の心に常に希望と勇気を持たせることは、それはそれでけっこうなことなのですが、本当に死を迎える瞬間が、そのようなバラ色でありうるかどうかということは、もうひとつ考えてみなければならないのではないかと思われます。

幸福な死の迎え方、仏教もまたこの一点を問うのですが、今日的な見方とは、根本的な違いがあるといわなくてはなりません。

なぜなら、仏教においては、老病死はやはり人間にとって最も不幸なことだととらえるからです。

ところが、その不幸を科学が打ち破って、それを幸福にしようとしています。

科学的な生き方においては、人生はどこまでも幸福だという方向で語られているのはそのためです。

そのため、現代の社会においては、一見、科学が宗教を凌駕して支配してしまった、あるいは科学が宗教を超えたというような見方が共通理解であるかのような現象が生じてしまっているのだといえます。

「限りなきいのち〜死を超えた慈悲〜」(上旬)死に直面すると、当たり前の日常が輝いてくる

======ご講師紹介======

鍋島直樹さん(龍谷大学教授)

☆ 演題「限りなきいのち〜死を超えた慈悲〜」

ご講師は、龍谷大学教授 鍋島直樹さんです。

昭和34年、兵庫県生まれ。

龍谷大学に教授として勤務。

真宗学、親鸞聖人の生死観、仏教の人間観を専門とされ、あらゆるものが相互に支え合っているという縁起の教えに基づき、いのちへの非暴力・感謝・慈悲について研究をしておられます。

また大学院時代の入院の経験から終末期ケアにも携わられ、文献による仏教解釈だけでなく、死に行く人の苦しみを和らげる教育研究を志し、仏教の生命観を基に臓器移植やクローンといった現代のいのちの問題に取り組んでおられます。

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「われ今幸いに、まことのみ法を聞いて、限りなきいのちをたまわり、如来の大悲にいだかれて、安らかに日々(にちにち)を送る」

この限りなきいのちをたまわるとは、どういうことなのかを今日は考えてみたいと思います。

僕は長い間、死に直面した人たちの願いを考え、研究してきました。

それで少しずつ分かってきたんですが、その願いというのはおよそ3つあるんですね。

そのうちの一つは

「日常性の存続」

です。

死を受容することなんかが目的じゃないんです。

新しい日常が、また今日も過ごせたということ、これが亡くなっていく人の願いなんですよ。

特別なことじゃないんです。

家族と一緒に過ごせる、今日は誰かと話せた、それがたまらなく嬉しいんですよ。

僕は昔、百人くらいの学生に、あと一カ月のいちのだとしたら何をしたいかと聞いたことがあります。

すると、多くの学生が旅に行くと言いました。

でも、そういう中では、やっぱり家族と一緒に過ごしたいとか、京都に勉強に来ている子は故郷に帰って、そこで最期を過ごしたいか、そういう日常の当たり前のことが輝いてくるんですよ。

宮沢賢治の

『銀河鉄道の夜』

という物語があります。

銀河鉄道は、死んだ人たちが乗る列車です。

この話は、宮沢賢治自身が死に直面したこと。

そして賢治の妹トシが24歳で亡くなったとき、26歳の賢治が自分のひざ元で、妹を看取った経験から来ています。

「あめゆじゅとてちてけんじゃ」

〜どうかお兄ちゃん、みぞれを取ってきて、のどが渇いたと。

そうして、みぞれを取って来て口に含ませると、

「ありがとう」

と言って死んで行った。

そういう妹のいのちは輝いていたんですね。

私にこんなことをさせてくれてありがとうと

『永訣の朝』

に書いてあります。

そのように、死に直面した人は、当たり前の日常が輝いてくるんです。

二つめは

「願いの継承」

です。

亡くなっていく人たちは、それぞれ願いを持っています。

それをちゃんと受け止めて行くことが、死んで行く人たちの願いじゃないでしょうか。

青木新門さんの話になりますが、青木さんはお母さんのレストランを継ぎ、その後、納棺夫になりました。

最初は妻にも言えず、家族にも親戚にも反対されて、誰一人として自分の仕事に賛成してくれる人はいませんでした。

そんなある日、自分が昔大好きだった人のお父さんが死んだとき、遺体を一生懸命きれいにしていた青木さんの汗を、その人がぬぐってくれたんです。

誰からも見下げられていた納棺夫の仕事ですが、それでこの仕事をしていこうと思ったんですって。

さらに、大反対していた親戚の長のおじさんが危篤状態になり、青木さんは他の人に言われて会いに行きました。

そこで青木さんは、おじさんの意識が戻ったらまた

「親戚中の恥だ」

と言われると思ったそうです。

すると酸素マスクをつけたおじさんがモゴモゴとするので、耳をそばだててご家族の人と一緒に聞いてみたら、

「ありがとう」

と言ってくれたんですって。

その言葉を聞いて、納棺夫の仕事をして良かったと思うようになったと言います。

自分の気持ちを丸ごと受け止めてくれる人がいたら安心できるんですよね。

「ありがとう」や

「すまなかったな」

という言葉ほど、美しい言葉はないのではないでしょうか。

これが願いの継承です。

「希望(けもう)」

「希望」

という語は漢籍にも用例がありますが、借用後として日本語語彙の中に入ったのは、仏典出自の

「希望(けまう)」

の方が先でした。

古辞書類はいずれも

「ケマウ」

の形で載せています。

それが説話集や仮名法語を介して流布しました。

もとはサンスクリット語の

「アビラーシャ」

の訳で、名利をのぞむことを意味しました。

のちにそれが拡大転義して、単に

「のぞむ」

ことや、未来への明るい見通しなどの意味になり、発音も

「希望」

に変わりました。

「希望します」

がそれです。

『周りの人に 許されて生きる私』

保釈された酒井法子さんが、テレビの前で涙を流しながら罪の反省をしていました。

 わずか5、6分の記者会見だったのに、何度もその場面が放映されると、繰り返し反省しているように見えてきて、

「これだけ反省しているのなら、もう許してもいいんじゃないか」

と思ってしまいました。

多分、錯覚なんでしょうけど…。

 彼女は、犯した罪があるのですから、それ相応の反省が求められ、処罰を受けるのは仕方がないことでしょうが、私たちの社会は、どこかで許される線引きがなくては生きていけません。

おそらく

「一度罪を犯したら一生許されない」

というような、息苦しい余裕のない社会を求めている人などいないでしょう。

 話は変わりますが、では

「法律で許されれば、他に罪を負うことはない」

といえるのでしょうか。

阿弥陀さまは

「どんなに大きな罪を犯した悪人であっても本願(仏さまの智慧と慈悲)によって救済する」

と、誓っておられます。

 ところが、親鸞聖人の時代にそれを逆手にとって

「悪を犯しても、仏さまはどのような悪人をも救って下さるのだから、悪事を恐れる心配はない」

と、悪を勧める者がいたそうです。

まさか、殺人や盗みまでをも正当化しようとしていたのではないでしょうが、自分の心のままに好きなことを行い、口にして何を思ってもいい、という人々がいたのです。

私たちの常識では、そのような自己中心的なものの見方を認める人はいません。

たとえば、よその国で餓えて死んでいく子どもたちの姿をテレビで見て、

「あぁ、自分は日本人でよかった」

と安心するようなことだからです。

人の不幸を

「さも当然」

と、自分のみが高みに登っているような高慢な心を持つことは、仏教では特にかたく戒められています。

そうした自己中心的な、いわゆる常識という物差しで他を非難し、責めて裁いてきた自分が、独善的で欲望に振り回された恥ずかしい身であったと深く反省するこころに転換させられていくことによって頷かれるのが、

「悪人を救う」

という教えの具体的中身なのではないでしょうか。

 このような意味で、常識という物差しを捨てて仏さまの物差しの中に生まれていくことが、仏さまの救いに目覚めることだといえます。

「自分は少しも悪くない」

と開き直る悪人は、真の意味で救いの喜びを味わうことなど、とうてい出来ません。

 仏さまの物差しで計れば、私の生きる道は決して許されないことばかりでしょう。

それでも、いつでもどこでも、仏さまがついていて下さると思うと、ほのかですが温かいものを感じます。

日々の自らの有り様を振り返ると

「周りの人に許されて生きる私」

という言葉は、その内実において

「周りの人に許されるような私ではないけれど、仏さまのはたらきによって生かされている私」

と読み替えたい気持ちになることです。

「念仏の教えと現代」11月(後期)

 現代の人々は、科学的、道理的に判断できること、筋が通っていることについては強いのです。

けれども、私たちの人生は筋が通らないことに満ちあふれています。

まさに人間は、常に不条理の中にあるのです。

言い換えると、どうしようもないことの中に人間はたたずんでいると言えるのですが、そのましさく不条理な事柄に関しては、人間は実に弱い面を見せることになります。

 そのような観点から、自分の姿を見つめてみると次のような姿が浮かび上がってきます。

私たちは、通常は迷信的な事柄など信じてはいません。

ただしそれは、自分が健康であって、ほぼ思い通りの人生を過ごすことが出来ている時です。

そういう人々は、例外なく迷信を否定します。

 したがって、幸福な人生を送っている人で、迷信を否定しない人はいないといっても良いように思われます。

けれども、どうしようもない不幸が突然自分を襲ったり、科学的に正しいと判断しているそのことが完全に狂ってしまった時には、心が動転して、今までの思いが根底から崩されてしまうことになります。

そのため、心が大きく揺れ動いて、自分がどのように進めばよいのか全く分からなくなってしまうのです。

 このような状態に落ち込みますと、生きる支えがなくなってしまうのですから、これはもう訳のわからないものにしがみつくしか仕方がなくなってしまいます。

ここに、今さかんにはやっている宗教現象が存在する根拠を持つことになっているように窺えます。

現代人の大きな特徴は、不条理な事柄、どうしようもない不幸に対する弱さという点に顕著に見られると言えます。