投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

とうとうPTAの役員になってしまいました…。

とうとうPTAの役員になってしまいました…。

うちの子どもの小学校には

「子どもの6年間の在学期間中に、PTAの役員を2回しなければならない」

という暗黙のルールがあります。

そのうちの1回目を、子どもが低学年のうちがいいからとママ友に誘われて、

やってみることにしたのです。

ところが、

希望する専門部はみな一緒。

負担の少ない部を選択するに決まってます。

わたしは希望部の役員争奪戦(ジャンケン)で3回!負け、

結局、一番負担の大きいとされる部の役員となりました。

さらに、その役員会では、クジで部長を引き当てる始末。

「あの〜、わたしフルで仕事してますし、部長はちょっと…」

と言いかけて、その後の言葉は周りの冷たい視線を察知して即座に飲み込みました。

おまけに同じ部の3役にあたる副部長さんと書記さんは

わたしよりもひとまわりほどお歳が上の方々。

話し言葉もなにげに命令口調で、正直恐ろしいし気を遣いまくりです。

こんなんで1年間やりとげられるんだろぉかとすごく不安だけど

やるしかないんだよなぁ。

でも、役員を経験された先輩ママたちは

「すごくいい経験になるから、がんばってやってごらん」

と、言ってくださいます。

どんな経験が待っているのか、期待と不安と、

不安の方がかなり大きいけど

やれるだけやってみます。

わたしなりのPTA活動を。

『更生(きょうしょう)』

 

「更生」

という言葉は

「生き返ること、新しくかわること」

という意味でよく使われる日常語です。

例えば、倒産企業の会社更生法の申請、悪からの更生、更生保護、更生施設、更生医療など。

しかし、この言葉は宗教的に重要な意味を持つ仏教用語で、

「きょうしょう」

と読みます。

『涅槃経』

という大乗経典で、身体の衰弱でまさに死にかけている帝釈天という神がお釈迦さまの説法によって生き返ったとき、次のような感謝の気持ちを告白しています。

世尊(お釈迦さまの敬称)よ、私は今、即死即生しました。

命を失い命を得たのです(中略)。

このことがまさに“更生”です。

あらためて命を得たということです。

『涅槃経』

このように仏教においても、過去を捨てて、まったく新しく生まれ変わることを意味しています。

このことは、次のような原始仏典の物語にも見ることができます。

お釈迦さまの時代、アングリマーラという仏弟子がいました。

彼はもと残忍な凶賊でした。お釈迦さまの教化で弟子になりました。

ある時、アングリマーラが托鉢をしていると、難産の婦人をみかけました。

当時、お坊さんに真実の言葉を唱えてもらうと安産いるという俗信があり、彼は真実語で婦人を助けようとしました。

しかし、何百人もの殺人をした身には、自分の過去についての真実の告白はどうしてもできません。

彼はお釈迦さまの所に帰り、教えを求めました。

戻ってきて、お釈迦さまに教えられた

『私が仏弟子となって以後、決して他を害したことはありません』

という真実語を唱えたところ、婦人は安産した。

(『中部経典』)

 アングリマーラは出家をしたものの、過去の罪の意識に苛まれて、なかなか覚りを得ることができませんでした。

しかし、このお釈迦さまの教えによって、暗い過去のしがらみを越えて、仏弟子としてすっかり生まれ変わって、これからの精進こそ大切であると学び、最高の仏弟子の境地に達したと伝えられています。

一般に更生というのは、周りから手助けされるもの、与えられるものと受け取られがちです。

けれども、仏教は私たち自身が強い意志を持って新しく生まれ変わり、変革していこうとする主体的な意味があることを教えてくれています。

『やさしさとは 他人の痛みを 思いやる感性』

私たちは生きて行く中で、しばしば相手を思いやる心を持つことが大切だと言われます。

気がつけばつい、自分中心の考え方に固執してしまうことの多い私たちだけに、他を思いやることは、生きて行く中で見失うことがあってはならない感性だといえます。

ただしこの場合、

「相手を思いやる」

といっても、それは自分の思いで相手を思いやるのではないことに留意する必要があります。

なぜなら、自分の思いで相手を思いやるという時には、自分は思いやっているつもりでいても、相手にとってされは煩わしいだけということもあったりするからです。

俗にいう

「小さな親切、大きなお世話」

という言葉がこのことを指しているといえます。

したがって、自分なりに何か相手のことを考えて

「こうすると一番喜ぶはずだ」

というあり方だけでは、時として身勝手な押しつけになってしまうことさえあったりするのです。

言い換えると、自分にとって嬉しかったり、正しいと思えることが、必ずしも世の中の全ての人に通じるとは限らないということです。

親鸞聖人は、念仏者として生きていることのしるしを

「ねんごろのこころ」

を持つということの上にご覧になっておられます。

この

「ねんごろ」

という言葉は、最近ではあまり聞かれなくなっていますが、例えば

「あの人はねんごろな人だ」

というような言い方をします。

この

「ねんごろ」

という言葉は、『古語大辞典』には

「根も絡みつくほどに」

とあり、相手の人とそれこそいのちを一つにする。

木がお互いに絡みつけ合っていると、その根を引き離すことが出来ない、別々にならない。

そういう一つになって生きるという意味だと解いてあります。

そうしますと

「ねんごろのこころ」

というのは、相手の人と根を一つにするという心を表しているように窺えます。

また『広辞苑』には

「心遣いのこまやかなさま」

「まごころでするさま」

「互いに親しみ合うさま」

といったことが述べてあります。

これらの解説から知られるのは、

「ねんごろ」

という言葉は、相手の気持ち、さらに言えば相手の存在を思いやる心を意味しているということです。

しかもそれは、ただ単に相手を思いやるということではなくて、相手を思いやる心をもって相手に聞くということ、相手の心に尋ねるということがその根底にあるように思われます。

つまり、精一杯のことをしながら、そこで自己満足してしまうのではなく、誠意をもってかかわりながらそこにはなお相手の気持ちを思い計るということが、この言葉の感情として伝わってくる気がします。

このような意味で、親鸞聖人が

「ねんごろに…」

と言われる時には、いま出会っているその人を、自分の固定観念や先入観で決めてしまうのではなく、一人ひとりと真向かいになり、深く見つめ、一人ひとりの心を静かに聞きなさいと言われてあるように窺えます。

けれども、私たちはともすればそういうことを全く離れて、何か全部を決めつけてレッテルを貼り、それでわかったつもりになっていることがしばしばあります。

親鸞聖人が念仏者のしるしとして

「ねんごろのこころ」

とおっしゃってあることの意味を、現代に生きる私たちの言葉で受け止めようとするなら、それは

「他人の痛みを思いやる感性を持つ」

ということがその第一歩であるように思われます。

「親鸞聖人にみる十念と一念」7月(中期)

すでに十念について考察する中で明らかになったように、阿弥陀仏は本願に

「南無阿弥陀仏を称える衆生を浄土に往生せしめる」

と誓われていました。

なぜ南無阿弥陀仏を称えるだけで、衆生は浄土に往生するのでしょうか。

本願の十念は、阿弥陀仏の

「念仏せよ、あなたを救う」

という招喚の声だからで、しかもその念仏は単なる阿弥陀仏の声ではなく、

「南無阿弥陀仏」

がそのまま阿弥陀仏の真実なる大悲心の躍動の姿そのものだからです。

衆生が南無阿弥陀仏を称えているそのことが、まさに虚仮不実の衆生の心を破る、阿弥陀仏の満足大悲円融無碍の信楽のはたらきであり、その信楽が衆生の心に満ち満ちているという事態だったのです。

このようにみれば、阿弥陀仏と衆生の接点は、ただ南無阿弥陀仏のみで、その念仏が衆生を往生せしめるのです。

親鸞聖人はこの点を

「本願の名号は正定の業なり」

と述べられ、第十八願の十念が、まさしく衆生往生の唯一の業因だとし、その念仏がそのまま、衆生を摂取する阿弥陀仏の大悲心であり、この信楽を衆生が獲得する時、衆生の往生は決定するとみられます。

それ故にまた、

「至心信楽の願を因とする」

と説かれるのです。

では、どのようにすれば、真実清浄なる弥陀の信楽を、不実邪偽の衆生が獲得することができるのでしょうか。

私が一声、南無阿弥陀仏と称えます。

この一声の念仏を親鸞聖人は

「行の一念」

ととらえられます。

そしてこの一念について、

「行の一念と言ふは、謂く称名の遍数について、選択易行の至極を顕開する」

と述べられます。

「称名の遍数」

とは、称名の数のことで、遍とはあまねくゆきわたるの意味ですから、これはすべての称名という意味になります。

私がどのような場で、いつどんな心で称える念仏も、さらには誰が称えている一声の念仏もということで、その一声が

「選択易行の至極」

だとされるのです。

この

「易行の至極」

は、単に衆生の行為の易行性をいっているのではありません。

念仏を称えるよりも易しい行は、他にもありうるからです。

したがってこの易行性は、仏果に至る行法という一点を見落としてならないといえます。

行為の易行性を含みながら、南無阿弥陀仏はこの念仏を称える衆生を、速やかに容易に仏果に至らしめる究極の行なのです。

この無限の功徳を有する行の極致を、阿弥陀仏は本願に選び取って衆生に廻施されました。

これが

「選択易行の至極を顕開す」

の意味です。

そして一声の称名が、このように選択易行の至極の功徳を有するからこそ、釈尊が

『無量寿経』

を説き終えるにあたり、弥勒菩薩にこの

「行の一念」

を、次のように附属されたのです。

「師 柳家小さんと信心」(中旬)ガソリンを撒いた後、焼夷弾、一瞬のうち火の海

昭和18年ごろから、ときどきアメリカの爆撃機が飛んできて爆弾を落とすようになっていましたが、昭和20年3月10日に初めて大規模な空襲が行われました。

だいたい東京の旧市街というと、皆さんが思い浮かべるのは皇居や日本橋、銀座、京橋、築地本願寺のある築地などですが、あの辺はときどき爆弾が落ちたそうです。

一方、私たちの住んでいた所は農村など、郊外と言っていい所でして、私たちは長屋住まいでした。

そんな所を爆撃しても何の意味もありませんでしたから、爆弾もほとんど落ちてきませんでした。

ところが、昭和20年に入ってからの空襲では、アメリカは研究を進めておりまして、東京の下町の密集地は、軍事工場の下請け、軍事産業地帯であるとしました。

だから人間が住んでいても、ただの民家ではなく工場であると見なしたんですね。

そして、爆弾ではなかなか被害が広がらないので、全部を焼き尽くすために焼夷弾というのを開発しました。

アメリカは砂漠でミニチュアの模型まで作って、どうやればいっぺんに焼き尽くせるだろうかということをさんざん演習して、焼夷弾を開発したんです。

それをお腹に抱えたB29がマリアナ群島のアメリカ基地から飛んで来て、日本各地を焼き尽くしていったんです。

アメリカは、この空襲は国際法違反、いわゆる無差別大量殺戮じゃないと言います。

東京の下町は民家ではない。

あれは軍事工場の部品を作っている下請けの工場、つまり軍事工場だから焼き尽くしたんだ。

それを犯罪行為といわれる筋合いはないという理屈です。

さて、その下町に住んでいた私の話になりますが、まず私の親父は身体が小さくて近眼だったものですから、兵隊さんにはなれなかったんですよ。

それで、職工として後方で働いていて、夜には警防団という夜間パトロールをしていました。

大空襲の前日、3月9日の夜12時前、そのときに限ってB29が一機だけ飛んできて、何もせずに帰っていきました。

みんなは空襲警報が鳴って防空壕へ逃げたんですが、何事もなく警報が解除されたので、それぞれ自分の家に戻ったんです。

そうやって枕を下にして眠りについたその時が、なんと明くる日の3月10日、大空襲が始まった

12時7分だったんだそうです。

今度は200機以上のB29の大編隊が飛んできて、超低空でやってきました。

高度が低かったので、日本のレーダーでは補足できなかったんです。

爆撃の前には金属の粉を撒きます。

そうすると、電波が攪乱されてわからなくなるんだそうです。

それと一緒にある液体も撒きます。

後で分かったんですが、それはガソリンだったんです。

当時はそんなことは分かりませんから、夜、表を歩く人たちは雨かと思ったんだそうです。

ガソリンを撒いた上に焼夷弾を落としたから、もう一瞬で火の海ですよ。

私の親父は同僚から言われて家に戻りました。

すると生まれたばかりの赤ちゃんの私とお袋、足の悪いおばあちゃんは家の中に見えません。

よかった、ちゃんと避難してくれたんだなと親父は安心しました。

ところが、押し入れから何かうめき声のような声が聞こえてくるんです。

それで押し入れを開けると、おばあちゃんが位牌を風呂敷に包んで肩から背負い、手を合わせて

「南無大師遍照金剛」

「南無妙法蓮華経」

「南無阿弥陀仏」

「般若波羅蜜多」

と、知っている念仏とか題目とを何でもかんでもとなえていました。

そこで親父がお袋に

「ばあさん、何やってんの、そんな所で。

火がそこまで来てるじゃねえか。

お前もお前だ。

赤ん坊を持ってどうしてそこにいるんだ。」

「何言ってんだいあんた。

おばあちゃんは足が悪いし、私は赤ん坊がいるから二人もおぶれないよ。

それにばあちゃんが、この中は暗いから大丈夫だって言って、さっきからここにこもって、よくわからないお念仏だかお題目だかをやってるんだもの」

「そんなの子どもの鬼ごっこじゃねえんだから。

じゃ俺がお袋をおぶっていくよ」

というやりとりをして、やっと防空壕へ行きました。

「『お盆』というのは、何ですか」

 お盆というのは正しくは、

「盂蘭盆(うらぼん)」

と言います。

古いインドの言葉

「ウランバナ」

を音写して盂蘭盆となりました。

その名もずばり盂蘭盆経(うらぼんきょう)という教典が元になって営まれる仏教行事です。

盂蘭盆経にはお釈迦様の弟子、目連尊者(もくれんそんじゃ)とそのお母さんのお話が描かれています。

 そのお話のあらすじは次の様なものであります。

『ある日、大変お母さん思いだった目連尊者は、亡くなった母親が今どこでどうしているのかが気になって、あらゆる世界を見通すことのできる神通力で母親の姿を探します。

しかし母親の姿は極楽浄土にも天上界にも見あたりません。

もしやと思いながら他の世界を探してみると、餓鬼道(餓えた鬼の世界)に母親を見つけます。

あさましい餓鬼の姿に変わり果てた母親の姿に目連尊者は大変驚き悲しみます。

何故に母親が餓鬼道に落ちたのかといえば、生前の母親の行いによってでありました。

他の人と分けるべきものを分けず、他人に施したり何かを恵んだりと言うことを一切していなかった目連尊者の母親は、それが元になって餓鬼道に身をおとしていたのでした。

目連尊者は

「母は自分を育てるために欲を張り、餓鬼の世界に身を落としたのではないか」

と悲しみをより深めます。

飢えに苦しむ母親の姿に、目連尊者は居ても立っても居られず、お釈迦様に母親を救い出す方法をたずねます。

お釈迦様は、夏安居(げあんご)というお坊さんの勉強会の最後の日(旧暦の7月15日)に、仏弟子達に盆に盛ってお供えをして心づくしのおもてなしをすることをすすめられます。

目連尊者がお釈迦様のお勧めのとおりにすると、お母さんが餓鬼の世界から救われた。』  このお話には、子を思う親の思い、親を思う子の思い、他のものと分けること、施しをすることの大切さがえがかれているといただくことが出来ます。

 仏教行事としてのお盆は宗派によってその意味や意義が様々であります。

私たち浄土真宗の門信徒として

「お盆」

をどのようにとらえて、どのように過ごすのか、考えてみたいものです。