投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

『方便』

「嘘も方便」

ということ画あります。

嘘は良いはずはありませんが、物事を円満に納め、迷いから目覚めさせるために、時には必要な場合もあるというほどの意味でしょうか。

「方便」

はウパーヤの訳で、近づく、到達する、巧みな手だて、便宜的な手段や方法という意味を持ちます。

仏が衆生を覚りへと導くためのてだてとして説かれた教えの意味で、真実に裏付けられた、仏の衆生教化の方法・はたらきをいいます。

人間一人ひとりの機根、すなわち性質や能力は、けっして同じではありません。

人それぞれの機根にしたがって、教え導く仏のすぐれた智を方便智といい、そのはたらきを善巧方便といいます。

仏教では、方便は虚言ではなく、あらゆる人を覚りへと導くすぐれた教化の方法であり、仏のもっとも具体的なはたらきです。

まさに、あらゆる人を覚りへと導く、すぐれた教化方法であり、仏のもっとも具体的なはたらきなのです。

あらゆる手段をめぐらして人々を真実の仏道に引き入れることを方便引入といい、また真実の道に導入するために設けられた教えを方便仮門といいます。

方便にはさらに、すべての形や相を超えた究極瀧な真理であるダルマ(法)が、人々を救うために自ら形相をとって、はたらき出るすがたを意味する場合があります。

巷(ちまた)では11月末には衆議院の解散総選挙があるのではと噂されていますが、私

巷(ちまた)では11月末には衆議院の解散総選挙があるのではと噂されていますが、私的には年内にあってほしくないという思いが強くあります。

何故かというと、毎年次年度予算は通常国会において12月半ばから1月初旬には決定しているのですが、選挙前に予算決定となると、選挙をにらんで国民視点の予算繰りがされることが予想されるからです。

それは、多くの人たちにとって関心の深い社会保障費にも大きく影響してきます。

来年度は、介護報酬の改定も行われることになっています。

この件について、先日から審議会で議論が始まりましたが、テレビ・新聞等によってよく知られている通り、財源の確保が問題となっているようです。

伝え聞くところによると、大まかに3つの案が有力視されているようです。

1つには現在40歳から負担することになっている介護保険の被保険者年齢をそれ以下の年齢に引き下げる案。

2つには福祉目的税とする消費税の増税案。

3つには要支援1.2、要介護1を介護保険からはずすという案です。

どれも大変ですが、特に3案が採用することになった場合、現在サービスを受けている利用者の方が、サービスの縮小や廃止を余儀なくされることになってしまいます。

近年、私が運営に携わっている養護老人ホームの利用者の方々も重度化が進んでいます。

本来は、自立されている方々が入所される施設なのですが、現在は入所者50人中33人の方々が介護認定を受けている状況です。

また、利用されている介護サービスも様々で、その内容も福祉用具のレンタル、デイサービス、デイケア、訪問介護等、多岐にわたりますが、現在これらのサービスを受けておられる方々が、法改正により今後サービスが縮小・廃止されて迷惑されるような状況に陥ることだけは、何とか阻止しなければならないと思っています。

少子・高齢化が年々進行していく社会状況を目の当たりにすると、そろそろ国民が

「低福祉低負担」

でいいのか、あるいは

「高福祉高負担」

を望むのか、どちらを選択するかはっきりと声に出して議論を深めて行く必要がある時期に来ているといえます。

国の財政状況を見ると、

「お金を出さずにサービスばかりを求める」

ことには、既に限界が来ているからです。

『南無阿弥陀仏 私の口から如来の願いがこぼれる』

インドの挨拶はお互いが合掌をして

「ナマステ」

と言います。

この言葉は古代インド語の一つ、サンスクリット語に語源を持ち、永い永い年月を経た現代でも、インドの人々の挨拶として変わらずに語り継がれています。

「ナマス」は敬う、

「テ」は貴方。

「私はあなたを敬います」

「あなたに出会えて光栄です」

など、たくさんの意味がこの言葉には込められてあるそうです。

また、誰もが手を合わす中で挨拶が交わされるところにも、何とも言えない大きな深みがあるように思われます。

 この

「ナマステ」

と、私たちのお名号

「南無阿弥陀仏」

も、その言葉の語源は同じなのです。

「南無」

とは、サンスクリット語のこの

「ナマス」

の音が、中国に伝わって漢字に音写された語で、元来の

「帰依する」、「敬う」

などの意味を持ち、また

「阿弥陀」

という語も同じくサンスクリット語の

「アミターユス」(無量のいのち)、

「アミターバ」(無量の光)の

「アミタ」が

漢字に写されたものです。

つまりは、お念仏は

「阿弥陀仏に帰依する」

ということなのです。

 ところで、お念仏は私が称え、私の口で

「南無阿弥陀仏」

と阿弥陀さまのお名前を呼んでいることだと考えられています。

ところが、親鸞さまは、その逆で、お念仏とは阿弥陀さまの方から私を呼んでいてくださるよび声であるといわれます。

つまり、私の口を通して、阿弥陀さまが私によび掛けていて下さるのだとおっしゃるのです。

ここがまさに、名号が不可思議といわれる所以です。

私が称えているはずであるにもかかわらず、称えている私が阿弥陀さまからよばれているとは…。

とても大切なことなのですが、そう聞かされても、

「えっ、それってどういうこと?」

と、思わず頭をひねりたくなるような、なかなか分かりづらいところだといえます。

『無量寿経』

というお経によれば、阿弥陀さまは

「あなたを救いたい」、

「あなたに寄り添いたい」

と願われています。

その「願い」の届けられた「結果」が、私が今お念仏を申す姿そのものです。

もちろん阿弥陀さまを礼拝し、お念仏申すのはこの私に違いはありません。

ですが、お念仏は

「私が称える」

という私の意志を問題とするのではなく、お念仏そのものが、阿弥陀さまの願いの成就した結果であるといただくことが大切なのです。

不可思議とは「思議すべからず」

つまり

「頭で理解しようとしてはならない」、

言い換えると

「自分には理解できないということを理解せよ」

ということです。

したがって、不可思議は不可思議のままに、阿弥陀さまの側から願われていた私であったことに素直に頷き、そのお慈悲の心に触れさせていただきたいものです。

「親鸞聖人の他力思想」11月(前期)

今回から

「親鸞聖人の他力思想」

について、しばらく考えて参ります。

さて、私たちは日常

「他力本願」

という言葉を使ったり、聞いたりとかしていますが、一般にこの言葉が使われる場合は、その多くが本来の宗教的な意味とは異なる間違った解釈のもとに使われているといわれています。

そこで、そのような間違った使われ方がマスコミを通して広く流されますと、その都度、浄土真宗の教団では

「他力本願とは、そのような意味ではない」

と抗議しています。

なぜなら、浄土真宗の教えの根幹を成す

「他力本願」

の教えが、世間一般において誤った用法で使われることを見過ごしにしていたのでは、誤解がさらに浸透していくからです。

ところで、このような努力はとても大切なことですが、けれどもここでは間違った用法を否定的な方向から一刀のもとに断罪するのではなく、なぜこの言葉がしばしば間違った意味で使われるのかということについて、教団全体の信仰の在り方と絡めて、問い直してみたいと思います。

2002年5月16日にオリンパス光学工業という会社が、全国紙といわれる朝日・読売・毎日・産経の各新聞に

「他力本願」

という言葉を用いた広告を出しました。

そこには

「他力本願から抜け出そう」

というキャッチコピーが掲載してありました。

つまり

「他力本願ではだめだから、そのような生き方から抜け出そう」

と呼びかけたのです。

これに対して、西本願寺はさっそく抗議をしました。

また、2002年6月1日の

「本願寺新報」で

「それは他力本願の誤用である」

として、他力本願について次のような説明を行いました。

『他力本願は、世間では普通、他人の力を借りる、他人の力を当てにする、というふうに使っていますが、そうではありません。

本当の意味は

「阿弥陀仏の本願力をたのむこと」

です。

』と。

けれどもこの説明では、一般の人にしてみれば

「では他人の力に頼るのと、本願力に頼るのとでは、どこがどのように違うのか」

という疑問がわいてきます。

また

「本願力に頼る」

と説明されても、その本願力の姿は具体的には見えません。

そうしますと、一般の人にとって

「他力本願」とは

「他人の力を当てにする」

といわれる方が、よほどわかりやすい表現に思えるかもしれません。

ですから、どれほど懸命に

「他力とは本願力に頼ることです」

と説明しても、それはではいったい

「本願力に頼るとはどのようなことなのか?」

ということについての、具体的な説明がなされなくては、やはり極めて不十分な説明だと言わざるを得ないことになってしまいます。

「音楽あれこれ」(上旬)人生には逃してはいけないタイミングがある

======ご講師紹介======

寺薗玲子さん(鹿児島女子短期大学教授)

☆ 演題 「音楽あれこれ」

ご講師は、鹿児島女子短期大学教授の寺薗玲子さんです。

鹿児島大学教育学部音楽科、ウィーン国立大学ピアノ伴奏科卒業。

昭和52年から58年まで、鹿児島県育英財団留学生としてオーストリアのウィーンに留学。

さらに、昭和62年から1年間、再度ピアノ伴奏法の研究のため渡欧されました。

ピアノリサイタルをはじめ、歌曲伴奏や室内音楽など国内外で活躍。

CDも発表しておられます。

また、昭和63年度鹿児島県芸術文化奨励賞受賞。

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私の音楽のことについてお話しさせていただきます。

小学校3、4年生のころだったかと思いますが、生まれて初めてコンクールというものを聴きに行きました。

今も続いております

「南日本音楽コンクール」

が、当時の山形屋で行われていました。

そこで、高校生のお姉さんが出てこられて、中国地方の子守歌だったと今でも記憶しておりますが、

「ねんねんこ しゃっしゃりませ」

と、澄んだ美しいソプラノの声で歌われました。

私はすっかり魅了されまして、審査委員長になった気持ちで

「うん、このお姉さんが一番」

と、興奮して帰りました。

「このお姉さんと一緒に歌が歌えて、ピアノが弾けるようになったら、どんなに楽しいだろうな」

と、小学生の私は強く思いました。

その翌日か、翌々日に新聞に掲載されたコンクールの第1位は、そのお姉さんではありませんでした。

「聴く耳がないな」

と、私は密かに思ったものです。

ところが、数年たって新聞に

「ウィーン留学。田畑、屋敷を手放して」

という大きな記事が出ました。

それが、あのときのお姉さんでした。

この方こそ、鹿児島の生んだ世界的なソプラノ歌手、片野坂栄子さんだったのです。

私の片野坂さんとの一方的な出会いから、その後30年余りたち、こせ一緒に演奏させていただくことになる訳ですが、これもまたご縁だと思いました。

高校3年生の6月頃になって、ようやく音楽の道に進もうかなと思うようになり、当時鹿児島大学で教鞭をとっておられました西勇恕先生の門をたたき、教えを頂くことになりました。

そして、鹿児島大学に入り、そこで有馬万里代先生の伴奏をさせて頂く機会をもらい、伴奏がとても面白いと感じるようになりました。

また、私は演劇や美術に見に行くことが大好きで、いつも光る脇役に憧れておりました。

ですから、このピアノの伴奏という仕事は、まさに自分の大好きに仕事になっていきます。

さらにこのころ、世界的な名伴奏者、イギリスのジェラルド・ムーアという人の書いた

『伴奏者の発言−恥知らずの伴奏者−』

という一冊の本と出会います。

これが私の伴奏者となるきっかけです。

伴奏の魅力に取りつかれ、1977年の春、職を辞しまして、ウィーンに留学することになります。

人生の中には幾つかこれを逃してはいけないというタイミングがありまして、今は亡き教育者の有馬純次先生にご相談をいたしました。

すると

「君はいったい幾つになるのかね」

とおっしゃるので、

「29歳です」

と申しましたら、

「いやぁ、それはもう遅いよ。もう、だいたい仕上がる年齢だ」

と言われました。

それでも

「いや、やっぱり行きます」

と申し上げたところ、

「金はどうするんだ、金は」

と言われますので、

「父の退職金があるから大丈夫です」。

両親の全面的な援助も得て、ウィーンに行ったのです。

モーツァルトおベートーヴェンやシューベルトなど、数えきれないほどの音楽家たちの足跡を、街のいたるところで窺い知ることが出来るのは、ウィーンならではの大きな魅力です。

9月初めから翌年の6月30日まで、毎晩繰り広げられるオペラ劇場でのオペラやオペレッタ、そして音楽会。

世界超一流の音楽家のお会いすることができ、毎日のように聴けるのですから、何より幸せなことでした。

「凡夫」

仏教における、人間観を示す重要に言葉です。

普通

「どうせ私は凡夫だから」

と自分を卑下して使うことがあります。

 本来は、サンスクリット語のprthagjana(プリットハグジャナ)の漢訳語。

一般的には、インドのカースト制度における

「低い階級の人々」

を指しますが、仏教では凡夫、凡愚、凡人と意訳されたり、仏教に出遇う以前の

「自らの煩悩に迷わされてさまざまな生き方をしている人」

を意味します。

単に自らを卑下するのではなく、仏法に照らされて自己の愚かしさを自覚した人が、自らを

「凡夫」

と呼ぶ言葉だといえます。