投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

なぜいま念仏か(2)8月(後期)

 いつの時代でも同じなのかもしれませんが、殊に現代人が惨めな思いをするのは、臨終の時だと言えます。

なぜなら、その臨終の姿が、だんだんと天人の臨終に近づいているからです。

科学の時代とは、いわば

「この世に天国を作ろうとしている」

と言うことができるかもしれません。

人間生活から苦しみの原因となるものすべて排除して、楽しみのみが満ち満ちている地上の楽園を造る。

科学文明が目指している社会とは、まさに人間が自由自在に生き、平等で平和で明るく、健康で豊な楽しい生活です。

けれども、現実の社会では、そのためにかえってあらゆる場で悲惨なゆがみが生じていることも動かしがたいことなのですが、今はそのことはしばらく置くとして、文明社会の表面のみを見ますと、確かに人間生活の醜さ、暗さの面が覆い隠されて、美しく明るく、楽しい生活があふれているかのように見えます。

ある人にとっては、既にレジャーを楽しみ、おいしい食事をし、欲望を満たす思い通りの生活が実現されているように見えなくもありません。

それは、まさに古代の人々が憧れた、天人の生活そのものではないでしょうか。

古代とまで言わなくても、ほんの百年、あるいは五十年前でも、今の私たちが謳歌している生活はその当時のひとびと想像を超えているかもしれません。

 けれども、その欲望に満ちた、思い通りの生活を送っている人にも、やがて老いが来たり、そして死に至る病を患います。

重い病にかかわれば、当然のこととして、現代の私達は病院に入院することになります。

生活に恵まれている人であればあるほど、最もすばらしい最新設備の整った病院に入院し、そこで最先端を行く治療が施されます。

この場合、生命にかかわるほどの重病であれば、本人の意志とはあまり関係なく、さっそく入院させられて、最高の治療を受けることになるはずです。

この時、その病人を入院させた人々に、何か罪の意識が抱かれているでしょうか。

もちろん、家族や友人であれば、その病状を心配するとか、離れて暮らすことの寂しさを感じることは当然です。

けれども、入院させたことに対する罪の意識は、誰ももたないはずです。

なぜなら、自分達が出来る最も良い行動を、その時にとったはずなのですから。

「歳を重ねるごとに美しく」(下旬) お母さん、ありがとう

 私が広島にいたとき、担任をした子どもの中に、とてもよく勉強するんですが、ちょっと足の不自由な男の子がいました。

この子はいわゆる小児麻痺にかかっていたんです。

それで運動があまりできませんでした。

また、経済的にもあまり恵まれてはいなかったようです。

当時は、高度経済成長期の真っ只中で、授業参観には大半のお母さんが着物姿で来られるような華やかな景気の時代でした。

そんな中、その足の不自由な男の子のお母さんだけが、授業のチャィムが鳴る寸前まで来ないんです。

子どもは中学生、高校生になると、親が来ると中には

「何で来たのか」

と怒ることがあったりしますが、小学生の頃は自分の親が来ないと非常に心配なんですね。

きょろきょろして、後ろを見るんです。

でも彼のお母さんはチャイムが鳴る寸前まで来ませんでした。

チャイムが鳴り始めた頃に、ようやく走って教室の中に飛び込んできました。

でも、その格好はエプロン姿、しかも汚れがついたままのエプロンでした。

彼のお母さんは近くの漬け物工場で働いておられましたので、その漬け物の汁がついたまま教室に飛び込んで来られたのです。

華やかな着物姿が多い中で、私も

「あっ」

と思いましたけど、普段通り授業を進めました。

やがて授業の終わりを告げるチャイムが鳴りました。

私は彼がどうするのかなと思いました。

私だったら

「なんでエプロンを取って来なかったのか」

とか、

「もうちょっといい服があっただろうに」

と文句を言うと思います。

でも彼はぱっと振り返って

「お母さん、お母さん、ありがとう」

と言って、みんなが見ている前で、お母さんに飛びついていきました。

もう本当に感動しました。

なんと素晴らしい子どもなんだろうと、今でも鮮明に覚えています。

どんなきれいな着物を着たお母さんよりも、その子のお母さんが一番輝いていた瞬間でありました。

子どものために、本当に時間を割いて、おそらく工場長に頼んでこの時間だけ行かせてくれということで来たんだと思います。

そして授業参観が終わると、すぐに工場へ走って行きました。

その子にとって世界一のお母さんでありました。

子どもはそこがわかります。

だから口でいくら

「あなたのことを思っているんだよ」

とか

「お母さんほどあんたのことを愛している人はいないんだからね」

と言っても、子どもは見抜いていきます。

現在、その子は東京で弁護士活動をしています。

以前出張で東京へ行ったとき会ってきましたが、今も変わらない優しさでありました。

お墓の向きが気になりますが?

 よく

「北向きにお仏壇やお墓を配置するのは縁起が悪い」

と言われる方がおられますが、果たしてそうなのでしょうか?

 おそらく、これは亡くなられた方を北枕に配置することから

「北枕で寝ると縁起が悪い」

とか、日当たりや風通しが悪い事を理由に北という方角を嫌がる等の迷信や俗信を真に受けてそういうことを言われているだけで何の根拠もありません。

 むしろその様な迷信や俗信に惑わされるような弱い心の方が問題なのではないでしょうか。

 親鸞聖人もご和讃の中で

「かなしきかなや道俗の 良時・吉日えらばしめ 天神・地祇をあがめつつ 卜占祭祀つとめとす」

と嘆かれています。

 お仏壇は阿弥陀如来様のお住まいです。

向きがどうのと言って、なぜに救いの目当てとされる私たちを苦しめられることがありましょうか?

また、お墓は仏さまとなられた皆様の近親の方々の遺骨を安置するところ、これもしかりです。

 人として生まれ、会いがたい仏様の教えに会うことができた私たちは、迷信や俗信に惑わされることなく、尊いみ名を称えつつ、強く明るく生き抜きたいものです。

『平和のために戦いが続く なんと愚かなことか』

「善人ばかりの家庭では争いが絶えない」

という言葉があります。

一瞬、どうして?

と首をひねってしまう言葉ですが、争いをしている時のことを考えてみると、確かにそうだなと思わずにはおれません。

何らかのことで言い争うとき、私たちはいつも無意識の内に

「自分は正しくて、相手は間違っている」

ということを前提にして、自分の正義を主張しています。

けれども、争っている相手の人も同じ思いの中で自らの正義を主張しますので、そこに「争い」が生じてしまうことになるのです。

そうすると、「争い」とは悪と悪とのぶつかり合いではなく、実は善と善とのぶつかり合いであると言えなくもありません。

そして、正義の行いであると信じる思いが強ければ強いほど、その主張は激化していきます。

したがって、たとえそれがどれほど素晴らしい主義・主張であっても、そこに自分を見つめる視点を持たない在り方は、必ずひとりよがりの「独善」に陥る危険性を孕んでいます。

それは、そこに掲げた事柄が「平和」という崇高な理想であっても、何ら変わることはありません。

なぜなら、それを行うのはあくまでも

「死ぬ瞬間まで迷いの消えることのない」

凡夫の私だからです。

現に、世界中を見渡してみると

「平和のために」

と、自らの正義を掲げて、そこでは悲惨な戦争が行われています。

それは「平和」を掲げようと「愛」を掲げようと同じことです。

「戦争」そのものが、愚かな行為なのです。

それなのに、そこに「平和」を掲げると、あたかも戦争が内包している悲惨な事柄がかき消されるかのように錯覚してしまうことがあります。

経典には

「生きとし生けるものは、すべて自らのいのちを愛して生きている」

と説かれています。

改めて、いかなることを正義の旗印に掲げようと「戦争」とはいのちを奪い取る愚かな行為に他ならないことを見据えていきたいものです。

なぜいま念仏か(2)8月(中期)

この人は、既に理性的判断能力を失っています。

そして、その耳にこうささやかれるのです。

「あなたはなぜ自分が不幸に陥っているかわかりますか」

「ご先祖に弔われていない人がおられて、その霊が迷って、今あなたのことを苦しめているのです」

「お墓の方角はいかがですか」

「お墓に傷みたいなものがついていたりとかしませんか」

「過去帳の中に、抜け落ちているご先祖の方がいたりしませんか」

「お墓を建て直しなさい」

「この香合をお仏壇に供えなさい」

「この神さまを一心に信じなさい」

「この神さまを拝めば、きっと家運が良い方向に向いてきますよ」等々。

 もしこの人が、通常の健全な心の時に、これらの言葉がささやかれたとしても、おそらく即座に一笑に付して、「馬鹿らしい」と耳を貸さないのではないでしょうか。

けれども、もし予期しないような不慮の出来事が二度、三度、重なって起こったとします。

あるいは、また体調が崩れ、どのように治療しても、悪化の一途をたどっていくといった場合ではどうでしょうか。

神秘的な占いや、そこから発せられる甘い信仰のささやきに、人はいとも簡単に惑い、その霊力にすがりつこうとしてしまうのではないでしょうか。

 なぜなら、人間の心とはそれほど強くはないからです。

今日の私たちの時代で、迷信をまともに信じようとする人はきわめてまれです。

誰もが、例外なしに迷信よりも科学的な見方を信じているのですが、どうしようもない不安に落ち込んだりしてしまうと、この私を救うという霊力、あるいは神秘的な力にしがみついて、なんとしても助かりたいと願うことになりがちです。

まさに

「溺れる者はワラをも掴む」

と言われますが、ワラは掴んでももがくだけで、沈むのです。

迷信的あり方に陥っているその姿こそ、溺れてワラを掴んでいる者の姿そのものであるといわねばなりません。

 それは、臨終における、どうしようなない最悪の状態だともいうことができます。

そこでは、科学の力も迷信の力も、全く役には立たないのです。

けれども、この人は科学か迷信のどちらかにしか頼れないために、そのいずれかに必死にしがみつくのですが、体調は悪化の一途をたどります。

しかもこの人は、現代人特有の

「苦悩に耐えられない心」

しか持っていません。

このどこまでも深い苦悩に落ち込んで行く人に、果たして「救い」はあるのでしょうか。

「歳を重ねるごとに美しく」(中旬) 子どもに不快を教えない親たち

また、自分の子どもが仮に東大に入学して、人生がわからなくなったと言って悩んだときも、こちらが無理に解答する必要はないんです。

そんなときこそ

「あそこのお坊さんがね、生き方について非常に詳しいんだよ。一度お話を聞いてごらん」

「隣のおじさんは哲学を勉強してるんだって、本もたくさん読んでるよ。

あそこのおじさんからアドバイスを受けてごらん」

と導いて行く。

このように、一生できるのが「しつけ」なんです。

ところが、「しつけ」の意味が変わり、親は子どもの身なりを整えてやったり、赤ちゃんを不快にさせないようにおしめをすぐに替えたりします。

私は、親が子どもに不快を教えず、かまいすぎることは、「しつけ」の反対になってしまっているのではないかと心配になってきます。

私には今も残る母の言葉があります。

母は非常に忙しくて、私は祖父、祖母と一緒に暮らしていました。

それでも学校から帰って、

今日は友達とけんかをしたとか、

あの人は僕をいじめたとか、

あいつは非常に悪いやつだとか、

そういう人の悪口を言って帰ると、母は私にひとこと

「ところで、あんたはよ。あんたは大丈夫なの」

と言うんです。

この言葉は、私にとって非常によく效きました。

そのときも母親が

「人の悪口を言うと、一番最初に聞くのは自分の耳だよ」

ということをよく教えてくれました。

とても忙しい母でしたが、その教えは今でもよく覚えています。

現在八十八歳ですが、今でも母にはかないません。

やっぱり、すごいなと母を尊敬しています。

また、祖母から学んだことですが、祖母はいつも私をお寺に連れて行ってくれました。

そのときのことを考えてみますと、すごい教育者だったんだなと思います。

まさしく「しつけ」をしてくれたんですね。

例えば、私が正座をして、足が疲れてきたのでだらんとしても、まっすぐしなさいと叱ったりしないんです。

さっき言った「しつけ」の方向付けです。

私が足を崩しそうになると、周りの人にこう言うんですよ。

私に聞こえるように

「うちの孫は我慢強い子なんですよ、多少のことでは、足を崩さないんですよ」

という訳ですね。

そうなると、私はしびれがきて痛いのに、足を崩せないんです。

また、お風呂にもよく一緒に入ってました。

私の祖母はものすごく熱いお湯に入ってましたので、私も中に入ると飛び上がるように痛くて、すぐに出たくなりました。そんな時も祖母は私に

「非常に我慢強い子なんだ」

「少々熱くても入ってるんだ」

と言うんです。

そう言われると、我慢してじっと入ってしまうんですね、

これがさっき言った「しつけ」なんです。

だから、私は三世代で育ったこと、身近に祖母がいたということが、自分にとってはよかったと思っています。