投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

平成30年11月法話『愚痴の出る口から お念仏がこぼれる』(前期)

近年は、共働きの世帯が増え、日々の生活を忙しくすごされている方が多くなっているようです。

日常の中では、仕事に追われ家に帰ると食事の準備、炊事洗濯、子どもたちの世話といった具合に息をつく暇もありません。

そういった状態ですと、なかなか仏前に手を合わせて、お念仏を申し喜ぶということができない、それどころか、ついつい愚痴ばかりがこぼれてしまうこともあるのではないでしょうか。

口を開けば、不満や文句ばかりで、なぜ自分がこんなに忙しさにおわれなくてはならないのか、社会が悪い、世間が悪い、あの人はだめだ、自然と愚痴がこぼれてしまいます。

浄土真宗の開祖親鸞聖人は、お念仏のみ教えは「必ず救う、まかせよ」といわれる阿弥陀さまから信心をいただいて、ただ念仏申す一生を送らせていただく、ということだと説かれました。

そして、そのように生きていかれたのが、聖人ご自身の歩みでもありました。

お念仏は、本来私が称えようと思って私が称えているのではありません。

聖人は、阿弥陀さまが、日々あれこれ惑いながら右往左往し、目に見えない不安を抱え、悩んだり悲しんだり苦しんだりして生きている、そのような私たちを目当てとして、「念仏せよ、必ず救う」とう教えを喜びいただく者に育て上げようとはたらいてくださるからこそ、私はお念仏を申すことができているのだと教えてくださいます。

それは、今、私が口にしている念仏は、まさに「阿弥陀如来」という仏さまのはたらきそのものだと言われるのです。

阿弥陀さまという仏さまは、私が「助けてほしい」と言ったから、来てくださる仏さまではありません。

私が呼び、私が頼む、そのずっと前から、私が煩悩に迷い、愚痴をこぼす姿を見抜いておられるのです。

そして、忙しい生活の中で悲しみに沈むばかりで、自ら念仏申すことのない者を救おうと、私が願うに先立ってはたらき続けてくださる仏さま、寄り添ってくださる仏さまが、阿弥陀如来という仏さまなのです。

自分の思い通りにならないことがあると、その事実から目をそむけて不平不満ばかりがこぼれ出るその私の口から、阿弥陀さまはお念仏の声となって、私の口から私によびかけてくださっているのです。

阿弥陀さまの願いが、私の体に満ち、響き、私の口からお念仏がこぼれ出てくださる。

それが、親鸞聖人の示されたお念仏だといえます。

 

仏さまのことも、仏法のことも知らず、ましてやお念仏を申すこともなく、日々愚痴ばかりこぼしていた私が、不思議なご縁に合うことによって、お念仏させていただく身の上に育て上げられてきたことの有り難さ、尊さがそこにあります。

「私がいただくこのお念仏は、阿弥陀さまから我が身に届けられたおはたらきでありますよ」との親鸞聖人のお導きであったと、感じられことです。

お念仏の声が自分自身の愚痴の姿を照らし出し、私たちを想う願いの中に生かされている尊いいのちのまことに出会わせてくださりながら、こぼれていくのです。

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「長生きしてどうする」−臨床仏教学の提言−(下旬)悩みに聞くことが仏教の日常生活である

基礎医学に対して臨床医学、つまり私たちがお医者さんにかかるということは、動物実験をしたり、試験官を振ったりという基礎医学の上に成り立っているわけですね。

仏教も同じで、仏教学というか理論仏教ではなくてやはり臨床仏教、悩みに聞くということが仏教の日常生活だと私は理解しているわけです。

死というものについて、まず他人の死というものが第一にあります。

第二の死は家族ですね。

そして三番目の死は何より自分の死です。

やはり自分を問題にすることが仏教の神髄です。

これを浄土真宗では「現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)」と言います。

これは八十八歳の親鸞聖人のお手紙『御消息』にあるんですが、

「なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんことこそ、あはれに候へ」。

「去年・今年」というのは、一二五九年と一二六〇年、ちょうど日本が大飢饉だった年なんです。

そして

「ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。

まづ善信(親鸞)が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定のひとは、疑なければ正定聚に住することにて候ふなり。

さればこそ愚痴無智の人も、をはりもめでたく候へ。

如来の御はからひにて往生するよし、ひとびとに申され候ひける、すこしもたがはず候ふなり」と、『御消息』の中できっちり「正定聚(しょうじょうじゅ)」を約束されているわけです。

ですから、この臨床仏教ということは自分の問題であり、そこには病人も老人もおり、死の問題もある。

生死を見つめて初めて自分の問題として考えられる、ということじゃないかと思うんです。

そこで『歎異抄』に「いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」とあります。

この間もある友人と話をしたのですが、

「君は地獄に行くのか、極楽に行くのか」と言いましたら、その友人はしばらく考えていて、我々のように浄土真宗のみ教えを頂いていれば

「そりゃあもう極楽浄土で決まりです」と言うんでしょうが、その友人は

「そうだなあ、どちらにも友だちがいるからなあ」って言ったんです。

これは傑作でわらっちゃったんですが、やっぱりそこには

「とても地獄は一定すみかぞかし」という中に「浄土真宗に帰すれども真実の心はありがたし虚仮不実のわが身にて清浄の心もさらになし」

と、自分を見つめたすごい意味があるわけです。

そして、私たちがいつも『恩徳讃』として称えさせていただいている「如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし師主知識の恩徳も骨を砕きても謝すべし」。

「長生きしてどうする」ということは「感謝の毎日を過ごさせていただく」、ここにあるんじゃないかと思うのです。

不平不満のない人はいないけど、そんな中から何とか今日の一日過ごさせてもらえる、何かさせてもらえる、ということを皆さんと一緒に喜びたいと思うんです。

「長生きしてどうする」−臨床仏教学の提言−(上旬)こんな空気のところで子育てしてはいけない

ご講師:西來武治さん(千代田女学園中学・高等学校学校長)

あるご住職からこんなお話を聞いたことがございます。

その御住職は、朝のお勤めの前に必ず境内のお掃除をするそうです。

ある時から、門前を若い青年がジョギングをして通るようになったんです。

毎朝同じ時間に顔を合わせるんですね。

ある時その若い青年が会釈をして通っていったんです。

しばらくしたら初めて「おはようございます」とあいさつをしてきたから、ご住職は

「おはようございます。毎日熱心に走っておられるが、何か目的があって走っているのですか」

と尋ねたそうです。

そうしたらその青年が「はい、いつまでも健康で長生きしたいですから」と。

そこでご住職が「長生きしてどうするんですか」と言うと、翌日から走らなくなっちゃったんですね。

一週間ほどして、そのお寺で法座が勤まったとき、ひょこっとその青年がお参りに来たんです。

「どうしたんですか風邪でもひいたんですか」

「いや、住職から『長生きしてどうする』と言われて、それが気になってジョギングどころでなくなった」と。

そして「そういう質問をした住職さんだから、お話を聞いたら何か答えが出るかと思って、こうしてお参りさせてもらいました」と言ったそうです。

ところが、この「長生きしてどうする」という問題は、住職からちょっと話を聞いたくらいで分かるもんじゃないですよね。

古今東西の哲学者、思想家、宗教家、みんなこれは一生の課題として、一生かかって答えを出すような大問題であるわけです。

ちょうど昭和四十五年でございます。

ソビエト、今はロシアのコーカサス地方に、長寿村というのがありまして、お医者さんや栄養学者、それから学校の先生など二十五人ほどで訪れました。

当時百二歳とか百十歳とかいう人と会いましたけど、いま考えると日本ほど戸籍がはっきりしてないんですよね。

何のことはない八十歳か九十歳の人たちだったんじゃないかなあなんて思うんですけれども。

ただ感心しましたのは、長寿ということについては遺伝ということがあるわけですね。

それから空気がきれいということ。

環境が静かで、百歳の老人が午前中は国営農場で別に強制労働ではなく、適当に労働して、それで午後はのんびりしている。

それから、いらない神経を使わない。

ストレスがないといいますか、そういう面があるわけです。

そして何よりもお年寄りを長老として尊敬している。

これがやはり一番大事なことだなあと思いました。

日本と違って、お年寄りを本当に大事にしているというところがありました。

私たちはナホトカから船で帰ってきたんですが、東京湾に入った途端、上空がスモッグで真っ暗。

ちょうど高度成長のときですね。

私は若い頃病気をしたので、三十五歳で結婚して女の子二人はまだ小さかったんです。

それで帰ってすぐに「こんな空気のところで子育てしては申しわけない」と思って、翌月に神奈川県の海老名というところに引っ越しました。

そこは富士山は見えるし星は見えるし、長寿村みたいな所で、通勤には一時間半もかかりましたが、しばらく電話が入らなかったんですが、電話が通ったのを機会に「ダイヤルフレンド」という「電話相談」を四十六年の四月から始めました。

これは本来、せっぱ詰まったときに電話をかけるといったような、自殺予防なんです。

『唯我独尊あなたはあなたであることにおいて尊い』(後期)

桜が咲き草木が芽を出す新緑の四月、全てのものが活動を開始する季節です。

また4月8日はお釈迦さまの誕生日であることから、私たち仏教徒においても大変意義深い月でもあります。

お釈迦さまは今から2500年前ネパール南部とインドの国境地帯にあるルンビニー園で誕生されたそうです。

シャカ族の王妃マーヤ夫人がルンビニー園に立ち寄られて、花園で無優樹に手をさしのべられた時に夫人の右脇から王子が生まれ出られました。

そして王子は誕生してすぐに七歩あるいて、右手を上に、左手を下に向けて

「天上天下唯我独尊―この天地でわれのみ仏とならんー」

と宣言されたそうです。

天も地も、鳥も動物たちも喜びの声をあげ森の木々も枝を揺らし王子の誕生を褒め称え喜んだと伝えられています。

今も花御堂の誕生仏に甘茶をかけてお祝いする「花まつり」の仏教行事として大切に受け継がれています。

お釈迦さまが誕生されて「天上天下唯我独尊」と宣言された意味はいったい何なのでしょうか。

辞書で誕生の「誕」を調べると「うまれる」とは別に「いつわる・いつわり」の意味を持つと書いてありました。

これを読むと、誕生とは「偽りに生まれる」と解釈できるわけですが、お釈迦さまが宣言された意味に重ねてみると、

「この天地は偽りの迷い悩みに満ちた世界であるが、真のいのちの尊さを明らかにする為に、わたしは生まれた」

と味わうことが出来るのではないでしょうか。

お釈迦さまは後に出家し、修行の末に悟りを開かれ、最初のご説法で四苦(生・老・病・死)について話されました。

「人がこの世に生まれるとは、刻々と齢を取り老いていかねばならない、いつ病気で倒れるか分からない不安の中に生きていかねばならない、何時か死んでいかねばならない。このような苦を生きることである」

と「いのち」の実相を示されてから、救いの道(八正道)を説かれました。

しかし煩悩に満ちた私たちにはその実践は難しく、成就することは程遠いことであることを実感せざるを得ないものです。

では、実相を明らかにされた真意はどこのあるのでしょうか。

それは、真実の世界に生まれたいと願っても、とうてい自力では叶わぬ凡夫であると私が自覚することで

「必ず救う我に任せよ(摂取不捨の本願・他力)」

との如来の願いが、真の拠り所であると信知できることを示されたのではないのでしょうか。

煩悩のまんま、私が私のまんま救われていく確かな道は、如来の本願(お念仏)と共に生きる以外にはありません。

如来の救いのお目当ては、偽りの煩悩のいのちを生きる私なのです。

「南無阿弥陀仏」と願われている「いのち」は、やがて尊い浄土へ生まれて往く「いのち」(往生)である。

お釈迦さまは、そのことを示すために「唯我独尊」とこの世に生まれて出てくださったのではないのでしょうか。

それはまた、

「私が私に生まれて良かった」

と、心から自身のいのちを尊んで生きることの大切さをお示しくださったのだと味わうことも出来るように思われます。

『唯我独尊あなたはあなたであることにおいて尊い』(前期)

4月8日はお釈迦さまの誕生日を祝う「花まつり」です。

この日はまた「灌仏会(かんぶつえ)」ともいいます。

仏教をお説きになられたお釈迦さまは、今から約2,500年前にインドの一部族であった釈迦族の皇子としてご誕生になられました。

悟りを開かれてからは、釈迦族の尊いお方という意味で「釈尊(しゃくそん)」とも呼ばれますが、日本では一般的に「お釈迦さま」と呼ばれています。

伝記によりますと、お釈迦さまは生まれてすぐに自らの足で立ち上がり、東西南北にそれぞれ7歩づつ歩まれ、

「天上天下・唯我独尊・三界皆苦・我当安之」(てんじょうてんげ・ゆいがどくそん・さんがいかいく・がとうあんし)

と、右手で天を左手で地を指し宣言されたと言われています。

生まれたばかりの赤ん坊がすぐに立ち上がり7歩も歩んだばかりか、言葉まで発したなどと、ただのおとぎ話のように思えたり、やがてさとりをひらかれ仏陀となられるような方なら、そのような奇跡的な事があってあたりまえだと思ってしまわれる方もおられるでしょう。

こうしたお釈迦さまの伝記を「仏伝」といいますが、その仏伝はお釈迦さまの死後数百年を経て成立していますので、後の世の人々がお釈迦さまの教えに出遇われたその喜びと感動をもって、「お釈迦さまであったらご誕生の際もこのようであったに違いない」という尊敬の思いから、このような歴史的な事実とは考えられないような描写で表現されたのではないかと思われます。

ですから、歴史的事実かどうかという事よりも、なぜそのような表現がなされたのか、そこにどのような思いがあったのか、それを私たちがどう受けとっていくのかが大切だと思います。

「天上天下・唯我独尊・三界皆苦・我当安之」とは、

「私はこの全宇宙の中で、自らのいのち尊さに目覚めたものです。世界は様々な悩み苦しみに満ちています。私はこの世界の苦悩に沈むものに、まことの安らぎを与え、人間として本当に尊い生き方とはどのような生き方か、ということを実現してゆこうとするものです」

というような宣言です。

世間では時折、「唯我独尊」の一句だけが一人歩きして、独善的で自己中心的な言葉のように捉えられたり、そのような使い方がなされたりしますが、決してそのような意味ではなく、自分自身のいのちの尊厳に目覚めた方の宣言であり、その上で、すべての存在がかけがえのないいのちをいただいて生かされていることへの目覚めを促す言葉なのです。

自分だけが特別な存在でただ独りのみ尊かったり、自分ひとりだけで成り立っているいのちなど何一つありません。

すべては関係性の中で、お互いに相い支え、相い支えられつつ生かされている、という縁起によるいのちの見方を仏教では大切にしています。

人は決して一人では生きられません。

この私の「いのち」は、空間的にも時間的にも思いも及ばない程の多くのものに支えられ、連帯し合って存在しています。

その「いのち」の真実に気づかされ、目覚めていくところに、人間としてのまことの尊い生き方がひらかれてくると思います。