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「他力本願」(上旬)人間の力は弱い

======ご講師紹介======

足利孝之さん(全国布教使同志会会長)

全国布教使同志会会長の足利孝之さんの講話です。

昭和6年生まれの足利さんは、龍谷大学文学文学部社会学専攻卒業後、法務教官を10年間努められました。

退職後、受刑者が健全な社会復帰が出来るように教え導いていく教誨師(きょうかいし)として、大阪拘置所に30年間従事されました。

その後、本願寺派得度・教師習礼所講師も務められ、著書に

「どの花みてもきいだな」

「私の生きる道」

「おそだて」

「生と死の谷間」

などがあります。

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ある年の12月、一隻のマグロ船がたくさんマグロを獲って日本に帰る途中、南シナ海で冬独特のしけに遭った。

船は揺れ、マグロを縛っていたロープが緩んで、マグロが動いてしまった。

13人の船員のうち7人がロープを縛り直す。

残りの6人は、船に入ってくる水をバケツや洗面器ですくって出す。

ところが、自然の力の前では、人間の力は弱く、とうとう船は沈んだ。

13人はゴムボートに乗って、カッパをかぶって、わずかな食料を持って漂流した。

漂流した13人を日本らか飛行機で探しに来るが、白いさらしを振っても、飛行機から見たら波に見えて分からない。

沖合を通る船にさらしを振って呼んでも、向こうは気付いてくれない。

助かるということは、あなたの力やはからいではないんです。

助ける人が、私に気が付いてくれるか、くれないかです。

ですから、あなたが仏さまを信じているのではないんです。

仏さまがあなたを信じてくださっているんです。

その仏さまの声が、南無阿弥陀仏、お浄土からかかってくる

「私にまかせなさい、必ず救う」

という電話の声です。

その電話がかかってきたら、あなたの口から同じように南無阿弥陀仏と応えればいいんです。

そのあなたが称える南無阿弥陀仏とは、

「はい、仰せのままにお任せします」

ということです。

あくまでも、仏さまの方があなたを信じているから来られるのであって、あなたの方が

「仏さん、助けてください」

というのではないのです。

漂流して3日目までは乾パンもあった。

しかし、4日目からは食べ物がなくなり、持っている棒に止まるカモメをつかまえて、海水で洗って食べた。

とうとう10日目には飲み水がなくなり、塩水を飲んだ。

それで身体がガクッと来た。

13日目の朝を迎えたとき、船長が言った。

「残念だ、ついに助かる運がなかった。

今夜半から明日にかけて、全員死ぬだろう。

最後の力を振り絞って遺言状を書こう」

と。

それで13人は、拾った板切れに缶詰の蓋を尖らせて

「父さん母さん、私たちは13日間生きましたが、ついに発見されず、南海の藻屑(もくず)となって消えます。

後に残る女房や子どものことを思いますと、胸が張り裂けるほど切のうございますが、後々のこと何とぞよろしくお願いします。

先立つ罪をお許しください」

と書いて、名前を彫った。

それを

「いつか日本に着いて、俺たちが13日間生きたということを伝えてくれ」

と切なる思いを込めて海に投げ込んだ。

『お盆仏縁を喜び合う』

「週刊朝日」

の2011年7月29日号に

『「今静かにブッダがブーム」・・仏教ではなく人間ブッダが震災後の日本の闇を照らす!』

という記事が掲載されていました。

以下は、その記事を読んだ私の率直な感想です。

まず、見出しについてですが、お釈迦さまは、

「親しきものは離れ、栄えるものの衰えることは常に汝(阿難尊者)に語ってきたことではないか世は無常にして、生まれたるものは必ず死に至らねばならない」

と、この世は無常であることを明らかにされ

「我が亡き後は自らを灯明とし自らをよりどころとし、法を灯明とし法をよりどころとせよ」

と、

「自灯明・法灯明」

の教えを説かれました。

この二つの言葉によって知られるのは、この世の中は無常であるが故に

「人間ブッダ」

をよりどころにしてはならない、私たちがよりどころとすべきは

「仏の教えであり、仏の教えに照らされた自らの歩みである」

ということで、まさにこれがお釈迦さまの説かれるところです。

このことについてはより具体的に、お釈迦さまのお弟子のヴァッカリが重い病気にかかり、もう助からないと思い、最後の望みとして

「お釈迦さまのお顔を拝んで、もう一度お釈迦さまのもとにひざまずきたい」

と願ったとき、次のように述べておられます。

「ヴァッカリよ、私の老耄(ろうもう)しているこの体を、どれだけ見ても、何もならない。

私の姿を見るものは、法を見ないものだ。

法を見るものは、この私を見るものである。

法を見るものこそ、真の私に出遇ったものだ」

そうしますと、

「仏教ではなく人間ブッダが震災後の日本の闇を照らす」

という週刊誌の見出しは、お釈迦さまの言葉によって、たちどころに否定されてしまうことになります。

にもかかわらず、否定されていることを肯定するから面白いのかなとも思いますが、しかし、さらに問題なのは、その記事の内容です。

週刊誌の文中で、小池龍之介氏は

「日本ではずっとブッダそのものの教えよりも、空海(弘法大師)、親鸞といった宗派を興した人の教えが重んじられてきた。

でも数千年に一度の大天才と数百年に一度の小天才、大秀才とは違いがあります」

と述べています。

果たして、そうでしょうか。

小池氏の論法では、お釈迦さまの教えの他に、弘法大師や親鸞聖人の教えがあるかのようです。

親鸞聖人は

「仏の言葉であるお経を教えのまま頂く」

という姿勢を一貫された方です。

お念仏の教えも、

「これは自分の教えだ」

などと言われるわけがありません。

それを裏付けるように、

「自ら信じ、人に教えて信じさせるのは極めて難しい。

仏の大悲が人々を教化していくのだ。」

と、人々に教えを語られる時も、自分も共に教えを聞く者の一人であるとの自覚から、

「聞き続ける」

という姿勢に終始され、自分の口を通して仏の大悲が躍動しているのだと頷いておられます。

間違っても、お釈迦さまと自分が同一線上に並び立つ者だという考え方はされません。

ですから、親鸞聖人の教えを聞くものは、親鸞聖人の語りかけを通して仏の教えを聞くということを決して見失ってはなりません。

また、宗教学者の島田裕巳さんは仏教を今話題のドラッカーに当てはめて

「教団は(中略)救済の対象となる“衆生”という顧客を創造しました」

といいます。

これも、本当にそうなのでしょうか。

本来

「衆生」

という言葉は、

「ともに共存していくもの」

という意味なのですが、それを歪曲して

「衆生という顧客を創造した」

などと述べるということは、宗教学者としての資質に疑問を呈せざるを得ません。

もしかすると、

「衆生」

がお金儲けの対象にでも見えるのでしょうか。

まぁ、そのように見えている仏教関係者が少なからずいることも否定出来難い事実ですが、私たち仏教に縁ある者は、お釈迦さまは衆生によって生かされる托鉢の道を歩まれたことを思い起こす必要があります。

「衆生」

とは、顧客などではなく、共に仏法を聞き、共に仏道を歩み、支え合う大切な仲間であり、それを親鸞聖人の言葉に則して言えば

「御同行・御同朋」

ということになります。

親鸞聖人は『涅槃経』において

「真実といふはすなわちこれ如来なり。

如来はすなわちこれ真実なり」

といわれます。

これは

「如来の他に真実はない」

というお言葉です。

ともすれば

「苦難は人に押しつけても、自分だけは幸せになりたい」

と身勝手な願い惑う私たちに、

「苦難は私が引き受けるから、あなたはまことの幸せを得てください」

と願っていくのが、まことの生き方であると受け入れていくことを聞法といいます。

この真実に出会い、申し訳ない、恥ずかしい生き方をして参りましたと自らのあり方を受け入れていく時に、仏の願いの深さが知られ、自然と頭が下がるものです。

浄土真宗の教えとは、立派な哲学者になる事を目指すものではありません。

『歎異抄』は

「あらゆる煩悩を身にそなえているわたしどもは、どのような修行によっても迷いの世界をのがれることはできません。

阿弥陀仏は、それをあわれに思われて本願をおこされたのであり、そのおこころはわたしどものような悪人をすくいとって仏にするためなのです」

と、親鸞聖人が語られたことを伝えています。

こんな私が歩める仏の道があったと知らされた、尊いご縁を喜んでいきたいと思います。

「親鸞聖人の仏身・仏土観」(8月後期)

では親鸞聖人にとって、真の浄土とは何であったのでしょうか。

『唯信鈔文意』

で、善導大師の

「極楽無為涅槃界」

の文を、次のように解釈しておられます。

極楽とまうすは、かの安楽浄土なり。

よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらざるなり。

かのくにをば安養といへり。

曇鸞和尚はほめたてまつりて、安養とまうすとのたまへり。

また論には、蓮華蔵世界ともいへり。

無為ともいへり。

「極楽」

とは、かの安楽浄土だといわれます。

「かの」

とは、阿弥陀仏を指しておられることは明らかで、

「安楽」

とは心が安らかで、楽しみが極まりない状態を意味しています。

そこで、浄土とは

「よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらぬ」

世界だと解され、曇鸞大師の教えによって、

「安養」

ともいうと述べられます。

安養もまた、心身とも安らかに生かされている姿を示しています。

さらに天親菩薩の

「一心に専念し作願して、彼に生じて奢摩他寂静三昧の行を修するをもっての故に、蓮華蔵世界に入ることを得」

の言葉を承けて、本来、華厳経の本尊、毘盧遮那仏の浄土である

「蓮華蔵世界」

を、阿弥陀仏の浄土だと解されます。

このような言葉をみれば、阿弥陀仏の浄土は、ここでは場所的に、相好的に、感覚的に捉えられていると言えなくもありません。

ところが、その結びで、

「無為ともいへり」

といわれます。

そうしますと

「極楽・安楽・安養・蓮華蔵世界」

の意は、

「無為」

の意において捉え直さなくてはなりません。

これらの語はすべて、無為の意の形容になっているからです。

では

「無為」

とはどのような意味でしょうか。

「真仏土巻」

で『涅槃経』引文によってこの

「無為」

一切有為は、皆これ無常なり。

虚空は無為なり。

この故に常と為す。

仏性は無為なり。

この故に常と為す。

虚空は即ちこれ仏性なり。

仏性は即ちこれ如来なり。

如来は即ちこれ無為なり。

無為は即ちこれ常なり。

常は即ちこれ法なり。

法は即ちこれ僧なり。

僧は即ちこれ無為なり。

無為は即ちこれ常なり。

と説いておられます。

「無為」

とは、虚空であり、常であり、仏性であり、如来であり、法であり、僧だといわれるのです。

この場合

「僧」

とは、僧侶のことではなく、仏の法を伝達するはたらきを意味しています。

したがって無為は、真如・真涅槃の同義語になります。

このように見れば、

「よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらぬ」

心は、仏の悟りの内実として捉えなくてはなりません。

「がんとともに生きる」(下旬)がん患者の生きざまから学ぶこと

そこからは早かったです。

このまま転んでいたらもったいない。

がんになったこと、おっぱいを取ったことはリセットできないけど、考えを変えることはできると思い、がんと向き合って生きるモットーを決めました。

1つめは

「がんになってもあきらめない」

です。

確かに、がんになって、どうしてもあきらめないといけないこともありますが、仕事復帰をがんのせいにしたくなかったんですね。

がんになっても、やれることはとことんやる。

元気な人と同じようにがんばることです。

2つめは、

「がんも個性である」

です。

小学校で子どもたちと接すると、背が小さいとか、そばかすがあるとかで、みんな個性に悩んでいますね。

がんも同じです。

私は堂々と乳がん患者だと言えます。

恥ずかしいことはではありません。

また、自己PRでもあるんです。

なので履歴書に

「乳がん」

と書いて就職面接のときに伝えました。

ちゃんと採用されましたよ。

がんも個性なんです。

2つめは、小学校の頃からのモットーですが

「どうせやるなら楽しく」

です。

宿題をやらないといけないのは嫌だったんですが、ちょっと気持ちを変えて

「どうせやるなら楽しくしよう」

と思ってやっていたんです。

がんになってからは、それをさらに強く思いました。

これは先ほどお話した患者さんのお蔭だと思っています。

また、すでに亡くなってしまいましたが、私の友だちに、ある女性のがん患者さんがいました。

彼女は亡くなる直前、電話越しの会話で

「死にたくない」

と泣きながら繰り返していましたが、最後の最後に

「聞いてくれてありがとう。

三好さんは生きてね」

と言ったんです。

自分の最期に

「ありがとう」

「生きてね」

って言える人ってすごいな、素敵だなと思いました。

人が亡くなるのはとても寂しいです。

でも、亡くなっていく人は悲しみだけじゃなく、不思議な温かさも残していってくれます。

その生きざまから学ぶこともいっぱいあると思います。

彼女は37歳で逝ってしまいましたが、彼女の最期の言葉は、今も胸に残っています。

がんの発覚の当時赤ちゃんだった息子も、今年で10歳。

小学校の4年生になりました。

息子が1歳年を取るごとに、私も乳がん歴が1年ずつ増えていきます。

乳がんは手術してから何もなく20年過ごせば、乳がん

「卒業」

になると言われています。

今は、息子が成人式を迎える20歳のとき、一緒に

「乳がん卒業式」

をするという目標を持って生活しています。

讃岐の庄松(ささぬきのしょうま)

1798?〜1871年。

讃岐(香川県)大川郡丹生村土居で農業を行い、明治4年73歳で死去。

『庄松ありのままの記』によれば、

「庄松はつねに縄を編み、あるいは草履を作りなど致し居て、ふと、阿弥陀仏のお慈悲のことを思い出すと、所作を抛(なげう)ち、座上に飛び上がり立ちながら、仏壇の障子を押し開き、御本尊(阿弥陀仏)に向かって、曰く『バーアバーア』」。

これは、無学な貧乏人であった庄松が、子どもが親に甘えるように御本尊に甘えている姿であると言われます。

無邪気というか、純粋無垢というか、何とも名状しがたい信仰ぶりです。

蒸し暑い夏の日のこと、庄松は田んぼから帰るなり、仏壇から本尊を持ち出して、それを青竹の先に結びつけて、軒先に垂らし、そこで念仏を称えていました。

それを見た同行(門徒の仲間)が何をしているのかと聞くと

「親さま(阿弥陀仏)も、これで涼しかろう…」

と平然と答えたそうです。

彼には、他の妙好人にも言えることですが、世間一般の常識は通用しませんでした。

世間の目とか、習慣とは関係のない、ありのままの生一本の時空軸の中に生きていたかのように窺えます。

住職との問答でも峻烈です。

「うちの御堂のご本尊さまは生きてござろうか」

と住職が聞くと、庄松は

「生きておられるとも」

と。

「でも、ものを言われぬではないか」

と畳みかけると、

「ものを仰せられたら、お前らは一時もここに生きておられぬぞ」

と返したそうで、機鋒が鋭すぎて、住職のかなう相手ではなかったようです。

庄松が臨終の床についた時、生涯独身であったため、一人で寝ていました。

そこへ同行の市蔵が見舞いにやってきました。

市蔵は庄松に

「同行らと相談したんだが、お前が死んだら、墓を建ててやるから、あとのことは心配するなよ」

と言いました。

すると庄松は

「おれは石の下にはおらんぞ」

と答えました。

既に阿弥陀仏の本願に救われている身なので、墓石の中ではなく、浄土に生まれることを確信する中から発せられた言葉だと言えます。

5月にあった職場での健康診断。

5月にあった職場での健康診断。

年々、あまり良くない結果となってきています。

一番気になるのがコレステロールの数値・・・

日ごろの食生活と、運動不足の結果でしょう。

っということで、6月からスポーツジムに通い始めました。

仕事終了後ジムへ。

いつもの流れは、

○自転車30分こいで→

○あらゆる器具を使い筋力アップ(それぞれ10回×3セット)→

○約3キロのランニング→

○20分のストレッチ

で終了です。

その後、お風呂に入って、さっぱりして帰宅となります。

これまで、身体を動かすことなんて、全くなかった私。

高校の体育の授業以来になります。

そんな私が気に入って、力をいれているのが、ランニング。

最初は息があがって、苦しいのですが、フッとした瞬間からすごく気持ちよくなります。

(ランニング・ハイってやつなのかな?)

5キロくらいは軽く走れそうなのですが、あまり最初に無理してはと考えて、今はまだ3キロでストップしています。

さてさて、これが私の最近の日常生活ですが。

効果のほどはというと・・・・

1ヶ月後の測定結果。

脂肪UP。。。

体脂肪UP。。。

筋力マイナス。。。

最悪です。

今まで運動をしていなかった分、絶対に良い結果だと信じていたのに。

なぜこのような結果になったのか、考えて見ました。

そして、原因はすぐに分かりました。

食事の時間と量です。

仕事終了後ジムで2時間過ごし、帰宅したら、どうしても晩御飯の時間は9時頃。

身体を動かした後なので、食欲は旺盛だし、ビールはおいしいし。

で、その結果上記にあるよう事態へとなったわけです。

はぁ〜・・・・・

これからは、これらの経験をふまえ、体調管理に励んでいきたいと考えている日々です。。。

これから、まだまだ暑い日は続きます。

夏バテ防止のためにも、お互い、体調管理をしっかりし、元気に毎日大切に生きていきたいですね☆