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第3子のお産のため、実家に2人のこどもを連れて里帰りしていた妻が、先月無事出産を

第3子のお産のため、実家に2人のこどもを連れて里帰りしていた妻が、先月無事出産を終えて帰ってきました。

里帰りするまでの我が家の日常はというと、二人の子どもが走り回ったり、けんかをしたり、おしゃべりをしたりとワイワイガヤガヤと賑やかな毎日でありました。

里帰りした後は、家の中は母と私の二人きりで、家中シーンと静まり返っていました。

特に食事のときは、

「こんなに静かな中で、ゆっくりと食事をするのは久しぶりだね」

と、束の間の親子の団欒の時間を味わっていました。

しかしながら2週間、3週間と時が過ぎていくと、今度はあまりにも静か過ぎて、子どもたちがいて賑やかだった頃のことを思いだし寂しくなり、子どもたちに早く会いたいという気持に変わっていきました。

ところが、今度は帰ってきたら帰ってきたで嬉しいのですが、たまについうるさいなあと思ってしまう自分がいるのです。

「静かでいいなあ」

と思ってみたり、

「うるさいなあ」

と思ってみたりと、自分の都合によってしか物事を見ることの出来ない自分自身の姿を改めて気づかされたことです。

第3子誕生に際して、友人が私に教えてくれた言葉があります。

「生まれてきてくれてありがとう」

という親のもとには

「生んでくれてありがとう」

という子が育つ。

一方で、あってはならないことではあるがと前置きした上で、

「あなたなんか生まれてこなければよかったのに」

という親のもとには

「生んでくれと頼んだ憶えはない」

という子が育つと、教えてくれました。

出来るならば

「生まれてくれてありがとう」

いやいや

「生んでくれてありがとう」

と、お互いがお互いを合掌しあえる・敬えるような関係を築いていければと思うことです。

最近、研修会で講師の先生がこういう詩を紹介してくださいました。

田中大輔君という3歳の男の子が、お母さんにつぶやいた言葉をお母さんが書き留めたもので、

「ママ」

というタイトルです。

あのねママボクどうしてうまれてきたのかしってる?

ボクねママにあいたくてうまれてきたんだよ

という詩です。

こんな風に子どもに言われたら、親としては

「どんなことがあってもこの子を絶対に守っていこう」

と思うのではないでしょうか。

現代は、親が子を殺したり、子が親を殺したりするような殺伐とした世の中です。

この詩を、多くの人に是非とも聞いてほしいなあと思うことです。

この詩を聞いた後、二人の子どもに

「お父さんとお母さんは、二人がお父さんとお母さんのもとに生まれてきてくれて本当に嬉しかったんだよ。

ありがとうね」

と素直に伝えたら、長男が

「ボクもお父さんとお母さんの子どもでよかった」

と言ってくれました。

この言葉を聞いて思わず涙が出そうになるくらい嬉しかったです。

「生まれてくれてありがとう」

「生んでくれてありがとう」

お互いがこの気持ちを忘れることなく日々を過ごすことができるならば、きっと素敵な親子関係が築かれていくことでしょう。

『いのちはいただきもの』

暑い暑い夏から少しずつ秋の気配が感じられる9月。

「季節の足音」

という風情ある言葉に表されるように、四季折々の表情がめぐるこの日本。

肌をなぞるヒンヤリとした風、秋の夜長を賑やかに奏でる虫たち。

様々な場面を通じて季節の訪れを味わうことです。

秋は

「実りの秋」

とよく形容されます。

お米や農作物も収穫の時季を迎え、季節の食べ物がスーパーや食卓に並びます。

手間暇をかけ、思いをかけ育ててきた作物の収穫は喜びもひとしおです。

仏法のご縁をよろこぶ方の中には

「法(みのり)の秋」

と表現をされる方もいます。

自分のいのちに目を向けてみたとき、収穫という

「実り」

の一つひとつが、私たちのいのちに繋がっています。

多くのいのちと、そこに携るすべての方々への感謝の心が

「法(みのり)」

に出遇う慶びとなります。

浄土真宗について、よくこのように聞かせていただくことがあります。

「今まで当たり前と思っていたことが有り難いと思えてくる世界。

今まで思いもしなかったようなことが、あぁそうだったなぁと頷きに変わる世界。」

本来、何もない

「無」

であるはずの私が、たくさんのお陰により

「有る」

姿へと存在させていただいているという事実を知らされるとき、有ることが難しい私でありましたと、そこには深い頷きがあります。

我が身を知れば知るほど、自分のみの力によるものではなく、目には見えなくともそこには他の多くの支えをいただく中で、私のいのちの成り立つ姿が明らかとなります。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

実れば実るほど、まるで有難うとお辞儀をするかのように稲穂が垂れ下がる様子を詠んだ句です。

私たちはどうでしょうか。

毎日は当り前のように巡ってくるという感覚だと、なかなか気付くことの難しい視点かもしれません。

法(みのり)に出遇い、法に照らされた我が身を振り返るということは、有り難い、もったいないことでしたという視点を恵まれることです。

まさに有ることが難しい私が、多くのいのちをいただき、多くの支えの中に生かされて今、ここに私のいのちの存在があるのではないでしょうか。

「親鸞聖人の仏身・仏土観」(9月前期)

では

「よろづのたのしみ」

とはどのような意味でしょうか。

『涅槃経』では続いて

「大楽有るが故に大涅槃と名づく」

と語られていますが、この大涅槃としての

「大楽」

が、この

「よろづのたのしみつね」

の意になるのではないかと思われます。

では、大楽とは何でしょうか。

涅槃は無楽なり。

四楽をもっての故に、大涅槃と名づく。

何等かを四と為す。

一は、諸楽を断ずるが故に。

楽を断ぜざるは、則ち名づけて苦と為す。

もし苦有らば、大楽と名づけず。

楽を断ずるをもっての故に、則ち苦有ること無けむ。

無苦無楽いまし大楽と名づく。

涅槃の性は無苦無楽なり。

この故に涅槃を名づけて大楽と為す。

まず、諸楽を断ずることを大楽とされます。

なぜでしょうか。

それは、この世の世俗的な場における楽しみの一切は、やがて必ず破れてしまいます。

楽の破綻は苦でしかありません。

その楽しみが、大きければ大きいほど、破れた時に味わう苦は大きいといわなくてはなりません。

したがって、破れるべき楽を断じない限り、その楽は苦でしかないのです。

では、苦は楽なのでしょうか。

苦が楽であるはずはありません。

では、苦しみでもなく楽しみでもない状態が

「楽」

なのでしょうか。

もちろんそのような状態が楽だともいえません。

人生において、これほど退屈で活気のない姿はないからです。

そこに真実、楽しみなどあるはずはありません。

では、

「楽を断ずるをもっての故に、則ち苦有ることなけむ。

無苦無楽いまし大楽と名づく。

とは、どのような意味なのでしょうか。

その答えは

「涅槃の性は無苦無楽なり」

です。

世俗的な場での

「楽」

の求めを、完全に断つということは、生の執着によって生じる、苦楽の心を超越することにほかなりません。

この心がいま

「無苦無楽いまし大楽と名づく」

と結ばれています。

だからこそ、涅槃が大楽なのであり、

「よろづのたのしみつね」

といわれるのです。

こうして

「極楽無為」

は、楽の究極としての

「無楽」

の意となります。

ではその無楽の涅槃界とは、どのような浄土なのでしょうか。

「他力本願」(上旬)人間の力は弱い

======ご講師紹介======

足利孝之さん(全国布教使同志会会長)

全国布教使同志会会長の足利孝之さんの講話です。

昭和6年生まれの足利さんは、龍谷大学文学文学部社会学専攻卒業後、法務教官を10年間努められました。

退職後、受刑者が健全な社会復帰が出来るように教え導いていく教誨師(きょうかいし)として、大阪拘置所に30年間従事されました。

その後、本願寺派得度・教師習礼所講師も務められ、著書に

「どの花みてもきいだな」

「私の生きる道」

「おそだて」

「生と死の谷間」

などがあります。

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ある年の12月、一隻のマグロ船がたくさんマグロを獲って日本に帰る途中、南シナ海で冬独特のしけに遭った。

船は揺れ、マグロを縛っていたロープが緩んで、マグロが動いてしまった。

13人の船員のうち7人がロープを縛り直す。

残りの6人は、船に入ってくる水をバケツや洗面器ですくって出す。

ところが、自然の力の前では、人間の力は弱く、とうとう船は沈んだ。

13人はゴムボートに乗って、カッパをかぶって、わずかな食料を持って漂流した。

漂流した13人を日本らか飛行機で探しに来るが、白いさらしを振っても、飛行機から見たら波に見えて分からない。

沖合を通る船にさらしを振って呼んでも、向こうは気付いてくれない。

助かるということは、あなたの力やはからいではないんです。

助ける人が、私に気が付いてくれるか、くれないかです。

ですから、あなたが仏さまを信じているのではないんです。

仏さまがあなたを信じてくださっているんです。

その仏さまの声が、南無阿弥陀仏、お浄土からかかってくる

「私にまかせなさい、必ず救う」

という電話の声です。

その電話がかかってきたら、あなたの口から同じように南無阿弥陀仏と応えればいいんです。

そのあなたが称える南無阿弥陀仏とは、

「はい、仰せのままにお任せします」

ということです。

あくまでも、仏さまの方があなたを信じているから来られるのであって、あなたの方が

「仏さん、助けてください」

というのではないのです。

漂流して3日目までは乾パンもあった。

しかし、4日目からは食べ物がなくなり、持っている棒に止まるカモメをつかまえて、海水で洗って食べた。

とうとう10日目には飲み水がなくなり、塩水を飲んだ。

それで身体がガクッと来た。

13日目の朝を迎えたとき、船長が言った。

「残念だ、ついに助かる運がなかった。

今夜半から明日にかけて、全員死ぬだろう。

最後の力を振り絞って遺言状を書こう」

と。

それで13人は、拾った板切れに缶詰の蓋を尖らせて

「父さん母さん、私たちは13日間生きましたが、ついに発見されず、南海の藻屑(もくず)となって消えます。

後に残る女房や子どものことを思いますと、胸が張り裂けるほど切のうございますが、後々のこと何とぞよろしくお願いします。

先立つ罪をお許しください」

と書いて、名前を彫った。

それを

「いつか日本に着いて、俺たちが13日間生きたということを伝えてくれ」

と切なる思いを込めて海に投げ込んだ。

『お盆仏縁を喜び合う』

「週刊朝日」

の2011年7月29日号に

『「今静かにブッダがブーム」・・仏教ではなく人間ブッダが震災後の日本の闇を照らす!』

という記事が掲載されていました。

以下は、その記事を読んだ私の率直な感想です。

まず、見出しについてですが、お釈迦さまは、

「親しきものは離れ、栄えるものの衰えることは常に汝(阿難尊者)に語ってきたことではないか世は無常にして、生まれたるものは必ず死に至らねばならない」

と、この世は無常であることを明らかにされ

「我が亡き後は自らを灯明とし自らをよりどころとし、法を灯明とし法をよりどころとせよ」

と、

「自灯明・法灯明」

の教えを説かれました。

この二つの言葉によって知られるのは、この世の中は無常であるが故に

「人間ブッダ」

をよりどころにしてはならない、私たちがよりどころとすべきは

「仏の教えであり、仏の教えに照らされた自らの歩みである」

ということで、まさにこれがお釈迦さまの説かれるところです。

このことについてはより具体的に、お釈迦さまのお弟子のヴァッカリが重い病気にかかり、もう助からないと思い、最後の望みとして

「お釈迦さまのお顔を拝んで、もう一度お釈迦さまのもとにひざまずきたい」

と願ったとき、次のように述べておられます。

「ヴァッカリよ、私の老耄(ろうもう)しているこの体を、どれだけ見ても、何もならない。

私の姿を見るものは、法を見ないものだ。

法を見るものは、この私を見るものである。

法を見るものこそ、真の私に出遇ったものだ」

そうしますと、

「仏教ではなく人間ブッダが震災後の日本の闇を照らす」

という週刊誌の見出しは、お釈迦さまの言葉によって、たちどころに否定されてしまうことになります。

にもかかわらず、否定されていることを肯定するから面白いのかなとも思いますが、しかし、さらに問題なのは、その記事の内容です。

週刊誌の文中で、小池龍之介氏は

「日本ではずっとブッダそのものの教えよりも、空海(弘法大師)、親鸞といった宗派を興した人の教えが重んじられてきた。

でも数千年に一度の大天才と数百年に一度の小天才、大秀才とは違いがあります」

と述べています。

果たして、そうでしょうか。

小池氏の論法では、お釈迦さまの教えの他に、弘法大師や親鸞聖人の教えがあるかのようです。

親鸞聖人は

「仏の言葉であるお経を教えのまま頂く」

という姿勢を一貫された方です。

お念仏の教えも、

「これは自分の教えだ」

などと言われるわけがありません。

それを裏付けるように、

「自ら信じ、人に教えて信じさせるのは極めて難しい。

仏の大悲が人々を教化していくのだ。」

と、人々に教えを語られる時も、自分も共に教えを聞く者の一人であるとの自覚から、

「聞き続ける」

という姿勢に終始され、自分の口を通して仏の大悲が躍動しているのだと頷いておられます。

間違っても、お釈迦さまと自分が同一線上に並び立つ者だという考え方はされません。

ですから、親鸞聖人の教えを聞くものは、親鸞聖人の語りかけを通して仏の教えを聞くということを決して見失ってはなりません。

また、宗教学者の島田裕巳さんは仏教を今話題のドラッカーに当てはめて

「教団は(中略)救済の対象となる“衆生”という顧客を創造しました」

といいます。

これも、本当にそうなのでしょうか。

本来

「衆生」

という言葉は、

「ともに共存していくもの」

という意味なのですが、それを歪曲して

「衆生という顧客を創造した」

などと述べるということは、宗教学者としての資質に疑問を呈せざるを得ません。

もしかすると、

「衆生」

がお金儲けの対象にでも見えるのでしょうか。

まぁ、そのように見えている仏教関係者が少なからずいることも否定出来難い事実ですが、私たち仏教に縁ある者は、お釈迦さまは衆生によって生かされる托鉢の道を歩まれたことを思い起こす必要があります。

「衆生」

とは、顧客などではなく、共に仏法を聞き、共に仏道を歩み、支え合う大切な仲間であり、それを親鸞聖人の言葉に則して言えば

「御同行・御同朋」

ということになります。

親鸞聖人は『涅槃経』において

「真実といふはすなわちこれ如来なり。

如来はすなわちこれ真実なり」

といわれます。

これは

「如来の他に真実はない」

というお言葉です。

ともすれば

「苦難は人に押しつけても、自分だけは幸せになりたい」

と身勝手な願い惑う私たちに、

「苦難は私が引き受けるから、あなたはまことの幸せを得てください」

と願っていくのが、まことの生き方であると受け入れていくことを聞法といいます。

この真実に出会い、申し訳ない、恥ずかしい生き方をして参りましたと自らのあり方を受け入れていく時に、仏の願いの深さが知られ、自然と頭が下がるものです。

浄土真宗の教えとは、立派な哲学者になる事を目指すものではありません。

『歎異抄』は

「あらゆる煩悩を身にそなえているわたしどもは、どのような修行によっても迷いの世界をのがれることはできません。

阿弥陀仏は、それをあわれに思われて本願をおこされたのであり、そのおこころはわたしどものような悪人をすくいとって仏にするためなのです」

と、親鸞聖人が語られたことを伝えています。

こんな私が歩める仏の道があったと知らされた、尊いご縁を喜んでいきたいと思います。

「親鸞聖人の仏身・仏土観」(8月後期)

では親鸞聖人にとって、真の浄土とは何であったのでしょうか。

『唯信鈔文意』

で、善導大師の

「極楽無為涅槃界」

の文を、次のように解釈しておられます。

極楽とまうすは、かの安楽浄土なり。

よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらざるなり。

かのくにをば安養といへり。

曇鸞和尚はほめたてまつりて、安養とまうすとのたまへり。

また論には、蓮華蔵世界ともいへり。

無為ともいへり。

「極楽」

とは、かの安楽浄土だといわれます。

「かの」

とは、阿弥陀仏を指しておられることは明らかで、

「安楽」

とは心が安らかで、楽しみが極まりない状態を意味しています。

そこで、浄土とは

「よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらぬ」

世界だと解され、曇鸞大師の教えによって、

「安養」

ともいうと述べられます。

安養もまた、心身とも安らかに生かされている姿を示しています。

さらに天親菩薩の

「一心に専念し作願して、彼に生じて奢摩他寂静三昧の行を修するをもっての故に、蓮華蔵世界に入ることを得」

の言葉を承けて、本来、華厳経の本尊、毘盧遮那仏の浄土である

「蓮華蔵世界」

を、阿弥陀仏の浄土だと解されます。

このような言葉をみれば、阿弥陀仏の浄土は、ここでは場所的に、相好的に、感覚的に捉えられていると言えなくもありません。

ところが、その結びで、

「無為ともいへり」

といわれます。

そうしますと

「極楽・安楽・安養・蓮華蔵世界」

の意は、

「無為」

の意において捉え直さなくてはなりません。

これらの語はすべて、無為の意の形容になっているからです。

では

「無為」

とはどのような意味でしょうか。

「真仏土巻」

で『涅槃経』引文によってこの

「無為」

一切有為は、皆これ無常なり。

虚空は無為なり。

この故に常と為す。

仏性は無為なり。

この故に常と為す。

虚空は即ちこれ仏性なり。

仏性は即ちこれ如来なり。

如来は即ちこれ無為なり。

無為は即ちこれ常なり。

常は即ちこれ法なり。

法は即ちこれ僧なり。

僧は即ちこれ無為なり。

無為は即ちこれ常なり。

と説いておられます。

「無為」

とは、虚空であり、常であり、仏性であり、如来であり、法であり、僧だといわれるのです。

この場合

「僧」

とは、僧侶のことではなく、仏の法を伝達するはたらきを意味しています。

したがって無為は、真如・真涅槃の同義語になります。

このように見れば、

「よろづのたのしみつねにして、くるしみまじはらぬ」

心は、仏の悟りの内実として捉えなくてはなりません。