投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

こんど、職員旅行でハワイに行くことになりました。

こんど、職員旅行でハワイに行くことになりました。

初めてのハワイ!すっごく楽しみです。

本願寺のハワイ別院を参拝することは決まっているけど、

その他の日程はすべてフリー。

なにしようかな?なにしようかな?

今は、旅の準備で無駄に!?大忙し。

ハワイともなれば、やっぱり“リゾートおしゃれ”していきたいし♪

「なに着ていこぉか?

移動はやっぱりパンツかなぁ?

でもせっかくだからワンピースとかもいいよね〜」

職場の仲間と、そんな話題で盛りあがり↑↑↑

ハワイは日差しが強いだろうから、

なにか羽織りものを買おうと、

おとついから仕事帰りに街をウロウロ。

きのうもウロウロ。

まだ何も買えずにいるけど。

家に帰れば、手持ちの服でファッションショー。

友だちに写メ送って

「これどぅかな?

こっちとどっちがいぃと思う??」て。

なかなか決まんないでいます。

まさにっ!

わたしたちの旅は、もぅ始まってるんです。

だってもう、すごくウキウキしちゃってて、

こんなんで現地に着いたら、どーなっちゃうんだろぉぉ!!ってくらい、

今を楽しんでいます。

『忘れてもいつも寄り添うほとけさま』

私たちが日頃見馴れている、お寺やご家庭のお仏壇に安置してある仏さまは、立っておられます。

初めからそのよう立ち姿を見ているためか、仏さまが立っておられることに何の不思議も感じることなく、またこれが仏さまのお姿なのだろうと思っています。

ところが、唐(中国)の善導大師は、仏さまが立ち上がっておられるということは、まことにもって仏さまにあるまじき軽挙であるといった批判しておられます。

つまり、仏さまが立っておられるなどということは、軽挙妄動だと述べておられるのです。

実は仏さまは、奈良や鎌倉の大仏さまのように座っておられるべきなのです。

何故なら、仏さまはその悟り・三昧(さんまい)の世界に住しておられるのが本来の姿だからです。

また、仏身とは仏法の世界をあらわされたもので、その三昧に住する姿が、あのどっしりと静かに座っておられる姿なのです。

にもかかわらず、仏さまが自ら立ち上がって人間世界に出て来られるということは、仏法の世界が曖昧になってしまう。

あるいは、仏さまとしての純粋さがなくなってしまう。

しかもそれは、仏法をあやうくしてしまう、まことに軽挙なお姿だと善導大師は注意されるのです。

ところで、信心生活にあって一番危険なことは

「慣れ親しむ」

という事実に関わる問題だといわれます。

「慣れ親しむ」

というのはどのようなことかというと、蓮如上人が

「如来・聖人・善知識に馴れれば馴れるほど、いよいよ信仰の心を深くして、一心に仏法に耳を傾けるべきであるにも関わらず、いつもそばにいて、一番教えを聞いているような顔をしながら、実際には身をあげて聴聞しなくなってしまうことだ」

と、述べておられます。

私たちは、仏さまに慣れ親しむと、仏弟子にならず仏さまのファンになってしまうのです。

そして、如来(仏さま)・聖人・善知識に親しい自分に酔いしれるばかりで、自分の身をあげて聴聞することがなくなってしまうのです。

しかもより深刻なのは、少しも仏法を聴聞をしないのに、その一方で自分こそは第一の仏弟子であるという自負心を持ってしまうことです。

そのため、

「馴れ親しむ」

ということを蓮如上人は、常に厳しくいましめておられました。

このような意味で、仏さまが座っておられるのは、そこにおのずと私たちとの距離を保っておられる、あるいは距離を示しておられることが窺えます。

つまり、仏さまは座ることによって、私たちと一定の距離を保ち、無言の内に仏法の世界を示しておられるのです。

それは、静かに座って、私たちに深く信仰する心を呼び起こそうとしておられるということです。

ところが阿弥陀さまは、求道者にとって致命傷ともなりかねない、馴れ馴れしさを呼び起こすという危険をあえておかしてまで、自ら立ち上がっておられます。

このように、立つという姿には、深く大きな意味があるのです。

そして、そのことを善導大師は見逃さずに、問いかけていてくださるのです。

「なぜ仏さまは、そのような軽挙をあえてなさっておられるのか」と。

そういう問いをあえてあげられ、その問いを通して、仏さまの本意を明らかにしておられるのです。

善導大師は

「仏さまの徳はきわめて高く尊いものであって、無造作に軽はずみなことをすべきものではない。

にもかかわらず、何故、阿弥陀さまは静かにその境界に端座したままで衆生に対せられないのか」

と、問うておられます。

その理由を

「阿弥陀さまは、衆生が一歩一歩行を積んで、やがては自分と同じ境界にまで到達するのを座したままで待っていることが出来ずに、仏さまの方から既に立ち上がり一歩踏み出してくださっている」

と明かされます。

ここで阿弥陀さまによって見られている衆生とは、今まさに堕ちていこうとしている衆生です。

そこで、この一瞬を逃しては、もはやこの衆生は救われることがないという、その時をとらえて立ち上がっておられるのです。

けれども、繰り返しますと、ここで一歩間違えば、阿弥陀さまは仏としての生命を失う危険があるのです。

にもかかわらず、その危険をあえておかしてまで立ち上がっておられるということは、その苦悩の衆生に仏としての正覚を賭けてあらわれたということなのです。

ご家庭のお仏壇に見られる絵像、お寺の本堂に安置してある木像、いずれもその立ち上がられたお姿は、阿弥陀仏の願心そのもののかたどりです。

それはまた、親鸞聖人が

「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」

と讃嘆された、願心の姿に他なりません。

阿弥陀さまの立ち姿を通して、私たちが願うに先立って自ら立ち上がり、いつも寄り添ってくださる仏さまの尊い願いに心から耳を傾けたいものです。

「親鸞聖人が生きた時代」7月(中期)

それに対して、日蓮上人が最も重視されたのは正師ではなく経典でした。

日蓮上人が出家された清澄山清澄寺(せいちょうざんきよずみじ)は、宗派の内側からいうと天台宗に属してはいましたが、当時の山内では他宗の真言密教や浄土教の教えも盛んに行われていました。

このような雑信仰的な在り方は、清澄寺の特殊事情ではなく、多くの寺院で一般的に見られた光景でした。

そのため、当初は日蓮上人もそうした傾向に染まり

「阿弥陀仏をたのみ奉り幼少より名号を唱え候し」

と自ら述懐されるように、浄土信仰などにも親しんでおられました。

ところが、そのうちに重大な疑念に突き当り、思い悩まれることになります。

元来、仏といえば釈尊一人であり、そうであるからには仏の教えも一つであるはずだ。

それなのに、国内を見回すと、さまざまな経典を拠りどころにさまざまな宗派が競い立っていて、山内でも天台のほか真言、浄土、禅などが行われている。

どう考えてもこの状態はおかしい。

では、釈尊の説かれた真実無二の経典=正法とはいったい何か。

仏の慈悲の光に浴しがたい末法時の今こそ、釈尊の真意を伝える正法に帰依することが最も肝要な行いではないのか…。

日蓮上人は寝食を忘れるほどに思い煩い、師や兄弟子に向けて、その疑念を繰り返し問い質されました。

しかし、返ってくるのは沈黙や詭弁ばかりで、心は癒されることはなく、独力で解答を見出す他に無いと知った日蓮上人は実に思い切った方法論を自分に課されます。

まず、諸宗に対する一切の偏見を去り、先人の論考にも惑わされることなく、白紙の状態であらゆる経典を読破する。

そのうえで各経典を厳密に比較すれば、釈尊の真意がどの経典に語られているか、おのずと明らかになるはずだ…。

これは、現代の学問の常識から言えばごく当然の原典主義ということになりますが、いざ実行するとなると、日蓮上人の場合はかなりの難事でした。

というのも、仏教の経典の総数は、五千ないし七千余巻といわれるほど膨大だったからです。

しかし、日蓮上人はあえてこの至難極まる方法論を自分に課され、当時の仏教界の最高峰である比叡山延暦寺に遊学されます。

比叡山では、もっぱら延暦寺秘蔵の大蔵経の精読と研究に明け暮れ、その合間には畿内の各地を遊歴し、諸宗の高僧・碩学とも意見を戦わされました。

そして、十数年の苦学の末、自身の正法

「法華経」

と巡り合い、開教の自信を得ることになられたのでした。

「泣いて生まれて笑って逝こう」(中旬)“食い改め”ましょう

その食生活に関連して、今、乳ガンの人が増えてきています。

白人と違い、日本人の場合、乳製品や牛乳をたくさんとると、ガスが異常に発生して、腸内の弱い所にへこみを作ります。

そうすると、そこに出ててかない便がたまります。

私たちの祖先は何度も飢饉に合い、その結果、飢餓に強く、低カロリー・低脂肪で生きられる体になりました。

一方、酪農と小麦を基本にしていた欧米人には、その遺伝子がない。

だから白人と日本人は同じじゃないんです。

乳ガンになると、その人のお腹の中は真っ黒になってしまいます。

特に最近は、日本人の体で欧米と同じ食事をすることになる帰国子女に乳ガンの患者が増えてきています。

それに気がついて、“食い改めて”穀菜人。

穀物と野菜に帰ると、わずか4週間で腸の中はきれいになります。

これを食養生(しょくようじょう)といいます。

食べた物で人の体は作られます。

そして、しばらくしたら、体の細胞はほとんど変わります。

だから、食欲は人間の3大良くに数えられるんです。

食い改めたら、簡単に変わるんですよ。

月に行くには、宇宙服がいりますね。

この体は、地球で生きるための宇宙服です。

その材料がろくでもない物だったら、すぐにダメになりますよね。

食が原因でなった病気は、食で治さないといけません。

ガンは平和共存するべきものです。

みなさんの周りで、ガンになった人を見てご覧なさい。

頑張った人ばかりですよ。

ガンの原因の2割は頑張りすぎ。

3割は食が悪い。

半分が心の持ち方なんです。

あなたの周りでガンになった人は、頑張っている人ばかりじゃありませんか。

それは、どういうことか。

体を作る60兆の細胞は、1日に1兆個置き換わるんです。

だから60日経てば、体はすっかり置き換わります。

年を取って、スピードが落ちても変化し続けます。

置き換わらない、細胞が複製されない所は、心臓と歯のたった2つ。

この2つは、分裂しない永久細胞ですから、心臓と歯にはガンができません。

他の所は、全部複製で、そのでき損ないがガンです。

そのコピーが行われる時間帯は1日の内でいつかというと、寝てる時間なんです。

だから睡眠時間を削って無理を重ねると、不良細胞がいっぱいできます。

1回や2回哲弥してもどうということはありませんが、慢性的な睡眠不足だと、てきめんに風邪をひき、毎日のガン細胞を殺せなくなります。

無理がたたるというのは、そういうことです。

次の3割は食が原因です。

でもそれ以上に、心の持ち方がその半分を占めているんです。

例えば、ガンを告知されると、真っ青になりますが、言われる前と後で体に変化はありません。

それは気が病んだということですよ。

だから、気持ちが元気であれば、体も元気になります。

気持ちが半分。

後はどうにでもなります。

だから、元気で長生きしたかったら、どうすればいいか。

そういう人達とばかりつきあっていれば、自分が年だなんて思わないでしょう。

葬儀の後、初七日から四十九日まで、なぜ法事を勤めるのですか?

亡くなられた日から四十九日目までのこの期間を

「中陰(ちゅういん)」

と呼びます。

また、始めの七日目を初七日、次から二七日、三七日といい、七七日(満中陰)まで中陰の法要が続いていきます。

そもそもの起こりは、古代インドの人たちのいのちの有り様を四つに分けてみる思想に因ります。

一は母親の体内に胎児としている状態、二は生まれてから死ぬまで、三は死んだ瞬間、四が死んでからどこかの世界に生まれるまでで、この期間を四十九日とするものです。

この思想が、インドから中国を経て日本に伝わるまでの間、中国の民間思想である道教の影響を受けて一つの物語が出来上がります。

それは、七日ごとに生前の行為(身口意の三業)の善悪の確かめが行われ、その結果七七日にその人が次にどの世界に生まれるか決まるというものです。

そこで、亡くなった人が少しでもよいところに生まれるようにと、遺族が七日ごとに追善の供養をするようになりました。

これが中陰法要の始まりで、日本にも伝わり今日に至っています。

けれども、私たち浄土真宗の教えでは亡くなってから四十九日待つ必要はありません。

「念仏せよ、救う」

という阿弥陀仏の本願念仏の教えに生きられた念仏者の方々は、このいのち終わったその瞬間に本願力によって阿弥陀仏の浄土に往生を遂げ、仏になられます。

したがって、

「よいところに生まれてください」

といった追善の意味合いで中陰の法要を営んではいません。

先人の方々は、愛する方との別れや悲しみを縁として、この機会に

「私」

が仏教に出遇う貴重な期間として、大切に中陰の法事を続けてこられたのです。

このような意味で中陰の法要とは、愛する方を亡くし人生が無常であることを実感する中に、日頃は人ごととしてしか聞いていなかった仏教を身に染みて聞くことができる期間とも言えるでしょう。

また、亡くなられた方を単なる死者としてではなく、

「私に人生の真実を教えてくださった諸仏」

として受けとめ、生きる意味を、そして自分のいのちの有りようを、仏法に聞かせて頂くという姿勢でこの中陰のご法要を勤めて頂きたいものです。

ある時に、知り合いの小学生の男の子とこんなやりとりがありました。

ある時に、知り合いの小学生の男の子とこんなやりとりがありました。

その男の子とはいつも遊ぶ約束をするのですが、いろんな用件が重なってしまい、実際にはなかなか遊ぶことができませんでした。

そのため、私はいつも申し訳なく思っていました。

そこで、いつもは、こういう風な言い方で約束を交わしていました。

男の子:『今日、一緒に遊ぼうね』

私:『うん、遊ぼうね。楽しみにしているね』

ところが、ある日、男の子はいつもとは違う言い方をしました。

男の子:『今日、忙しくなかったら一緒に遊ぼうね。お仕事がんばってね』

そう言われて、私はなんだかとても情けない気持ちになりました。

「小学生の子どもにまで、忙しいのを見透かされて、こんな気遣いをさせてしまっているんだなあ。

そんなに自分は、余裕がなかったのかな…」と。

忙しい日常を送っていると、余裕をもつということ、その日を大切に味わうということをとかく忘れがちです。

そして、急いでバタバタと慌てて、余裕のない生き方をしてしまっている自分がいます。

時間を振り返る余裕。

二度と来ることのない、今日という一日を大切にしていくこと。

この男の子の一言によって、そういったことを忘れて生活している自分の姿に気づかされました。

あなたも、忙しすぎて、あるいは急ぎすぎて、今日という大切な一日を、

「気がつけば終わってしまっていた…」

と思うこと、ありませんか?

「たまには余裕を持って、ゆっくりしたり、違ったことをしたりしてみるのもよいのかもしれない」

と、子どもの言葉によって、自分の日常を振り返り考えさせられた出来事でした。