投稿者「鹿児島教区懇談会管理」のアーカイブ

「お仏壇の大きさにはきまりがあるのですか」

お仏壇の大きさを表すのに二十代、五十代などと

「代」

と言う言葉を使います。(仏壇屋や地域によっては呼び方が異なる場合もあります)

これは元々、お仏壇にご安置するご本尊(仏さま)の大きさを表しています。

お仏壇は文字通り仏さまをご安置する壇です。

ご本尊に合わせてお仏壇が造られています。

三十代のご本尊なら三十代のお仏壇といったものになります。

ご本山(本願寺)よりお迎えするご本尊は

二十代(縦19.7cm横9.1cm)、

三十代(縦27.3cm横9.1cm)といったものから

五百代(縦139.4 cm横48.5cm)、

一貫代(縦184.8cm横63.6cm)

といったものまで様々です。(他にも種類はあります)

お仏壇の形状としては一般的に床や畳の上にじかに置く台付仏壇、タンスや棚などの上に置く上置用のお仏壇があります。

お仏壇を選ぶ際には、ご本尊の大きさ、安置する場所や空間に合わせて大きさを決められるとよいと思います。

また、阿弥陀さまの願いを聞かせて頂き、私の心の拠り所となる場所です。

誰でもお参りできる部屋に安置したいものです。

最近、こどもを虐待するニュースが多く見られますね。

最近、こどもを虐待するニュースが多く見られますね。

この手のニュースはひとつ報道されると連鎖的に伝えられる部類のニュースですので虐待は日常的なニュースであるということでしょう。

私にも4歳の娘と4カ月になる赤ん坊がいます。

正直、虐待する親の気持ちが分からなくもありません。

自分の時間は制限されるし、思い通りに物事が進まないことも多くイライラします。

しかし私は、虐待するどころか手を出したこともありません。

こどもを叩く叩かないの教育方針は、各々の家庭で分かれるところではありますが、私の家庭では叩くことはありません。

それは、こどもは

「授かりもの」

だと思うからです。

齢(よわい)を重ねられた方々は、

「こどもは授かりものだ」

と口にしてこられました。

それが、いつからでしょうか?

こどもは

「作るもの」

に変わってしまいました。

私の年代(30代)では、普通に

「こどもを作る」とか

「こどもはいらない」

なんて言い方をします。

あなたは、いかがですか?

「授かる」と

「作る」

では大きく違いますよね。

これは、なにもこどもに限ったことではありません。

他人から預かったものと、自分で作ったものでは、その扱い方も変わってきます。

やはり、他人からの預かりものは大切にしますよね。

その心持ちが、今必要だと思うのです。

たとえ自分の血がつながったこどもであれ、それは摩訶不思議な縁の中から授かったものなのです。

けして私が創造したものではないのです。

虐待する気持ちもたしかに分かります。

しかし、もう一度

「こどもとは授かりものである」

ということばの意味を考えていただければと思います。

すべては縁の中です。

『咲いた花にもいのちあり散った花にもいのちあり』

お花見の時節となりました。

お弁当を持ってお出掛けされる方も多いことでしょう。

満開のさくら見ると心踊らされ、散っていく花びらに何かもの悲しさ感じる・・・。

さくらは短い期間の中で、そういった

「諸行無常」

というものを私たちに感じさせてくれます。

そのように私たち日本人の無常感は、盛んなるものが衰え、形あるものが滅びゆく、

「侘(わ)び寂(さび)」

というところで捉えられているところがありますが、本来の仏教の

「無常」

とは、盛んなるものが衰え、形あるものが滅ぶことももちろんですが、逆に衰えているものが元気になることも

「無常」

であり、つまり

「侘び寂」

などの感情的なのもではなく、すべてのものは移り変わっていくという真理を表わすのが

「諸行無常」

ということです。

世の中のすべてのものは、とどまる事なく移り変わっていきます。

もちろんこの私も例外ではありません。

今のあなたも、実はもう読む前のあなたとは違い、髪の毛も数本抜けているかもしれませんし、細胞レベルでは随分入れかわっているのだそうです。

とにかく、この私は一瞬一瞬のいのちを生きているのです。

しかもそのいのちは、無数、無量のご縁(おかげさま)によってあり得ており、いろいろなつながりのなかで連帯し合って、共に生きあっているのです。

決して一人では生きてはいけませんし、一人では生きられません。

あの立っている桜の木は、見えているだけの所で立っているのではありません。

地中には広く深い根が広がっていて、その根から養分を吸収したり、太陽からの恵みにより光合成したりして立っています。

ひとつの

「いのち」

が存在するということは、それを支える広く深い場が必要であるということです。

そういう意味では、この私の

「いのち」

を支える場は、空間的にも時間的にも思いも及ばない程に広がっており、多くのものに支えられ、連帯し合って存在しています。

また散った花はそれで終わりではありません。

大地が受け止め、他の

「いのち」

を支える大いなる自然の場に抱(いだ)かれていきます。

私達も死んだら終わりではありません。

阿弥陀如来のはたらきにより、

「おかげさま」

と恵まれた

「いのち」

をよろこび、念仏を申す人生を歩む人は、この世の縁が尽きるとき

「浄土」

がしっかりとわたしを抱(いだ)きとめてくださいます。

そしてこの迷いの世に還(かえ)って、人々をお念仏よろこぶ人に育てるため教化(きょうけ)します。

そういう

「いのちの連帯性、連続性」

の中で共に生きているんだということを、お釈迦さまは

「縁起の道理」

と説かれました。

とはいえ満開の桜の花を見て、

「散らずにもう少し長く咲き続けて、私達を楽しませて欲しい・・・」

と、考えてしまうのは私だけでしょうか?

「諸行無常」

といただいていながら、

「おかげさま」の

「いのち」

といただいていながら、この世は苦悩に満ちた迷いの世界であると聞かされていながらも、やはり

「この世の生」

に執着し、自分に執着してしまうのは煩悩のしわざであり、そのようなあらゆる煩悩を身にそなえたわたしだか

らこそ、阿弥陀如来は大いなる慈悲のお心で

「浄土」

を建立され

「本願」

をおこされたと、親鸞聖人はご自身の事として

「歎異抄」

の中で仰せになられています。

まことにもったいなく、ありがたいことです。

「念仏の教えと現代」4月(前期)

さて、ここで最終的な疑問が起こります。

それは、この南無阿弥陀仏がなぜ真実かということです。

ところで、実は仏教ではこのようなことは問いません。

私たちの場合、南無阿弥陀仏がなぜ真実かということから問い始めるのですが、仏教の求道の第一歩は、自分が究極的に信じることが出来るもの、あるいは究極的な真実とは何かということの追究から始まります。

けれども、仏教では真実とは何かを明らかにすることを第一義とするのです。

そこで、天親菩薩もこのことから問いを始められ、やがてその究極に現れてくる如来、それは時間的にも空間的にも無限に輝き、その根源から自分を摂め取ってくださる仏ということになるのですが、その仏こそまさに尽十方無碍光如来、まさに南無阿弥陀仏に到達されたのです。

だからこそ、真実なるものをどこまでも追究して、その結果出遇うことのできた真実とは、自分の全てを任せきることの出来る仏、尽十方無碍光如来、すなわち南無阿弥陀仏であると表白されるのです。

『歎異抄』の伝えるところによれば、この真理を親鸞聖人は

弥陀の本願まことにおはしまさば、釈尊の説教虚言なるべからず。

と述べておられます。

親鸞聖人は、お釈迦さまの説教が本当だから阿弥陀仏をお信じになったのではないのです。

そうではなくて、お釈迦さまは悟りを開かれた時、真実に出遇われたのですが、その出遇われた真実こそが南無阿弥陀仏だったのです。

それ故に、お釈迦さまは南無阿弥陀仏の本願の真実を説法されることになったのです。

したがって、そのご説法に偽りなどあるはずがないと言われているのです。

『「動」人を育てる』(上旬)決して軍国主義なんかじゃありません

======ご講師紹介======

小嶺忠敏さん(長崎総合科学大学教授)

☆演題 「動」人を育てる

昭和20年、長崎県南島原市生まれ。

大学卒業後、母校の教諭としてサッカー部監督を務め、インターハイ優勝などの実績を残されました。

昭和59年に国見高校に社会科教諭として赴任。

サッカー部を全国高校サッカー選手権で6度の優勝に導かれました。

また、平成19年には夏の参議院選挙に出馬。

現在は、株式会社V・ファーレン長崎代表取締役社長。

長崎県サッカー協会会長。長崎総合科学大学教授などをお務めです。

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私が若いころは、教育とはただ上から教え込むものであり、それをするのが先生の役目だと思っていました。

でもそれは間違いでした。

教え込むべきところと、自分から成長するところの2つがあるんです。

だから、教育は

「教える」

という意味の育てると、

「育つ」

という意味の育てるの2つがあるんですよ。

まず

「育つ」

ということについてお話します。

この前、広島県で高等学校の先生を集めて話をしました。

そこで

「国見高校の小嶺さんの教育というのは、まるで軍国主義の教育のようだと聞くけれど、どうなのか」

という質問が出ました。

確かに、自分自身振り返ってみますと、島原商業高校で監督をしていたころの私は勢いがよかったですけどね。

ご承知のように、商業高校というのは男子が少ないです。

私が勤め始めた昭和45年は、300人高校入試を受験に来る生徒の内、男子は60人しかいませんでした。

したがって、サッカー部の部員も全学年合わせて13名しかいなかったんです。

それでも一生懸命やって、ちょうど10年目にしてインターハイ、夏の全国大会で初優勝しました。

その後も、島原商業高校では夏のインターハイで2回、国見高校では14回優勝し、トータルで17回日本一になりました。

全国大会出場は101回でした。

そういう実績もあって、その強さの秘密は私が軍国主義だからじゃないかということで、私の所に来たら練習風景を見たいという申し出がよくあるんですよ。

私の方は、寮に泊まっていただくことを条件に、どうぞと言って見てもらっています。

私の練習風景というと、まず3つぐらい先入観があるそうですね。

1つ目。

頭を坊主にさせて軍国主義のようだとのこと。

確かに坊主頭ですが、決して軍国主義じゃありませんよ。

2つ目。

毎日何十キロも走らされるイメージがある。

島原商業高校の監督をしたころならともかく、今の子どもに毎日何十キロも走らせたら、1カ月で入院しますよ。

今の子ども達には、その体に応じたトレーニングをして、徐々に鍛えていかなければいけないんです。

3つ目。

練習時間が毎日6時間か7時間なんじゃないかとのこと。

実際の練習時間は、毎日2時間半です。

もちろん土曜日は試合があって長いですがね。

このような練習風景をご覧になった皆さんは驚かれます。

そういう先入観が全部崩れたと言いますね。

一例ですが、国見高校では、毎日体育館で1時間の朝練をします。

内容は主にミニゲームで、みんなに好き勝手にやらせます。

私は、何も指示しません。

時間を計って、始めと終わりの合図をして、組み合わせを変えてやるだけです。

それ以外は優勝チームには牛乳をおごろうとか、最下位チームには後片付けをさせたりするぐらいですね。

そうして毎日遊びながら練習することによって、アイディア、創造性が生まれてくるんです。

私がこうしろ、ああしろと言って指導したら、自由な発想は生まれないんです。

子どもは遊びの天才だと言うじゃないですか。

好きに遊ばせれば、いろんなアイディアを考え出すんですよ。

『第十八願』

本願は、本来的には、菩薩が仏になるために発する誓いであって、一切の衆生を救い完全なる悟りを開くために理想の願いを建て、それを完成させるために菩薩は堅固な心で厳しい修行をされます。

その根本的な願いを本願といいます。

この本願には、すべての菩薩に共通する総願と、その菩薩独自の別願とがあります。

総願は

「四弘誓願(しぐぜいがん)」

と呼ばれ、すでに

「本願」

の項で述べました四つの誓いのことです。

別願は、阿弥陀仏の場合、法蔵菩薩のとき建立されました四十八願で、この本願のすべてを成就して阿弥陀仏になられたのです。

そこで浄土教では、本願といえばこの阿弥陀仏の四十八願を指します。

この四十八願には、まず国土のすばらしさが誓われ、この国土には迷いの因はなく清浄であって、衆生はすべての菩薩の位、正定聚(しょうじょうじゅ)に住するとされます。

次に、自ら光明無量・寿命無量の仏になると誓われ、この仏の名号が十方の諸仏によって讃嘆され、諸仏国土に響流するとし、諸仏国土の衆生の弥陀浄土への往生の因が示され、最後に浄土の菩薩の仏道が説かれています。

法然聖人はこの四十八願の中で、最も重要な願は第十八願であるとされ、この願を王本願と呼ばれました。

それは四十八願中、第十八番目の願なのですが、阿弥陀仏はこの本願で、一切の衆生が平等で容易に浄土に往生するための往因となる

「行」

を誓われているのです。

それゆえに、私たち浄土を願う衆生にとっては、この第十八願が最も重要願になるのです。

阿弥陀仏は、無限の大悲心をもって、最高の功徳を有する名号を成就死、その南無阿弥陀仏を往生の行業として十方の衆生に廻向し、一切の衆生をお救いになろうと願われているのです。

それが第十八願の内実ですから、この本願は一切の衆生に対して、

「弥陀の大悲を信じ、念仏を称えて往生せよ」

と願われていることになります。

それは誰にでも容易に行ずることのできる仏道ですから、これに勝る仏果への道はありません。

法然聖人自身、この本願に出遇われたからこそ、真の仏道を歩むことが可能になられたのです。

そこでこの本願を

「王本願」

と呼び、一切の諸行を捨てて、ただ本願に誓われている称名念仏のみの道を歩まれたのです。

親鸞聖人もまた、法然聖人からこの第十八願の教えを聞き、獲信して念仏のみの道を歩まれることになります。

ところで、親鸞聖人はその聞法の中で、この教えがなぜ自分に届き、往生が定まったかを思念され、されは第十七願の諸仏の念仏の讃嘆と、第十八願の阿弥陀仏の大悲心、第十一願の獲信の念仏者は必ず仏果に至るという誓い、それに第十二・十三願に誓われている、光明無量・寿命無量という阿弥陀仏の無限の功徳によると見られ、この第十八願から五つの真実の本願を導き出されました。

※「言葉の散歩」は今回で終了します。

次回からは新たに「鹿児島の念仏の歴史」が始まります。